怖すぎる…日本で起きたストーカー事件(殺人事件含む)
過去、日本で起きたストーカー事件をご紹介します。殺人事件も含まれますし、読んで気分の良くなるような内容ではありません。
その辺り、ご理解ください。
三鷹ストーカー殺人事件(東京三鷹高3女子刺殺事件)
事件の概要
2011年10月頃、関西在住の男が東京在住の女子高生と実名制SNSを通じて知り合い、同年12月から遠距離恋愛というかたちで交際が始まった。男は日比混血児(ジャピーノ)の高校卒業後は、フリーターとして当時はトラック運転手をしていたが、南米ハーフの関西有名私大学生と偽って交際していた。約1年間交際していたが、女子高生が2012年秋に外国留学するようになった頃から男への別れ話が出た。2013年春に女子高生が留学を終えて帰国したが、男は執拗に復縁を求めた。女子高生は男からの連絡をしぶしぶ取っていたが、2013年6月からは携帯電話を着信拒否し、連絡を完全に絶つようになった。
復縁できないと思った男は、2013年夏から女子高生の殺害計画を練りはじめ、当時アルバイト勤務していた運送会社を無断欠勤後に行方をくらまし、同年9月27日に居住していた関西から女子高生が住む東京へ高速バスで上京。この時友人に「4、5年ほどアメリカに行く。その前に彼女と話がしたい」と話していた。9月28日に武蔵野市吉祥寺の雑貨チェーン店で凶器となるペティナイフ(刃渡り13cm)を購入した。
男が三鷹市の自宅のそばまで来ていることを知った女子高生は10月4日にストーカー被害を在籍高校の担任教諭らに相談。学校側は近くの杉並警察署に電話で問い合わせ、署の担当者は女子高生の自宅を管轄する三鷹警察署に相談するよう指導した。
10月8日午前に女子高生は両親と三鷹署を訪れて「待ち伏せされている」などと男のストーカー行為について相談。三鷹署の警察官はストーカー規制法に基づき、女子高生が把握していた男の携帯電話の電話番号に3回電話をかけたが電話に出ず、連絡するよう留守番電話に入れた。女子高生はその後に1人で高校に登校し、授業が終わった後で帰宅した際には両親は仕事等の用事で外出しており、自宅には彼女だけだった。
男は昼過ぎに被害者宅2階の無施錠の窓から侵入し、1階の女子高生の部屋のクローゼットに隠れて、殺害の機会をうかがっていた。クローゼットに隠れながら殺人事件まで友人に無料通信アプリを通じて被害者宅の電話番号とみられる番号を告げる形で室内に誰かいないか確認する電話をかけるよう依頼していたが、その一方で「ふんぎりつかんからストーカーじみたことをしてる」「そのつもりなかったけどなんやかんやで押し入れの中。出たいけど出られへん」「三時間前のおれしね」「あー無事にかえりたいよぅ」「詰みだわ」と殺害に葛藤があるかのような言葉を送信していた。
16時53分、男は女子高生の部屋で潜んでいたクローゼットから出て、ペティナイフを持って女子高生を襲撃した。男は被害者宅の外の道路にまで逃げた女子高生を追廻し、首や腹に11カ所の刺し傷や切り傷をおわせた(致命傷は3カ所あった)。16時55分に路上で倒れている女子高生が発見され、110番通報がされた。18時30分に男はズボンに血痕があったことから警察官から職務質問され、事件への関与をみとめたため、殺人未遂罪で緊急逮捕された(男は襲撃から逮捕されるまで、友人や母親に携帯電話で殺害を実行したことを告げた)。女子高生は帰宅した際に三鷹署の署員と電話で話しており無事帰宅したことを16時51分に伝えていたが、電話を切った直後に事件は起きた。逗子ストーカー殺人事件を教訓に対策を強化した改正ストーカー規制法が5日前の10月3日から施行された矢先のストーカー殺人であった。2013年10月11日に男の供述から、路上に捨てられた凶器であるペティナイフが発見された。
リベンジポルノ
男は7月22日に米国のアダルト動画・静止画共有サービスサイトであるXVideosで女子高生のニックネームにちなんだハンドルネームで自分の投稿スペースを作成し、10月2日から10月6日にかけて交際中にプライベートに撮影された女子高生にまつわる女子高生の性的な画像や動画をアップロードした。さらに男は、10月5日から10月8日の殺害直後に逮捕されるまで、短文投稿サイトや巨大掲示板の復讐を扱うスレッド、地域掲示板の三鷹市に絡むスレッドで、三鷹で怨恨殺人を示唆するコメントなど被害者である女子高生との関連を示唆しながら、自分がアップロードした米国のアダルト動画・静止画共有サービスサイトのURLを投稿した。殺人事件がメディアで大きく報道されるにつれて、男のネット投稿に気づいたネット住民によって女子高生の性的な画像や動画がダウンロードされ拡散した。
女子高生の性的な画像や動画が拡散していることは大手メディアでは当初は報道しなかったが、やがて一般紙でも本事件を報道する際に本件をリベンジポルノであるとして紹介するようになり、リベンジポルノが社会問題として認識されるようになった。国会でもリベンジポルノが問題視され議論されるようになり、2014年11月19日にリベンジポルノへの罰則を盛り込んだリベンジポルノ被害防止法が成立した。
裁判と判決
検察、被告側は差し戻し審の判決を不服として共に東京高裁に控訴したが、2017年1月24日 東京高裁は「一審の量刑判断に誤りはない」と述べ一審判決を支持し双方の控訴を棄却した。被告、検察側双方が上告しなかったため、この判決が2月8日午前0時に懲役22年で確定した。
犯行を犯した男は、懲役22年で確定したようです。
男が事件後に発した言葉
昨年10月に高校3年生の女子生徒(当時18)が刺殺された「三鷹女子高生ストーカー殺人事件」は社会に大きな衝撃を与えた。7月23日、その裁判員裁判に出廷した被害者の父親はこう声を絞り出した。だが、法廷で不敵な笑みを浮かべた池永チャールストーマス被告(22)は、一言の謝罪も口にしなかった。
「(遺族が)苦しんでいると想像できるが共感はできない。申し訳ないという気持ちは、抱いていません」
公判には、被告の母親も出廷。驚くべき証言をした。
「『こんな罪を犯したんだ』と殺害直後の遺体画像を私に見せ、『リベンジポルノという言葉は俺が広めた』と自慢げに言っていた」裸の写真だけではなく、殺害後の写真まで撮っていたというのだ。
被告人質問で、わいせつ画像をネット上に拡散させた理由を問われると、池永被告は、歪んだ自意識をこうあらわにした。
「半永久的に画像を残すことができ、かなり話題になると思った。(理想の)彼女と交際したことを、大衆にひけらかしたかった」
被害者女性のご両親の言葉
生徒の両親は8日、コメントを公表し「何の落ち度もない娘の命が奪われた犯罪に対し、懲役22年というのは軽すぎる」との心境を明かした。両親は「裁判員裁判でありながら、司法の判断は普通の人の良識とはかけ離れていると感じる」と批判。問題点として、有期刑の上限が懲役20年(併合罪で懲役30年)にとどまることを挙げ、「資料に誘導され判断するやり方は厳正な裁判とは言えない」「有期と無期、死刑の間に隔たりがあり過ぎる」と訴えた。
出典:産経ニュース
小金井ストーカー殺人未遂事件
事件の概要
事件当日2016年5月21日午後5時5分、東京都小金井市内のライブハウスよりAの携帯電話より110番通報があった。警察は被害女性が110番緊急通報登録システムに登録していたため、位置情報を確認せずAの自宅に警察官を派遣。その1分45秒後に目撃者より通報があり警察が現場に駆けつけた。警察はその場にいたBを傷害罪で現行犯逮捕し、後にBが「殺すつもりでやった」と供述したことから容疑を殺人未遂と銃刀法違反に切り替え送検した。
事件前Bは同年1月中旬よりAのTwitterアカウントに接触しようと試みる。当初はAに対し好意を持った書き込みが目立っていた。
しかし同月22日より嫉妬心によるものと見られる不穏な書き込みが増加。4月には「そのうち死ぬから安心して」といった直接Aを脅迫する文ではないものの攻撃的な書き込みをAに向けるようになった。Aは警視庁武蔵野警察署に書き込みをやめさせるよう相談。しかし同署はAに恐怖心が見られなかったことを理由とし一般相談として処理し、ストーカー事案などに一元的に対応する同庁の専門部署に連絡しなかった。
またAの母親が右京区に住むBの嫌がらせを止めさせるよう京都府警察に相談していた。これに対し京都府警は警視庁に相談するように伝えていた。
人物
被害者Aは東京都内の私立大学に在籍している大学生で、女優やシンガーソングライターとして活動していた。なお事件当初はかつてAがアイドル的な活動を行っていたことから『アイドル刺傷』とした見出しがマスメディアに掲載され、その後関係者や第三者の抗議により後の報道では表記を修正した。
事件後病院に緊急搬送されたが20ヶ所以上刺されたため一時心肺停止状態となり、その後も長い間意識不明の重体に陥っていた。この間に発生した流言を払拭する目的で、元ジャニーズJr.所属でAの友人を名乗る者がTwitterでAの容態を報告した。6月3日頃、Aは意識を取り戻し一命を取り留めたが、一部の神経が麻痺し、視野が狭くなり、男性恐怖症など心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負う、などの後遺症が残った。
加害者
Bは京都府京都市右京区に在住する会社員で、Aのファンを自称していた。Bは『君を嫌いな奴はクズだよ』と名づけたTwitterアカウントでAと接触を試みた。しかしAより返信はなく、一方的に贈り付けたプレゼントを返却するようAやその関係者に要求した。警察にはプレゼントとしてBが贈った腕時計を返送されて逆上し、殺害を計画したと供述しており、Aに腕時計を返却された後はさらに書き込みが過激化している。
BはA以外の女性に対してもSNSで嫌がらせを繰り返していた。2013年には芸能活動を行う10代女性のブログに対し脅迫的な書き込みを残したとして警視庁より呼び出しがあったもののBは出頭しなかった。更に2015年12月、滋賀県在住の女性からも、Bとの対人関係について滋賀県警察に相談があった。
事件当日、自身のブログに「行ってきます」と残し自宅のある京都より上京。Aが現れるまで長い時間待ち伏せし襲撃の機会をうかがっていた。Aがライブ会場に入ろうとする前Bと接触。AはBを無視しつつ110番通報した。その後AはBに会場内に立ち入らないよう諭すが、Bは電話をかけ始めたAに激高し犯行に及んだ。犯行後Bは「かわいそうと思った」ことにより自ら119番通報した。また、犯行後Aに「生きたいの?生きたくないの?」と声を掛けたという。
Bは警察の取り調べに対しプレゼントの返却やTwitterのブロックを動機に挙げ、「(Aと)結婚したかった」と述べた。
警察は東京地方検察庁立川支部に殺人未遂と銃刀法違反の容疑でBを送致。東京地検はBの精神鑑定のため3ヶ月鑑定留置することを東京地方裁判所立川支部に請求し認められた。鑑定の結果責任能力ありと判断され起訴された。
伊勢崎市に住むBの兄はBについて「自分の感情を表現するのが下手で、溜め込んでは感情を爆発させる事が多かった」と評している。Bは幼少期に柔道を始め、中学時代に県大会で優勝するなど成績も良かった。Bを知る人物は、Bは子供に人気があり「優しすぎる」一面があると語った。しかし、柔道で華々しく活躍するその一方で人間関係がうまくいっておらず、中学時代の同級生はBの様子を「普段から口数が少なくて、部活の後も一人で帰っていたし、女関係の話が出たことも一切ありませんでした」と評している。また、Bは波多野結衣のバスツアーに参加し、彼女の作品に出演したことがあった。
裁判と判決
Bは懲役14年6か月の判決が言い渡され、Bは判決を不服として3月3日までに東京高等裁判所に控訴したが、3月29日に控訴を取り下げ、刑が確定した。
法廷でのやり取り
被害者意見陳述の場で、冨田さんが被告への憎しみを読み上げた時のことだった。この日、被告から見えないよう衝立の奥に座った冨田さんは、冒頭の言葉に続き、「こんな人を許すことができません」と改めて発言。次の瞬間、岩埼被告が叫んだ。「じゃあ殺せよ!」
ざわつく法廷。冨田さんが果敢に続ける。
「絶対に許してはいけない! 一方的に恋愛感情を抱き、思い通りにならなければ殺そうとする。今度こそ私を殺しに来るかもしれない」
再び岩埼被告が叫ぶ。
「殺さない!!」
即座に退廷を命じる裁判長。刑務官に引きずられながら、岩埼被告が絶叫する。
「殺すわけがないだろう! 殺すわけがない!!」
一旦休廷となり、被害者意見陳述は時間を改めることに。だが開廷後、冨田さんは精神的ショックのあまり証言をすることができず帰宅した。彼女は現在、事件の後遺症で口に麻痺が残り、食事や会話にも支障が出ているという。
騒動は20日の初公判でも起きていた。
「被告人が結婚してくださいと言ってきた」
検察官により冨田さんの調書が読み上げられている最中、「フフフッ」と笑う被告。
「以降、被告は終始ニヤニヤしていました。ブツブツと独り言も多く、あまりの気味の悪さに裁判員も顔をしかめていました」(傍聴人)
出典:NEWSポストセブン
逗子ストーカー殺人事件
概要
2012年11月6日、神奈川県逗子市のアパート1階居間でフリーデザイナーの女性(当時33歳 以下、被害女性)が刃物で刺殺され、犯人の東京都在住の元交際相手の男性(当時40歳 以下、加害男性)が同じアパートの2階の出窓にひもをかけ、首吊り自殺した。
経緯
2人は2004年頃から交際したが、2006年4月頃に加害男性の納得を得られないまま被害女性から別れた。被害女性は2008年夏に別の男性と結婚し逗子市に転居したが、加害男性には新しい姓や住所は隠していた。被害女性が新婚生活を度々facebookに投稿していたことから2010年4月頃に被害女性の結婚を知った加害男性から嫌がらせメールが届くようになった。メールは次第にエスカレートし、2011年4月には「刺し殺す」などと被害女性を脅すメールが1日に80通から100通送りつけられたため、被害女性はその旨を警察に相談し、同年6月に脅迫罪容疑で加害男性が逮捕される。同年9月に懲役1年・執行猶予3年の有罪判決が確定。同年7月にはストーカー規制法に基づく警告が出され、同年9月には被害女性の家に防犯カメラが設置された。2012年3月下旬から4月上旬にかけて、被害女性は計1089通に上る嫌がらせメールが加害男性から送りつけられた。メールには「結婚を約束したのに別の男と結婚した。契約不履行で慰謝料を払え」などと書かれていた。女性は警察に相談するが、警察は違法行為に該当しないとして立件を見送った。4月上旬以降はメールが届かなくなり、被害女性から警察に「静観したい」との申し出を受けたが、自宅周辺で頻繁にパトロールを実施した。
加害男性の行動
また加害男性は2011年6月の逮捕前及び同年9月の有罪判決後からYahoo!知恵袋で複数のアカウントを使って約400件にもわたって「被害女性の居住地域に絡む住所特定に関する質問」「パソコン・携帯電話の発信による個人情報の収集に関する質問」「刑法等の法律解釈に関する質問」「凶器に関する質問」等の質問をして(質問文自体は被害女性名や自分が殺人事件を起こす意思があることを伏せた上で、善意の人間による疑問提示という形を装っていた)、被害女性の住所を特定して殺人事件の準備のための情報を収集しようとしていたとみられている。事件直前の2012年11月に探偵事務所に被害女性の居場所を調べてほしいと依頼して、探偵事務所から所在確認の連絡を受けたことが判明している。嫌がらせが収まっていたこともあり被害女性は借りていた防犯カメラを返却したが、その直後の2012年11月6日に殺人事件が起こった。
事件直前に付近のコンビニの防犯カメラに、段ボール箱を持ちながら買い物をする加害男性が映っていたことや被害女性の玄関先に持ってきた段ボール箱を放置していたことから、加害男性は被害女性や近隣住民に怪しまれないよう運送業者を装って犯行に及んだ可能性を指摘する報道もあった。加害男性は無施錠だった1階窓から侵入して犯行に及んだとみられている。同年12月28日に被疑者死亡として不起訴処分となった。
事件後に判明した事柄
2014年1月24日、加害男性が依頼した探偵事務所からさらに調査依頼を受けた調査会社の実質的経営者が被害女性の住所を聞き出すために事件前日の2012年11月5日に被害女性の夫を装って逗子市役所に電話をかけて「家内の税金の支払いの請求が来ているが、住所が間違っていないか」などと質問し、応対した市役所職員に被害女性の住所情報を調べるための不要なコンピューター操作をさせた偽計業務妨害罪容疑で逮捕され、同年2月13日に同容疑で起訴された。また、調査会社の実質的経営者はガス会社の契約者情報2件を2013年6月に不正に入手した不正競争防止法違反(営業秘密侵害)でも起訴され、2015年1月20日に懲役2年6月執行猶予5年(求刑、懲役3年)の有罪判決が言い渡された。当該被害者から市役所には情報制限が要請されていたが、総務部納税課の職員のパソコンからアクセスすると閲覧時に警告表示があるだけで閲覧自体はできる状態だった。また、市役所の閲覧記録のIDは60代の納税課再任用男性職員であったが、「離席する場合はログアウトする」などのマニュアルが守られておらず勤務期間中は常に同一IDでログイン状態であり、職員が自席以外のパソコンを操作することも常態化だったため複数の職員が操作できる状況にあり、可能性のある担当職員全員が「閲覧した記憶がない」と情報流出を否定したため、どの職員が実際に被害女性の住所情報にアクセスしていたか明白にはならなかった。2014年2月28日に逗子市は社会的重大性を考慮し、納税課再任用男性職員を停職1カ月、男性職員の上司だった元総務部次長納税課長を戒告、平井竜一市長と小田鈴子副市長に減給10%(3カ月)の処分が行われた。
男が自殺したため、法では裁けない
<逗子ストーカー殺人事件> 2012年11月6日、神奈川県逗子市で三好梨絵さんが自宅で元交際相手の男に刺殺され、男は現場で自殺した。その後、東京都の探偵が、逗子市から三好さんの住所を聞き出していたことが判明。探偵は偽計業務妨害罪などで逮捕、起訴され、昨年1月、名古屋地裁は懲役2年6月、執行猶予5年の判決を言い渡した。捜査当局は、情報を漏らした市職員については「故意」の裏付けが難しいとして立件を見送った。
新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)
概要
概要2009年8月3日午前8時50分頃、東京都港区西新橋の民家で、耳かき専門店の女性従業員(当時21歳)とその祖母(当時78歳)が襲われる事件が発生。2人は顔や首などを刃物で刺され、祖母はその場で死亡、女性従業員は意識不明の状態で病院に搬送されたが1ヶ月後の9月7日に死亡した。事件発生当時に現場にいた会社員の男(当時41歳)が逮捕された。
被害者の女性は東京都秋葉原の耳かき専門店で働く、いわゆる耳かき嬢であった。勤務していた店舗でナンバー1の人気嬢であり、多い時は1ヶ月に65万円の収入を得ていた。一方、被疑者の男は2008年2月からこの耳かき専門店に通い始め、この女性従業員を指名し続けて店に通う頻度が上がり、最終的に同店で少なくとも200万円以上を費やした。2009年4月5日、被疑者は女性従業員に店外で会うことを要求したとして店を出入禁止となり、その後、女性従業員にストーカー行為をするようになった。女性従業員が拒否を続けることで、被疑者の女性従業員に対する愛情が憎悪に変わり、8月3日、被疑者は、果物ナイフ・包丁・ハンマーを準備して女性従業員の自宅を訪れ、応対した祖母を1階の玄関先で刺した後、2階にいた女性従業員を刺した。
8月24日、被疑者は殺人および殺人未遂の疑いで東京地検によって起訴された。その後、女性従業員が死亡したことにより、起訴内容は2人の殺人容疑に変更された。
この事件は裁判員裁判の対象であり、裁判員裁判として初めて死刑が求刑された裁判である(判決は無期懲役が確定した)。
平成22年11月1日、東京地方裁判所で無期懲役が言い渡されたようです。
長崎ストーカー殺人事件(長崎女性2人殺害事件)
2011年12月16日、長崎県西海(さいかい)市でHさん(77歳)とMさん(56歳)が殺害された事件です。
事件の概要
・2011年に起こった、ストーカ男が相手女性の母親と祖母を殺害した事件で、筒井郷太被告が死刑判決を受けた。・筒井被告は一貫して無実を主張していたが、棄却されている。
・筒井被告は三重出身。千葉県で交際中の女性に暴行し、逃げた相手の実家・長崎で犯行に及んでいる。警察の対応も不適切だったと騒がれた。
出典:めらじょ
事件までの経緯
三女と筒井はネットを通じて知り合い2011年2月下旬頃から交際に至った。当時無職であった筒井は三女が一人暮らしをしていた千葉県の 家に居座り日常的に暴力を繰り返していた。三女は千葉県内のスーパーに勤めていたが、帰宅時間が少し遅れただけでも 筒井から暴力を受け身体中がアザだらけになり、頭から血が出るくらい叩かれ、熱が出ても病院へ行かせてもらえなかったほどだった。2011年10月29日に三女の父親から相談をうけた長崎県警は、千葉県警に通報。 通報を受けた千葉県警は10月30日に筒井に事情聴取や警告を行っていたが、筒井は三女から引き離された事を機に、ストーカー行為を行い、三女や三女の知人に 「居場所を教えなければ殺す」「家族を殺す」等の脅迫メールを送っていた。
千葉県警は12月9日に筒井を再度出頭させ警告を行い、筒井は「自分からは連絡を取らない」と応じ、実家のある三重県に 帰った。
その後、12月12日に三女は、9月と10月に自宅や千葉県習志野市内の路上で顔を殴られるなど怪我を受けたとして、千葉県警習志野署に傷害の被害届を提出している。 千葉県警は同日付で被害届を受理し、12月14日に捜査を開始したが、同日筒井は自宅で父親の顔面を殴り行方不明となった。筒井の父親はその後、東京都内で三女の父親とと面会。 「息子が自分の顔を殴り、金を持って姿を消した。気を付けてほしい」と伝えていた。
事件
2011年12月16日、午後6時頃、筒井は長崎県の三女の実家の祖母宅に窓ガラスを割って侵入し祖母のHさんを包丁で複数回刺して 殺害した。その後、午後6時20分頃、母親Mさんを包丁で11回刺し殺害した。午後9時前にMさんの次男が帰宅し、 居間のガラスが割れれていた為、東京に住む父親に連絡。家族の姿が見えない為、次男は近所に住む親類男性と 家族を探し午後9時10分頃、自宅敷地内のワゴン車の荷台に祖母と母親が倒れているのを発見。ワゴン車は施錠され、 車内や敷地内には多数の血痕が残されていた。2011年12月17日、長崎県警は筒井を長崎市内のホテルで見つけ任意同行を求め、殺人、住居侵入で逮捕。逮捕当時、筒井は被害女性の財布2つと 包丁2本所持しており、この包丁からは死亡した2人の血液が検出された。また、筒井の着ていた衣服にも被害女性の血痕が付いていた。
その後、被告の男は裁判にて無実を主張するも認められず、死刑判決を受けます。2014年6月24日 控訴審(福岡高裁) 判決は死刑。
西尾市女子高生ストーカー殺人事件
出典:ふぁぼる
概要
1999年8月9日午前8時半ごろ、愛知県西尾市志籠谷町の国道23号バイパスの側道で、同県立西尾東高校二年永谷英恵さん(16)が血を流して倒れている、と近くの住民から119番通報があった。永谷さんは胸などを刺され、同市内の病院で手当てを受けたが、間もなく出血性ショックで死亡した。愛知県警西尾署は、現場付近にいた西尾市内の顔見知りの無職鈴村泰史(17)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、容疑を身柄送検の際に殺人に切りかえた。
鈴村は、永谷さんに中学時代から好意を寄せており、「相手にされなかったので殺してやろうと思い、7月14日ごろ、吉良町内 のコンビニでナイフ二本を買った」と供述。永谷さんはほかの生徒と一緒に自転車で登校途中だった。
初公判
愛知県西尾市で1999年8月、好意を寄せていた同県立西尾東高校二年の永谷英恵さん=当時(16)=に付きまとった上、刺殺したとして、殺人罪などに問われた元同級生の無職・鈴村泰史(18)の判決公判が5月15日、名古屋地裁岡崎支部で開かれ、安江勤裁判長は「神戸の小学生殺人事件の犯人に尊敬の念を抱き、悪いことのできる強い自分になるため、落ち度のない被害者を恨み、殺害した責任は重い」
と述べ、求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。判決理由で安江裁判長は
「小学校時代から友人が少なかった少年は、中学3年のときに神戸の小学生殺人事件を知り、すごい悪いことをやってマスコミを騒がせた、として犯人に尊敬の念を抱いた。事件をまねて自分を『猛末期頽死』(もうまっきたいし)と呼ぶようになった」
と述べた。さらに鈴村泰史は、18歳未満であれば死刑にならず、成人よりも刑が軽くなることを知った上で殺害を計画したと述べた。ストーカー行為について
「中学1年のときに永谷さんに好意を持ったが、中学3年の際、交際を断られて以後、性的嫌がらせの手紙をげた箱に入れたり、跡をつけたり、嫌がらせの電話をしたりするようになった」
と指摘。永谷さんの友人から厳しく注意されたが
「『自分は悪いことのできる強い人間だ』と考え」
同じようなストーカー行為を繰り返したとしている。安江裁判長は
「少年には被害者、家族への思いやりの気持ちが欠けており、自己中心的で刑事責任は重い」としたが、これらの情感の乏しい人格形成には「母親に暴力を振るう父親、精神的に安定しない母親など家庭環境の影響も大きい」と述べた。
判決言い渡し後、安江裁判長は「刑を受けるに当たり、人としてどう生きるべきか考えてもらいたい」と諭した。
判決によると、鈴村泰史は1999年8月9日午前8時半ごろ、西尾市内の路上で自転車で登校する途中の永谷さんを呼び止め、胸や背中をナイフで刺し殺害。近くにいた別の女子高生にもナイフを突き付け、約20分間連れ回した。
鈴村泰史は永谷さんと同じ高校に通っていたが、1年の途中で退学した。事件当日、永谷さんの自宅近くで待ち伏せし、現場まで付け回した。
判決言い渡し後、英恵さんの父・博司さん(49)は
「少年は法廷で、本心から申し訳ないと思っている様子が感じられない。起こしたことの重大さが分かっているのか」
と語り、目に涙を浮かべた。
損害賠償訴訟
二審も8900万賠償命令愛知のストーカー殺人・愛知県西尾市で1999年、高校2年の永谷英恵さん=当時(16)=が、元同級生の鈴村泰史に付きまとわれ殺害されたストーカー殺人事件で、永谷さんの両親が当時17歳だった鈴村泰史(21)と両親に計1億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が8月6日、名古屋高裁であり、熊田士朗裁判長は鈴村泰史側に約8910万円の支払いを命じた一審判決を支持し、鈴村泰史側の控訴を棄却した
判決によると、鈴村泰史=懲役5年以上10年以下の不定期刑が確定、服役中=は中学3年の時に永谷さんから交際を断られて憎悪し、嫌がらせの電話をかけるなどのストーカー行為を繰り返し、1999年8月9日、登校中の永谷さんを路上でナイフで刺し、殺害した。
永谷さんの両親は「鈴村泰史の両親が監督を怠り犯行を阻止できなかった」と主張。
一審の名古屋地裁岡崎支部は、被害者側の主張をほぼ全面的に認め、鈴村泰史側が「両親は子供が凶悪犯罪を起こすことを予見できなかった」として控訴していた。
永谷英恵さんの父・博司さんの手記
私の娘、永谷英恵は1983年2月14日の寒い日に生まれました。初めての子供でしたので、妻は在所に近い名古屋金山の病院で出産しました。体重は3440グラムで丸々した女の子でした。女の子なのに頭の毛は産毛で、なかなか黒い髪の毛が生えてきませんでした。 保育園の運動会や発表会など、成長の生立ちをホームビデオで記録。題して「我家と英恵の記録」は12巻まであり、弟が生まれてからは「我家と英恵・卓也の記録」と改め、今も残しています。 写真もたくさん残しています。ドライブや行楽、遊園地などに出掛けると私はビデオとカメラで大忙し。娘1人の時が長かったので、何処へ出掛けるにも一緒でした。私たちの家族にはたくさんの思い出があるのです。それなのに・・・。
1999年8月9日、夏休みの学年出校日の朝、家を出て10分後くらいでした。元同級生の17才の少年にストーカー行為を受けた末に殺害されてしまいました。
娘はまだ高校2年生の16才で多感なときでした。いろんな夢を持っていました。それなのに無残にも夢は絶たれてしまいました。いろんな挑戦をしたかったろうに。娘がなにをしたというのですか?
私は事件直後に警察よりも先に現場に駆けつけました。現場の惨劇が頭に焼き付き、警察、検察では、こんな惨い殺人を犯した少年には死刑を望むと訴えてきました。
少年審判は逆送となり、刑事裁判となりました。しかし、何も分からないまま裁判は進み、少年法の適用により不定期刑で5年以上10年以下が確定。求刑通りでしたが、納得がいきませんでした。
刑期を終えれば罪は償ったのだから早く忘れたいと思うのでしょうか?それは大間違いです。服役者は法律を犯したという罰を受けているだけなのです。多くの服役者は刑期を終えれば罰は解かれ自由になれると思うかも知れませんが、自分の犯した罪に対する償いは一生続くのです。
服役中は税金で衣食住全て負担されているのも不公平です。被害者家族は、国から何の保護も受けていません。大切な娘を失った私たち家族の気持ちは、一生癒されることはありません。
少年法でも殺人事件を犯したものは重罪犯扱いとして処分を見直すべきです。将来があるからと言って甘やかすから成人の犯罪も減らないのです。
私たちはこの少年と両親に対して反省と償いを促すために、民事訴訟を起こしました。
訴訟を起こす前、弁護士に相談して少年の両親を呼び出して真意を確かめたのです。なのに両親を呼んだのにも関わらず、仕事といって父親は来なかった。私たちに対して謝罪の気持ちがうかがえませんでした。
少年の母親には、自分の息子が1年半前から書き綴った殺人計画なる日記のコピーを渡し、「自分の息子を立ち直らせたいならしっかり読んで。そして感想文を書いて」と求めましたが「読めない」「書けない」「あれには嘘が書いてある」などといって全く話になりませんでした。
私たちがどんなに辛く哀しい日々を苦しみ、耐え忍んでいるのかを分かっていません。自分たちは早く忘れたいだけ。私たちには待っても待っても娘は帰って来ないのに。「娘を返して」。私は何度でも言います。出来ないことは分かっていますが言います。
あれから5年が経ちました。娘が元気でいれば21才です。活動的だった娘がいれば何をしているのかなと、いろいろ思うと涙があふれます。こんな辛い思いを、少年の両親にも味わってもらいたい。そう思って頑張ってきた民事裁判で元同級生と両親の監督責任を認める判決を得ました。
しかし、裁判が終結して1年が経った今も「借金の整理をしているところ」などと勝手な理由をつけては賠償責任は先延ばし。全く常識のない、身勝手な親なのです。
もうこんな両親はあてにできません。いずれ出所してくる加害少年の謝罪と償いを待とうと思います
桶川ストーカー殺人事件
概要
桶川ストーカー殺人事件(おけがわストーカーさつじんじけん)とは、女子大学生が元交際相手の男を中心とする犯人グループから嫌がらせ行為を受け続けた末、1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市のJR東日本高崎線桶川駅前で殺害された事件。警察捜査上の名称はJR桶川駅西口女子大生路上殺人事件。桶川事件とも呼ばれる。本件の発生が契機となり、2000年に「ストーカー規制法」が制定された。
経緯
Aと被害者の交際
1999年1月に被害者が友人と二人で遊びに来ていた大宮駅東口・大宮南銀座のゲームセンターにおいて加害容疑の男 (以下、A) と知り合い、やがて交際が始まった。Aは被害者に対し偽名を名乗っていたうえ、年齢を3歳若く詐称し、職業も外国車のディーラーと偽り接近したが、その実体は、東京都および埼玉県において無許可でファッションヘルス形態の風俗店を6~7店舗経営する裏社会の実業家であった。
当初のAと被害者は、週に一度食事やドライブに出かける程度の交際をしていたが、そのなかでAは被害者にブランド品の衣類などを頻繁に贈るようになり、そのことに違和感を抱いた被害者がある日受け取りを断ろうとすると、Aは逆上したという。これ以外にもAは情緒不安定な面をしばしば露わにし、被害者は交際に不安を抱きはじめる。またこの頃、車のダッシュボードの中からAの本名が記されたクレジットカードを発見。またある日にAから病院に呼び出されると、病室に暴力団員風の男がおり、そのなかでAは「ミニパトにわざとぶつかってやった」などと自慢気に話した。こうした出来事から被害者はAの身元にも不審の念を抱いていた。
Aが被害者への態度を決定的に変えたのは、3月20日頃のことである。Aのマンションを訪れていた被害者が室内にビデオカメラが仕掛けられているのを発見、これを問い質すとAはにわかに逆上して被害者を隣室の壁際に追い込み、顔面至近の壁を殴りつけながら「俺に逆らうのか。なら今までプレゼントした洋服代として100万円払え。払えないならソープに行って働いて金を作れ。今からお前の親の所に行くぞ。俺との付き合いのことを全部ばらすぞ」などと怒鳴りつけた。この出来事を経て被害者は「交際を断れば殺されるかもしれない」という恐怖心を抱くに至った。また、これ以降Aは携帯電話で被害者に頻繁に連絡を取ることにより、その行動を束縛し始める。
3月30日、被害者は家族と友人に宛てた遺書をしたためたうえで、Aに対して別れ話を切り出す。するとAは被害者の家族に危害を及ぼすことを仄めかしながら、交際の継続を強要した。実際にAは興信所に依頼して被害者の父親の勤務先や、友人の情報を入手しており、このときも被害者が伝えていないはずの父親の情報を開陳していた。被害者は家族に心配をかけることを避けるため、友人にのみ相談しながらAとの交際を続けていくことになった。しかし友人のもとにもAの関係者とみられる人物からの不審な電話が掛かるようになり、友人もAを恐れるようになっていったという。4月21日には、Aは被害者に自ら携帯電話を破壊するよう命じた。その後も被害者が別れ話を切り出すたびにAは家族に累を及ぼすと脅迫し、また被害者の生命を奪うことを示唆するような言葉を向けた。被害者は友人に対し幾度となく「刺されるかもしれない」などと話すようになる。
嫌がらせ行為の激化と警察の対応
心身ともに疲弊していた被害者は、6月14日、Aに対して決定的な訣別を告げる。帰宅の最中に被害者は母親に電話を掛け、初めてAとのトラブルが起きていることを伝えた。同日午後8時頃、Aとその兄(以下、B)、さらにもう一人を加えた3人が被害者宅を訪れ、居宅中の被害者と母親に対し「Aが会社の金を500万円横領した。お宅の娘に物を買って貢いだ。精神的におかしくされた。娘も同罪だ。誠意を示せ」などと1時間以上にわたり迫り続けた。その最中に父親が帰宅、しばし押し問答があったのち、3人は帰っていった。
その後、被害者は両親に経緯を話し、翌日に家族は上尾署に被害を申告した。署では被害者からの事情聴取に加え、被害者が録音していたAらとのやりとりの内容も確認されたが、応対した署員は「これは事件か民事の問題か、ぎりぎりのところだね」「3カ月ほどじゃ相手の男も一番燃え上がっているところだよね」などと述べ、脅迫・恐喝とは認められないとの判断を伝えた。これに対し被害者と母は現実に危害が加えられる可能性を訴えて捜査を求めたが、署員は「民事のことに首を突っ込むと、後から何を言われるか分からないんでこちらも困るんですよ。また何かあったら来てください」と要求を退けたとされる。ただし警察側は後の国家賠償請求裁判において「相手の男も……」という件と「民事のことに……」という件の言葉については事実を争う姿勢を示した。また、6月21日には被害者がAから受け取ったプレゼントをAへ返送し、同日父親が上尾署を訪れ、名刺と共に「荷物は送り返しました。これからもよろしくお願いします」と挨拶をした。後の警察の主張によれば、このとき父親は「無事終わり、ひと安心です。こんなもので悪いのですが」と言いながら菓子折を差し出したというが、父親はそうした事実は一切なかったとしている。
後に殺害についての刑事裁判で明らかになったところによれば、Aが被害者殺害を計画し始めたのは、プレゼント返送の翌日からであった。被害者の身辺ではAからの無言電話や自宅近辺の徘徊といった嫌がらせ行為が続き、やがてその内容は過激化していった。7月13日未明には、被害者の顔写真が入った誹謗中傷ビラが被害者宅近辺の住宅、被害者の通学先、父親の勤務先敷地内などに数百枚ばらまかれた。近所の住人の証言によると、ビラ撒きの実行犯はチーマー風の若い男二人と見られる。被害者は状況確認も兼ねて通常どおり大学へ向かい、翌朝にも日課である犬の散歩を普段通りに行った。このとき「人に顔を見られる」と止める母親に対し、被害者は「私は何も悪いことはしてない」と話したという。
母親はビラが撒かれた当日に上尾署を訪れて被害を訴え、同日昼に署員2人による実況見分が行われた。2日後の7月15日、被害者と母親は再び上尾署を訪れ、無言電話や付近の徘徊といった被害に加え、殺害も示唆されていると訴えてAの逮捕を求めると、応対した刑事二課長(以下、二課長)は「警察は告訴がなければ捜査できない」、「嫁入り前の娘さんだし、裁判になればいろいろなことを聞かれて、辛い目に遭うことがいっぱいありますよ」、「告訴は試験が終わってからでもいいんじゃないですか」などと難色を示した。これに対して被害者は覚悟があることを明言した上で「今日告訴しますからお願いします」、「なぜ延ばすんですか」と告訴の意を強く示したが、二課長は試験終了後に再訪するよう促し、同日中の告訴はならなかった。
7月20日頃には、「大人の男性募集中」という文言と被害者の氏名、顔写真、電話番号が書かれたカードが高島平団地の郵便受けに大量に投函され、これを見た者たちからの複数の電話が被害者のもとに掛かってきた。22日、試験期間が明けた被害者と母親は告訴のため上尾署を訪れたが、応対した二課長は担当者不在を理由として1週間後の再来を促した。29日になって告訴状は受理されたが、一連の名誉毀損行為の犯人については「誰がこのようなことをしたのかわかりません」と記載された。
8月23日には被害者の父親を中傷する内容の文書が、勤務先とその本社に数百枚送付された。父親は同日に上尾署を訪れたが担当者の不在を理由に帰され、さらに翌日改めて署を訪れると、応対した二課長は中傷文書をみて「これはいい紙を使っていますね。封筒にひとつずつ切手が貼ってあり費用が掛かっていますね。何人かでやったようです」などと述べた。父親はAの逮捕を急ぐよう求めたが、二課長は「それはケースバイケースです。こういうのはじっくり捜査します。警察は忙しいんです」と取り合わなかった。いま一人応対した課員(以下、課員a)は被害者への名誉毀損事件についての書類を整理し、二課長への決裁に上げていたが、二課長はその書類をいったん自身の机に保管し、30日になって上司である刑事・生活安全次長(以下、次長)の決裁を仰いだ。次長はその書類を二課長の机に放り投げ、被害者家族がAからの被害を再三訴えていたにもかかわらず「犯人が特定されていないのだから、何も告訴状をとらなくても被害届で捜査すればよかったんじゃないのか」などと述べた。
このやりとりがあってから2、3日後、次長の意を受けた二課長は被害者から被害届を取り、告訴を取り下げさせるよう課員aに指示した。被害届であれば県警本部への報告義務がなく、事件を迅速に処理する必要もなかったからである。課員aは9月7日に被害者宅を訪れて被害届を受け取り、さらに21日に再訪して告訴の取り下げを求めた。被害者の母親がこれを断ると、課員aは刑事訴訟法の規定で一度告訴を取り下げると再告訴はできなくなるにも関わらず、それが可能であるように話し母親の説得を試みた。しかし母親の意志は固く、逆に「捜査はしてくれないんですか」などと強い調子で問われ、課員aは引き下がった。警察から告訴取り下げ依頼があったことを知った被害者は、友人に対し「私、本当に殺される。やっぱりAが手を回したんだ。警察はもう頼りにならない。結局なにもしてくれなかった。もうおしまいだ」などと話し、以後急速に落ち込んでいったという。なお、事件発生後にこの件について問い合わせを受けた県警幹部は「調べてみたが、そんな刑事はうちにはいない。記録も報告もない。そんなことを言うはずもない」と事実を否定し、別の捜査関係者は「偽者だ。おそらく芝居を打って告訴を取り下げさせようとしたのだろう」などと述べていた。このため、この件が報道された当初は、犯行グループが用意した「偽刑事」による芝居だとされていた。
10月16日午前2時頃、被害者宅前に大音響で音楽を鳴らした車が2台現れる。両親はすぐに屋外に出て車とそのナンバーを撮影し、警察に通報したが、不審車を捕らえることはできなかった。これが被害者が殺害前に受けた最後の被害となる。
犯行グループの動きと被害者の殺害
被害者がAからのプレゼントを返送した6月22日、Aの指示を受けたBが、風俗店店長で元暴力団員の男(以下、C)ほか1人に対し、2000万円という報酬を提示して被害者の殺害を依頼し、Cはこれに応じた。7月5日、Aは殺害の実行費用として2000万円をBに預けた上でアリバイ作りのため沖縄県那覇市に飛んだ。この金のうち200万円は、7月13日に撒かれた中傷ビラ作成の費用として使われた。Aは沖縄において、同所で営業するテレホンクラブを閉店に追い込むために間断なく電話を掛けるという妨害活動を、2日間の一時帰京をはさんで10月24日まで行っていた。一方、殺害指示を受けたグループは10月18日に被害者の拉致を計画したが、このときは犯行に及ばなかった。10月25日、殺害実行犯となる3人と風俗店店員1人が犯行現場を下見する。
10月26日午前8時頃、殺害実行役のC、Cの輸送役のD、見張り役のEは池袋に集合したのち、2台の車に分乗して午前9時頃に桶川へ到着した。Eから被害者が近づいているとの連絡を受けてC、Dは桶川駅へ移動し、駅近くのデパート周辺でCが車から降りた。このときDは「太ももを切りつけてくれ」、「大ごとにならないよう太ももを狙ってくれ」と声をかけたが、Cは「お約束できません」と応じたとされる。そして午後0時53分頃、大学へ向かうため駅前に自転車を駐めた被害者は、桶川駅西口前の商業施設「マイン」前の路上でCに上半身の2カ所を刺された。被害者は悲鳴をあげて倒れ、Cはその場から逃走した。このとき目撃者から「ひったくり」と声が上がり、付近で店を経営する男性がCを追ったが、捕らえることはできなかった。その後被害者は上尾中央総合病院へ搬送されたが、午後1時30分に死亡が確認された。死因は大量出血によるショック死で、死亡推定時刻は事件が発生した午後0時50分とされた。
居宅中であった母親に警察から事件発生の連絡が入れられたのは、発生から間もない時刻であった。母親は警察から桶川駅へ来るよう指示され、事件現場を確認。のち警察車両のワンボックスカーの中で30分ほど待たされた。次いで上尾署へ移動し、事情聴取を受けた。この間、被害者の安否を尋ねる母親に刑事は「危険な状態だが、頑張っている」と伝えていた。母親に被害者が「いま亡くなった」と伝えられたのは午後3時頃のことで、その直後に母親が被害者の遺体を確認、さらに母親から父親へ携帯電話を通じて被害者殺害の事実が伝えられた。後に母親は裁判における意見陳述で、「娘が亡くなったのは午後1時30分頃だと後で聞いた。なぜ警察は病院に行くよう言ってくれなかったのか」とその対応を批判している。
一方、殺害実行犯も混乱状態に陥っていた。事件発生直後、EはDへの電話口で「大変だ、本当にやった」などと話し、またCは事前に示し合わせた集合場所に辿り着くこともできず、車に拾われた後は「刺しました。2回刺しました。なんで、俺は、何やってんだ」、「(被害者は)大丈夫かな、もしかして、だめなんじゃないか」などと口走り、非常に狼狽していたという。同日午後5時頃、3人はBと赤羽のカラオケ店で落ち合い、Bは3人に逃亡を指示。Aから託されていた金の残り1800万円のうち、Cに1000万円、D、Eに400万円ずつが報酬として渡された。またBは、遅れてやってきた中古車販売業の男Fに、事件に使用された車両2台の処分も指示した。Bは全体としてCに対して非難めいた態度で接し、帰路の車中では二人きりになったFに「本当に馬鹿だね、あいつは」と漏らしたとされる。
また事件当日、BとAは計13回携帯電話でのやりとりを行った。沖縄でAと一緒にいた者の証言では、Aの様子に特に変わったところはなかったという。その一方で事件の翌日にはAが池袋の生命保険会社に電話したという記録が残されている。
犯行グループ逮捕とAの自殺
犯行グループで最初に逮捕されたのは実行犯のCで、12月19日のことであった。さらに翌20日はB、D、Eがいずれも殺人容疑で逮捕、4人は翌2000年1月6日に起訴された。同16日には新たに8人が名誉毀損容疑で逮捕され、先に逮捕されていた4人も同容疑で再逮捕された。Aは同日に名誉毀損容疑で全国に指名手配された。
Bの弁護人によれば、逮捕されたBは事情聴取においてAが北海道にいると供述し、さらにAに「死に癖がある」ことや異常な人間性を繰り返し伝えていたが、捜査員は「死ぬ死ぬといって死んだためしはない。お前が弟を狂人にしているだけ」と取り合わなかったとされる。そして2000年1月27日、Aは北海道の屈斜路湖において水死体となって発見され、警察により自殺と断定された。Aが残した2通の遺書(1通は実家へ郵送、1通は遺品のバッグから発見)には、いずれも被害者と家族、マスコミへの怨嗟の言葉が並べ立てられ、自身の冤罪を主張する一方で、自身の家族には事前に自らにかけていた生命保険金を老後資金として役立てて欲しい、との言葉が綴られていた。Aの名誉毀損容疑については、2月23日に被疑者死亡のまま起訴猶予処分となり、Aが責任を問われることはなくなった。
犯行グループに対する刑事・民事訴訟
刑事訴訟
殺人罪で起訴されたB(主犯)、C(殺害実行犯)、D(運転役)、E(見張り役)のうち、Bは一貫して事件への関与を否定し、Dは殺人ではなく傷害致死であると主張した。2001年7月から2002年3月にかけて、Cには懲役18年、D、Eにはそれぞれ懲役15年の判決が下されたが、Cは判決が下ってから、それまでの34に上る供述調書の内容を全て撤回した上で、Dと同じく殺人ではなく傷害致死であると主張し控訴した。当初、殺意があったことを認めていたCは、供述を翻した理由として、具体的にはワイドショーでコメンテーターのテリー伊藤が「これはプロの殺し屋の仕事です」と述べていたのを見て「傷害の範囲でやることが暴走してしまい、結果的には殺してしまったというふうに言ったところで、結局誰も納得してはくれないだろう」と当時は考えていたからだとした。しかし2003年3月29日、Cは「思い残すことはない」として突然控訴を取り下げ、地裁判決を確定させた。6月11日の公判では、Bが拘置者の世話をする衛生夫(川越少年刑務所の受刑者)を買収し、CとDに控訴を促す伝言をしていたことが明らかになっている。
一人事件への関与を否認したため分離公判となっていたBについては、2002年12月25日、検察の求刑通りの無期懲役の判決が下される。さいたま地裁はBがCに直接殺害の指示を出した主犯であると認定し、殺害に至る経緯についても、嫌がらせ行為(名誉毀損案件)と殺人を分離せず、嫌がらせが過激化した結果の一体的な事件であったと認定した。
Bは控訴し、一審では否認していた被害者への危害行為の共謀を認めた上で殺意を否認し、傷害致死の適用を求めたが、2005年12月20日、東京高裁は地裁判決を支持し控訴を棄却した。Bは即日上告したが、2006年9月5日、最高裁第2小法廷は上告を棄却し、無期懲役が確定した。
民事訴訟
2000年10月26日、被害者の命日に遺族がBら犯行グループ計17人に対し、1億1000万円の損害賠償を求め提訴。2001年10月26日、5人に計490万円、11月16日にはC、Eに計9900万円の支払いを命じる判決が下る。2006年3月31日には、Bと彼の両親および共犯者1人の計4人に対し、1億566万円の支払いを命じる判決が下された。判決では自殺したAと事件の関わりについて「交際を絶たれて逆恨みし、被害者の殺害を計画してもおかしくない十分な動機があった。Aの指示があったと考えるのが合理的」と指摘し、Aを事件の首謀者と認定した。
なお、被告たちに賠償金の支払い能力はほとんどなく、遺族も現実的な受け取りについては諦めていた状態にあったが、「民事裁判で主張が認められた」という報道しか知らない近所の一部住人からは「あそこの家は娘を売り物にしている」などという声が流れてきていたという。こうした状況に、被害者の母親は「もし国家賠償請求裁判で勝ったら、税金泥棒とでも呼ばれるのだろうか」と気が重くなったと述懐している。
ストーカー対策
ストーカー対策の最大の方法としましては、やはり警察への相談でしょう。「警察は頼りにならない」との声もあるかもしれませんが、後々のことを考えると警察に頼るのが一番かと思われます。
警察の方は、ストーカー被害に関しては、多少反応が鈍いものです。ストーカー被害から殺人、という事件がよくありますけども、あれ、すんごく分かる気がします。
そのため書籍では「とにかく証拠を集めておくこと」「警察では、とにかく困っていることを強く伝えること」とアドバイスしています。
実際、「ストーカー規制法」の適用にならなくとも、困っていることを強く伝えれば、警察の方から、そのストーカーに、直接注意をしてくれます。
そうすれば、ストーカーも、事態の重大性に気づき、我に返ることも多いものです。
かえって悪化することを恐れる方は多いですが、そうなることは、意外にありません。(ただ100%とは言い切れません)
ただ、そのあと万一にも、何かのアプローチがありえたとしても、一度警察に相談しておくことで、そのあとの展開は多少ラクになります。
出典:ゆうメンタルクリニック
以下に警視庁の、ストーカー対策についてのリンクがありますので、ストーカーに悩まされている方は、一度目を通しておくと良いかもしれません。
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