江東マンション神隠し殺人事件「星島貴徳」とは
江東マンション神隠し殺人事件
江東マンション神隠し殺人事件(こうとうマンションかみかくしさつじんじけん)とは、2008年4月18日、東京都江東区のマンションで発覚した殺人・死体損壊遺棄事件である。
江東マンション神隠し殺人事件の概要
2008年4月18日夜、当時23歳の会社員の女性が東京都江東区潮見二丁目の自宅マンション内から忽然と消え、親族から捜索願いが出される。最上階の自室の玄関に少量の血痕が残った状態であったことに加え、マンションに設置された監視カメラの記録に女性がマンション建物から外出した形跡がないことから、マンション内で消失した「神隠し事件」として、マスメディア各社がトップニュースで報じた。また同マンションは当時3分の1近くが空室であり、女性宅の両隣は空室であった。警視庁はマンション住民全員から事情聴取と任意での指紋採取、家宅捜索を行い、事件発生から約1ヶ月後の同年5月25日、女性宅の2つ隣の部屋に住む当時33歳の派遣社員の男(以下、男、または容疑者の男)を住居侵入容疑で逮捕した。その後の捜査で、男は死体損壊、遺棄の疑いで再逮捕(同年6月13日)、殺人容疑で再逮捕(同年6月25日)されている。
逮捕後、男からの供述により事件の全貌が明らかとなった。
江東マンション神隠し殺人事件の全貌ー殺人犯行まで
2008.4.18日午前8時21分58秒過ぎ、被害者が帰宅する。被告は、被害者が内側からカギをかける直前に襲っている。ブーツを脱いでいたところへ玄関から押し入った。被害者は驚いてキャー、イヤーと叫んで大声を上げた。被告が被害者の顔を見たのはこのときが最初であった。振り向いた被害者とともみ合いになった。被害者は被告を外に押し出そうとした。被告は、予想以上に抵抗されておとなしくさせようと殴りつけた。右手で拳を握ってこめかみを狙って顔面を殴った。実際には左前の上あたりを全力で殴った。手加減しなかった。被害者は抵抗を止め、うずくまるような姿勢になった。その後、部屋に押し入り、台所前の廊下に押し倒した。被害者はうずくまるように体を丸めていた。背中の上に馬のりに乗りひざを伸ばさせるように足首を引っ張った。それからブーツを脱がせた。被害者の息が上がっていた。
次に、右手でコートの襟首をつかみ、左手で頭をつかんで洋室へ連れ込んだ。脅すために被害者の部屋にあった包丁を掴んだ。最初は左手で取り、右手に持ち替えた。被害者はつまずいたようにマットの方に倒れ込んだ。この時は、洋室の照明はつけていなかった。部屋のカーテンは閉まっていたが閉め直した。
タオルを見つけた。縛るには使いづらいと思い、包丁で縦に切り裂いた。残りは手で引き裂いた。タオル片で両手首を縛った。被告は、「東城さんのコートを半分ずらし、両腕を後ろ手に縛って自由がきかないようにした」と陳述している。被害者は、屈伸運動をするかのように前にかがみ込んで、後ろ手に両手を縛られた。無抵抗でなすがままだった。目隠しするものを探すと、横に黒いラインが入ったピンクのジャージーズボンが足下にあった。ズボンを1本のタオルのように考えて顔を覆った。被害者の顔がジャージーでグルグル巻きにされた。
いよいよ被害者を918号室の自室に連れ込むことになる。玄関を出る前に、被害者の首かほっぺたのあたりに包丁をあてて、「これから外に出すからおとなしくしろ」と言い渡した。外に誰かいるか確認したところいなかった。出掛けに、つまずいたのかどうか分からないけれども、前のめりに倒れて床に頭を打ち付けた。引っ張り上げて起こした。この時、被告は玄関に黒いバッグを見つけ、相手の素性を知るために拾う。この時、玄関の壁に指紋が残されており、事件の犯人が被告だと裏付ける決定打となる。
被告は包丁とバッグを手にして、被害者を後ろから押すようにして歩かせた。被害者は抵抗しなかった。被害者は両腕を後ろ手に縛られ、目隠しをされ、頭が床に付くほど前屈姿勢のまま、被告の部屋に連れ込まれた。
被告の室内は、ベランダ側に寝台部が高くなったベッド、右側に机がある。ベッドの脇の壁には大きなアニメのポスターが飾られていた。机の上にはパソコンがあった。ベッドの下には段ボールとかが入れられる空間になっていた。被告は、連れ込んだ被害者を正座させるような格好で座らせた。抵抗しなかった。包丁を机の上に置いた。
被害者を寝かせるのにベッドの上に持ち上げるのは難しいと考えて、部屋の左側の南東隅にエアマットを敷いた。被害者の手首のところを右手でつかみ立たせ、マットまで歩かせた。ベランダ側に頭を、足を玄関側に向けて仰向けに寝かせた。この間、声を立てなかった。次に、部屋のクローゼットから白いフェイスタオルを持ち出し口に詰めた。左手で被害者の頬をつかみ、右手の人差し指と中指でタオルをつまみタオルの)3分の1か半分くらい詰め込んだ。ベッドの下の段ボールの中に無造作に入っていたビニールひもで手首と足首と両腕を縛った。手首は4重ほど巻き付け、きつく縛った。
コートの上から巻き付け、腕と胸と背中を縛った。足首は両足が揃うようにして、仰向けのまま4重くらいに縛った。縛ってマットに仰向けに寝かせた後、携帯電話を探した。バッグを物色したところ中にあった。白のぬいぐるみのようなものがアクセサリーに付いていた。電源を切ろうとしたが、ボタンがわからず電池をはずした。マイナスドライバーを探して、携帯の裏蓋をこじ開けた。その後バックに戻した。
被害者苦しそうだったので、目隠しが鼻にまでかかっていたのを少し緩めた。その時、気付くと、おでこの左側に大きな傷があった。5センチくらいでたんこぶのようにふくれていた。ジャージーに血が付いていた。被害者は汗をかいていた。傷口は冷やさないといけないと思い、クローゼットからハンカチを探して水に濡らし、おでこにあてて冷やした。「とりあえず、出血をなんとかしないといけない』と思った」と陳述している。
廊下にも血がついているのではと思った。誰かが通ったら不審に思われ通報されると思い、クローゼットからタオルを2枚持って廊下に出た。916号室の扉の前に、数センチの血痕があった。部屋の中にもあるかと思い916号室に入った。部屋の奥まで進み、自分の足跡と血痕を見つけた。部屋の廊下のフローリングを後ずさりするように綺麗に拭いた。
被告が被害者を襲った時は靴下だった。靴下が雨水を吸ったので足跡が付いていた。これを消した。紋を消すためキッチンの扉も拭いた。玄関の三和土(たたき)とフローリングに、お菓子と中のクリーム、(雑誌の)ホットペッパーが転がっていた。お菓子はつぶれた状態で、玄関を汚していた。あやしまれる思い、お菓子などを持ち去った。マンションの廊下に落ちていた血の跡も拭いた。ブーツもきれいに脱いだように位置をそろえた。玄関ドアもきれいにふいた。最後に玄関のドアノブを拭いた。
午後10時40分頃、様子を見るために外に出たところ、916号室前の共用通路に警察官が3人立っているが見えた。被告は、外へ出て、警察官に対し、「916号室で何かあったのですか」と尋ねている。「この部屋の女性がいなくなりましたが、何か知りませんか」と聞かれ、「何も知りません。怖いです。おっかないですね」と返答して、事件と無関係なふりをして918号室内に戻った。
逮捕される不安が募り、20分後、犯行の発覚を恐れ東城さん殺害を決意する。
午後11時頃、被告は、916号室から持ってきた文化包丁を左手に持って、洋室のエアマットにあおむけに寝かせていた被害者に近づき、右手で被害者の口を強く押さえて頭部を固定した上で、左手に握った包丁を被害者の首に突き刺し、包丁に自分の体重をかけて一気に8~9cmの深さまで突き刺す。被害者がうめき声を上げ、身体をのけぞらせるように腰を大きく上げたため、包丁を首に突き刺したまま左手を放して被害者の腰付近を押さえた。口をふさぎ、腕や腹を体で押さえつけていたとも云う。被害者は、「ぐうっ」という低い声うめき声を上げただけで、大きな声を出したり暴れなかったと云う。
被告は、首に包丁を突き立てたまま被害者が死ぬのを待った。しかし、5分ほど経過しても死ななかったため大量に出血させて早く殺そうと考え、首に刺さっていた包丁を素早く抜いた。すると、勢い良く血が出て、被害者は失血死した。
江東マンション神隠し殺人事件の全貌ー遺体解体まで
その後、被害者の遺体を浴室に運ぶ。被告の力では運べずマットごと動かして運んだと云う。「浴室が狭く、足がはみ出しました」、「足が入りませんでした。ひざは曲げたと思います」と陳述している。衣服をはぎ取る。取っ手が大きめの裁縫用の大きなハサミで、服を着たまま切ったという。黒のコート、水色のブラジャー、黒いタイトスカート、赤色の毛糸のパンツだったという。ストッキングについて聞かれると、「黒だったと思います」と陳述している。
午後11時50分頃、包丁2本とのこぎりを使って遺体の解体を始める。2本組の包丁を買っており、切れ味の良いと思った小さいほうの包丁で、右足、左足、左右の腕を切り落とした。頭部を切るのに30分要したと云う。右足を切り離すまでに30分から40分要したと云う。浴槽の中に足2本、腕2本を入れたという。
【犯行翌日】
死体から切り落とした足と腕を冷蔵庫の中に、頭をクローゼットの中にあった段ボールの中に、胴体、腕,脚をベッドの下にあった段ボールの中にそれぞれ隠した。
正午頃、警察官が訪ねて来る(警察官の来訪3、中立ち入り1)。「寝ていましたか?」と尋ねられ、進んで部屋に入れて調べてもらった。この時、警察官は、解体した遺体を入れている冷蔵庫やクローゼット、ベッドの下の段ボールは調べぬまま浴室を見たと云う。写真を見せられ、被害者が姉と同居していたことに気づいたという。警察官は20分ほど居たと陳述している。
午後9時頃、腕、足から包丁を使って肉をはぎとり、まな板で切り刻んで水洗トイレから下水管に流した。後の骨はノコギリで細かく切り、冷蔵庫に隠した。
犯行2日後、午後8時頃、遺体の胴体部の解体に取りかかる。死体の胴体を解体し、腹や胸から肉をはぎ取り、臓器を取り出し、これをまな板の上で切り刻んだ上、水洗トイレから下水道管に流した。解体後に残った骨は冷蔵庫に隠した。
【犯行3日後】
午前7時頃、胴体部の解体作業が終る。「出勤までの間、服や小物を切り刻んで、トイレに流しました」と陳述している。
午後5時半、退社する。仕事を終えた被告は帰宅途中の豊洲駅近くで大型雑貨店に寄り包丁と雑貨店で、肉をミンチにする機械を購入する。「しかし、マンション前にはマスコミが張り付いていて、もしミンチにする機械の箱を見られると、きっと怪しまれると考え、そのままごみ箱に(ミンチにする機械を)箱ごと捨てました」と陳述している。
午後9時頃、頭部の解体作業を始めた。頭部の解体は約4時間かかり、午前1時くらいに終わった。。その後、(東城瑠理香さんの)服を切る作業などをして午前3時くらいに作業を終え、仮眠を取った。
4.21日までに頭部と両手両足、臓器を取り出していた。死体の頭から髪の毛を切り、頭皮を耳や鼻、唇ごとはぎとり、眼球をえぐり出し、それらを切り刻んで水洗トイレに流した。さらに頭蓋骨(ずがいこつ)をノコギリで切って、脳を取り出し、下水道に流した。頭蓋骨は数個に切って、冷蔵庫に隠した。
【犯行から4日後】
この日から3回にわたり、出勤する前に腕の骨と足の骨、被害者の服と刺した包丁を手提げかばんに入れて持ち出した。マンションの1階に警察官が立っていたが、荷物はチェックされなかった。
この時、警察官に話しかけ、事件はどうなっているのか、犯人は(マンションの)中にいるのかを聞いている。最寄りの汐見駅前近くのマンションのごみ置き場で、骨は燃えるごみ置き場に、包丁を燃えないごみ置き場に捨てた。
夕方、帰宅。冷蔵庫に入れていた肩胛骨や骨盤、肋骨(ろっこつ)をのこぎりで切りさらに細かく切り分けた。警察の捜査を意識しながら、骨をまだ警察官に見られていなかった冷蔵庫の中から、すでに一度みられている天井裏に隠し替えた。
【犯行7日後】
いつものように出勤。緑のカバンに骨をや社員証とかの遺品入れて持ち出し、同じように近くのマンションのゴミ捨て場に捨てた。この日、マンションの管理会社にカメラが少ないとのクレーム電話をかけている。
【犯行8日後】
出勤時、。遺体を緑色の手提げカバンで持ち出した。まだ骨が2つくらい残っていた。
夕方頃、天井裏に隠していた骨が腐敗するようになり、犯行から1週間後の25日から27日にかけて骨を少しずつ鍋に入れて茹でた。ゆでると、すごいにおいがした。
煮込んで細かくなった骨や肉片、歯などを水洗トイレから流す。流しきれないものを近くのマンションのごみ捨て場に捨てることを繰り返した。
携帯電話を除き、衣服や所持品を切り刻んでトイレから流した。携帯電話は被害者の顔写真と氏名が書かれた紙を貼り付けて隠し持っていた。再び電源を入れれば被害者が生きていると装うことができると考えたからであった。
【犯行9日後】
夕方、骨を煮る作業が終わる。
午後7時か8時、「インターネットで調べて、『お姉チャンバラ』という映画がやっていたので、気を紛らわすために(午後)7時か8時くらいから出かけました」と陳述している。
犯行11日後】
4.29日、鎖骨2本をズボンの前の右側のポケットに入れて、自宅最寄り駅のJR京葉線潮見駅への途中のコンビニのゴミ箱に捨てた。
【犯行13日後】
5.1日、残っていた骨をポリ袋に入れ、出勤途中に駅前のマンションのゴミ捨て場に捨てた。最終的に5月1日までにはすべての死体、服や携帯電話を含む被害者の持ち物を捨て去った。
【犯行15日後
部屋の掃除をした。廊下の途中から先の床が血で汚れていたので洗った。浴室や配水管は洗剤で(洗った)。配水管に骨片や肉片などが残らないよう証拠隠滅作業の総仕上げを行った。洗剤は、5.1-2日にかけて勤め帰りに門前仲町で買った。
ゴールデンウィーク後、普段通り出勤し始めている。「血を吸わせたバスタオルなどは、ゴールデンウィーク後、自宅マンションのゴミ置き場にゴミとして処分しました」と陳述している。
江東マンション神隠し殺人事件の現場
東城瑠理香さん
・明るい努力家で、留学中に難しい資格にも挑戦した。英語を勉強していた。・学校では人気者で、国籍問わずいろいろな人から慕われていた。
・イベント会社で契約社員として働いていて勤務態度はまじめで、仕事に慣れてきた頃だった
・大学受験の時、第一志望の大学には落ちた。
・その頃の彼氏とは何度も付き合ったり別れたりを繰り返して、結局別れた。
・その元彼氏は証言を始める前からずっとすすり泣いていた。
・瑠理香さんの両親は何年か前に離婚をした。
・瑠理香さんの母親と姉は、絶対生きていると信じていてまさか殺害とは思ってもみなかった。
・殺害された頃は誰とも交際してはいなかったらしい。
・子供の頃、盲腸が悪化して入院して生死をさまよう位の大病気をした。
・その後は後遺症もなく至って健康。
・母親の妹とその娘たち(いわゆるいとこ)と家族ぐるみで仲が良く姉妹同然の付き合いがあった。
・事件当日に瑠理香さんの姉から一報を聞いた母親が東京に駆けつけようとしたが新幹線が終電過ぎだったので母親の妹(瑠璃香さんの叔母)とその娘(姉妹同然のいとこ)夫妻に車を出してもらって東京に行った。
(元彼・親友・母親・勤務先上司らの証言より)
星島貴徳被告
・1歳の頃、猫を追いかけて誤って熱湯風呂に落ちて下半身を大やけど。・父親は躾に厳しかった。やけどをコンプレックスにしないように半ズボンも履かせた。
・小学校のころは火傷をそんなに気にしてなかったが、中学くらいから気にしだしてプール授業は見学していた。
・実家にいた若いころはハードな特殊性癖な本などを所持などしてる様子はなかった。
・テレビゲーム好きだが、遊ぶのはFFやドラクエなどの至って普通のゲームだった。
・自身の希望で情報処理系の高校に進学。
・高校卒業後はセガに入社。
・しかしプログラマー希望だが、与えられた仕事はセガのゲーセンの店長とかで不満が。
・いつのまにかセガを辞めていた。両親はその事を知らなかった。
・基本的に両親はセガ入社上京後の星島容疑者の様子を全くなほど知らない。
・両親とは全く連絡を取らず孤立無縁状態だが、妹だけは連絡があり、両親は妹が星島容疑者に会う時などに様子を見てきてくれと依頼したことがある。
・セガ退社後は、証言台に立った男性のソフトウェア会社からプログラム仕事を請け負う感じで、正しい区分としては“個人事業主”になる。給料ではなく報酬という形である。
・事件直後、その会社の飲み会等で仕事仲間や後輩から「まさかお前が犯人じゃねーだろうな」と冗談半分で聞かれた事もあったが、あっさり否定していた。
・エンジニアとしての技術力は確かで、仕事の面での後輩・関係者の信頼は高かった。また、仕事でトラブルを起こしたり揉めたりした事は全くなかった。後輩の技術指導みたいな事もしていた模様。
(両親・仕事の上司的立場の男性の証言による)
星島被告の生活歴、逮捕後の態度など
星島被告は昭和50年1月、4人兄弟の長男として生まれ、岡山県内の小学校、中学校で学んだ。1歳11カ月の時に浴槽のふたに乗ったところ、ふたが落ちて熱湯の入った浴槽に落ち、一命はとりとめたものの両足にやけどを負い、赤くケロイド状にあとが残った。やけどのあとのことで小学生のころからいじめにあうようになり、小学校の低学年のころ、そのことで泣きながら父親に相談すると、「そんなことで泣くな」と怒鳴ってしかられ、それ以来いじめにあっていることを誰にも相談できないと思うようになった。厳しくしつけられて次第に父親を避けるようになり、母親に相談してもすぐに父親に伝わってしまうので母親も信用できなくなった。父親の転勤のため小学校4年以降、2度転校したが、そこでもやけどのためにいじめにあった。 頼る人がいないと考えていた星島被告は人と接するのを避けるようになるとともに、次第に自分がやけどをしたのは両親のせいだと強く思うようになった。中学校に入り、思春期になったこともあって、やけどのために女性や恋愛は自分には無縁だと考えるようになり、両親に対する恨みを深めていった。
星島は岡山県内の高校を卒業後、とにかく両親の元から離れたいと考え、東京都内のゲーム会社に就職したが、4年あまり勤務したところでゲームの仕事に飽きたこともあり会社を辞めた。その後、コンピューターの技術を生かし、コンピューターソフトの開発会社で働くようになった。会社を替わるなどした後、技術が認められ、引き抜きを受け、月額50万円の個人契約社員として働くようになった。この点に関し、星島被告に仕事を請け負わせていた会社の関係者が公判に出廷し、星島被告の仕事ぶりは速くて正確で、後輩の指導もしていたこと、勤務先での人間関係に特に問題はなかったことなどを述べている。高校卒業後も両親に対する恨みを募らせていた。「殺してしまいたい」とまで思うようになり、初めに勤めたゲーム会社に勤務しているころに2回ほど両親と会ったものの、それ以降は10年以上、音信不通の状態となった。
星島貴徳被告に前科前歴は全くなく、コンピューターソフト開発の専門知識を生かして比較的高額の収入を得て安定した生活を送っていた。両親に対しては尋常でない感情を抱いていたが、実際に殺害しようとしたことはない。女性に対してゆがんだ妄想を抱くようになっていたものの、1週間ほど前に犯行を決意するまでは、あくまで妄想の次元にとどまってた。その心の内はともかく、生活歴や生活状況に、問題となる点は見られない。この点は量刑にあたって考慮すべき事情として、本件の罪質、動機、態様、結果などに比べれば、過大に強調することは相当でないが、相応の意味がある事実といえる。
星島被告は平成20年5月25日、瑠理香さん宅への住居侵入容疑で逮捕された。この前日、取り調べを担当した警察官から「お前は本当に、(東城さんの)家族に対して少しも悪いとは思っていないのか」といわれたことから、星島被告は犯行後に見かけたHさんの姉や父の姿を思い浮かべ、罪悪感を募らせた。翌日からは犯行の詳細について自供を始め、28日には両親に対しても、罪を認めて謝罪する内容の手紙を送っている。
そして、その後も一貫して各犯行を認め、法廷でも自分の行った犯罪に向き合うようになった。遺族ら多数が傍聴する前で、犯行の詳細を述べたうえで「死刑になって地獄でおわびするつもりです。本当にすみません。謝っても何もならないと思いますが、本当にすみません」(被告人質問)「被害者の方に、ご遺族のみなさんに、友人、知人の方に、何度申し訳ございませんでしたと、すみませんと謝っても謝っても、気持ちが収まりません。弁護士と面接しても、何度も説得されましたが、やはり死刑でおわびさせていただくしかないと思っています。瑠理香さんの無念さ、恐怖と苦しさを思うと、思い返すたびに体が硬直して何も手につきません。どうしてこんなにひどいことをしてきたのだと。一日も早く死刑にしてください。皆さんの気が少しでも晴れるように。お願いします。申し訳ありません」(最終陳述)-などと述べている。
拘置所の中では瑠理香さんの冥福(めいふく)を祈り、せめて来世は幸せに暮らせるよう祈るため、般若心経を2000通以上写経している。拘置所内の本棚を仏壇のように見立て、花を飾ったり菓子などを供えているという。このような星島被告の謝罪を遺族が受け入れるとは考えられない。
また、星島被告自身もおそらく感じているように、改心は遅きに失しているが、自らの非を悔い、その罪のあまりの重さに(さいな)まれ、受け入れられるはずもない謝罪をしようとしているのを、うわべだけのものと切って捨てることはできない。
星島被告は法廷でも、いまだに両親を恨む気持ちがあると述べる一方、逮捕後に両親へ送った手紙の中で、事件を認めて謝罪するとともに、弁護人が面会に来てくれたのは父親が依頼したものであると思うとして、感謝の言葉を記している。家族とは依然として微妙な緊張関係にあるものの、変化する兆しを見せているともいえる。 これらの点は、星島被告の量刑を考えるにあたって過大に強調すべき点とはいえないが、相応には考慮すべき事情である。
裁判
2009年1月13日、東京地方裁判所(平出喜一裁判長)で初公判が開かれた。男は起訴事実を認めた。公判のなかで、事件の全貌や、男の陵辱を好む性癖が明らかにされた。この裁判は裁判員制度のモデルケースとしても注目され、検察側は証拠として被害者の遺体の一部を65インチのモニターに表示するなどし、再度クローズアップされることになった。同年1月26日、検察は論告でわいせつ目的略取という身勝手な動機、完全犯罪を目論んだ徹底した罪証隠滅工作、部屋の血液反応という物証が提示されるまで犯行を否認したこと、永山基準以降で殺人の前科がない一人殺人で死刑が確定した3事件の例を提示し、死刑を求刑した。弁護側は最終弁論で、前科がないことや逮捕後は犯行を供述して謝罪していることや下半身に大やけどを負った過去の生い立ちなどを提示して死刑回避を求めた。同年2月18日、東京地方裁判所は、「性奴隷にしようとして拉致し、事件の発覚を防ぐには被害者の存在自体を消してしまうしかないと考えた自己中心的で卑劣な犯行で、酌量の余地はない」と厳しく指弾したが、「死刑選択には相当強い悪質性が認められることが必要となるが、この殺害では執拗な攻撃を加えたものではなく、残虐極まりないとまではいえない」として、検察の死刑求刑に対し無期懲役を言い渡した。同月、検察は量刑不服として控訴した。同年6月11日、東京高等裁判所(山崎学裁判長)で控訴審初公判が開かれた。検察側は控訴趣意書で、死刑求刑に対して無期懲役とした一審判決を、「犯行は類を見ないほど凶悪で危険極まりない。一審の刑は軽すぎる」として、改めて死刑を求めた。一方の弁護側は殺害された被害者が1人で死刑の適用が争点となった事件と比較し、「無期懲役が最も適切」と控訴棄却を求めた。 同月16日、控訴審結審。
9月10日、控訴審判決公判があり、東京高裁は犯行を「殺人などの重大犯罪で、冷酷かつ残虐で人倫にもとる犯行」と指摘したが、殺害方法の残虐性や殺人、死体損壊・遺棄の計画性を否定するなどし、「前科などもなく、自らの罪を悔いて謝罪の態度を示し、矯正の可能性がある」として、永山基準や、被害者が1人でも死刑となった過去の事案との違いを指摘し、「極刑がやむを得ないとまでは言えない」と結論づけ、一審東京地裁判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。検察(東京高検)は「憲法違反や判例違反などの明確な上告理由がない」と上告を断念し、被告側も上告しなかったため、同月25日、無期懲役が確定した。
事件後話題になった心霊動画
殺人事件の容疑者インタビュー。しかし、男性容疑者の薄ら笑いより怖いのは1分8秒前後のシーン。
ヘリからの空撮にもかからわず、被害者女性宅の窓がなぜか勝手に閉まる。。
中にいた警察官なのかもしれないが、まったくカーテンは動かず。。
正直、かなり怖いです。。
もしかして、殺害された女性の呪い...
1:04~1:10あたりの空撮映像をよーくご覧いただきたい。被害者宅の窓がひとりでにスーッと閉まるのだ。
捜査中にしろ、マンションの管理人にしろ、かなり不自然な姿勢じゃなきゃ閉めるときに人影が映っちゃうからね。
出典:more"