秋葉原通り魔事件の犯人「加藤智大」とは
秋葉原通り魔事件
犯行時の写真
事件概要
2008年(平成20年)6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員である加藤智大(かとう ともひろ、当時25歳)の運転する2トントラックが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーで立て続けに殺傷した。
さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。
事件当日は日曜日で中央通りは歩行者天国となっている区域だった。この日も多くの買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。加藤はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。
加藤智大の生い立ち
加藤智大被告の生い立ちを紐解くと、まず、あの母親の息子として生まれた事が第一の不幸だと思います。加藤智大被告の母は、県下一の進学校、青森県立青森高等学校卒の教育熱心な母親として有名であった。マスコミから伝わってくる様子は以下の通り。
■幼少から厳しく育てられた。
■冬の寒い日に(話は青森である)薄着で外に立たされているのを見た近所の人がいる。
■小学生の頃から珠算やスイミングスクール、学習塾に通わされた。
■友人の家に遊びに行くことも、友人を家に呼ぶことも禁止。
■作文や絵画は親の検閲がはいる(先生ウケする様に親が指示命令)。
■見ることが許されたテレビ番組は「ドラえもん」「まんが日本昔ばなし」
■男女交際禁止
また、強烈な以下のエピソードがあります。
さらに、完ぺき主義の母親は、常に完璧なものを求めてきました。...母親の作文指導には「10秒ルール」なるものもあったという。兄弟が作文を書いている横で、母が「検閲」をしているとき、「この熟語を使った意図は?」などという質問が飛んでくる。答えられずにいると、母が、「10、9、8、7...」と声に出してカウントダウンを始める。0になると、ビンタが飛んでくるというわけである。この問題における正解は母の好みの答えを出すことであったが、そこで母が求めていたのもやはり「教師ウケ」であった。
加藤智大容疑者が中1の時である。
『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』
父も黙っているばかりで助け船も出さず、弟も横目で見ながら食べ続けている......
この様な状況で育った加藤智大被告は小中学校は成績優秀スポーツ万能で、母の期待に応え県立青森高校に入学するのですが、優秀な生徒が集まる高校の中で加藤被告は埋没してしまい成績も低迷し、母に暴力を振ったり部屋の壁に穴を空け、教室の窓ガラスを素手で割ったりする様になります。ちなみに入学当時の志望は北海道大学工学部だった。
加藤被告は親(母親)の欲望を満たす為に長期に渡って欲求を抑圧する生活を続けていたものと思われます。表面上、小中学校時代は上手く行っていた彼の人生ですが、県下一の進学校青森高校に入学してから歯車が狂い始めた様です。
高校での成績は振るわず、3年に進級する時点で、短期大学への進学する事を希望していたと言う。あれ程、スパルタ教育を受けて入った青森高校から岐阜の短期大学へ。なにか釈然としません。
片田珠美教授の「無差別殺人の精神分析 」によると
成績が良くなかったとはいえ、県下一の進学校に在籍していた加藤にとって、より好みさえしなければ大学に進学する事も可能だっただろう。短大を選んだのは、子どもを学歴社会の勝者にするべく必死にやってきた母に対する反発のようなものがあったからではないか。それを裏づけるように、加藤が高校を卒業する際に生徒会誌に残したのは、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する少女(綾波レイ)が、理不尽な戦いを強いる司令官に告げた決別のセリフである。
「ワタシはアナタの人形じゃない。赤い瞳の少女(三人目)」
明らかに母親に対して叛旗を翻しているのがわかります。
犯行前々日の携帯サイトの書き込み【6日】
01:44 あ、住所不定無職になったのか/ますます絶望的だ02:48 やりたいこと...殺人/夢...ワイドショー独占
02:54 工場で大暴れした/被害が人とか商品じゃなくてよかったね
02:55 それでも、人が足りないから来いと電話がくる/俺(おれ)が必要だから、じゃなくて、人が足りないから/誰が行くかよ
同 誰でもできる簡単な仕事だよ
03:00 別の派遣でどっかの工場に行ったって、半年もすればまたこうなるのは明らか
03:07 仕事に行けっていうなら行ってやる/流れてくる商品全部破壊してやる
03:09 彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった/希望がある奴(やつ)にはわかるまい
03:10 で、また俺は人のせいにしてると言われるのか
同 いつも悪いのは全部俺
05:04 出勤時間になると目がさめてしまう/もう行かないんだから寝かせてくれ
06:41 とりあえず出発しよう
07:06 飛び込み自殺で東海道線がとまりました/何もかもが私の邪魔をします
08:10 三島まで出れた
08:15 こだまに乗れる/名古屋に1016着予定で、乗り換え5分でひかりに
09:46 こっちまで電車で来たのは、トヨタの期間工に応募して落ちたとき以来だ
10:35 米原で乗り換えだ
10:37 長良川超えた/堤防でいちゃついてるカップル、流されて死ねばいいのに
11:14 買い物/通販だと遅いから福井まででてきた
14:39 店員さん、いい人だった
14:42 人間と話すのって、いいね
17:59 三島ついた
20:30 うん/長旅だった
20:49 ナイフを5本買ってきました
犯行前日の携帯サイトの書き込み【7日】
【7日】午前6時51分肝心なものを忘れるとこだた
8時3分お金をつくりに行く
7分最低6万円は欲しいな
9時23分離れたとこに行って立ってる そこまでして避けるのかよ
11時14分買取32000は舐めてるだろ
34分最低70000だ
41分定価より高く売れるソフトもあった さすが秋葉原
午後1時14分レンタカーに空きがなかった トラックじゃ仕方ないかも
43分電車に乗るのもこれが最後だ
50分できれば4tが良かったんだけど
3時35分大きい車を借りるにはクレジットカードが要るようです どうせ俺は社会的信用無しですよ
4時1分騙すのには慣れてる 悪いね、店員さん
8時34分もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる
53分中止はしない、したくない
犯行当日の携帯サイトの書き込み【8日】
【8日】【秋葉原で人を殺します】午前5時21分車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら
44分途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな
6時0分俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか
2分いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される
3分大人には評判の良い子だった 大人には
友達は、できないよね
4分ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴らがいる
5分全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった
10分使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺の邪魔をする
31分時間だ 出かけよう
39分頭痛との闘いになりそうだ
7時12分一本早い電車に乗れてしまった
30分これは酷い雨 全部完璧に準備したのに
47分まあいいや 規模が小さくても、雨天決行
41分晴れればいいな
10時53分酷い渋滞 時間までに着くかしら
11時17分こっちは晴れてるね
45分秋葉原ついた 今日は歩行者天国の日だよね?
午後0時10分時間です
被害者
74歳無職男性左背中刺創・死亡19歳男子学生腹部打撲・死亡
19歳男子学生全身打撲・死亡
20歳男子学生腰の痛み・軽傷
19歳男子学生擦過傷・軽傷
トラックではねられる(5人、死亡3人・負傷2人)
加藤智大容疑者の両親謝罪会見
秋葉原殺傷・加藤智大被告の供述要旨
被害者の方、ご遺族の方に申し訳なく思っている。裁判は償いの意味もあるし、犯人として最低限やること。なぜ事件を起こしたのか、真相を明らかにすべく、話せることをすべて話したい。わたしが起こした事件と同じような事件が将来起こらないよう参考になることを話ができたらいい。事件の責任はすべてわたしにあると思う。
ネット掲示板を使っていた。掲示板でわたしに成り済ます偽者や、荒らし行為や嫌がらせをする人が現れ、事件を起こしたことを報道を通して知ってもらおうと思った。嫌がらせをやめてほしいと言いたかったことが伝わると思った。
現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった。
事件の原因は三つ。まず、わたしのものの考え方。次が掲示板の嫌がらせ。最後が掲示板だけに依存していたわたしの生活の在り方。
わたしは、何か伝えたいときに、言葉で伝えるのではなく、行動で示して周りに分かってもらおうとする。母親からの育てられ方が影響していたと思う。親を恨む気持ちはない。事件を起こすべきではなかったと思うし、後悔している。わたしは食べるのが遅かったが、母親に新聞のチラシを床に敷き、その上に食べ物をひっくり返され、食べろと言われた。小学校中学年くらいのとき、何度も。屈辱的だった。
無理やり勉強させられていた。小学校低学年から「北海道大学工学部に行くように」と言われた。そのため青森高に行くのが当たり前という感じだったが、車関係の仕事をしたいと思っていた。現場に近い勉強がしたい、ペンより工具を持ちたいと。母親に話したことはない。
中学時代に母親を殴ったことがある。食事中に母親が怒り始めた。ほおをつねったり髪をつかんで頭を揺さぶられたりした。無視すると、ほうきで殴られ、反射的に手が出た。右手のグーで力いっぱい左のほおのあたりを殴った。汚い言葉でののしられた。悲しかった。
大学進学をやめ、自動車関係の短大に行くことにした。母親にはあきらめられていたと思う。挫折とは思っていない。勉強をしていないからついていけないのは当たり前。短大には失礼だが、無駄な2年。整備士の資格は取るつもりだったが、父親の口座に振り込まれた奨学金を父親が使ったので、アピールとして取ることをやめた。
短大卒業後、工事現場の警備員の仕事に就いた。現場は最初だけで、その後内勤になった。給料は多いときで25~26万円。途中から固定給になった。給料は減ってもいいと思ったが、仕事の提案をしても所長に却下も採用もされず、手応えがないから辞めた。自分がいなくなれば、会社が困った状況になるという所長へのアピールだった。ゲームの情報を得ようとして携帯電話で掲示板を見つけた。ネット上の友人ができ、仕事以外の時間はすべて掲示板にあてた。たわいもない雑談をしていた。
埼玉県の自動車工場で働いたが、休日は1人でゲームをしたり、秋葉原に行ったり。地理的に近かったのと、ゲームが好きだし、自分はオタク的要素を持っているので、オタクの聖地の秋葉原に興味がわいた。当時「電車男」の映画がはやり、オタクが市民権を得た。
仕事で部品の整理の仕方を正社員に提案したら「派遣は黙ってろ」と言われ辞めた。その後、茨城県の筑波で住宅メーカーの木材加工の派遣をした。人付き合いはほとんどなかった。3カ月ほど働いたが、自殺を考え始め、行かなくなった。
実家では母親と会話する努力を始めた。父親は仙台に単身赴任していて、週末には青森に帰ってきていた。大学に行かなかったこと、資格を取らなかったことなどもろもろの意味で、父親に「バカでごめんね」と言った。話のできる普通の家族にしたいと思った。単身赴任から帰った父親に「離婚する」と告げられた。もう一度家族のやり直しをしようというところで、悲しかった。掲示板は高校のクラスのイメージで、話題は何でもあり。雑談とかネタ、オタクのような話とか。スレッドを次々とつくり、みんなを面白がらせようとした。
書き込まれている文字の内容をそっくりそのまま考えていると取られると困る。ネタはひと言で言うと冗談。うけると返信があり、とてもうれしかった。1人じゃないと感じた。掲示板はわたしにとっての居場所。家族同然。現実でも親しい人がいるが、掲示板上のほうがより親しく、重要に感じていた。
加藤智大が掲示板に残した言葉
「死ぬ気になればなんでもできるだろ」死ぬ気にならなくても何でもできちゃう人のセリフですね。
出典:加藤智大の名言
顔が良くても性格が悪かったら長続きしない?その通りだよ。
不細工は始まりすらしないんだよ。
出典:加藤智大の名言
女性の方が平均寿命が長いのに男女比が同じくらいということは、若い世代は女性の方が少ないってこと。
少ない女性をイケメンが独占するんだから、俺ら不細工は余って当然。
そういうことだね。
出典:加藤智大の名言
考え方が変わったって顔は変わらない。
出典:加藤智大の名言
プレゼントね、大事な友達にお礼がしたくて、
でもお金が無くて、マフラーを編んでみたことがある。
結局、来るなって言われて渡せなかったけど。
一人でバカみたい。
ほどいて捨てた。
出典:加藤智大の名言
俺にとってたった一人の大事な友達でも、相手にとっては100番目のどうでもいい友達なんだろうね。
その意識のズレは不幸な結末になるだけ。
出典:加藤智大の名言
お前らは「そういう性格だから彼女ができない」って言うんだろ。逆だよ。
彼女ができないからそういう性格になんの。
出典:加藤智大の名言
加藤智大からの手紙(謝罪文)
東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大被告(27)が、事件で重傷を負った東京都江東区の元タクシー運転手、湯浅洋さん(55)に謝罪の手紙を送っていたことが6日、分かった。「罪は万死に値する。当然死刑になると考えます。どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明したい」などと書かれているという。加藤智大謝罪の手紙
手紙はびんせん6枚で、湯浅さんは6日の午前中に出かけようとした際、ポストに投函されていることに気づいたという。「二度と同様の事件を起こさないことをせめてもの償いとしたい」などと書かれていた。
湯浅さんは加藤被告のトラックにはねられた人を救助している最中に、背中を刺されて重傷を負い、約1カ月半の入院生活を送った。その後、タクシー運転手に復職したが、体調不良を訴えて休職している。
以下、秋葉原事件の加藤被告の手紙要旨
このたびは本当に申し訳ございませんでした。被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません。
おわびすることが皆さまの心情を害するのではないかと悩んでいるうちに1年が経過してしまいました。遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、謝罪すべきだという結論に至りました。
謝罪する意思は本当に自分の感情なのか、ということをいろいろ考えましたが、反省している自分が存在していることは否めません。きれい事を並べた謝罪文のような形式だけの謝罪は皆さまへのぼうとくでしかなく、本心からの謝罪なのか、自問しながら書いています。
私には事件の記憶がほとんどありませんが、やったことに間違いはなく、罪から逃れるつもりはありません。私の非はすべて私の責任であり、その責めはすべて私が受けねばなりません。
私の非は、皆さまに通常ではあり得ない苦痛を与えたことです。人生を変化させたり、断ち切ったりしたことです。皆さまの人生を壊してしまい、取り返しのつかないことをしたと思っています。
家族や友人を理不尽に奪われる苦痛を想像すると、私の唯一の居場所だったネット掲示板で、「荒らし行為」でその存在を消された時に感じたような、我を忘れる怒りがそれに近いのではないかと思います。もちろん比べられるものではありませんが、申し訳ないという思いがより強くなります。
被害を受けてなお、私に同情を示してくれるような方を傷つけてしまったと思うと、情けなくて涙が出ます。一命はとりとめたものの、障害が残った方にはおわびしようがありません。
どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に値するもので、当然死刑になると考えます。
ですが、どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明することが皆さまと社会に対する責任であり、義務だと考えています。真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件が二度と起こらないようにすることで償いたいと考えています。
いつ刑が執行されるか分かりません。死刑の苦しみと皆さまに与えた苦痛を比べると、つり合いませんが、皆さまから奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています。
このような形で、おわびを申し上げさせていただきたいと存じます。申し訳ありませんでした。
2014年、加藤智大の弟が自殺してしまう
『秋葉原事件』加藤智大の弟が自殺。自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」
<「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」>
これは『週刊現代』の「独占スクープ!『秋葉原連続通り魔事件』そして犯人(加藤智大被告)の弟は自殺した」の中で、週刊現代記者の齋藤剛氏が明かしている加藤被告の実の弟・加藤優次(享年28・仮名)の言葉である。
この1週間後、優次は自ら命を断った。これを読みながら涙が止まらなかった。加藤被告の起こした犯罪のために、被害者の遺族の人たちは塗炭の苦しみを味わっている。だが、加害者の家族も苦しみ、離散し、弟は兄の犯した罪に懊悩し、ついには自裁してしまったのだ。
日本の犯罪史上まれに見る惨劇「秋葉原連続通り魔事件」が起きたのは2008年6月8日の日曜日。加藤智大は白昼の秋葉原の雑踏に2トントラックで突っ込み、さらにダガーナイフを使って7人もの命を奪った。
弟は兄が犯した事件によって職を失い、家を転々とするが、マスコミは彼のことを放っておいてはくれなかった。就いた職場にもマスコミが来るため、次々と職も変わらなければならなかった。そんな暮らしの中にも、希望がなかったわけではなかったという。事件から1年余りが過ぎた頃、筆者が彼のアパートを訪ねようとしたとき、たまたま女性と一緒に歩く姿を目撃したそうだ。優次は彼女に事件のことも話していたという。
<正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。一度喋り出したら、後は堰を切ったように言葉が流れてました。
彼女の反応は『あなたはあなただから関係ない』というものでした>
ようやく心を開いて話ができる異性との出会いは、彼に夢を与えてくれたのだろう。しかし、優次の夢は叶うことはなかった。事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、結婚と聞いたとたんに猛反対したというのだ。二人の関係が危うくなり、彼女も悩んでイライラしていたのだろうか、彼女から決定的なひと言が口をついて出たという。
<一番こたえたのは『一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は』と宣告されたことです。これは正直、きつかった。彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。しかしそれは一瞬であり、自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。
結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。
(中略)僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました>
出典:『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」 : J-CASTテレビウォッチ
兄は自分をコピーだと言う。その原本は母親である。その法則に従うと、弟もまたコピーとなる
出典:『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」 : J-CASTテレビウォッチ
優次は手記に繰り返しこう書いていたという。そして、<突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある>
そんな言葉を筆者に漏らすようになっていった。母親は事件後、精神的におかしくなり離婚してしまった。父親も職場にいられなくなり、実家へ帰りひっそりと暮らしている。
優次は加害家族も苦しんでいることを知ってほしいと、このように書いている。ここには心からの叫びが吐露されているので、少し長いが引用してみたい。
<被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。でも、被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは、遙かに軽く、取るに足りないものでしょう。(中略)
ただそのうえで、当事者として言っておきたいことが一つだけあります。
そもそも、「苦しみ」とは比較できるものなのでしょうか。被害者家族と加害者家族の苦しさはまったく違う種類のものであり、どっちのほうが苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです。
だからこそ、僕は発信します。加害者家族の心情ももっと発信するべきだと思うからです。
それによって攻撃されるのは覚悟の上です。犯罪者の家族でありながら、自分が攻撃される筋合いはない、というような考えは、絶対に間違っている。(中略)
こういう行動が、将来的に何か有意義な結果につながってくれたら、最低限、僕が生きている意味があったと思うことができる>
彼は兄と面会したいと願い、50通を優に超える手紙を書いたという。だが1度として兄から返事が来たことはなかった。罪を犯した自分より早く逝ってしまった弟のことを知らされたとき、加藤智大被告は何を思ったのだろう。1度でも会ってやればよかった、そう思っただろうか。
出典:『秋葉原事件』加藤智大の弟、自殺1週間前に語っていた「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」 : J-CASTテレビウォッチ
起訴および裁判
3ヶ月にわたる精神鑑定の結果「完全な責任能力あり」との鑑定結果が出されたことから、東京地方検察庁は10月6日から被害者や遺族への通知を開始し、10月10日に殺人、殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法違反での起訴に踏み切った。10月31日には公判前整理手続に入ることが決定され、翌2009年(平成21年)6月22日には第1回公判前整理手続が行なわれて、弁護側は起訴事実を大筋で認めた。第一審・東京地方裁判所
2011年(平成23年)1月25日、東京地方裁判所で行なわれた第28回公判の論告求刑で、検察は加藤に対して死刑を求刑し、同年3月24日に被告人に対して求刑通り死刑が言い渡された。
直接的な動機としては掲示板荒らしに対する抗議の表明、根本的な原因としては不満に対して多様な観点から熟慮せず、話し合いで解決しようとせず、自分の意思を相手に分からせるために、直接的行動で相手の望まないことをしたり、相手との関係を遮断したり、暴力を行使する考え方、間接的な原因として母の養育方法が前記のような加藤の人格形成に影響を与えたと認定された。
第二審・東京高等裁判所
2012年(平成24年)6月、加藤の控訴により東京高等裁判所で第一回控訴審が開かれ、減刑を主張。2012年9月12日、東京高等裁判所(飯田喜信裁判長)は第一審の死刑判決を支持し、加藤の控訴を棄却した。同年9月25日、加藤には精神障害の疑いがあるとして、最高裁判所へ上告した。
加藤被告の死刑確定へ
関連書籍
加藤 智大 | 本 | 通販 | Amazon Amazonで加藤 智大の東拘永夜抄。アマゾンならポイント還元本が多数。加藤 智大作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また東拘永夜抄もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 | 加藤 智大 | 本 | 通販 | Amazon Amazonで加藤 智大の殺人予防。アマゾンならポイント還元本が多数。加藤 智大作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また殺人予防もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 | 芹沢 俊介 | 本 | 通販 | Amazon Amazonで芹沢 俊介の愛に疎まれて―“加藤智大の内心奥深くに渦巻く悔恨の念を感じとる”視座 (サイコ・クリティーク)。アマゾンならポイント還元本が多数。芹沢 俊介作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また愛に疎まれて―“加藤智大の内心奥深くに渦巻く悔恨の念を感じとる”視座 (サイコ・クリティーク)もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 | 中島岳志 | 本 | 通販 |