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人間の顔は自分の選んだ「人生」コ―スの中で創られていく~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~ヒント28

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人間の顔は自分の選んだ「人生」コ―スの中で創られていく~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~ヒント28

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Update date:2017年06月12日
人間の顔は自分の選んだ「人生」コ―スの中で創られていく~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~ヒント28
内向型 内気 対人恐怖症】
~内向型 内気 対人恐怖症 人見知り コミュ障の生き方~
ヒント28
最終回です!

人間の顔は自分の選んだ人生コ―スの中で創られていく

「失望させてすいません・・」

私の文を読んで下さり、(あ、この人は自分と似ている、いや、考え方や日々の生き方から悩みまでそっくりだ。会ってみよう! いや、会ってみたい!!)と考える読者の方は少なからずいらっしゃるかもしれない。

大抵の若き内向型男女は、自分の周囲に「同じタイプの仲間」を持っていない。だから自分のようにヘンな考え方を持つ人は「自分ひとり」、と考えているものである。

そして縁あって私の本を手にとると、(あっ、ここに仲間がいた!)とそう思って下さる。それは本を書こうとした私の動機の壱つ、まことに嬉しい。つまり三十代初め頃、私が考えたのは、
(内向型の人々が読むべき本とは、内向型の書き手で自分と同じ悩みを持ち、同じような生き方、在り方を体験した人の文章なのではないか・・・。そうした本を書きたい・)
ということだったからである。

本というものは楽しく寝転んで読むユ―モア本、頭の勝負をするミステリ―本、学問上の本、と色々読んできた。が、「内向型人間の生き方に関する本」というものを、若い頃から私はずっと探していたが、どうも自分の心情にピッタリする本がなかった。

もちろん、人間の生き方に関して様々な著者の本を読み、その度に一応は刺激を受け感銘もした。しかし、どこかピンとこなかったものだ。

その理由を考えているうちにある日、気づいたのは・・・これらの本の著者は実は大体において明朗、積極型の外向人間であるからではないか、そこに描かれている「私もまた悩みました・・」という部分は、煩悩常習者の私たちからすると、まことに他愛ないものと思われることが多いが、それは「読者サ―ビス」のようなものではないか。

多くの書き手は(とくに生き方の本のようなジャンルの書き手は・・)大抵、実人生で目覚しい成功を遂げるだけの実力や積極性を有していた方々なのではないか、ということだった。

もちろん、これは一種の偏見でもあるのだろうが、「本を書く」ということのためには、出版社側がある人に「白羽の矢を立てて」、執筆を依頼することから始まることは当たり前で、では一体どのような人に白羽の矢を立てようとするかといえば・・・それぞれの分野でカクカクたる実績を挙げた人であろう。

その逆に、集団が合わず他人とうまく付き合えず、自分の部屋で悶々と悩むような人には「本を書いて下さい」、と出版社も言いには行くまい。

この構造を考えてみると、「生き方の本というジャンル」にしても、その著者は大変な実力者であるのが普通で、そのような人は積極型の外向人間であるように思えた。

となると、生まれつき「小心・神経質・引っ込み思案・対人恐怖症」といった切なくも悲しくも厳しくも苦しい個性を持つ内向型の私が、そうした著者の手になる本を読んでもあまり参考にならないのでは、と気づいたのだった。

多くの本は全く不思議なことに「クヨクヨと悩んでないで、明るく生きなさい、自分のように!」と、そのように呼びかけて下さるものだ。

しかし、クヨクヨと悩んで生きていることがどんなにソンでも、それが私たちの性格の与える心的傾向である以上は、そう簡単に明るくなんてなれないではないか。

人間が救われるということを、一つの象徴図として考えてみると・・・、泥沼の中に落ちてもがく人に、岸辺から「さあ、こっちへ泳いでらっしゃい!」と声を掛けるような形では救いは実現しないだろう。

岸辺にいて楽しく生きる人が、「こっちへ」と叫んでも、逆に泥沼の中にもがく人は苦しさが増す。そのような人が救済されるためには、本当はその泥沼に飛び込んで引っ張り上げることしかない、そのように思われた。

もちろん、泥沼の中の人が助かるためには、やはり自分が「助かりたい、岸へ行こう」と考えて、その行動を起こすことが重要なことである。それが自力救済であるのだ。

が、同じ状況でもがいたことがある人が、「さあ、まず、一旦は泥沼の中にもう一度、自分から潜ってごらん、そうして浮力をつけて水面に上半身を出して、それから泳げば大丈夫」、と例えばそう言ってくれたら、その人は助かる可能性もあるだろう。飛び込んで救い上げることの次の方法としては・・。

このように考えてみると・・・内向型で泥沼に等しい苦の人生を生きた人々自身が、後進のために大いに本を書くことこそ、必要なことのように思われ、私はあえてそれを「人生の一義務」と考えたのであった。

(もちろん、これは当り前の発見で、そのような観点から生き方の本を書いた人は、実は地上に沢山いるのだろうが、少なくとも私の目には触れなかった。それで自分がそのコ―スでの初めての書き手になろうとしたのだった)

そうして努力もしたし、幸運もあって、何とか本を出版するようになった。しかし、私の本は「内向型男女のための本」、であり普遍性を持たない。メジャ―でなくてマイナ―だ。

その路線こそ私の求めたものであるが、悲しい哉、初めの頃、私が何冊か出した出版社は小資本のせいで倒産し、当然のことに絶版となつてしまった。

だから、書いても書いても消えてしまう事実を少し悲しく思い、その対策としては唯一、「次々と書くよりない」と決めて頑張るうち、出版数だけは増えた。

ただ、同じ性格タイプのお仲間の方々が、私という中年男に親近感を抱いて会いに来て下さると・・・本当はガッカリしてしまうのである。

なぜなら、そこにいる人(つまり私)は読者が内心でイメ―ジしていた人、つまり「痩せこけてひっそりと生きている仙人風の老人」とは違うからだ。見た目には実に自信あふれる積極型人間と見えて、(あなたが・・・!?)と思って失望してしまう。

だから本当は、本との付き合い方は文章とのみ付き合っていくのが正しく、著者に会わない方がいい、とすら思う。このような失望を時折与えてしまうことは残念なことだから・・・。

しかし、逆の見方をすることが出来るだけの余裕がある方々なら、
(いかなる気弱で生き方の下手な人でも、他人に奉仕する人生を選び、もはや自分のことを考えなくなって中年ぐらいになれば・・・あなたのように明るくなれるのだ!)
と、そのようにも考えられよう。

そう、私のこれまでの人生は、相談の場やその他の場面で会う方々に、自分を忘れて励ましたり、生き方のヒントを与えるといった歳月だった。

このような環境をしていくと無私にならざるを得ず、すると、自分の悩みは依然として続いていても、もう悩まなくなってしまう。

自分のことで悩むヒマさえ無くなってしまうや、人間の顔も明るくなる。なぜなら表情とは「心の所産」だからである。

「誰かのために生きる」と自分を救えるのだ。そんな風に生きると、人生が少しラクに生きられるのではないだろうか。

このような真理にも若い人々が気づいてくれたらいいのに、と最近よく思うのである。

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著者プロフィール
 Pride of the Japanese

現役キュレーターの中でトップのアクセス数を誇るSharetuber。世界を飛び回る国際ボディガード歴20年。護身術師範。悪質なクレーマーや反日左翼と戦う某公的コンサルティング団体顧問。喧嘩上等。「I'm proud of the fact I was born in Japan.」