黒人女性ばかりを監禁、拷問した「ゲイリー・ヘイドニク」とは
ゲイリー・ハイドニック
ゲイリー・マイケル・ハイドニック(Gary Michael Heidnik、1943年11月21日 - 1999年7月6日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯、強姦犯。ヘイドニック、ハイドニクとも表記される。異名はハンバーガー司祭。1986年11月から1987年3月にかけての5ヶ月間にわたって、黒人女性に自分の子供を産ませるためにフィラデルフィア市内のスラムの自宅の地下室に6人の売春婦を監禁。強姦、暴行、虐待などを加え、そのうちのふたりを殺害した。その犯行の動機の異常さから、世界の犯罪史に独特の地位を占めている。
少年期
オハイオ州クリーブランド郊外で金型製造業の父マイケルと美容師の母エレンとの間に長男として生まれた。ゲイリー誕生の1年半後、弟が生まれたころから両親の間で諍いが絶えず、2歳の時に離婚が成立した。原因はアルコール依存症の母親の浮気で、相手が黒人男性であったことから、幼い兄弟は父親から人種差別の念、とりわけ黒人蔑視の感情をことあるごとに聞かされて育った。ちなみに母親は、その後、2人の黒人男性と再婚したのち、ガンを苦にして服毒自殺している。ハイドニックは事件後、父親は異常なほど厳格かつ冷酷な男で、子供の自尊心を傷つけるようなことを平然と繰り返していたと語っている。また、弟のテリーによると、子供のときに木から落ちて頭の形がいびつになったため、クラスメートから「フットボール頭」などと呼ばれてからかわれていたという。父のマイケル・ハイドニックは、息子の事件を知った後、取材に訪れた記者にこう述べている。「あの男は狂っている。ゲイリーが本当にそんなことをしでかしたのなら、さっさと死刑にしてもらいたい。私が電気椅子のスイッチを入れたいくらいさ」。13歳のとき、軍隊と戦争に熱中するようになり、サイズの合わない軍服を着たり、戦争関係の本を読み漁るようになる一方、株式投資にも並々ならぬ関心を抱き、新聞の株式欄や専門書を読んで本格的に研究しはじめた。14歳になると、将来の目標を軍人になることと思い定め、名門のミリタリー・スクール(軍隊組織の私立学校)、スタントン・ミリタリー・アカデミーへ進学。そこでめきめき頭角をあらわすが、最終学年になって突然、理由を告げずに中退してしまう。その後、実家に戻り、地元の高校に編入するが、兵役に就ける年齢になると直ちに退学してアメリカ陸軍へ入隊した。
青年期
陸軍へ入隊したハイドニックは、衛生兵として訓練を受け、好成績を上げる一方、すぐに仲間の兵士相手に高利貸しを始め、一時は利子だけで給料を上回る収入を得ていた。しかし、このことが陸軍上層部に知られたため、借り手から金を回収するまえに懲罰としてドイツ・ランツタールの駐留部隊へ転属させられた。しばらくは大人しくすごしていたが、このころから彼は重度の精神疾患にたびたび見舞われるようになる。結局、1963年に陸軍を名誉除隊となり、軍人復員庁から支給される精神障害者年金の満額受給資格(月約2000ドル)が認められた。除隊後は、フィラデルフィアに移り住み、看護師養成所でトレーニングを受けて看護師資格を取得したほか、ペンシルベニア大学で心理学や商法、経営学などの単位を取得していたが、この間にも13回に及ぶ自殺未遂や、精神病院への入退院を20回以上も繰り返している。彼の診察に当たった精神科医らは、その独特の奇行(神経性の顔面痙攣、長時間の沈黙、派手な仕草で軍隊式の敬礼をする、など)を、「ハイドニキズム」と呼んでいた。自殺未遂や入退院を繰り返す一方、高額の年金を得たハイドニックは、少年時代より関心を寄せていた株式投機に本格的に乗り出し、IQ130という明晰な頭脳を武器に、数千ドルの元手から50万ドルの資産を築いた。株式投資家としてのハイドニックは、プロのコンサルタントも舌を巻くほどの理論家であり、このことがのちの殺人事件の裁判で彼に不利に働く材料の一つとなった。
1971年に入ると、ハイドニックは宗教法人「神のしもべ統一教会(United Church of the Ministers God)」を設立している。ハイドニク本人によると、教会設立のきっかけは「カリフォルニアの海を眺めているとき、神が私に教会を開き、子供を作れと告げた」ということであったが、宗教法人に対する免税措置も目的の一つであった。教会を設立した彼は、熱心にスラム街で信者獲得に励み、教会兼自宅に会衆を集めて短い説教をした後、彼らを教会所有のバンに載せてマクドナルドへ行き、ハンバーガーを振る舞っていた。このことから、スラム街の住人たちはハイドニックのことを「ハンバーガー司祭」と呼ぶようになる。
1978年、信者の知恵遅れの黒人女性を妊娠させたうえ、不法に監禁し、虐待を加えたかどで逮捕、懲役3年以上7年未満の実刑判決を受けた。被害者の女性はひどく衰弱していたが、女の子を出産している。ただし、母親には養育能力がないとして州当局により養子に出されてしまった。ハイドニックは彼女以外にも3人の女性(いずれも知恵遅れ)に子供を産ませていたが、同様の理由で施設の保護下に置かれており、ハイドニックの子供への執着は一層深まるばかりだった。実刑判決を受けたハイドニックは、その期間をほとんど精神病院で過ごしたのち、1983年に仮釈放される。その後は結婚斡旋所の紹介でフィリピン人女性と結婚するが、ハイドニックの性欲の強さと浮気に耐えられず、たった3ヶ月で離婚してしまう。このとき、彼女はハイドニックとの子供を宿していたが、ハイドニックには伝えず、男の子を出産後、手紙でそのことを伝えた。この時点で、ハイドニックの子供への執着は危険なまでに高まっていた。
犯行
1987年3月24日、アパートの一室の扉を狂ったように叩く黒人女性の姿があった。部屋の主である男が出てみると、そこには去年の11月以来会っていなかった、ガールフレンドのジョセフィーナ・リヴェラが震えながら立っていた。
しかし何より彼を驚かせたのは、ジョセフィーナがまるで別人のようになってしまっていたことである。彼女は痩せこけ、目ばかりがぎらぎらして傷だらけだった。そして部屋に入れてもらった彼女は、驚くべき話を始める――。
4ヶ月前の11月20日、ジョセフィーナは同棲中のボーイフレンドに「買い物に行ってくる」と言って、家を出た。
しかし実際には、彼女が向かったのはショッピング街ではなく、夜の通りだった。彼女は娼婦で、3人の子供を養わなければならなかったのだ。
やがて彼女に声をかけてくる男があった。男はキャデラックで彼女の脇に乗りつけ、窓から顔を出して「いくらだい」と訊いた。
軽口混じりに値段の交渉をしながら、ジョセフィーナは男を品定めした。白人で身なりは上等、ロレックスの腕時計まで着けている。これは滅多にいない上客だ、と踏んだ彼女は男の車に乗り込んだ。
キャデラックはノース・マーシャル通りの彼の自宅の前で止まった。
ジョセフィーナと男はそこでセックスし、事が済むと、彼女は服を着て出ていこうとした。男が豹変したのは、その時である。
男は彼女の首を鷲掴み、ぐいぐいと絞めつけた。ジョセフィーナは悶絶し、気絶寸前にまで追い込まれた。
朦朧とした意識がやっとはっきりした時、彼女はすでに地下室へと引きずって行かれている最中であった。ジョセフィーナは手錠と足枷をはめられ、鎖を地下室の下水管に繋がれた。
男がコンクリートの床に穴を掘るのを見て、彼女はきっとそこが自分の墓穴になるのに違いない、と思って泣いたが、男は優しいとも言える口調で、
「これは、お前が逆らった時のお仕置き用さ。僕に反抗しなければ、ひどいことはしやしないよ」と請け合った。
そして男は、こうも言った。
「僕が何より欲しいのは家族なんだ。白人女に興味はない。黒人の女を沢山――そうだな、10人くらい集めて、子供を産ませたい。きっと素敵な大家族になる」。
彼が語ったところによると、彼は以前にも黒人女性と結婚しており子供もいたが、妻の姉を強姦した罪で投獄されたのだという。しかしそれはでっち上げで、実に不公平な裁判だった、と彼は言った。妻の妹と自分は自由恋愛をしていたのであり、裁判にかけられるいわれなどまったくなかったのだ、と。
しかし彼の言葉の端々から、彼の元妻はどうやら精神薄弱者であり、妻の姉は精神病患者であったらしいことがうっすらと知れ、ジョセフィーナは背筋が寒くなった。
男はさらに、吐き捨てるようにこう言った。
「社会は、僕に借りがある。僕に妻と家族を与える義務があるんだ」
そしてゆっくりとジョセフィーナを振り返り、彼は笑った。
「僕たちは、幸せなひとつの家族になるんだ」
男の名はゲイリー・ヘイドニク。43歳で、新興宗教の司祭であった。
監禁初日、ジョセフィーナは何度もヘイドニクに強姦され、オーラル・セックスを強要された。ヘイドニクが地下室を去ってから彼女は窓に打ちつけられた板をなんとか剥がし、声を限りに助けを求めた。しかしその悲鳴は近隣の住民には無視された。
代わりに下りてきたのはヘイドニクで、彼女はさんざんぶちのめされたあと、掘ってあった例の穴へ放り込まれた。彼はラジオのヴォリュームをいっぱいに上げて出ていった。もう彼女がどんな大声でわめこうが、その大音量でかき消されて外へは届かないに違いなかった。
3日後、2人目の囚人が地下室に加えられた。
彼女はサンドラ・リンジーという24歳の黒人で、精神遅滞の気味があった。またヘイドニクとは何年もの間付き合いがあり、彼の子供を妊みごもったことすらある女であった。彼女が内緒で堕胎手術を受けたことがわかるとヘイドニクは烈火のごとく怒り、彼女を叩き出したが、自分の子供を今度こそ産ませようと思いなおし、拉致してきたのである。
サンドラは元恋人であるヘイドニクがなぜこんなひどいことをするのか、いまひとつぴんときていないようであった。
ヘイドニクはさらに次々と女性を地下室へ送り込んできた。
そのすべてが黒人であり、ほとんどが売春婦だった。彼女達はジョセフィーナと同じように手錠と足枷で拘束され、鎖で繋がれた。
地下室は底冷えのする寒さで、裸電球が吊るされているだけであった。食事は水とドッグフードとパンのみ。そして毎日毎日、ヘイドニクに犯され、鞭打たれ、口で彼に奉仕しなくてはならなかった。
3月末には、地下室の「捕虜」たちは、6人になっていた。
彼女達はヘイドニクの性欲だけでなく、彼のサディスティックな支配欲をまで満たさせられる羽目になった。ヘイドニクは誰がもっとも自分に従順で忠実か、はたまた誰が一番陰で反抗的となるかを知りたがった。彼は女達に告げ口を奨励し、時にはお互いを殴り合わせた。
彼はしばしば外出するふりをしては、その隙に女達の誰が救いを求めて声を上げようとするかを、隠れてこっそり観察した。そしてその罠にかかり、誰かが叫び出すとすぐさま下りていって、その女を殴った。
たとえ救いの手が訪れてもその声が聞こえないよう、彼は女達の耳にドライバーをねじ込み、鼓膜を損傷させもした。また、金属製の手錠や足枷に電流を流し、女達が気絶するまで痛めつけた。
2月初め、懲罰用の穴から這い出ようとした罪で、サンドラが拷問を受ける。ヘイドニクは彼女の両手を縛って天井から吊り下げ、8時間に渡って放置した。
サンドラは嘔吐し、気を失った。ヘイドニクが鎖をはずすと彼女は落下し、コンクリートの床に頭を打ち付けた。ぴくりとも動かなくなったサンドラを見て、女達は怯えた。
しかしヘイドニクはその生死を彼女達には知らせず、ただその体を階上へ運んでいっただけであった。
その後、何時間もの間、階上からはチェーンソーが何か硬いものを砕く音が聞こえ続けた。凄まじい悪臭がヘイドニク宅を覆いつくし、臭気はしばらくの間染みついて取れなかった。
あとでわかったことだが、サンドラの死体は大半が挽肉機にかけられ、頭部は片手鍋で煮て処分された。ミンチは捕虜たちの常食であるドッグフードの中に混ぜられ、「食費を浮かせる」のに役立った。
この頃にはジョセフィーナは「模範囚」とのお墨付きをヘイドニクから得るようになっている。彼女はヘイドニクと食事をともにすることを許され、女達のリーダー格として、他の捕虜たちに規律を守らせる役目を命じられていた。
3月、ヘイドニクはジョセフィーナを除いた残りの女達を、水を満たした穴に投げ込み、裸電球と電線を使って電気ショックによる拷問を行なった。電線がデボラ・ダドリーという23歳の捕虜の鎖に触れ、彼女は即死した。お気に入り詳細を見る 修正
2人の捕虜が死んだので、ヘイドニクは新たな犠牲者を探しにキャデラックで街へ出た。その時にも、ジョセフィーナを同行し協力させている。
3月22日、デボラ・ダドリーの死体を公園に埋めに行った際も、ヘイドニクはジョセフィーナを連れていった。その帰り道、新聞で株式市場を冷静にチェックする彼を見て、ジョセフィーナは目の前にいるのが一種の怪物であることを改めて思い知った。
24日、ジョセフィーナはヘイドニクに、
「もうそろそろ、完全に信用してくれてもいいでしょう。私はここから絶対に逃げやしないわ。だってもう、あなたの共犯になってしまったんですものね。だからせめて、一目でいいから子供に会わせて」
と頼み込んだ。
自らも子供に執着していたヘイドニクはこの言い分に共感したらしく、彼女をキャデラックに乗せ、かつてジョセフィーナを「拾った」のと同じ地点で下ろしてやった。
角を曲がってヘイドニクの車が見えなくなるや否や、ジョセフィーナはボーイフレンドのアパートに駆け込んだ。
四ヶ月ぶりに会う彼はジョセフィーナの変わりように仰天し、その話す内容のあまりの突飛さに、麻薬でラリっているのだと勘違いした。しかし最後には彼女の言葉を信じ、警察へ通報する。
やってきた警察も、最初は半信半疑だったが、彼女の手足に付いた拘束具の擦過傷を見て調べてみる気になった。
警察は令状を取り、早朝5時にヘイドニク宅へ踏み込んだ。
捜査員は地下室で、裸にされ、配水管に鎖でつながれたふたりの黒人女性を見つけた。ふたりは最初のうちこれを「また、あいつのゲーム」だと思っていた。ここで助けを求めて泣きわめいたりしたら、また叩きのめされるだけなのだ、と。
しかし、それが本当の警察だと知ると、ふたりは泣きながら彼らの手に感謝のキスをした。
「きみらの他にはいないかね?」
「そこよ、穴の中にいるわ」
床板をどかすと、もうひとりの黒人女性がまるくなってうずくまっていた。彼女は衰弱がひどく、穴から出るにも捜査員に引き上げてもらわねばならなかった。また、錯乱しかけており、彼らを見た途端悲鳴をあげはじめた。
「だいじょうぶよ、この人たちは警察よ。助かったのよ」
ふたりがそう言ってなだめても、彼女は悲鳴をあげつづけた。女性たちはみな脱水症状を起こしており、ひどい栄養失調だった。
おりしもその時、屋内の捜索にかかろうとキッチンに足を踏み入れた捜査員が、呆然として立ち尽くしている最中であった。
ジョセフィーナの話が誇張ではなかったことを、ようやく警察は思い知った。床のビニール袋には掌のない2本の前腕、一本の上腕が詰められていた。また、腿の一部が冷蔵庫から発見された。
オーブンの中には調理済みの人肉や内臓があり、炭化した骨片が転がっていた。さらに庭の犬がかじっていたのは、人の脚の骨であった。
裁判
1988年6月、フィラデルフィアでゲイリー・ヘイドニクの裁判が開始された。弁護側は当然のことながらヘイドニクの精神異常を主張し、精神科医を呼んで証言させた。彼はヘイドニクについて、
「成人の頭脳と、生後わずか17ヶ月の赤ん坊の頭脳とが同居している状態であり、このきわめて幼児的な部分が彼をして誘拐・監禁・強姦という犯罪に走らせたと思われる」
と述べ、間違いなく精神異常であると断言した。
しかしその一方で、弁護側は皆わかっていたのだ。どんなに精神医学上の証拠を積み上げ、論理的に証明してみせたとしても、陪審はその意見を採用しはしないだろう、と。
目の前にいるこのゲーリー・ヘイドニクという男は、死刑に値するか否か? 陪審は応、とするに決まっていた。裁判がすすみ彼の所業が明らかになるにつれ、「健全な市民」ならば10人中8人がそう判断するだろう。
果たして彼らの予想は当たっていた。
ヘイドニクが六人の女性を監禁し、うち2人を殺害した上、ひとりを解体してほかの女性達に食わせたと聞き、陪審員は顔色を変えた。
生き残った女性達は証言台に立ち、4ヶ月の間、自分たちが風呂にも入れず髪も洗えず、ただひたすら犯され、殴られ拷問されるだけの日々を送ったことを語った。
サンドラが死んでからしばらく悪臭が漂っていたこと。毎日与えられるドッグフードからもそれとまったく同じ悪臭がしたこと。女同士で無理に殴り合いをさせられたこと。電気ショックによる拷問を与えられたこと。鍋に入ったサンドラの頭部を見せられ、おとなしくしないとお前もこうなる、と脅されたこと――。
1988年7月1日、ヘイドニクは第一級殺人2件を含む18の訴因で有罪と判定され、翌日、サンドラ殺害の罪で死刑判決を受けた。そして3ヵ月後、ダドリー殺害の罪でもう一度死刑を言い渡されることになる。
余談ではあるが、ヘイドニクの実父はマスコミに「この判決について、どう思われますか」と訊かれ、
「どうでもいい、少しも気にならんよ」
と答えたという。
この事件がモデルとなった映画「コレクター」
2013年6月に日本公開になる『コレクター』は、この事件を元にしているらしい。映画公式サイトには「リアル・サイコ・サスペンス」とさも実際に起こった事件を描いたように書いてあるが、あらすじを見る限り、元ネタにしたという程度。
英語版のwikiにはこの映画の項目があるが、ゲイリー・ハイドニックには触れられてない。
ここを見る限り、どっちかというと2009年にアメリカで発覚した少女誘拐・長期監禁事件の方が元ネタっぽい。
なお、この映画は2012年アメリカ公開。DVDも出ている模様。
この間のオハイオ州の事件を受けて、急遽日本でも劇場公開を決めたのではなかろうか?
安易な邦題もそんな妄想をかき立てる。