金持ちの未亡人を狙った殺人鬼「アンリ・デジレ・ランドリュー」とは

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アンリ・デジレ・ランドリュー

1914年から1919年にかけて10人の女性と1人の少年を殺害した映画「チャップリンの殺人狂時代」のモデルともなった通称「レディー・キラー」と呼ばれるフランスの殺人鬼。犠牲者のほとんどは貯蓄のあった未亡人で、彼は男女交際のための新聞広告を出し網にかかった彼女達を殺害しては金品を奪っていた。

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アンリ・デジレ・ランドリュー

			
ランドリューは両親の血筋を継ぐ真面目な青年だった。彼は24歳の時、従妹レミーが懐妊して結婚。子供は4人儲けた。ランドリューは妻子を養う為に建築事務所でこつこつと働いた。処が給料から天引きされる積立貯金を雇用主に持ち逃げされて、悲嘆に暮れる。この事件が彼を詐欺等の犯罪に手を染める引き金になったようだ。

 以後、ランドリューは詐欺等の犯罪を重ね、短い期間の服役を断続的に繰り返した。特に悪質だったのが、新聞に求婚広告を出し、網にかかった未亡人から持参金を詐取した罪で懲役を喰らっている。所謂結婚詐欺である。

 彼が入獄中、両親が立続きに亡くなった。まず母親が死に、父親は息子の罪を恥じて自殺した。これはランドリューには堪えられないことだった。心に深い傷を負った彼は、これを機に行動の自制回路が壊れたようだ...。

 彼は証拠が残らなければ捕まる筈がないと踏んだ。証拠を残さない為には殺して燃やせば良いのだ...。全ては家族を養う為だった! かくて“青髭ランドリュー”が誕生したのである。

出典:2012年06月02日のブログ|アラフォー世代が楽しめる音楽と映画

	

ランドリューと犠牲者たち

ランドリューは1869年、パリに生まれた。両親はとにかく真面目で、嫡子である彼もその気質を受け継いでいた。20歳の時に従妹とデキて妊娠させると、真面目な彼は責任をとって結婚する。そして、妻子を養うために建築事務所を構えるのだが、仕事はまったくダメだこりゃ。このままでは一家6人が路頭に迷う。彼が詐欺に手を染めるようになったのはこの頃からである。

 1902年から1914年にかけて、彼はムショとシャバを繰り返し行き来する。ムショで更に悪い知恵をつけ、新たな詐欺に手を染めたのだ。我が子を恥じた父親は自殺。これを機に、彼は小悪党から大悪党へと脱皮する。

「お父さん、見ていて下さい。今度こそは捕まらずに家族をしあわせにしてみせます」

 かくして「青髭ランドリュー」が誕生したのである。


 彼の最後の服役は結婚詐欺によるものだった。どうして捕まったのか? 証拠を残したからだ。ならば、残さなければよい。殺してしまえばいいのだ。

 その犯行は他の「青髭」型殺人者、例えばベル・ガネスやベラ・キスとまったく同じで、新聞に広告を載せることから始まった。


「当方、子供が二人いる男やもめ。十分な収入があり、愛情豊かで真面目、社交界に出入りあり。結婚を前提に未亡人と付き合いたし」


 カザノヴァとは程遠い「ハゲ・チビ・ヒゲ」のランドリューがモテモテだったのは、ひとえに第1次大戦のおかげである。多くの中年女性が戦争で伴侶を失っていたのだ。そんな彼女たちは安定した将来を約束してくれる(筈の)ランドリューのような男を求めたのである。


出典:2012年06月02日のブログ|アラフォー世代が楽しめる音楽と映画

	

被害者

1915年 4月 ?日  ジャンヌ・クーシェ

              アンドレ・クーシェ(ジャンヌの息子)

 1915年 6月25日  テレーズ・ラポルド=リネ

 1915年 8月 3日  マリー・ギラン


 ギラン夫人を手掛けた後、ランドリューは本格的な「仕事場」をパリ郊外のガンベに借りた。後に「青髭城」として観光名所となるエルミタージュ荘は、隣家から300mも離れており、彼が「仕事」をするには打ってつけだ。併せて大型のストーブと大量の石炭も購入。もちろん遺体を焼却するためである。


 1916年12月 ?日  エオン夫人

 1916年12月27日  アンナ・コロン

 1917年 4月12日  アンドレ・バブレイ

 1917年 9月 1日  セレスティン・ビュイッソン

 1917年11月26日  ルイーズ・ジョウム

 1918年 4月 5日  アン・マリー・パスカル

 1919年 1月13日  マリア・テレーズ・マルシャディエ

出典:殺人博物館〜アンリ・デジレ・ランドリュー

	

遺体を焼却したストーブ

			
一方、ビュイッソン夫人の妹は、姉が婚約者とガンベを訪問して以来、音沙汰がないことを心配していた。町長に問い合わせたところ、同じような問い合わせが他にもあるとのことである。いったいどういうことだろうと考えていると、見覚えのある「ハゲ・チビ・ヒゲ」が他の女と腕を組み、パリの鋪道を歩いているのを目撃した。

「あっ、あいつだ!」

 彼女はその足でパリ市警に駆け込んだ。

 彼女の訴えに耳を傾け、殺人の疑いありと判断したベラン警部は「ハゲ・チビ・ヒゲ」のマンションへと踏み込んだ。男は裸の女とベッドの中にいる。ドギマギした警部と部下は一旦は引き下がり、そして顔を見合わせた。

 どうしてこんな男がモテるんだ?

 大きなはてなマークが警部の頭上に浮かんでいる傍らで、男はシャツを着ながら平然と鼻歌など口ずさんでいやがる。

「さらば~我が愛しき食卓よ~ラララ~」

 そして、女に長い長いくちづけをした。これを目撃した警部は、彼が何らかの犯罪に関与していることを確信した。あまりにも「逮捕慣れ」していたのである。

出典:殺人博物館〜アンリ・デジレ・ランドリュー

	

逮捕

逮捕されたランドリューは車でパリ市警まで護送された。途中、ベラン警部は彼の様子がおかしいことに気づいた。どうやら上着のポケットにある何かを車外に捨ててしまいたいらしい。警部は彼の手首を押さえつけ、黒い手帳を押収した。

「どうしてこれを捨てたいのかね?」

 警部はそれをペラペラとめくると顔面蒼白になった。それは総勢283名にも及ぶ女性の詳細なデータベースだった。警部は予想以上の大物を釣り上げてしまったのだ。

 283名を調べ上げると行方不明者が10名いた。ランドリューを問いつめると全面的に黙秘した。彼は死体さえ見つからなければ有罪にならないと信じていたのだ。この辺りはジョン・ジョージ・ヘイグとよく似ている。一切を知らぬ存ぜぬで押し通した。「青髭城」も捜索されたが手掛かりはなし。ストーブの中から若干の骨片が発見されたが、人間のものとは断定出来なった。

出典:殺人博物館〜アンリ・デジレ・ランドリュー

	

この事件のモデルともなった映画「チャップリンの殺人狂時代」とは

『殺人狂時代』(さつじんきょうじだい、Monsieur Verdoux)は、1947年のアメリカ映画。製作・監督・脚本・主演チャールズ・チャップリン。原案オーソン・ウェルズとクレジットされている。

出典:殺人狂時代 (1947年の映画) - Wikipedia

	
	

殺人狂時代