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<未解決>日本で起こった不可解な失踪事件まとめ

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<未解決>日本で起こった不可解な失踪事件まとめ

Author:
johndoejohndoe
Posted date:
Update date:2017年06月28日
<未解決>日本で起こった不可解な失踪事件まとめ

泉南郡熊取町小4女児誘拐事件

2003年5月20日、大阪府熊取町で町立北小学校4年生の吉川友梨ちゃんが下校途中、行方不明となった。

 2003年5月20日、大阪府熊取町で町立北小学校4年生の吉川友梨ちゃんが下校途中、行方不明となった。最初に気がついたのは兄だった。午後5時になっても妹が帰ってこない。いつもなら当然帰宅しているはずの時刻だった。一家でこころあたりを捜したが見つからず、午後7時半頃に警察に通報した。警察は誘拐を想定して、自宅に張りついた。しかし一晩待っても電話はかかってこなかった。そのうえ、手がかりになりそうな情報も入ってこない。このため翌日、公開捜査を始める。


 友梨ちゃんは失踪当日、4年生の社会科見学で大阪市此花区の下水道科学館を訪れていた。学校に戻って解散したのが午後2時30分。そして友達3人と七山の前の信号で別れたのが、同57分。その2分後に自転車に乗った顔見知りの少年が友梨ちゃんとすれ違っている。自宅から400mの地点のことだ。だが、その後友梨ちゃんの姿はぷつりととぎれた。悲鳴を聞いたというような証言さえない。友梨ちゃんはいつも通っていたその先の食料品店「大阪屋」の前を通りすぎることはなかった。
 最初は事故という線も考えられた。しかし、周辺で交通事故が起こった形跡もなく、水路、溜池、林などを捜索したものの発見されなかった。こう見るとどう考えても車で連れ去られたという状況である。「大阪屋」の前を通らなかったことも、友梨ちゃんは自宅近くでは学校が指定した普段の通学路から外れ、車の通り抜けられない小道を通って帰宅する日もあったらしいということが後で分かっている。
 誘拐であっても、最初から友梨ちゃんを狙って待ち伏せしていたとは考えにくい。この日は社会科見学の日で、通常より30分ほど早く家路に着いていたのと、普段は上級生と家の手前まで一緒に帰っていたからである。
 
 事件に関連のありそうな目撃証言がないわけでもない。警察は、失踪当時、友梨ちゃんがいた道を走っていた不審車両の洗い出しを重点的に行っている。絞り込まれた車は5台。今も所有者がはっきりしない黒い乗用車、赤い乗用車、白いワゴン車、白い乗用車、白いライトバンである。特に午後3時前に友梨ちゃんの自宅方向へ猛スピードで走っていった車を追いかけている。捜査関係者によれば、「黒いセダン」。しかし、それに続くような証言がない。

出典:吉川友梨ちゃん行方不明事件

	

横山ゆかりちゃん行方不明事件

泉南郡熊取町小4女児誘拐事件

郡上市ひるがの高原キャンプ場女児不明事件

飛騨高地の南、岐阜県のほぼ中心に位置する郡上(ぐじょう)市。長良川の流域として知られる自然豊かな山岳丘陵地帯である。この地域では、江戸時代から続く伝統行事として、毎年7月半ばから約2カ月間にわたって「郡上おどり」と呼ばれる盆踊りが開催されている。そんな活気にあふれる田舎町で、2009年7月24日に奇怪な事件が発生した。
 場所は郡上市高鷲(たかす)町の「ひるがの高原キャンプ場」。学校行事の野外授業として同施設を訪れていた愛知県常滑市立常滑西小学校5年生の女児・下村まなみちゃん(当時10歳)が、忽然と姿を消したのである。彼女の同級生や学校関係者ら約100人が周囲にいる状況下、さらにはキャンプ場という開放的な場所で発生したこの事件は、多くのメディアで“現代の神隠し”として報道された。多くの謎に包まれたこの事件、一体まなみちゃんは、どこに行ってしまったのか……? 事件の顛末を順に追ってみよう。
 事件が起こったのは、夏休みに入ったばかりの金曜日。同校5年生の野外授業として、児童85人と校長・教員ら数名が前日の23日から隣県の同施設を泊まりがけで訪れていた。野外授業は毎年の恒例行事であり、この年も3日間のキャンプを予定。その2日目の24日午前7時半頃、この日の夜に予定されていた“肝だめし”の下見のため、まなみちゃんは同級生の女の子3人と一緒に出かけたという。しかし、午前8時頃、遊歩道をしばらく歩いていた同級生たちが、同行していたはずの彼女がいなくなったことに気づいたという。報道によれば、彼女は身長120cm、体重20kgと小柄で体も弱く、普段の学校生活においても、教員や同級生のバックアップを必要としていた。後日、テレビ番組に出演した母・益代さんによれば、まなみちゃんはダウン症を患っていたという。
 事件発生当時の状況を振り返ってみる。キャンプ場で最後にまなみさんを目撃したのは、同校の校長である。午前8時を回る少し前、まなみちゃんら4人は遊歩道にある林道のカーブに立っていた校長の前を通過。校長の証言によると、このとき彼女は、ほかの女の子たちから随分と遅れて歩いていたという。その姿を見て心配になった校長は、しばらくしてグループの後を追う。その直後、引き返してきた女の子たちから、まなみちゃんが行方不明になったことを知らされたのである。その間、わずか10分。たったそれだけの時間で、何者かが彼女の身を襲ったのだろうか?

 失踪の通報を学校から受けた岐阜県警は、すぐに同施設の捜索を開始する。約15万平米もあるキャンプ場全体には数百人もの捜査員が動員され、重機を使って崖までも切り崩すローラー作戦を展開。しかし、その甲斐もなく、まなみちゃん本人はおろか、彼女の所持していた物さえ一切発見されなかった。広大な森の中とはいえ、人通りのない早朝、同級生や校長らが近くにいる中での失踪は、まさしく“神隠し”としか言いようがない。
 一見平穏なキャンプ場で、短時間の間にまなみちゃんの身に起こった出来事は、いまだに謎とされている。例えば、同市の各地でツキノワグマの出没も目撃されていたことから、事件発生当初は「クマに襲われたのではないか?」との予想もなされた。しかしながら、警察の捜索で衣服や靴などが発見されていないことから、その可能性は極めて低いとみられている。現状で最も可能性が高いと考えられているのは、何者かが彼女をさらったとする誘拐説だ。その場合、偶発的にその場に出くわした人物、もしくは、同日に野外授業が行われることを知っていた人間が前夜~早朝にかけて施設に潜入し、グループから遅れて歩くまなみちゃんを発見し、拉致したということになる。非科学的な話を無視すれば、後者の説が有力だとは思うが、なぜそこにいたのか、誰の目にも留まらないように小学5年生の女の子を連れ去ることが可能か、など疑問は多く残る。

出典:【日本“未解決事件”犯罪ファイル】学校行事で訪れたキャンプ場、忽然と姿を消した女児……“肝だめし”下見中に一体何が起こったのか? - ライブドアニュース

	

2009年に起きた、岐阜県郡上市ひるがの高原キャンプ場で愛知県常滑市常滑西小学校の下村まなみちゃんが行方不明になった事件

			

郡上市ひるがの高原キャンプ場女児不明事件

			

坂出タケノコ掘り女児行方不明事件

坂出タケノコ掘り女児行方不明事件(さかいでたけのこほりじょじゆくえふめいじけん)とは、2005年4月29日に香川県坂出市で発生した、失踪事件。
坂出市の幼稚園児(事件当時5歳)がタケノコ掘りのイベント時に行方不明になった。

2005年4月29日、当時坂出市の五色台ビジターセンターでタケノコ掘りのイベントが開催され、女児は母親や姉と一緒に参加していた。
集合時間前の13時40分頃、女児は「もう1本取ってくる」と言い残し、竹林に走っていく。これが女児を目撃した最後の姿となった。
集合時間の14時になっても女児が戻ってこなかったため、他の参加者と付近を捜索するが発見できず、15時に五色台ビジターセンターから警察に連絡。その後15時45分頃から警察とともに付近の池や山林も捜索するが、発見には至っていない。

出典:

	

坂出タケノコ掘り女児行方不明事件

坂出市の幼稚園児(事件当時5歳)がタケノコ掘りのイベント時に行方不明になった。

大分県日出町主婦失踪事件

「大分日出町2歳女児行方不明事件」が発生する前日(?)、昨年9月12日──
大分県速見郡日出町大字大神に、夫(?)と10歳長男と7歳長女と住む、主婦(35歳)なる金木犀ママが行方不明になる事件が起きていた。
ちなみに、2歳女児の家である大分県速見郡日出町川崎から、2~3km(?)、車で7~8分(?)、メチャクチャ近い。
何でも、その金木犀ママ、9月12日午前9時45分ごろ、小学校から「長女の歯が欠けたので迎えにきてほしい」と連絡があり(??)、小学校へ黒いミニバンで向かった。
9月12日午前10時過ぎに小学校で長女を引き取り、一緒に歯科医院へ行って治療を終えた後、近くのスーパー、つまり、翌日2歳女児の失踪事件(?)が起こることになる大分県日出町川崎のスーパー「マルショク川崎店」へ向かった。
「何だか忙しい」とグチをこぼしているスーパーの防犯カメラには、9月12日11時20分、2人がお茶などを買う姿が映っている。
その後、9月12日午前11時30分ごろ、再び長女を小学校に送り(??)、長女に「気分が悪いから病院に行くね」と言って別れる。
乗っていた黒いミニバンが自宅にあったので、自宅に一度帰った。
ところが、その「子どもを置いたままどこかに出かけることなどはない」はずの金木犀ママが、忽然と消えてしまったというのである。
しかも、「悩んでる様子も家族不和の様子も見受けられなかった」のに、誰にも何も告げず、携帯電話を敷布団の上に置き、「几帳面で家の中にいても窓などの戸締りをするタイプだった」のに、家のドアや窓のカギを開けっ放しで、「出かける際に必ず使っていた」のに、車を残したまま金木犀ママは、家からいなくなったというから、ミステリー。
ただし、自宅と車のカギ、いつも持っているモノトーンのポーチ、 財布などが入っていたバッグ、長女がタオルケット代わりに使っていたバスタオル、いつも自分が使っていた枕を持って行ったというから、???
また、 室内に荒らされたような跡はなく、冷蔵庫にはスーパーで買ったお茶が飲みかけの状態で残っていたというから、やっぱりミステリー。
ちなみに、夫の話では、金木犀ママは行方不明となっている2歳女児とは面識がないとのこと。

さて、その後、「大分日出町2歳女児行方不明事件」では、その2歳女児の鳴り続けるオルゴールの遺体が、2月5日、母親の江本優子の供述通り、自宅から約2㎞離れた日出町大神の雑木林で発見され、誘拐が狂言であったことが判明。
ところが、目撃証言や物証がないうえ、死因も特定できず、大分県警や大分地検は、な、な、なんと情けなくてみっともないことに死亡経緯の解明を断念。
しかも、5月29日、1ヶ月前に離婚した母親、山口(旧姓江本)優子の判決公判では、大分地裁(真鍋秀永裁判長)が、「女児の尊厳と家族らの敬愛を著しく害した犯行で刑事責任は重いが、結果的に自白して家族らに謝罪しており、反省している」と、懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年)の気の遠くなるような温情判決。
こ、こ、これでは、ブームの母親による非情な子殺しを助長するばかり…。
いけない、いけない。また、話がそれてしまいそう。
どうあれ、東仙坊、予想通り、こうして「大分日出町2歳女児行方不明事件」は中途半端でも、一応何とか解決(?)。
しかしながら、この「大分日出町35歳主婦行方不明事件」、そして、「大分日出町高齢夫婦惨殺事件」がいまだに未解決のままというから、呆れないか?

出典:

	

大分県日出町主婦失踪事件

2歳児不明の町で…35歳女性も行方不明 2011年9月29日 21:24  
スーパーの駐車場で2歳の女児が行方不明になった大分・日出町で、女児が行方不明となった前日から35歳の女性が行方不明になっていることがわかった。

室蘭女子高生失踪事件

室蘭女子高生失踪事件(むろらんじょしこうせいしっそうじけん)は、2001年3月6日、北海道室蘭市で高校一年生(当時16歳)の女子生徒が失踪した事件。2012年7月現在、未解決のままである。


失踪当日の女子高生の行動 

正午過ぎ、「コーヒーの入れ方を習いに、アルバイト先のパン店(知利別町)に行く」と言い、自宅(白鳥台)を出る。
午後1時4分および午後1時26分、室蘭サティ(現・イオン室蘭、東町2丁目)の店内を歩く姿が防犯カメラに映っている。
午後1時30分頃、室蘭サティ前を歩いているところを同級生二人が目撃。
午後1時31分、「東町2丁目」バス停から道南バス・「中央町・工大循環線(外回り)」に乗ったとみられる。
午後1時40分、アルバイト先のパン店付近にある「東通り」バス停(知利別町1丁目)で降りたとみられる。
午後1時42分頃、PHSに連絡してきた友人に対して「今、下(『東通り』付近一帯の意味)に着いた」と話した。
午後1時46分頃、同じ友人が再度電話をかけた。「今は話せないから後でね」と答え、すぐ電話を切る。この交信はアルバイト先のパン店付近で行われていたことが判明している。何が原因で「今は話せない状況」になったかは不明。
その後の足取りは分かっていない。



行方不明直後、女子高生が訪れる予定があったパン屋のオーナーが何らかの事情を知るものとして注目を集めた。オーナーは「約束した午後1時に店に現れず、午後1時30分まで待ったが、現れないので自宅に帰った」と証言した。

しかし、マスコミはオーナーの発言を疑問視し、このオーナーが女子高生の失踪に関与したという疑惑の構図を描き、オーナーの行動・素行を調査・報道する社が出てきた。

報道ではオーナーはその日にガソリンスタンドで給油しており、車の燃料の減りぐあいから家との往復しかしていないことが警察から発表され、オーナー宅の近所の人が自宅に駐車されている車などの目撃証言などが出て疑惑が薄らいだ形で終息された。[要出典]その後パン屋は報道被害のせいか閉店になり又オーナー自身自己破産となってしまった。[要出典]   尚、この事件により重要参考人扱いを受けたオーナーだが、現在、別の場所にて飲食店を経営している。

出典:室蘭女子高生失踪事件 - 室蘭女子高生失踪事件の概要 - Weblio辞書

	

伊勢市女性記者行方不明事件

三重女子高生失踪事件とは、1997年6月、三重県多気郡明和町で三重県立松阪工業高等学校に通う高校3年生の女子生徒北山結子さん(事件当時17歳)が失踪した事件。事件直後に婦女暴行の前科のある人物が最重要人物として浮上して容疑者として逮捕されたが証拠不十分で釈放される事態となり、2009年12月5日時点で未解決事件になっている。

事件の経緯
1997年6月13日夜8時過ぎ、女子高生北山結子さん(当時17歳)は、同町斎宮の学習塾の採点のアルバイトを終え、テスト勉強のため友人宅へ向かう途中に、付近の公衆電話から友人宅に電話をした(通話記録により判明)。アルバイト先の塾から自転車で友達の家に向かったのを最後に忽然と姿を消した。

6月14日午前0時頃、北山結子さんの自宅に友人から、「まだ来ていない」と連絡。家族全員が捜しても見つからず、午前2時頃、警察に通報。

北山結子さんの友人はポケベルでAにメッセージに送り、それぞれの家の電話番号を入れていたが、事件に巻き込まれた可能性もあり、不用意に番号を入れない方がいいとの判断で、途中からはメッセージだけにした。しかし、友人1人だけはメッセージに自宅の電話番号を入れ続けた。

すると6月16日以降、メッセージに自宅の電話番号の入れ続けていた友人宅に何度も電話がかかるようになった。当初は無言電話だったが、その内に電話口に男が出て「北山結子さんさんは駅に送って別れた」と応じるようになった。男はAのポケットベルを持っている理由について「北山結子さんさんに5万円貸し、ポケットベルはその担保として預かった」などと話していた。さらに「会ってもいい」と言ってきた。

6月25日夜に「ポケベルを返す、取りに行ってくれ」と電話があり、友人と母親が指定されたバス停で北山結子さんのポケベルを発見したが、金属製のハローキティーのキーホルダー取り付けていた金色の鎖が無くなっていた。キーホルダーは鈴の音がすることや若い女性の持ち物であることを証明することになってしまうので、怪しまれると感じた人物が故意に取り外したと考えられた。

6月27日午後8時頃、「ポケベルはちゃんと受け取ったか」と男から電話があったが、この電話を警察が逆探知に成功。公衆電話前にいた自称露天商手伝いの無職の男性(当時40代)を確認。電話の声とこの男の声紋が一致し、ポケットには北山結子さんのものと家族が断定する白地に青色の柄のハンカチを持っていたため逮捕された。逮捕の際、暑い夏において男が両手に手袋をはめていたなど不自然な点もあった。

さらにこの男は婦女暴行の前科で懲役12年で服役した人物であることが判明。さらにワゴン車内に北山結子さんのものと見られる漢和辞典と毛髪約100本や繊維片を採取された。男は普段は松阪市内のガソリンスタンドを週1回のペースで利用していたが、事件のあった6月は12日、15日、17日に頻繁に給油をしていることも判明。また6月13日以降の伊勢市内の有料道路「伊勢二見鳥羽ライン」の領収書が車に残されていた。

以上のような点が浮上していたが、女子生徒の行方も分からず、それ以上の証拠がなかったため、7月18日に男は証拠不十分で釈放された。そして未解決事件のままです。

出典:

	

坪野鉱泉失踪事件

1996年(平成8年)5月5日に氷見市在住の女性2名が家族に「肝試しに行く」と告げて外出し、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」とメッセージを送ったのを最後に行方が分からなくなるという事件が発生した。

富山県警察は、「肝試し」「魚津市にいる」というキーワードから、2人は魚津市にある廃墟となった坪野鉱泉旅館跡に出向き、その後失踪という結論に至り、事件・事故の両面から捜査を行った。しかし事件から1年後である1997年(平成9年)5月4日時点で手がかりが何もないことが『読売新聞地方版・富山よみうり』にて、「少女不明から1年」と題して2日間に渡って地域ニュースの特集記事として報じられた。

紙面では更に、女性の片方が所有し失踪当時運転していた乗用車が発見されないことから、県警ヘリと山岳捜索隊を組織し、崖下など車が転落しそうな地点を捜索したが発見に至らず、当時の坪野鉱泉が暴走族のたまり場であったことから事件に巻き込まれた可能性もあるとしている[2]。
また、記事中では、
坪野鉱泉旅館跡地は週末になると石川県、新潟県、福井県、岐阜県など他県からの暴走族が集会に集まる場所となっていること
地元民から治安上不安な場所として不安視される声が出ていること
敷地内はガラスが割られ、落書きされ、立ち入り禁止を示すロープなどは切断されるなど危険な場所となっていること
などが紹介されている。

出典:

	

横浜市旭区小3女児失踪事件

15年前の10月1日、ひとりの幼い女の子が母親の前から姿を消した。突然の出来事だった。幸せな家族が、一転して暗闇の世界へ。
 活動を始めて10年目に、「月刊お母さん業界新聞」を創刊した。お母さんって何? 母親の原点に還ってみようと本気で考えた。母親の視点とジャーナリズムにこだわり始めていた。
 そんなある日、心のどこかに留めていた香ちゃんの事件が蘇った。
ずいぶん前のことになる。当時5歳だった娘が上野動物園で迷子になった。ちょっとしたスキのことだった。足がガタガタ震えて止まらない。娘がいない30分、それはとてつもなく長い時間。何ひとつできない無力の私がそこにいた。
 母親、新聞、経験。偶然の必然性か。とにかく、じっとしていられなかった。
 お母さんの長年の苦悩を理解することも、分かち合うこともできない。でも、同じ母親として、私たちにできることはないか。母親だからこそできること、感じること。
 たとえば子どもたちに、この事件の話をしよう。母親が真剣に話せば子どもは考える。命の大切さ、母親の愛。私たち母親がアクションを起こせば、周りの人もきっと動いてくれるはずだ。
 子どもを守れるのは大人だ。かけがえのない命。香ちゃんを捜すために、みんなの力を・・・。

出典:香ちゃんを捜してください!

	

野村 香

年 齢昭和58年3月30日生まれ
現在22歳
行方不明当時 8歳
特 徴ショートカットヘアー
目がくりっとしている
服 装白色のヨットパーカー
紺色のジーンズのスカート
ピンクの長靴
所持品薄茶色に青と白のチェック柄の傘
赤色のキティちゃんの絵入りバック

福島小2女児失踪事件

1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった。事件から10年以上経った今も発見につながる情報はない。


 ここで事件当日の状況を整理しておく。

 この夜、家には賢一さんと妻ヨシ子さん、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、賢一さんの姪(当時17歳)、そして賢一さんの建築会社の従業員で姪の恋人のK(当時20歳)の9人の他、ヨシ子さんの友人の子供2人(女の子)が泊まりに来ていた。


 昼過ぎ、姪は実家のある郡山市に出かけており、その後家にはいなかった。

 夕方、Kの部屋で舞ちゃんたちはテレビゲームをして遊んでいた。

 午後9時ごろ、舞ちゃんの祖父母は1階洋間のKの部屋の電気が消えるのを見た。また、同じ頃、2階の部屋で賢一さんは長男・次男が寝始めた。

 9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、カラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。

 9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字となって、2階の洋間で寝た。両親や兄弟の眠る隣の部屋である。

 10時30分頃、ヨシ子さんが舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットを掛け直した。その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが南の方に歩いていくのを目撃した。ヨシ子さんはたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。そしてヨシ子さんは賢一さんや長男らの眠る部屋に行き、横になった。

 翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアは開いていたので施錠した。祖父母は2階にやってきて「Kがいない」と賢一さんを起こすが、「明日聞くから」とまた寝てしまった。

 午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた子供が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。

 午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし、郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた」というものだった。  Kはその後、2週間に渡る取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。

出典:石井舞ちゃん行方不明事件

	

石井舞

1991年7月25日、福島県船引町で建築業を営む石井賢一さんの長女・舞ちゃん(当時7歳)が深夜、家から行方不明となった。事件から10年以上経った今も発見につながる情報はない。

三重小2女児失踪事件

事件は、1991年3月15日、三重県四日市市に住む、加茂前芳行さんの三女ゆきちゃん(当時8歳)が、突如、姿を消した。まだ寒さが残る3月にもかかわらず、ゆきちゃん愛用のピンク色のジャンバーが残されたままであった。


事件当日、ゆきちゃんは友達と一緒に学校を出て、自宅に帰宅したのが午後2時頃。その時間、自宅には夜勤を控えていた父親がいたが眠っていた為、ゆきちゃんが帰宅した事には気づかなかったと言う。


そして午後2時半頃、パート勤めの母親が自宅に電話を入れており、その時ゆきちゃんが対応している。


午後4時前、次女が帰宅。ゆきちゃんの姿は見えず、テーブルには飲みかけの温かいココアが置いてあった。


午後4時半前、父親起床。ゆきちゃんはいなかったが、遊びに出かけてると思い、帰宅した長女と入れ違いで出勤。その後、母親が帰宅。


夜になってもゆきちゃんが帰ってこないので、午後8時、心配になった母親が警察に捜索願を出した。


不審な点がいくつかある。ゆきちゃんが大好きなココアが残されていたことや、外出時、ゆきちゃんがいつも愛用していたピンク色のジャンパーと、いつも乗って出かけていた自転車が自宅に残されたままであったこと。それに、下校時、ゆきちゃんは友達から遊びに誘われているが、「約束があるから行けない」と断っていた。


そして事件から3年後、自宅に怪文書が届く。


それは、「トミダノ股割レ」なる人物が犯人だとする内容であり、怪文書は平仮名、カタカナ、漢字が入り乱れ、暗喩も沢山使われており、解読は難しく、不気味なものであった。送り主は誰だか分かっていない。
以下、怪文書全文である。


ミゆキサンにツイテ ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
裏口ニ立ツヨウニナッタ
イまハー ケータショーノチカクデ
四ツアシヲアヤツツテイル
ツギニ
スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ  アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメス  にナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動い  タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム チャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ トオモウ
ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ 平和希求トハチガウ
ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広い ダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり
時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス コトモアル、一片の良心ガアル、罪悪ヲ カンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル オスヲ探しツヅケルマイニチ
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタ コトハマチガイナイ
確証ヲ掴ムマデ捜査機官に言フナ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト 事件ガ大キイノデ、決シテ イソグテバナイトオモウ。
ヤツザキニモシテヤリタイ 股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番 トホトイトキダ


怪文書中の「トミダノ股割レ」とは、富田(四日市市富田)に住む「股割レ」(性風俗)、に勤める者を指しているという意見が多いようだ。この送り主は、何を考え、わざわざこのような読解不明な文書を送ってきたのだろうか。ゆきちゃんのご両親の事を思うと、心痛まれる。


その後も、福岡在住という霊能者が捜査協力をすると名乗っておきながら、数日後、一方的に断るという出来事が起きている。さらに事件から12年後の2003年には、加茂前さん宅に男から不審な電話がかかってくる。その電話の男は、自分の特徴を「パンチパーマ」と言っており、これは捜査関係者を驚かせたという。なぜなら、事件当初、捜査関係者がマークしていたのは、「白のライトバンに乗ったパンチパーマの男」であり、この事は一切報道されておらず、関係者にしか分からない事であった。

出典:

	

怪文書

怪文書は3枚から成り、紙に鉛筆書きの上からボールペンでなぞってある。 
下の画像は怪文書のコピーの一部である。

徳島男児失踪事件

1989年3月7日、徳島県貞光町の親戚宅にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が親の目の離した40秒の間に忽然と姿を消した・・・。



 松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。

 この年の3月5日、圭子さんの実母が急死し、6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の圭子さんの親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。

 翌7日午前8時頃、正伸さんは3人の兄弟と従兄弟の子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。
 正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。この間、40秒ほどである。
 伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることが出来なかった。それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることが出来ず、午前10時に警察に通報した。
 
 当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
 ちなみに伸矢 くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。

・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない。
 貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。

出典:松岡伸矢くん行方不明事件

	

1988年に福岡県飯塚市で発生した女児失踪事件

本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人宅(K宅)に遊びに行ったのを最後に行方不明になる事件が発生[20][21]。本件で逮捕後のKをポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された[20]。Kは事件当日に女児と会っていた事は認めたが、行方については知らないとした。その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。

出典:飯塚事件 - Wikipedia

	

水戸ミス梅むすめ行方不明事件

1986年(昭和61年)「ミス梅むすめ」に選ばれたOLの大畠美智子さんが、行方不明になった事件。
ある場所で、その人と同じ血液型の血がついた毛布が発見されたが、肝心の本人(あるいは遺体)は見つかっていない。
彼女に言い寄っていた職場の上司が疑われ、相当厳しく取り調べられたが、ちゃんとアリバイがあり、これは全くのシロと判明。それ以外には、交際してた人もいなく犯人の見当もつかなかった。

1986年12月26日に、勤めていた会社を退社。そしてそのまま行方不明である。事件に巻き込まれたのか、計画して失踪したのかは未だにわかっていないが、友人達と旅行の計画も立てており、失踪とは考えにくい。

この方は北朝鮮による拉致の可能性はないのだろうか?

出典:

	

1984年に埼玉県秩父市で発生した男女3人の失踪事件

関根の周辺では1984年にも秩父市などで少なくとも3人の男女が失踪している。埼玉県警は関根らの供述に基づき、遺体の捜索を行ったものの発見できず、立件されていない。なお、この他にも数名の失踪者や変死者がいるが、ここでは一般紙等で関連を報道された3件のみを記す。
2月11日 - 秩父市の暴力団員E(当時51歳)が失踪。関根の兄貴分で、金銭トラブルがあった。関根が資産家の娘である風間と結婚する際、協力すれば報酬を支払うとEに持ちかけた関根であったが、実際には支払わず、トラブルになったという。2月11日、「ちょっと出てくる」と言って、自宅に迎えに来た車に乗って出掛けたまま失踪した。周囲には「近く、でかい金が動く」などと話していたという。
5月8日 - 秩父市のトラック運転手F(同28歳)が失踪。Fは関根が秩父で経営していたペットショップの店員をしていたことがある。関根がFの名義で店の看板を作ったことから、代金の取り立てに遭い、関根に立て替えた看板代金の返済を要求していた。近所のガソリンスタンドで関根からの電話を受け、返済を約束されて出掛けたまま失踪した。
6月上旬 - 深谷市のスナック経営者G(同47歳)が失踪。関根の知人である元自衛官の妻。元自衛官がGの高級外車を勝手に売却するなど、夫婦間で金銭などをめぐるトラブルがあった。周囲の知人らが気付かぬ間に失踪した。元自衛官の証言によれば、夫婦喧嘩で殴って死なせてしまい、関根に遺体の処理を依頼したという[23]。この事件については、関根は死体損壊・遺棄にのみ関与したとみられている。
元自衛官は警察の調べに対し、EとGの死体損壊・遺棄に関与し、関根が解体した遺体を、自分が荒川に遺棄したことを証言(F事件への関与は否定)。その供述を元に、1995年4月、捜索が行われた。しかし、11年の歳月が流れていたことに加え、遺棄現場とされる冠水橋の(旧)押切橋が1991年に取り壊された際、川底が浚われたことから捜索は難航。5月には遺体の解体・焼却現場とされる熊谷市の旧犬舎も捜索したが、目ぼしい物証は発見できず、未解決事件となった。
しかし公判では、関根・風間が「Eだって殺してから10年経つけど、未だに警察は迎えに来ない」との認識を共有し、A殺害を決意したと認定され、未解決事件への関根・風間の関与を示唆した。証人出廷した元自衛官の「関根の指示でEの遺体を焼却、遺棄した」との証言も信用できるとされた。

出典:

	

自衛隊機乗り逃げ事件

自衛隊機乗り逃げ事件(じえいたいきのりにげじけん)とは、飲酒した陸上自衛官が航空機に乗って飛び去り、機と一緒に行方不明になったという不可解な事件。なお、乗り逃げした機体および自衛隊員が発見されることはなかった。


1973年6月23日の午後9時頃、栃木県宇都宮市にある陸上自衛隊北宇都宮駐屯地(宇都宮飛行場:RJTU)の滑走路から、突然LM-1型連絡機が離陸した。夜間のことであり、管制塔が閉鎖されていたため、大騒ぎになった。隊内の調査で、同駐屯地に駐屯していた航空学校宇都宮分校(現宇都宮校)所属の整備員3等陸曹(当時20歳)が飲酒の上、行方不明となっていることが判明した。飛行機は南に向かって飛び立ったのが目撃されているが、レーダーでは捕捉されず、かなりの低空飛行だったと推測されている。
無線の使い方がわからなかったのか、意図的に応じなかったのか定かではないが、呼びかけにも応答せず、同機に搭載された5時間20分相当(航続距離 1,300 キロメートル)の燃料が尽きたため、墜落したと思われる。
格納庫は緊急事態に備えるため、閂がかかっていただけで施錠はされていなかった。3等陸曹は整備士として副操縦席に搭乗経験があったのみで操縦訓練は受けておらず、搭乗経験もLM-1では2時間10分しかなく、しかも酒が入った状態で単独で夜間飛行でき、市街地に墜落しなかったこと自体が奇跡であった。防衛庁・陸上自衛隊は、彼が酔った勢いで突如航空機を操縦してみたいという衝動に駆られ、乗り逃げしたものと断定した。
1ヶ月間にわたる捜索でも機体は発見できず、8月1日付けで同人は生死不明のまま懲戒免職とされた。なお、関係者7人も航空機の管理責任を問われる形で処分されている。

出典:

	

乗り逃げされたLM-1の同型機

自衛隊機乗り逃げ事件

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