附属池田小事件の犯人「宅間守」とは

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宅間守(吉岡守)について

宅間守

本名:宅間守(たくま・まもる)

前科:11犯 片山総務相の発言より 京都新聞 前科13犯という説もある。

身長:182センチ

体重:75キロ

生年月日:1963年11月23日 ちなみにケネディ大統領の暗殺日(22日だけど暗殺の瞬間、日本では時差で23日早朝だった。) 出生時の体重は3800g

出生地:兵庫県伊丹市

本籍:兵庫県伊丹市

現住所:大阪府池田市新町3-7-301

前の住所:大阪府箕面市瀬川5

(ちなみにアパート前から大附池田小が見える)

前の前の住所:大阪府豊中市熊野町1(4番目の妻と同居)


2003年12月には、支援者の女性と獄中結婚し、名前は吉岡守となる。

宅間守が起こした附属池田小事件の概要

附属池田小事件(ふぞくいけだしょうじけん)とは、2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市で起こった小学校無差別殺傷事件(刃物によるスクールシューティング)である。


実行犯は大阪地方裁判所平成15年8月28日付け判決(判旨)を伝える新聞記事によれば、宅間守(たくま まもる、1963年11月23日 - 2004年9月14日、犯行時37歳)による単独犯と認定されている。

出典:附属池田小事件 - Wikipedia

	
児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負った。

出典:附属池田小・児童殺傷事件

	

宅間守の生い立ち

宅間守は1963年11月23日、兵庫県伊丹市の工員Sの二男として生まれる。守が生まれる前、母親は妊娠を喜ぶ父親に対して「あかんわ、これ、堕ろしたいねん、私。 あかんねん絶対」と言ったという。母親が守を宿した時に何を感じたかわ分からないが、守は幼少の頃から三輪車で国道の中心を走って渋滞させたり、動物を虐待するなど 反社会的行動が目立っていた。

出典:?003 附属池田小事件 宅間守

	
1963年11月23日、兵庫県伊丹市に生まれた同容疑者は物心がつくかつかないうちから父親に叱責、殴打、ときに木刀も不利折らされる環境で育ったという。安全地帯であるはずの家庭。そこですら安住できず、蓄積したストレスは、学校や小動物に向けられ、爆発する。

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小・中学時代から強者に迎合し、自分より劣ると判断した同級生を「奴隷」と名指しした。「宅間さま」とかしずかせ、「調子に乗るな」と因縁をつけて暴行。女生徒が横切れば、唾を吐きかけた。

 そればかりではない。燃やしたドラム缶に生きたままの猫を入れたり、布団です巻きにして川に流す。成長するにつれ、些細なことで母親を殴り、家庭内暴力を繰り返したという。

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宅間は、昭和38年11月23日に兵庫県伊丹市で生まれ、二人兄弟の次男であった。小学校6年の時に、地元ではハイレベルな中学校である大阪教育大学付属 池田中学校の受験を希望したが、宅間の成績ではとても無理ということで受験させてもらえなかった。


宅間の心情として、「自分をもっと頭の良い人間として産んでくれなかった親が悪い。」と親を恨むようになる。結局地元の中学校に進学し、その後は工業高校へ進むが、学校で教師を殴り、40日くらいで退学となっている。

出典:No.021 小学校に侵入し、刃物で教室を襲撃・宅間守

	

転職・結婚

宅間は中学校を卒業後、尼崎市の工業高校に入学するが2年で中退。そのあとパイロットになりたいと思い航空自衛隊に入隊するが、家出少女 に対する強姦未遂を起こし、除隊処分を受けた。その後、マンション管理会社、市営バス運転手、ゴミ収集、小学校の用務員、タクシー運転手、ダンプの運転手等、転々とする。 また、私生活では4回の結婚、離婚を繰り返し、自分より40歳以上年の離れた女性と養子縁組も結んでいた。

出典:?003 附属池田小事件 宅間守

	

公務員と偽って「お見合いパーティー」に参加した際に撮影された宅間守容疑者

宅間守

犯罪・詐病

宅間は池田小事件の前にも数多くの犯罪を犯し、15回の逮捕歴を持つ。時間順に並べると「家出少女に対する強姦未遂」「マンション管理会社の業務中に、マンションに住む女性宅に上り込み強姦」 「車のライトが眩しいと言いがかりをつけ、相手の車を破壊」「実兄の愛車を角材でボコボコにする」「検問を突破し高速道路の逆走」 「結婚した相手への暴行」「小学校教諭のお茶に精神安定剤を混入」等である。

また、刑罰を逃れるため、たびたび精神病を装い入院を繰り返している。入院中には病院の屋上から飛び降り自殺をする騒ぎを起こし、運よく飛び降りた場所が 車庫の屋根であり大怪我ですんだが、後に母親に対してそのことで賠償を要求している。また、ちゃっかりと精神病を理由に傷害手当金、精神障害者年金を 受給している。

出典:?003 附属池田小事件 宅間守

	

宅間守の部屋

吉岡守(旧姓 宅間) の部屋

【そして附属池田小事件】悲鳴、パニック、無言の凶行

惨劇は突然起きた。「知らんおっちゃんが教室に入ってきた」。約15分間の無言の凶行。格闘の末、先生が男を取り押さえたが、8人の尊く幼い命が奪われた。悲鳴と泣き声で、教室はパニックとなった―。


 午前10時15分。学校では2時間目の授業が終わろうとしていた。1~2年生6クラスが並ぶ三階建て校舎の一階。北側は廊下、南側は校庭に面している。宅間容疑者(37)は通用門に車を止めた。金色に染めた髪、白いシャツに緑のネクタイ。校庭を横切り校舎東端の2年東組に包丁を持って乱入した。


 「給食の人かな」。ある男児はそう思ったが、すぐに「違う」と考え直した。出刃包丁に気付いたからだ。「『ハァ、ハァ』と息が荒かった」と別の男児。佐藤裕之教諭(36)が「外に逃げろっ」と大声を出した。悲鳴を上げ走りだす児童たち。男は無言で、逃げ惑って転んだ児童を襲った。教諭がいすを投げつけ、男は校庭側のテラスに。4人が重軽傷を負った。


 次いで隣の2年西組。包丁の赤い血の色が岩崎真季教諭(28)の目に飛び込んだ。児童が次々に刺され、8人が死傷した。


 最も多い5人が犠牲になった、その隣の2年南組。既に休み時間で、教師の姿はなかった。そこを襲われた。「馬乗りで刺したとみられる傷もあった」と治療に当たった医師。


 「包丁で刺してる」。助けを求める児童の声に、花壇に水をまいていた担任の河上洋介教諭(27)は教室に向かった。佐藤教諭と田辺義朗教諭(28)が懸命に男に追いすがるが、田辺教諭は刺され大けがをした。


 無人だった2教室を飛ばし、男は西端の1年南組へ。音楽室で授業を終え、惨劇を知らないまま児童は教室に戻ろうとしていた。男児の1人は「教室に入ると、友達が倒れ『痛い、痛い』と泣いていた」。床は血の海。「入っちゃ駄目。逃げなさい」。先生の声に夢中で飛び出した。


 背中を切られながらも、同教室内で河上教諭が包丁を持つ宅間容疑者の右手をつかんだ。顔を切られながらの格闘。矢野克巳副校長(43)が加勢し、包丁を取り上げ足を押さえつけた。10時25分ごろのこと。ふっと同容疑者の力が抜け、「しんどい、しんどい」と2回つぶやいた。凶行の間に、副校長らが耳にした同容疑者の唯一の言葉だった。

出典:

	

宅間容疑者はこの車で小学校に乗りつけ、事件を起こした

宅間守(吉岡守)

公判

「下関事件の模倣犯になりたかった」「命を持って償います」と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしていた。このことに対し、大阪地方検察庁の検事が週刊新潮のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」との証言をしている。公判後は「何も言えないよりは良かった。本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」「刑事責任能力がそこまで認められたなら(控訴しても)仕方ない」と述べている。


2003年8月28日、大阪地方裁判所は被告人に対して死刑判決を言い渡した。死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、今回はそれを破って主文を先に言い渡した。また、既に被告人は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、拘置所職員によって連れ出されており、死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。

出典:.E5.85.AC.E5.88.A4"

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事件の現場となった付属池田小学校。いまも花束や手紙が絶えない。

宅間守(吉岡守)

法廷内の暴言

宅間被告、口笛を吹きながら入廷する・・・どよめく法廷、 

裁判長「静粛に!、被告は法廷では口笛を吹いてはいけません」


宅間「 こんな、結果のわかっとる、おもろない裁判に、、ひまなヤツらがようけ来て、、、あほやのお~」


裁判長「被告は許可があるまで、みだりに喋ってはいけません。わかりましたか?」


宅間「おう、座っちゃあかんか?」    


裁判長「立って聞いていなさい」

  

裁判長「判決の前に、被告は何か言いたい事はありますか?」


宅間「えー、発言してもよろしいか?・・・なら話すわ。まあ、まだ判決はでとらんのやけども、もうすぐ出るし、わかっとる事やから、最初に言うとく。 どうも死刑にしてくれてありがとう!、裁判長さん。 感謝するわ!わし、もうはよう、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ」


・・・どよめく室内。「宅間ああ~、はよう、死ね!」「独りで死ね」等の怒号が飛び交う・・・

混乱する法廷。怒号は収まらない

宅間「おまえらに言われたない、お前らの人生よりワシの方が勝ちや」さらに混乱する法廷、怒号は収まらない


宅間「いわせてーな!」


裁判長「静粛に!・・・被告は裁判を誹謗しないよにしてください。これ以上、不穏当な発言を続ければ退廷させます。いいですね」


宅間「今のは、誹謗とか批判ではのうて、純粋のワシの心から出たほんまの気持ち。わかってもらわんでもええ。言いたい事はまだある。それは、殺してしもーた子供達にや!」 ・・・混乱収まり、一瞬、どよめく室内。まさか?謝罪するのか?との期待感・・・


宅間 「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!! でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」


・・・再びどよめく法廷内、怒号が飛び交う「宅間、しねええ」

宅間「あははははははは!ほんまおもろい!ワシは死ぬことびびってないで。 遺族にはなにもできへんし最高や!、世の中どんなに金かけてもワシに一瞬に して殺されれば勝ちも負けもあらへん!。


世の中は公平やない!。わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来 に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺 される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃうぞ!、とあのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。


ワシを悩ませた糞親にも嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて 千年たってもいえへんな!こんなケッタイなおっさんに一瞬や!ぶすぶす事件は、ほんま!、おもろい!、ほれでも、ワシはまだ満足はしてないで!」

・・・遺族は泣きながら退場者もでる。


裁判長「被告は不穏当な発言を控えなさい!」


かまわず宅間は暴言を吐き続ける。


宅間「人間なんて一瞬で死ぬんやで!。ワシの人生の幕引きの道連れに、 ガキが死んだだけや!、そやからワシには反省や申し訳ない気持ちはないし、 後悔もない!

しょうもない貧乏たれの人生やったら今回のこのパターンの方 がよかったんや。あるんは自分への後悔だけや!。なんで、幼稚園にせんかったんやろ?、幼稚園ならもっと殺せたと今でもこんなんことばかり考えてしまうんや、なんで、ダンプにせんかったんやろ、その方が数もいけた!。親父を殺しておればもっと違う人生があったかもしれん、○○(元妻)の顔をあの時、ズタズタにしてやればよかった。何でせえへんかったんやろと今でも、ほんま、後悔しとる。まあ、いずれにせよ、こんなひどい人生に終止符を打てられて、ほんま、幸せや!。死刑は、はようにしてな!、そや、裁判長、死ぬ前日はうまいもんでも食いたいが、ワシ、うまいもん、食べれるやろうか!」


・・・混乱を極める室内。裁判長が退廷を命じる・・・

宅間(引きづられなから) 

「おい、こらっ、なにするんじゃ、離せ!、喋りよう途中じゃ、おい コラァ!!くそガキの親ども!○○××△△◇◇!(実際は被害者4人の親の名前を連呼)、おまえらは、ほんなに偉いんか?、

おまえらは、7500万円、もらってホクホクやな!。よろしいな。転がり込んだ7500万円よろしいな!。そやけど、おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの程度の価値やったんやぞ!

エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんやぞーー!、せいぜい一生反省せいよ!、

あの世でもおまえらの子供、追いかけ回して、しばき倒したるから な!

あははははは!あははは!、こらおもろい、!こら、傑作や。」


・・・どよめく室内。 退廷・・・


(廊下から小さく)

宅間「わしが8人を死刑にすんのに10分かかっとらんのに、わし一人の死刑に2年近くかかって随分、ご丁寧な事やのー!!」

出典:宅間守発言集 - 宅間守まとめwiki - アットウィキ

	

附属池田小事件

大阪教育大附属池田小事件の判決を伝える読売新聞=被害者の丸抜き写真が並べられ、離れたところに宅間被告の四角い写真がレイアウトされている。

宅間守の獄中手記

最後の公の場となる法廷で是非を言いたいことがあった。それを弁護士が、裁判長にたのんだが聞き入れられず、直接交渉するに及んだ、「何や法衣、 着てえらそぶりやがって」という気持ちが強く、今までの後半では、検察の パフォーマンス通り、遺族にはボロンチョンに言われたりして、まあプスプス 刺し殺したのはワシやから辛抱しといたろという気持ちがあり、おとなしく していたが、最後には、言いたい事をいわせてもらおうと裁判長に食い下がった のである。 

そして「退廷」と言われた。その瞬間「これで楽出来る」と思った。裁判所の房に還って、寝転がっていられるからだ。と同時に、看守に連行される数秒の間に一番言いたかった事を傍聴席に浴びせてやろうと思った。


まあ、結果オーライではなかったかなと自分では思う。法廷やから判事やから一日おいたりせえへんでぞというワシのスタンスにも合致して、あれは、あれでよかったとおもう。


次に死ぬ事は怖くないとの事だが、正直、一番のワシにとっての快楽だと思う。

そりゃ、天神川の大ケガがなく、安定した又は、自営業でも、利は薄くとも安定した職でもあり、ベッピンの嫁はんでもいたら、私特有の不快な思いをしながらも生きて、むしろ普通の人間よりも死なないように、バイクの乗るのをやめたり、他出来るだけ不慮の事故で死なないように気をつけて生きていたのではないかな。


しかし、大ケガの後遺症、シャバにいるやつ(数十人)への恨みから、早くおさらばしたい気持ちで一杯です。今度(よた話になるが)生まれてきたら、金持ちのボンボンで、中の上の知能で3流私立医大へ行き、内科医になって、トラブルで殺されたりしないよう気をつけて、ベッピンの女と◯◯◯◯をしまくりたい。まあ今生でも◯◯◯◯はしまくったが・・・・・・


死ぬ事は全く恐くありません、まあ、どう解放されてもいいが。

年間3万数千人、自殺するんですよ「ホンマは、宅間、死ぬのんびびっとるで」という人がいるとは思うが、そしたら年間3万数千人の自殺は何なのだ。あんまりワシに憎まれ口を叩くな。人の一生なんて、偶然的な心臓の連続鼓動でしかない、人間なんか、いつ死ぬか解らんし、プツーと刺されたり、ちょっと殴られただけでも死ぬときもある。


これでよかったのだ。これで、私は、生まれて来たのが間違いだったのだ。

しかし、宝くじ3億当たっとたら、今回のブスブス事件は起こしてないよ。やはり金なのかな、イライラカリカリしていても、温泉につかり、マッサージされて、美人に酌でもしてもらったら少しはおだやかになれるだろう。やはり、皆が言うように金だな、世の中は金、世の中は金。金があれば美人の嫁も買える。


犯罪者諸君は思っているのでないか、「宅間はバカだな、あんな事するんだったら、大口のタタキ5回出来るぜ」と、しかし、強盗君よ、「おまえらとワシは価値観が違うのだ、成功すれば一億失敗すれば10年、ワシはそのリスクは困ります」


話変わりますが、あんな親から出来ていたら、こうなりまっせと言いたい。

ワシが悪いんじゃない、全て親が悪いのだ。その親の家のガラスが一枚も割れていないとは、ワシには理解できません。ジロジロ見る奴、わざとイヤキチする奴、もううんざりです。


私は、ヘビースモーカーでね、焼き鳥に生ビールぐいもしたいけど、ロングピースをおもいっきり吸い込んでみたいね。まあ、よほどへそ曲がりな看守じゃない限り死刑執行の前日はタバコを吸わせてくれると思うけど。

遺族は、国から7500万もらってホクホクですな。よろしいな、自分の子供に保険金かけて、殺す親もいるのだから、転り込んだ7500万円よろしいな、

もうワシは後、確定するだけです、そして執行。6ヶ月以内に執行されるない恐れがある場合は、刑訴法475条をたてに法務大臣を訴えるつもりです。遺族が「早急に執行を」とする記事を読みましたが、願ったりかなったりです、遺族も法務省に何らかの圧力をかければいいのです。私は死にたい、うんぬんよりも、悔しいこと、無念な事、出来なかった事、やられた事、だまされた事、お腹の赤ちゃんを殺されたこと、等々、不快な思い、辛い境遇をシャットアウトしたいのです。不快な思いから逃げたいのです。いや逃げたいというか、もう恨みつのりの人生をうんだのです。


後は看守に嫌われんように仲良くして、吊るされるのを待つだけです。それと遺族は「私に死ね死刑!!」といっているが、一体自分達は何百年生きるつもりなのだ、遺族も後、正味、20年から30年でしょうが、ワシが、一年以内に死んでも、20年、30年あっという間なのに、何を「死ね死ね」と死が、特別の何というか、死を過大に評価しすぎていると思う。


人生は、人にもよるが、60年、後は感覚も快楽感も鈍り、頭の回転がひたすら悪くなり、現実的な死は70だ、女は現実的死は閉径だ。湯川なんとやらという歌手の歌で「人生半分50で始まる・・・」とあるが、バカか、50やったら人生の7分か8分か過ぎているではないか、100まで生きる人間もいるが、60から感性も体力もよぼよぼで、70以後は、ただ惰性で大なり小なりボケて、臭い口臭をハーハーやりながら老害をまきちらして生きているだけではないか、


追伸

人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。

出典:ERROR!

	

獄中結婚、心境の変化へ

この事件の判決確定後、被告人は支援者の女性と出会い、文通を経て獄中結婚をした。晩年は被告人自身の姓を女性の姓に改名している。この他、愛知県出身の既婚女性から愛情の告白を受けており、その女性とも文通を行っていた。

最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた被告人だったが、自分に対する理解者が現れるに連れて、少しずつ彼女に対して心を開いていく。執行に際して、妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至った(後述)ものの、事件によって犠牲になった児童や、被害者の遺族への謝罪は一切無かったとされる。

出典:

	

2003年12月には、支援者の女性と獄中結婚し、名前は吉岡守となる。

吉岡守

死刑の確定した後

平成15年8月28日、大阪地方裁判所にて死刑判決が下る。9月10日に弁護団が控訴するが、9月26日に宅間の意思で控訴が取り下げられ、死刑が確定する。


刑事訴訟法第475条 第2項に「死刑確定後は6ヶ月以内に死刑執行される。」という意味の条文がある。

本気か精神傷害のせいかは分からないが、宅間はこの条文に基(もと)づいて、死刑の早期執行を望んでいた。


弁護人に送った文書に

「死刑は殺される刑罰や。6ヶ月過ぎていつまでもいつまでも嫌がらせをされる刑罰ではない。すぐ殺せば(精神的)ダメージがないので、しばらく嫌がらせをしてから執行する。そんな条文があるんか。法律家ならわしの身になれや。法律を遵守(じゅんしゅ)するのが法律家の仕事やろが。」

と記載している。


現実的には、法務省で行われる死刑執行手続きは極めて慎重に行われるため、6ヶ月以内に死刑執行されることはほとんどない。

出典:No.021 小学校に侵入し、刃物で教室を襲撃・宅間守

	

最期、死刑執行

死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、被告人は大阪拘置所で死刑を執行された。結果的には被告人の望んだ通りの早期執行となった。

被告人が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」とされている。また、執行当日の朝食は取ることが許されなかったが、被告人は執行直前に刑務官から受け取った煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、拘置所の奥へ消えていったという。最期まで遺族への謝罪は無かった。享年40。

なお、葬儀はマスコミが押しかけることと、費用面など経済的事情もあり難航し、結局は信者ではなかった大阪市内のキリスト教関係の施設で行われたという。

出典:

	

附属池田小事件の経過

宅間守

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