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個人として何を為すべきか―憂国論―~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~ヒント25

個人として何を為すべきか―憂国論―~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~ヒント25

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Proud.JapanProud.Japan
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Update date:2017年05月08日
個人として何を為すべきか―憂国論―~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~ヒント25

個人として何を為すべきか―憂国論―

私たちが生きている現代とは、地球史の観点からすれば「環境破壊発見元年」とも言うべき年なのかもしれない。

むろん、相当以前から地球は、人間が作ったフロンガスや車の排気ガスによって汚染され、商社や建築会社が輸入するために現地で伐採される熱帯雨林の欠如によって、困ったことになりつつあった。

しかし、日本人は自分たちの「オイシイ生活」のために夢中であり、地球のことを考えるような人はあまりいなかった。

これは考えてみればおかしなことで、私たちが乗っている小さな「丸い玉」が、主に人間の所業によって崩れつつある時に、(自分たちが楽しければいい・・)というのは実におかしな事なのに、人はそれに気づかない。

だが、近年各国政府は初めて真剣に環境問題を考え始め、それに連れて日本人もこの大問題に気づき始めた。そんな「発見元年」だ。

本当はもう遅いのかもしれない。人間はいつも「ダメになってから気づく」存在なのであって、この問題に関しても、それは言えるように思う。

今気が付いて、何らかの手当てをしても、一旦「破壊のサイクル」に入った地球を元の姿に戻せるだろうか。それはもう遅いのではないか・・・私はたまにそんな不安に襲われる。

そうして「環境問題と日本人」について考える時、日本人は諸外国から「ギルティ」(有罪)と言われても返す言葉がないだろう。

つまり、日本は今や自動車王国であって車の輸出によって信じられぬ額の外貨を稼いできた。その車が一酸化炭素を排出して大気を汚している以上、私たち日本人はギルティだ。

また日本の産業界はフロンガスを大量消費し、その使用量は全世界の一割に及ぶ。これもまたギルティである。あるいは建築ブ―ムの下で日本人が使う木材の量は膨大であり、それらは諸外国の森林・熱帯雨林の伐採によってまかなわれる。その点でギルティだ。

いやもちろん、自動車や家電メ―カ―、建築会社・商社、そうしたところのみが悪いわけじゃない。私たち普通の日本人がこうした産業の在り方を支持し、何らかの意味でその恩恵に浴している。

つまり、私たちや私たち家族の誰かがそうした会社に入って働いていないとしても、巨大産業が支払う膨大な法人税によって、私たちの利用する施設はまかなわれているのだから、私たち誰一人「無罪」の人はいないのだ。

家庭の中を見渡せば冷蔵庫・エアコン・缶スプレ―などがあり、それらはほとんど全てフロンガスを用いている。

だから私個人はむろん、愛する地球環境破壊のために「協力」しているわけで、有罪なのである。自分たちでそれと「知らぬ間」に加害者になってしまっているのだ。日本人の利用する文明の全てが、何らかの意味で地球にとって芳しくない要素を含んでいるのは、何とも悲しいことだ。

にも拘らず、産業社会は自分たちの手による「環境破壊促進行動」を決して認めない。一旦認めたら、世界中から訴訟の嵐が企業を巻き込む時代になるのだから「私たちの行為と汚染は無関係です」と言い続けるしかないのだろう。

むろん、日本政府も自分たちの国の一員が、あるいは日本人の享受した文明が環境汚染を作り出していることを、公式に認めることはないだろう。

そして、あらゆる企業は今日も公害を作り続け、かっこいいテレビCMを流し続ける。地球環境とっていかに有害な製品も、コピ―ライタ―の手によって、何か地上で最も有益なものであるかのように売られていく。

このままいけば、これからも世界に非難を受け、孤立していくだろう。内向型の私に特有の不安意識が作る幻影であればいいと思うが、そうもいくまい。

日本企業が今までのような高水準の収益が上がらなくなり、それにつれて日本にお金がなくなったら、もう「堕ちた金満家」が石持て追われることになるように、日本人全体が他国民から軽蔑されるようになるだろう。それはちょうど「わるいことで財を成した」金満家への表面的な「見せ掛けの尊敬」が消える時のように・・。

×          ×

無力な個人がどうあがこうと「ジャパンバッシング」がなくなることは難しい。

では一体、個人としての私たちはどのように生きたり、何をすればいいのだろうか?
これについて、私はここ何年間も考え続けている。全く絶望的な事態の下でも、個々人の力や一人の行為というものが多少の意味を持つことに気づいた。

それはつまり、
①	私たち一人一人が、出会う外国人に親切の限りを尽くし、好感を持って頂く
②	私たち一人一人が「いい人」になる努力をする
③	日本人の一人の科学者が、がんやエイズといった人間にとっての最大の難病苦を解決する
といったことだ。

この考え方に基づいて、私はこの地に溢れる東南アジアの人々や西欧人になるべく親切を尽くすようにしている。そうして、私のところに相談に来て「外国に行きたい」という日本人には、いい人としての在り方をアドバイスするようにしている。

むろん、それは「焼き石に水」なのであるけれど、まあ、やらぬよりはよいだろうと思っている。

ある話だが、一個人の日本人おばあさんが戦後の韓国に生き、浮浪児たちを沢山、家に引き取って育てた。この一人の婦人の高貴な行為は、彼女の死後も伝説のように伝えられ、韓国人の日本人への怨念を少し弱めているのは事実なのである。

世界的業績を作った黄熱病特効薬の野口英世の如き人が沢山出てくれば有難いが、学もなく金もなくとも、このおばあさんの在り方は真似できるのではないだろうか。

ああ、私に力あれば都会の一軒家を借り、そこに日本に働きにきたものの病んで苦しむ人々を滞在させて暮らしの面倒をみたい。日本人暴力団によって買われ、骨までしゃぶられた東南アジアの若い女性たちに、一人一人謝って歩きたい。名もなく貧しい一介の市民が、たった一人の外国人に何かプラスを与えることが出来たら、それも素敵なことだと思う。

内向型の若者たちは、その特有の繊細さかに日本の将来について私同様の思いも持つだろう。としたら、若き人々よ・・・あなたも個人として外国の人々に出来る限りの優しさを示してほしい。

そして知力の高い人は何らかの方面で「地球的難問」の一つ、二つを自らの手で解決するような科学者になって欲しいと思う。カイシャという金儲けのための機構に潜り込むより、地球のために一肌脱ぐことの方が百倍も素晴らしいと思う。

私のところに来た、三人の若者の生き方について語ってみよう。一人は東大を出た青年で、彼はネパ―ルへ行ってずっと、その国の人々のために井戸を掘り続けた。おお、何という素晴らしい生き方だろう。「あなたこそ、学問を世界のために使った真の東大生です」と私は感謝した。

あるいはまた、アフリカに住みアフリカの人々のために働いた、一人の若き女性とも出会ったが、私はその人に対し神の前に跪く信者のような気持ちになり、平伏したくなった。

もう一人、スペインで日本語教師を地道にやっている青年がいる。彼は大学を出て機械工場の工員をやっいた折、交通事故に遭って休養するうち、「働くだけの自分」の在り方に疑問を持ち、地元九州の福岡で知り合った、あるスペインの婦人の誘いで、彼の地に渡った。

年に一度ぐらい帰国し、私のところへ立ち寄ってくれるが、会うたびにスペイン的おおらかさを表情に見せるようになっている。

彼は、スペインの人間になるべく、彼の地の人々と遊んだり、日本語を教えたりしているが、この人の存在によって、彼を知る何百人かのスペイン人は「ジャポネの中にもあくせく金儲けしない奴がいる」と分かってくれただろう。これまた素晴らしい快挙なのだと私は思う。

これからの「救われざる日本と日本人」をもし、ほんの少しでも救ってくれる可能性があるとしたら・・・それはこうした個人の力なのだと私は思う。

特に日本人の大人たちは皆「自分の生活で精一杯でね・・」が口癖なのだし、あまり期待できない。だから若い人々に期待したいが、外向型のネアカ男女は、グルメだファッションだデイトだと、その日その日を楽しむ傾向があるから、内向型の青年男女に期待しているわけである。

×        ×

そうして、以上のような「対外国人への役立ち論」の他にも、もう一つ、個人で出来る方法論はある。それは「文明批判行動を自分の生活に活かす道」である。

どんなに口を極めて文明を非難しようと、私たちはその文明の恩恵に浴してしまっている。が、その浴し方を可能な限り少なくすることは不可能ではないように思う。

(以下の記述は、私だけの考えでほかの人に強要することは一切したことがないので、その積りで読み進めてほしい・・)

例えば、
①	個人としての私は車の運転はしないようにしている
②	なるべくスプレ―類は使わない
③	なるべく文明の利器には近づかない
④	公害を生む企業の仕事は控える
といったことは・・・やはり「やらぬよりはまし」といった程度の意味はあろう。

むろん、①や②は今の日本人の多くにとって生活必需品となっているものであり、それを「やめて下さい・・」と言ったら、私の友人知人全てから交際断絶宣言を頂くことになろう。だからそれはあくまで、私だけの決まりに止めて置くよりない。

かつて釣りを好んだ私は、今はもうその楽しい趣味をやらない。これ以上、川に棲む仲間を滅することに耐えられなくなったから。ゴルフも巨大な土地を芝生化し、そこに農薬散布することで大気を汚すから、今となってみると、そのスポ―ツをやらなくてよかったと心から思う。しかし、内向型友人知人の多くも釣りをやりゴルフに興ずるから、「それはやめて」とは言えない。

結局のところ、自分ひとりの行動として、それらをやらぬようにするしかないわけで、それ以外の方法は思いつかない。

五年前に「パララギ」という南海の酋長さんの文明批判の書を読み感動し、今もよく読む。この本を読んだ人は少なくないと思われるが、私たち「先進国」の人々がどっぷり浸かっている文明というものが、全くおかしなものだと身にしみて知らされる本だ。

私は生来的体質が「ヒッピ―」型の人間ゆえ、文明には大して関心がない。死ぬまで「文明嫌い」だろうけれども、(結構、いいことだつたのかもしれない・・)なんて考えるに到っている。

もちろん、以上のような「原始生活のすすめ」は、余りにも非現実的に過ぎる。それゆえに、もし皆さんが「よし、自分も・・」ということになれば・・・現代という時代からの孤児となってしまう恐れもある。だから強く勧められないわけだ。

また人は、一旦獲得した「便利な文明生活」を捨てないだろうし、産業は「ゴ―イング・コンサ―ン=我ら永遠なる存在」の思いから、反省することがないだろう。そう、まして法人は反省などに無縁だ。

だから近未来のある日、これまでの人間の積み重ねてきた「環境への悪行」が、何らかの形となって日本人を襲う日まで、日本人の多くは今のような「自分たちさえ楽しく面白ければよい」という在り方を変えられないだろう。

人は、どうしようもない出来事がわが身の上に現れて、初めて慌てふためき、天に祈る存在なのだから。そう思うと、私の心はやはり日本と日本人の運命を考えて、暗く閉ざされたようになってしまう「内向人」なのである。



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著者プロフィール
Proud.Japan

I'm proud of the fact I was born in Japan.国際ボディガード歴20年。