全米17州で300人以上を殺害した「ヘンリー・リー・ルーカス 」とは

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ヘンリー・リー・ルーカス

ヘンリー・リー・ルーカス(Henry Lee Lucas, 1936年8月23日 - 2001年3月13日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯。全米17州で300人以上を殺害していると言われる。

出典:ヘンリー・リー・ルーカス - Wikipedia

	

ヘンリー・リー・ルーカス

ヘンリー・リー・ルーカス
著名なシリアルキラーの1人であり、トマス・ハリスの作品に登場する連続殺人者、ハンニバル・レクターのモデルの1人。

出典:ヘンリー・リー・ルーカス - Wikipedia

	

母からの虐待

ヘンリー・リー・ルーカスが生まれたのは1937年。母親の名前はヴィオラといった。父親は事故で両足を失い車イスの生活をしていた。

この一家を取り仕切っていたのは、母親であるヴィオラであった。まず、この母親の異常性について触れなければならない。


ヴィオラは、ことあるごとに夫とルーカスを虐待し、気に入らないことがあると、角材で頭を殴りつけていた。幼かったルーカスは殴られて気を失い、病院に運ばれたこともある。


また、ルーカスに対する虐待の一環として、頭にチリチリのパーマをかけさせ、靴も履かせず女の子の格好をさせて3年間も学校に通わせた。


また、ある冬の日には、夫の存在をうっとうしく思ったヴィオラは、夫を車イスごと外に放り出した。そしてそれが原因で夫は肺炎を起こし、そのまま死んでしまった。


更にヴィオラは、ルーカスに向かって「お前は、あのラバが好きかい?」と尋ね、ルーカスが「うん。」と言うと、すぐにショットガンを持ちだしてきて、ラバを射殺してしまった。

出典:No.90 全米17州で300人を殺害・連続大量殺人犯ヘンリー・リー・ルーカス

	

母の殺害

ルーカスは10歳で飲酒を始め、小学校には5年の時から行かなくなった。13歳で窃盗を犯して刑務所へ入っている。そして出所してからは14歳で初めての殺人を犯す。犠牲者は17歳の少女だった。理由は「誘いを断られたため。」という短絡的なものであった。

20歳で結婚して独立したが、ある時、あの鬼のような母親が、ルーカスの新居を訪ねてきた。

「妻にはこんな母親は見せたくない。」そう思ったルーカスはとりあえず母親を外へ誘い、人気のないところまで連れて来ると突然母親の首を絞め、そのまま絞殺してしまった。

そしてその後、すでに死体と化している母親の身体をナイフで何回も突き刺した。


この事件はすぐに警察の捜査が入り、ルーカスはあっさり捕まった。そして肉親殺しとして実刑40年の判決を受けた。だが、服役中、よほど態度がよかったのか、刑は短縮され、当局はなかば強引にルーカスを出所させてしまったのだ。

出典:No.90 全米17州で300人を殺害・連続大量殺人犯ヘンリー・リー・ルーカス

	

殺人鬼としての目覚め

時は1975年。この出所を境に、大量殺人の幕は切って落とされる。ルーカスは出所して数時間後には、もう殺人を犯した。その後は逃亡生活を続けながら一日5箱のタバコと強い酒、ジャンクフードで生き長らえながらえた。

殺す相手は若い女性に限らず手当たり次第。後に逮捕された時、殺人をして「呼吸や食事と変わらない。」と言い放ったルーカスは、人を殺すことにまったく躊躇(ちゅうちょ)することはなかったようだ。


殺し方も残虐で、まるで殺人を楽しむかのように、ピストルを突きつけ、相手の指を一本一本ナイフで切り落としていく。また、タバコの火を肌に押し付けたりして、まずは拷問を行う。相手が気を失うとわざわざ正気に戻らせて拷問を再開する。そして最後に殺す。

出典:No.90 全米17州で300人を殺害・連続大量殺人犯ヘンリー・リー・ルーカス

	

オーティス・トゥールとの出会い

1976年。フロリダ州でルーカスはオーティス・トゥールという男と出会う。

話をしてみると、子供のころ女装させられていたことや、親から虐待を受けたこと、そしてアル中であること・・。次々と共通点が浮かび上がり二人は意気投合した。しかし何と言っても一番合った点は、このオーティス・トゥールもまた、全米を放浪する連続殺人犯だったことである。


二人は行動を共にするようになり、各地を点々としては無差別に殺人を繰り返した。ルーカスが殺した人の数は、6年半で300人にも上る。

出典:No.90 全米17州で300人を殺害・連続大量殺人犯ヘンリー・リー・ルーカス

	

オーティス・トゥール

オーティス・トゥール

ヘンリー・リー・ルーカスの最後

ヘンリーは後にモンタギュー郡拘置所の独房の中でキリスト教に目覚め、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所にて、それまでの罪を進んで自白するようになった。それは、彼が犯した殺人のために冤罪で逮捕される人を救うためであるというが真実は定かでない。殺人罪が確定しているのは9件で、物的証拠があるのは2件のみである。

彼の死刑は1998年に執行されるはずだったが、当時のテキサス州知事だったジョージ・W・ブッシュが、証拠不十分を理由に死刑執行を延期した。当時ブッシュの手元には153人分の署名できる死刑執行書があったが、ブッシュは任期中に152人の死刑を執行した死刑執行推進派であり、まさに異例中の異例であった。


毒殺以外のありとあらゆる殺しを行ったと彼は語っている。「ヘンリー・ルーカス連続殺人事件特別捜査班」の正式メンバーとして、鉄格子の中から助言を行っていたが、2001年、テキサス州ウィリアムソン郡ジョージタウン刑務所内にて心臓発作で死亡。64歳没。遺体を引き取りに来た身内はいなかった。

出典:ヘンリー・リー・ルーカス - Wikipedia

	

ヘンリー・リー・ルーカスの言葉

殺人は息をするのと同じことだった
女は存在する必要がない。だから見つければ全て殺す。要するに俺はいいことをしたって訳さ。
人間?それは俺にとってなんでもなかった、ただの白紙だった。

映画化

ヘンリー ある連続殺人鬼の記録