33名を殺害したアメリカの連続殺人者「ジョン・ウェイン・ゲイシー」とは

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ジョン・ウェイン・ゲイシー

ジョン・ウェイン・ゲイシー

生誕 1942年3月17日

アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ

死没 1994年5月10日(満52歳没)

アメリカ合衆国・イリノイ州ジョリエット刑務所

別名 キラー・クラウン

罪名 殺人

有罪判決 殺人罪

刑罰 死刑

現況 死没

職業 建築業者

配偶者 妻(1964年-1968年)

両親 ジョン・スタンリー・ゲイシーお気に入り詳細を見る

ジョン・ウェイン・ゲイシー (John Wayne Gacy, 1942年3月17日 - 1994年5月10日)は、アメリカ合衆国生まれの連続殺人者。


子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことからキラー・クラウン(殺人道化・殺人ピエロ)の異名を持つ。少年時代はボーイスカウトに入っていたこともある。アルバイト料の支払いなどの名目で呼び寄せた少年に性的暴行を加えたうえで殺害。その遺体を自宅地下および近くの川に遺棄した。自身のホモセクシュアリティを隠すために殺害したとされている。


1972年から1978年のあいだ、少年を含む33名を殺害したことが明らかになっている。資産家の名士でチャリティー活動に熱心だった彼の犯行はアメリカ社会を震撼させた。


彼の描いたピエロの絵画はマニアには大変な人気があり、展示会が開かれたり、高値で取引されている。著名人では俳優のジョニー・デップが購入して所有している。

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ジョン・ウェイン・ゲイシー

			

生い立ち

1942年3月17日、イリノイ州シカゴのポーランド系移民の家庭に生まれる。父親である叩き上げの熟練機械工、ジョン・スタンリー・ゲイシーは貧しさの中で育ち、「人には負けない」、「弱みを見せてはならない」という人生哲学を持っていた。彼には、脳内の手術が不可能な部位に腫瘍があり、発作的な癇癪を起こすなどその情緒は極めて不安定で、やり場の無い怒りが突如湧き上がることもあり、しばしば自分の家族に矛先を向けた。はじめての一人息子に期待を込めて、西部劇で人気を博したアメリカ男性を象徴する名優ジョン・ウェインの名を授けたが、生まれたばかりの息子に心臓疾患があると判明した途端に失望して見限ってしまった。父スタンリーに対するジョンの幼い頃の記憶は躾や礼儀作法に厳しく、小さな失敗をしても革砥で打擲されるというものが多く、スタンリーから徹底的な虐待を受けていた。スタンリーは身体の弱い息子をことあるごとに「クズ」「間抜け」となどと常に責め立て、肉体と精神の両面で痛めつけた。このためにジョンはパニック障害や心臓発作を頻繁に起こすが、彼は罵倒されるのが嫌でストレスや体の不調を我慢して必ず失神し、そのたびにスタンリーは息子を激しく罵った。

失神の直接の原因は病院では分からず、ジョンを診察した医師は「再発性の失神症」と診断した。ジョンの母が夫に対し息子の体をいたわって欲しいと懇願すると、スタンリーは「あのガキは親の気を惹いてやがる」と鼻で笑ったという。ジョンは14歳から18歳までの間、1年以上の入院治療と、高校を4つ変わったことで普通高校を落第となる。その後職業訓練校に編入し優秀な成績を上げたことで、怠学補導教官の助手として事務室で働くように勧められる。この頃のジョンは、父スタンリーの気を惹くように、スタンリーお気に入りの民主党立候補議員の応援をする。だが兵役審査で病歴があったことで免除になると父は息子を再び罵倒するようになる。ジョンが18歳の時、当時の女友達と性交に及ぼうとするも意識を失う。最終的には家を追い出されたが、それでもジョンは自身を罵倒し続けた父親を心から愛しており、いつか父親に認めてもらおうと一生懸命に働き続けた。

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殺人

ゲイシー本人によると、彼の意識障害はある種の健忘を伴って現れるようになり、道化師ポゴを始めたのはポゴに変身しているときは安らぎを得ることができたから、という。


ゲイシーは少年たちを家に誘って強姦した後に殺害した。被害者を誘う手口は「ポルノを観ないか」と誘って地下室に連れ込み、手錠を掛けて動きを封じ凶器で脅しながら性交し、その後首を絞めて殺害するというものであった。死体は床下に埋葬しその上に石灰を撒く。時には塩酸をかけることもあった。1975年の末に妻キャロルと離婚。その後、ゲイシーの犠牲者は一気に増えた。

出典:

	

事件の発覚

1978年12月11日、シカゴ北西のノースウッドパーク。エリザベス・ピーストは息子のロバートがアルバイトをしている薬局へ迎えに来ていた。しかしロバートはすぐに帰ろうとせず「建設請負業者の人が、自分と仕事の話をしたがっている」と言い残してその場を離れた。エリザベスはいつまでたっても戻らないのを心配し、警察へとかけこんだ。


捜査線上に浮かびあがった建設請負業者というのが、ジョン・ウェイン・ゲイシーだった。警察はゲイシーの自宅を訪ねた際に、同性愛ポルノ雑誌等を発見し、家全体を覆う異様な臭気にも気づいたが、有力な民主党員であることを利用されて追い払われてしまう。


ゲイシーの過去を調べた警察は、10年前にアイオワ州で少年に性的虐待を行い、有罪判決を受けていることを突き止める。その後も内定を進めた末、麻薬の不法所持により逮捕。ゲイシーの自宅を捜索した。


結果、ガレージからは若い男性の身分証が入った多数の財布、また居間の床から落とし戸が発見される。落とし戸の下には汚水、汚泥があふれており、凄まじい異臭が漂っていた。床下にあった棺桶サイズの穴を掘りかえすと、出てきたのは屍蝋と人骨であった。

出典:ジョン・ウェイン・ゲイシーとは (ジョンウェインゲイシーとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

	
床下に埋められた死体は全てが腐敗しきっており、発生していたメタンガスに現場の警官たちは激しい目眩と吐き気を覚えた。余りに腐臭が凄まじく、一度臭気に触れた衣服は臭気が染みついて洗浄不能になったうえに衛生面でも危険とされたため着用不可能となり焼却処分された。さらに、土中に埋められていた死体が空気に触れたことで再び腐り始めた。衛生局の分析で命に関わる危険な物質が大量に発見され、さらには毒性の強い細菌が検出された。このため郡は現場の捜査員たちに、作業用に使い捨てのジャンプスーツを支給し、傷の自己申告を徹底させ傷を申告をした捜査官を現場から外し、全員に髭を剃ることを禁止した。警察署の死体保管所はガス室と化した。

この死体の捜索と分析は強烈な悪臭と病気の感染との戦いとなり、命を落としかねない危険を伴った。

出典:ジョン・ゲイシー - Wikipedia

	

遺体が発見された床下

			

多重人格

ゲイシーは精神鑑定のため、シカゴのセルマック精神病院の犯罪精神科病棟に移送された。そして「私の中には4人のジャックがいます。全員のことを詳しくは知りません。家であったことはすべて4人目のジャック"ジャック・ハンリー”が行ったことなのです」と証言した。


ゲイシーによれば、彼の中の4人のジャックがゲイシーの肉体をコントロールし、その間の記憶は全く無いのだという。1人目のジャックは、酒と麻薬をやってから少年を漁りに出かけ、少年を車に連れ込んでセックスをする。そうした中で2人目のジャックが現れ、行為が終わると裸のまま車外に放り出し、そのまま逃亡しては楽しむという。俺は殺人課のベテラン刑事であるとゲイシーに語っていたという。2人目のジャックが引っ掛けた少年を、自宅まで無事に届けるのがこの3人目のジャックで、心優しい警察官であるという。そして、3番目のジャックが少年を諭しているときに突然現れて、手の届かないところへ少年を連れ去っていくのが4人目のジャックである、という。


ゲイシーを心理学的に鑑定した臨床医は、彼のIQはかなり高く、神経学テストを初めとする7種類のテストでも、脳障害の兆候は見られなかったと診断する一方でロールシャッハテストや主題統覚検査では異常を感じさせる反応を示し、心理面の安定をみるミネソタ多面人格目録(MMPI)でゲイシーが極めて異常であり、思考の混乱から精神分裂かもしくは妄想症の可能性が強い、とされた。


この検査結果では、ゲイシーは「自分を有利にしようと動いている訳ではない」ということが認定された。元スタンフォード大学行動科学課長及び研究センター会長ローレンス・フリードマンは、ゲイシーを極めて凶暴で歪んだ性欲に巻き込む人格相として存在しているとした。ゲイシーのトラウマをアルコールに耽っていた父親と現在までに及ぶ本人自身の発作によるものと指摘、幼い頃から彼を責め苛み続けた心身症と神経症が彼の犯罪性を作り上げる土壌となったと証言した。だが「このような症例を罰するか罰しないかの判断は、法と社会の境界上の問題であり、心理学の立場からは言及できません」とも話した。ゲイシーの異常さは学問的に証明はできても、それが33人の人間を殺害する確たる理由にはならない、としたのであった。

出典:ジョン・ゲイシーとは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

	

処刑

そんな中、自分に興味を持ち手紙を送ってきた、ジェイソン・モスという当時18歳の少年と文通を始める。ゲイシーは後に彼の電話番号を突き止め、電話でのやりとりを行うようになった。その後、少年に「人殺しをした本当の理由を教えてあげる」と刑務所に招待し面会することになった。しかし情欲を抑えきれなくなったゲイシーは、彼を34人目の被害者にしようと企む。模範囚としての信用を利用して看守抜きでの面会(本来は規則違反)を取り付け、少年と2人きりでの面会が叶い彼を監視カメラの死角に誘い出して犯行に及ぶも、間一髪で看守が通りかかったことで未遂に終わった。この犯行が決定的となり、再審請求は取り下げられた。


1994年5月10日深夜、薬物注射による死刑がジョリエット刑務所にて執行された(この一件は日本のテレビ番組で幾度か取り上げられ放送されている)。

出典:ジョン・ゲイシーとは - goo Wikipedia (ウィキペディア)

	

ジェイソン・モスとジョン・ウェイン・ゲイシー

ジェイソン・モスとジョン・ウェイン・ゲイシー

最後の食事

彼が希望した最後の食事は、ケンタッキーフライドチキン、フライドポテト、エビフライ、イチゴ、ダイエットコークなど、若き日の成功を象徴するものばかりであった。

出典:

	

ケンタッキーフライドチキン、フライドポテト、エビフライ、イチゴ、ダイエットコークなど

			

映画のモデルに

スティーブン・キングのホラー小説「IT」のモデルとなった

出典:忍者ホームページ

	

IT

人間の弱さに付け込む不気味なピエロ、ペニーワイズに翻弄される人々を描く。物語前半は幼少時代、後半は大人になった現代のパートに分かれている。前半は回想がほとんどを占め、ホラー要素さえなければ『スタンド・バイ・ミー』のような青春ものである。

本作は非現実的な要素を多く含んでいて、例えばペニーワイズは、特定の人物にしか姿を見せず、引き起こされる能力(物体を自在に操る、相手の恐怖心を覚える姿に擬態する、血を含んだ風船を飛ばすなど)も同じように一般の人間には見えない。

彼の描いたピエロの絵画はマニアには大変な人気があり、展示会が開かれたり、高値で取引されている。著名人では俳優のジョニー・デップが購入して所有している。

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

			

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

			

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

			

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

			

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

			

ジョン・ウェイン・ゲイシーが描いた絵画

			

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Sharetube