検索してはいけない言葉「エレナ 究極のラブストーリー」とは?
検索してはいけない言葉「エレナ 究極のラブストーリー」とは?
1930年代にフロリダ州キーウェストで起こった事件。カール・フォン・コーゼルという医師がある結核患者「エレナ」に恋をし、エレナの死後遺体を修復や防腐処理をしつつ7年間共に暮らしたというもの。
また、この事件を取り上げたアメリカで制作されたドキュメンタリー番組では、実際の遺体写真を放送した。
youtubeにも動画があるが、かなり衝撃的なので視聴はあまり推奨しない。
「Elena Hoyos」と検索しても遺体写真が出てくる。
ちなみに、奇跡体験!アンビリバボーで放送されたことがある。
医師 カール・フォン・コーゼルについて
カール・フォン・コーゼルこと本名カール・テンツラーは、1877年2月8日にドイツのドレスデンで生まれた。1920年に結婚し、2人の娘を儲けている。1926年にはオランダ発キューバ経由でアメリカに入国、フロリダ州ザファーヒルズに定住した。ところが、翌年には妻と娘を捨てて蒸発し、フロリダ半島の最南端、キーウェストのマリーン・ホスピタルでレントゲン技師としての職を得る。その際に用いた偽名が「カール・フォン・コーゼル」だったというわけだ。
エレナ 究極のラブストーリー
1930年代のフロリダ、キー・ウェスト島。この地でレントゲン技師として働くドイツ人医師、フォン・コーゼルは美しい女性患者のエレナに一目で恋をした。当時エレナは人妻だったが、その夫は彼女に肺結核の症状があらわれ悪化するや、何のためらいもなく彼女を捨てた。
2人は恋に落ち、コーゼルはエレナの治療に全力を尽くしたが、キューバ人以外の男性との結婚を望まないエレナの家族は2人の仲を妨害した。エレナの生まれ育った家はお義理にも裕福とは言えず、コーゼルは爵位まで持つ高い身分の男性だったが、それでも家族たちはコーゼルの血が混じることを快しとはしなかったのである。
家族は衰弱したエレナを連れて行方をくらまし、やっとコーゼルが彼らを探しあてたそのときには、エレナは手の付けようもないほどの重病になっていた。家族は金がなく、彼女を医者に診せることすらできなくなっていたのだ。
エレナは彼の手をとり、こう告げた。
「私が死んだら、あなたに遺せるのはこの体だけだわ。病気が重いし、もうあなたとは結婚できない……でも死んだら私の体を預けるから、ずっと面倒をみてね」
コーゼルはきっとそうすると約束し、彼女の指にダイヤの婚約指輪をはめた。
エレナが息をひきとったのは、それから間もなくのことである。
遺体は松やパームツリーに囲まれた豪華な霊廟に安置された。費用はすべてコーゼルが負担したため、墓碑銘の右下には彼自身の名も刻まれた。
だが葬儀が終わってもなお、コーゼルの想いはエレナから離れることがなかった。エレナの家族は「この家にいると死んだ娘を否応なしに思い出させられるから、売り払って引っ越す」と嘘をついて彼を遠ざけようとしたが、コーゼルは
「いや、それなら僕がこの家を借ります。たとえ買う羽目になってもね」
と言い張った。1ヶ月5ドルの間借り賃に心が動いた両親は、しぶしぶ彼の主張を受け入れた。かくてコーゼルはエレナが生前寝ていたベッドで、毎晩彼女の残り香に包まれて眠るようになったのだった。
だがそれだけでは飽き足りず、コーゼルは葬儀屋を買収して霊廟の中へ夜な夜な出入りするようになった。彼はエレナの死体にホルマリンをたっぷり振りかけ、損傷した手足をスポンジで拭いて清めた。そしてオーデコロンをくまなく振ったのち、滅菌した木綿で遺体を幾重にも包んだ。また、死体の損傷や腐敗を抑えるための溶液を調合して恒温槽にそれを満たし、エレナをそこに漬けたまま棺に戻した。
2年間、コーゼルはその霊廟へ毎夜通った。が、ある夜彼はエレナが
「ここはいや。あなたの家へ私を連れて帰って」
と懇願する幻をみた。彼は彼女の幻に「きっと連れて帰るよ」と誓い、ついに彼女の死体を霊廟から運びだした。
彼は婚礼用タキシードに身を包み、棺を毛布でくるみ、荷車に積んだ。運搬中のアクシデントが度重なり、彼のタキシードは泥と、遺体から滴る液体でどろどろになったが、彼は意気揚揚と花嫁を、用意した「新居」へと運びこんだ。
棺を開けて彼は嘆息した。
「ああ、いとしいエレナ。長いこと放っておいてすまなかった。きみをもっと早く救いに行けなかった私に罰があたらなければいいが。美しい目がこんなにへこんでしまって、ドレスも朽ちて、きみの美貌に似つかわしくないよ」
コーゼルは彼女の皮膚に傷をつけぬよう、細心の注意を払ってピンセットで朽ちたドレスの残骸を剥がした。また、オーデコロンや香水入りの石鹸、ワインで充分に彼女を洗い、腐り落ちた眼球の代わりに義眼をはめ、鼻に副木をした。
石膏のデスマスクを作ろうと思い、エレナの髪や目鼻を守るため、油引きした絹で顔を覆ってから、蜜蝋と香膏をかぶせると、なんとその絹が石膏が固まる間に、皮膚にしっかりと貼りついてしまった。しかしそれはまるで第二の皮膚のように美しかったので、コーゼルは「彼女の新たな顔」としてその出来に満足した。
髪はグリセリンで光沢を取り戻させ、胸の上で組まれていた手は滑車をつかってもとの位置まで伸ばした。内臓の代わりに吸収材を詰め、絹を全身に貼り、完全に滅菌処理をほどこし、ドレスを着せてキルト布団でくるんだ。
エレナは全身を宝石と絹で飾られ、化粧され、花で包まれて横たえられた。コーゼルはその姿を、
「以前とまったく変わらない、輝くような美しさ」
だと思った。彼は毎日彼女の髪を花で飾り、オーデコロンと香水をふりかけ、虫よけのため絹と蝋で縮んだ皮膚を補い、そしてその横で毎晩添い寝した。
そんな生活が7年続いた。
が、終わりは唐突にやってきた。1940年9月、ついにエレナの遺体が霊廟にないことが発見されたのである。
エレナの姉、ナナがコーゼルを問い詰めると、彼は自宅へとナナを案内し、
見てごらん、この美しいエレナを。彼女は今こうして幸せでいるのだから、安心して帰りたまえ」と言った。
ナナは愕然とし、「妹をお墓へ返して」と頼んだが、コーゼルにはなぜ彼女がそんなことを言うのか理解できなかった。
「時が来ればエレナは僕とともにあの霊廟へ戻るよ。だが今はまだその時期じゃない。なぜ今になってエレナのことをそんなに気にする? 彼女の死後9年間、一度だって世話したこともないくせに。ひょっとして彼女の宝石に目がくらんだのか?エレナは天使だったが、あんたはそうじゃない。帰ってくれ」
ナナは逃げ帰り、保安官に連絡した。コーゼルは死体隠匿罪で逮捕された。
法務主任はコーゼルを評して「彼はたいへん高い知性を持っているが、恋に狂ったのだ」と言った。
ナナはエレナの死体を正式に埋葬しなおすことを裁判所に要請した。コーゼルはこれを聞いて激怒し、「あれほどまでに苦労してエレナを作りあげたのに、埋葬されてはまた彼女は朽ちてしまう。彼女は僕のすべてだ。そのすべてを奪うのか」と叫んだ。
世間は――特に女性一般はコーゼルに対し、好意的だった。男性も彼を酒場で冗談のネタにすることこそあれ、おおむね同情的であり、「ほんとうに愛していたのなら、やむを得ないかもしれない」との意見でほぼ一致していた。
法廷で、ナナはエレナの死体について「あんな醜悪なものを見たのははじめてでした。髪はまだあって、ガラスの目をはめていて……手足は靴下をかぶせた棒きれみたいでした。あれは怪物でした。あんなおぞましいもの」
と述べた。だが聴衆は、
「エレナは僕が生涯かけて捜し求めてきた人だった。僕は彼女に出会う前から彼女を求め、彼女の幻を見てきた。彼女の魂は不滅で、いまも僕のそばにいる。僕は彼女の身になにが起ころうと、彼女を愛し、守ると誓ったのだ。彼女を死と腐敗の手に渡すわけにはいかない。僕は彼女に、一生かけて守ると約束した。たとえ命を賭けることになっても」
という、騎士のごときロマンティックな言葉を支持した。
もっとも事実は(公表はされなかったものの)それほどロマンティックというわけではなかった。蝋人形さながらのエレナの死体は、乳房と尻に弾力ある素材が詰められて本物そっくりの手ざわりにまでなっており、膣の部分に性交が可能なほどの太さのチューブが付けられていた。チューブの先端には綿が詰まっていて、綿には精液が付着していた。
ナナは最後までコーゼルを「鬼畜、ひとでなし」と糾弾し続けたが、世論の効果もあって彼は無罪となった。ただし、エレナを彼の手に返すことはさすがにできるものではない。エレナは切断されて50センチ平方の箱に詰められ、コーゼルにふたたび墓を暴かれることのないよう、秘密裏に再埋葬された。
失意のうちにコーゼルは田舎にひっこみ、家の一角に聖壇を作って、唯一返してもらえたエレナのデスマスクをそこに飾った。彼は田舎でも毎日正装して、死せる花嫁のために飾る花を摘みに出歩いていたそうだ。
1952年、郵便受けに新聞が溜まっているのを発見した隣人が保安官に連絡した。コーゼルは聖壇の棺の前に倒れて死んでおり、すでに腐乱していたという。
海外で制作された「エレナ 究極のラブストーリー」ドキュメンタリー
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