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築城マニア必見!  韓国釜山に現存する「倭城(서생포왜성 西生浦倭城)」を知ってますか?

築城マニア必見!  韓国釜山に現存する「倭城(서생포왜성 西生浦倭城)」を知ってますか?

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MaverickMaverick
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築城マニア必見!  韓国釜山に現存する「倭城(서생포왜성 西生浦倭城)」を知ってますか?

彼の地に残る、懐かしい城。

世の中にはよくあることだが、本物でないけれども本物に憧れるあまり、本物以上に本物っぽくなるという状況が多々ある。

例えば、歌舞伎の女形やニューハーフ嬢の方が、本物の女性より所作や立ち居振る舞いが女性っぽかったり、あるいは、日本文化に憧れる外国人の方が、和式の伝統文化に詳しかったり、サムライの心をよく描いた映画を撮ることが出来たりする。

これとは少し状況は異なるが、日本ではすでに失われてしまった史跡が、別の国で築かれた当時のまま保存されているという、稀有な状況がある。

その話をご紹介したい。

「倭城」とは?

日本ではすでに失われてしまった史跡が見られるのが、韓国の南岸、釜山(プサン)周辺に点在する「倭城」である。

この言葉を聞いて、ピンと来る人はかなりのお城マニアだ。

「倭城」とは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の頃に、彼の地で築かれた日本式の城郭であり、現地の人からみれば、侵略者の遺構であるから、その蔑称として呼んだものである。

「倭城」は、日本から輸送される兵站を水揚げするために、港を取り込むような配置で築かれた例が多い。

港湾付近から、山上に築かれた本城へと石垣が、まるで万里の長城のように山の斜面を登る縄張り(登り石垣)などにその特徴が見られる。

これらの倭城は、戦国末期の極めて限られた短期間に築かれた城であり、かつ、豊臣政権の尖兵として、名だたる諸大名がそれぞれ独自に築いていることから、いわゆる「織豊系大名」の築城技法を知る上で格好のサンプルといえる。

日本に残る各地の城郭遺構の場合は、近代以降に破却されたり、開発の波に飲まれたり、あるいは、震災の被害や観光目的からの中途半端な復原などにより、必ずしも築城された当時の姿を留めているわけではない。

ところが、これらの倭城は、今となっては、辺鄙な海岸部にあるため、そのほとんどが手付かずの状態であり、400年前に放棄された当時の状況を保っているために、極めて資料的価値が高い存在といえる。

例えば、かの加藤清正が築いた「西生浦倭城(서생포왜성)」を訪れてみると、そこには、日本の城と見まごうばかりの穴太積みの美しい石垣が残されており、思わず、あまりの懐かしさに涙が込み上げてくるほど。

ところが、近年は韓国側でも開発の波が押し寄せ、倭城の目の前の海が広大な規模で埋め立てられたり、また、韓国式の石垣積みで復原されるなど広い意味での「倭城の破壊」が進んでいるのである。

日本の城好きならば、是非早急に訪れなければいけない城が釜山にあるのだ。

所在地

(所在地)「西生浦倭城」(서생포왜성): 蔚山広域市西生浦面西生浦里
(交 通)蔚山市外バスターミナルから、鎮下(ジナ)、海雲台(ヘウンデ)行き
市外バスで約30分、鎮下下車。
蔚州郡文化芸術課(文化財) +82-52-229-7653

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著者プロフィール
Maverick

I'm proud of the fact I was born in Japan.