ぐっと感動・幸せな話

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おもわず読んでて感動した話を集めました

風俗であったホントに泣ける話

数年前、漏れが吉原で体験したこと。 


入店して待合室に通されると、オバサンが数人の客と話をしていた。


スポーツ新聞を読みつつ聞き耳をたてていると、全盲の息子が筆下ろしをしたいと言うので付き添いで来たらしい。


オバサン(以下母)は色々心配事を口にしていたが、話し相手の客数人は「大丈夫」「心配しなくていいよ」となだめていた。


暫くたって奥から白杖持った青年と姫が待合室にやってきた。


革靴はピカピカで結構いい服をきている。この日のために揃えてあげたのだろう。


母はソファから飛び出して姫と軽く会釈したあと、「どうだった?いいこと出来た?」


青年「うん。よかったよ。このお姉さんのおかげで」


実は姫を指差すつもりが別の方向だったので、姫が素早く指した方向に移動。


母は顔をくしゃくしゃにして泣きながら「あんたよかったね~!!」と背中を何度もさすっていた。


客も拍手したり「よかったなあ」と激励していて、


今まで無口だった893風の客まで立ち上がって青年の肩をポンポン叩きながら「あんたも一人前の男になったぞ」と祝福していた。


姫も感動して泣いていた。実に素晴らしい光景。


涙腺の弱い漏れは新聞で顔を隠しながら泣いた。

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父の手作り弁当

この前息子の通う保育園で遠足があった。 


弁当持参だったのだが、嫁が出産のため入院していたので俺が作ることに。

飯炊くぐらいしかしたことないのに、弁当なんて無理!

嫁にアドバイス貰ったり、弁当の本を買い朝5時から弁当つくりをした。

案の定不細工な弁当が出来上がった。申し訳ないと思いながらもそのまま持たせた。


夕方子供を迎えに行くと空になった弁当箱と手紙を渡された。

字は書けないはずなのに、「とうちゃんありがとう」

俺の似顔絵付きで。

先生が言うには、午後の外遊びの時間に教室にこもって手紙をずっと書いていたんだと。

帰りの車中で「なんか食べに行こうか?」と尋ねると

「とうちゃんのたまご焼き食べたい!」と。

涙堪えるの必死だったよ。

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震災で感動した話

イスラエル人にヘブライ語で声を掛けられた。

困っていたら知り合いのパレスチナ人が通りすがり、通訳してくれた。

「日本は大丈夫か?僕は深く祈るから」と言ってくれた。

パレスチナ人とイスラエル人が握手をしてる笑顔に包まれた。涙が出た

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ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。

ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、

その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。

子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった

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ぜんぜん眠っていないであろう旦那に、「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、

「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」と返事が。

彼らはタフだ。肉体も、精神も。

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会社の中国人留学生のアルバイト。中国大使館から迎えがきて「強制退去」。

数時間後、彼らが戻って来た。みんなで「なぜ?」。

彼らは「強制退去ではなく希望者を迎えに来ただけでした」と。

でも「なぜ?」。彼らは「私たちは仲間です。ここで一緒に頑張ります」。

社内は歓喜、そして号泣

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君たちは、自衛隊在職中決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わる

かもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、

ちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡のときとか、災害派遣のときとか、

国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。言葉をかえれば、君たちが

『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい。


                昭和32年2月防衛大学校第1回卒業式 吉田茂総理大臣訓示

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自衛隊の本質を表したみごとな訓辞ですね

知的障害のサッカー部員

昔知的障害をもった子がサッカー部にいてな 

でも皆から邪険にされず(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしてて

そいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・

ある日接戦で2-2の試合をしていたんだ

でも大切な試合じゃないし、良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど

試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのね

そしたらその子見事にオウンゴールきめちゃったわけ

敵もその子が障害者だとしってたみたいでクスクス笑ってた

んで、サッカーのことになると切れだすキャプテンが発した言葉が

「すげえよ○○!大逆転だ!!」

皆それに続いて「ナイス○○!」とか言ったりハイタッチしたりしてた

相手のポカーンとした顔とその子の嬉しそうな顔は今でも忘れられない

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人を伸ばすのは褒めることですね

瀕死の猫

飼っていた猫がウイルス感染で白血球減少症になった。 

餌も食えず、水も飲めず、うずくまったまま動くこともできず

時折苦しげなうめき声を上げて血の混じった胃液を吐くだけの猫。

獣医さんに連れて行ったら正常なら一万あるはずの白血球が

百しかない、もう助からないと言われた。


獣医さんからの帰り道、助手席の段ボール箱に入れた猫。

動けないはずなのによろよろと這い出して私の膝に乗った。

そして動かなくなった。嗚咽どころじゃない、ダーダー涙が出て

前が見えないくらいだった。


家に着いたらまだ息があった。つーか、今も生きている。

紛らわしいまねすんじゃねーよ。ホントに死ぬときは泣いてヤラネ。

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医師の診断はいったい・・・?

若気の至り・・・

工房の頃欲しいわけでもないのにゲーム感覚でコミックを万引きした 

友人数名と「(コミックのタイトル)を全巻揃えようぜwwww」とかそんなくだらない理由で何十冊も盗んでろくに読みもせず捨てた

悪い事だとは思っていたが当時悪ぶっていたし友人とのノリもあって

それから何年も経って社会人になったが色々あって会社を辞めて無職になり実家に戻った

就職活動中にふとその本屋の前を通った時店の規模が小さくなっている事に気が付いた

元々おじいちゃんとおばあちゃん二人でやっている店でそれほど流行っていなかったが心臓が痛くなるほど罪悪感を感じた

その足で銀行に行き貯金から3万おろして店番をしているおじいちゃんに若気の至りを謝罪し3万差し出した(盗んだ総額が3万くらいだったから)

おじいちゃんはその3万を俺に返してこう言った


「自分がした悪いことをちゃんと告白して謝罪できる立派な大人になったんだね

 万引きは悪い事だし許される事じゃないけど僕は許してあげようと思う

 その気持ちを忘れないでいてくれたら僕は万引きされた事くやしくも何ともないからね

 その3万円は君の将来の為の使いなさい」


泣いた 人前なのに泣いた

親にメチャクチャ怒られた時よりも彼女にフられた時よりも泣いた

すみませんでしたすみませんでしたと泣きながら何度も頭を下げる俺の肩に手を置いていいから大丈夫だよとやさしい言葉をかけてくれた


先日その本屋が閉店したと聞いて思い出した

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子供の本能

ささいな事で旦那と喧嘩をして家の中でお互い無視三日目。 


二歳の娘がおもむろに私の手を引っ張り旦那の所へ。

旦那の手を取り、私の手と旦那の手をくっつけ


『あーくしゅ』


と言いながら泣いていた。


数秒の沈黙の後、三人で号泣。

きっと子供心にずっと辛かったんだろうな。


ごめんね。ありがとう。

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空気を読むアナウンサー

アメリカの、とある地方に野球観戦の大好きな、でも、目の見えない少年がいました。  

少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。

少年はその選手へファンレターをつづりました。


「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。

 しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。

 あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」


少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。

カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。

今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。


そして、その試合、ヒーローの最後の打席。

2ストライク3ボール。テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで

固唾をのんで見守り、少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。


ピッチャーが投げた最後のボールは・・・、大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。

全米から大きな溜め息が漏れようとした、その時、スタジアムの実況が、こう伝えました。


「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」

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東京海洋大客員助教授・さかなクン

《いじめられている君へ》広い海へ出てみよう 

東京海洋大客員助教授・さかなクン


中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。

いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん無視されたこともありました。

突然のことで、わけはわかりませんでした。

でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。

せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。

けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。

すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。

助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。

いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

広い海の中ならこんなことはないのに、

小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。

同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。

ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。

でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。

学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。

話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。

大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。

外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

(朝日新聞2006年12月2日掲載)

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親孝行

先日の給料日に、新入り数人に声かけて俺のオゴリで飲みにいこうと誘いかけたんだが、 

その内の一人が用事があるからと謝ってきた。

聞くと、給料日は両親と外食してるらしい。更に毎月仕送りもしているんだとか。


「お前、まだ給料だってそんなに貰ってないだろう?若いんだし、もっとやりたい事ないのか?」

と尋ねると

「だって、今のうちから返しはじめないと、親が死ぬ前に返しきれませんから」

と笑顔で答えた。



もう親孝行ができない俺にとって、お前が心底羨ましいよ。

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血は繋がっていなくとも家族

月並み?だが、自分が養子だった事。 

高校の修学旅行でパスポートが必要になり、戸籍謄本を取った時に愕然とした。

その日は何も手に付かず、夕飯で両親が揃った時、思い切って問いただした。


最初は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてた父が、みるみる目と口を開いていき。

「忘れてた!!」

今度は私が豆鉄砲を食らいました。


結婚当時、子宝に恵まれず、まだ赤ん坊だった私を施設から引き取った事。

年頃になったら説明しなきゃいけないなあ…と思いつつ、3人で生活している内に

養子という意識も薄れ、私が中学生になった頃にはすっかり頭から抜け落ちていた事。


「いや、小学校卒業した時に説明するかどうか悩んだ記憶があるから、それまでは覚えてたんだよ」

などとしどろもどろで言い訳する両親を見てると、ああ、二人は間違いなく私の両親なんだなあと

思えて、なんだか泣き笑いになってしまった。


あれから10年近く経つけど、私たちの関係に変わりはない。

今日が両親の結婚記念日だったので、ふと思い出した。

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ガッツ石松

芸能界に入った時は、オレも1年生。演技もしたことないし、セリフも覚えたことない。 

だからみんな先輩、楽屋では子役のところにも挨拶に行った。


お芝居なら覚えられないセリフも必死で、本番まで覚えたよ。

バラエティならみんなが読まない脚本も読んで、きっちり自分の役割をこなした。

だから、「ガッツさんちょっとおかしい」ともいわれたね。

ケーキは顔に塗られるし、馬鹿な役もやらされる。

「チャンピオンも引退したら悲惨だね」って言われたよ。


でもね、『おしん』というドラマの時にいきなりセリフの多い役で大抜擢された。

聞くと橋田 壽賀子先生じきじきの指名だよ。


「先生、何でボクを選んだの?」って聞いたの。そしたら

「あんた一生懸命やってるじゃない」

「普通、ボクシングのチャンピオンでこの業界に来るとみんな天狗で鼻持ちならないのよね」

「あんたはチャンピオンのガッツ石松じゃなくて、役者の、芸人のガッツとして頑張った。

だからこの役はガッツ石松のために用意したのよ。あんたが一生この業界で食っていけるように」


オレは人目もはばからず泣いたよ。見てる人は見てるんだって思ってさ…

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志村けんへ

この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。 

まず、俺の芸能人生を解明するために、DVDを買うようお願いしたい。

以下に、コントについての愚見を述べる。

コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。

しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、

素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。

その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。

これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。

俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。

能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。

志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。

遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。

ひいては、俺のネタを研究した後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。

リーダーは活ける師なり。

なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。


いかりや長介

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皆時を同じく

近所のマックで外壁の塗装してた時偶然昼食時間帯に通りがかった。 

日陰で職人さん5人が弁当広げて食べようとしてたとき

一番年寄りの再就職らしきヨボヨボのお爺さんが自分の弁当を落とした。

泥やペンキがいっぱいの地面にぶちまけてた。

ご飯とチクワだけだった。

落としたショックと見られたくないのとで無言で必死に手でかき集めてた。


その時、

棟梁らしき中年のオッサンが若いのに1000円渡して

「サンクス行ってきてやれ、ついでにみんなのプリンもな。」


若いのはすぐ走って行き、全員食べるの待ってた。

年寄りと食事が切ないのは誰でも同じなのでは、と思った。

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荒れた高校生、無気力な若者が多い?

今日ゲーセンで人のプレイを見物してたらカプエスに小学生らしき子が乱入してた。 

波動拳も知らないようで、ひたすらガチャプレイ。

ガードもままならないまま次々と敗退していく。

あっさりと負けて台を去ろうとしていた子供に、対戦相手の友達(高校生)が

「もう1回できるよ。がんばれ。」って声をかけた。

そう、そのカプエス台は100円2プレイだった。

再戦したが、やはり腕の差は圧倒的だった。

だけど、相手も攻撃をさりげなく食らったり、一人倒させてあげたりしていた。

終わった後、また工房が子供に話し掛けた。

「ごめんな、これで他のゲームでもやりな。」と100円を渡した。

荒れた高校生、無気力な若者なんてよく言われてるけど、そんなこと無い。と思った1日だった

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著者プロフィール
Sharetube