<未解決事件> 北関東連続幼女誘拐殺人事件とは

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北関東連続幼女誘拐殺人事件

北関東連続幼女誘拐殺人事件(きたかんとうれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは1979年以降、栃木県と群馬県で発生している誘拐および殺人事件。冤罪事件となった足利事件も含まれている。

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概要

1979年以降、4件の女児誘拐殺人事件と関連が疑われる1件の女児連れ去り事件(失踪事件)が栃木県と群馬県の県境[1][2]、半径20キロ以内で発生しており、これら5事件まとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされている。また、5つの事件はいずれも現在の群馬県太田市及び栃木県足利市のどちらかで発生しているが、そのうち、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」ともされている。

これら事件の特徴として、以下の点が共通点としてあげられている。


被害に遭ったのが4歳から8歳までの児童である点

3事件においてパチンコ店が行方不明の現場になっている点

3事件において河川敷で死体遺棄されている点

4事件において金曜、土曜、日曜および祝日に事件が発生している点

また、これら5事件全てが未解決事件となっている。

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia

	

北関東連続幼女誘拐殺人事件

			
【1】S54(1979). 8 福島万弥ちゃん(当時5歳)殺人事件 栃木/足利【時効】

【2】S58(1983).10 中島喜代美ちゃん(当時12)殺人事件 群馬/桐生【時効】※一連の事件に含めない場合もある


【3】S59(1984).11 長谷部有美ちゃん(当時5歳)殺人事件 栃木/足利【時効】


【4】S62(1987). 9 大沢朋子ちゃん(当時8歳)殺人事件 群馬/尾島【時効】


【5】H 2(1990). 5 松田真実ちゃん(当時4歳)殺人事件 栃木/足利【時効】


【6】H 8(1996). 7 横山ゆかりちゃん(当時4歳)誘拐事件 群馬/太田

出典:北関東連続幼女誘拐・殺人事件【再】(足利事件) - 未解決事件・失踪/行方不明事件・印象に残った事件

	

事件の報道と「足利事件」の冤罪確定へ

日本テレビの報道特別番組『ACTION』や『バンキシャ!』で、記者の清水潔が「4件の誘拐殺人事件に加え、1996年に起きた太田市の女児連れ去り事件は連続事件なのではないか」とする観点から2007年1月から報道を続けている。同番組では、足利事件の被疑者とされていた菅家利和が1991年に逮捕されて身柄拘束中であるにも拘らず、その5年後に類似事件である「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし逮捕された菅家は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。DNA型再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ真犯人と菅家のDNA型は一致せず釈放となった。2010年3月に再審で菅家の無罪が確定している。

2010年、足利事件の検証を行った最高検察庁は、足利事件を含む北関東で起きた事件が同一犯における連続事件の可能性を認めた。犯人が逮捕されない今、再犯の可能性が危惧されている。

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia

	

各事件の概要

1979年 8/3(金) 昼過ぎ 栃木県足利市 女児5歳

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件: ASKAの事件簿

家の隣の境内から姿を消す。6日後、約3km離れた渡良瀬川の河川敷のリュックの中から遺体で発見、手足は縛られていた。

最後の目撃場所から2km下流の渡良瀬川河原で全裸でリュックサックに詰められ死んでいるのが発見された。このリュックサックは、市内の業者が50年~55年の間に登山用に作っており、特殊仕様で数10個しか売られていなかった。

行方不明になる直前にはトレパン姿の30歳ぐらいの男と話しているのを近所の主婦が目撃している。

1984年 11/17(土) 17時過ぎ 栃木県足利市 女児5歳

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件: ASKAの事件簿

家族とパチンコ店へ出かけ1人で遊んでいるうちに失踪、1年4ヶ月後にパチンコ店から約2.4km離れた畑の中から白骨遺体で発見される。骨と一緒に衣類も発見される。

11月17日午後4時すぎ、女の子の通う幼稚園に、行方不明の女の子らしい声と40代ぐらいの男からの電話が入る。男が、女の子の自宅の電話番号を聞く。11月17日午後4時21分に、女の子の自宅に電話が入り、「たすけてちょうだい」との女の子の声と同時に、「佐野のこうせいびょういん」と所在を知らせる。足利署は、「佐野厚生病院」に捜査員を派遣するが、女の子の姿はなかった。お気に入り詳細を見る 修正

1987年 9/15(火祝日) 11時頃 群馬県太田市 女児8歳

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件: ASKAの事件簿

自宅近くの公園へ遊びに行った後。自転車を押す男と一緒の所を目撃されるがその後に失踪

1年2ヶ月後に利根川河川敷で白骨遺体で発見される。

1990年 5/12(土) 18時過ぎ 栃木県足利市 女児4歳

(足利事件)

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件: ASKAの事件簿

両親とパチンコ店に行き、駐車場で野良猫と遊んでいる所を目撃、その後、渡良瀬川の土手、河川敷で男と一緒の所を目撃される。翌日渡良瀬川の河川敷で遺体で発見、川の中から精液の付いた女児のシャツが発見される。渡良瀬川の中から、被害者の着衣が泥だらけの状態で見つけられる。

その中の「半袖下着」に精液が付着していたとして、栃木県警察科学捜査研究所(科捜研)が血液型を分析し、B型と判明する。お気に入り詳細を見る

1990年5月12日、栃木県足利市のパチンコ店で行方不明となった女児(当時4歳)が、翌日、パチンコ店近くの渡良瀬川の河川敷で死体で発見された事件。

犯人のものと推定される体液が付いた女児の半そで下着も付近の川の中で見つかり、わいせつ目的の誘拐・殺人事件とされた。

足利市ではこの事件の前、2件の女児殺人事件が起きていたこともあり、栃木県警は180人態勢で徹底した捜査を進めた。幼稚園の送迎バスの運転手で、事件現場のパチンコ店の常連でもあった菅家利和さん(当時43歳)を疑った県警は、菅家さんを事件半年後から1年間尾行したが、怪しい点はなかった。

91年6月、県警は菅家さんが捨てたゴミ袋から体液の付いたティッシュペーパーを発見。警察庁科学警察研究所(科警研)にDNA鑑定を依頼し、科警研は同年11月、菅家さんと犯人のDNAの型が一致したとする鑑定書をまとめた。これを受けて県警は、12月1日、菅家さんを任意同行し、深夜に及ぶ尋問の末、犯行を認める「自白」を引き出し、21日、わいせつ目的誘拐と殺人、死体遺棄の容疑で逮捕した。

検察は、先に起こっていた2件の殺人の「自白」は「嫌疑不十分」として起訴しなかったが、パチンコ店から行方不明になった女児殺害についての「自白」は疑うことなく菅家さんを起訴。

菅家さんは第1審の途中から否認に転じたが、93年7月7日、宇都宮地裁は無期懲役の判決を言い渡し、東京高裁も控訴を棄却。2000年7月17日の最高裁判決で有罪が確定した。菅家さんは02年12月25日、宇都宮地裁に再審を請求。地裁は請求を棄却したが、即時抗告による東京高裁での審理でDNA再鑑定が認められ、その結果、女児の下着に付着していた体液と、菅家さんのDNAは一致しないと分かった。1991年の科警研鑑定は、当時としても間違いだった可能性が高い。再鑑定結果を受け、東京高検は菅家さんを刑務所から釈放(再審前に釈放するのは異例)。2009年6月23日、東京高裁は再審開始を決定した。

宇都宮地裁で始まった再審公判では、刑事公判当時の検察官3人が「申し訳ない」と頭を下げる場面もあった。栃木県警の石川正一郎本部長は、再審開始前、菅家さんに直接会って謝ったが、誤判を重ねた裁判官たちからは、いまだに謝罪の言葉は聞かれない。菅家さんによれば、足をけったり、机をたたいたりする乱暴な取り調べが行われた結果、虚偽の自白を強いられた経験から、菅家さんは、布川事件など他の冤罪被害者らとともに、取り調べの全面可視化を求めている。

出典:足利事件(あしかがじけん)とは - コトバンク

	

関連が疑われる失踪事件

1996年 7/7(日) 昼過ぎ 群馬県太田市 女児4歳

(太田市パチンコ店女児連れ去り事件)

出典:北関東連続幼女誘拐殺人事件: ASKAの事件簿

両親とパチンコ店に行き、店内で失踪、以後行方不明、店内の防犯カメラに男と話す女児の姿が映っていた。失踪直前に母親に「優しいおじちゃんがいる」と話した。

パチンコ店の防犯カメラの分析より、午後1時27分に来店し、女の子の近くに行き、午後1時42分頃でていた不審人物が浮かび上がる。お気に入り詳細を見る

1996年7月7日午前10時半頃、横山保雄さん・光子さん夫妻は、長女ゆかりちゃん(当時4歳)と次女(当時7ヶ月)を連れて太田市の国道354線沿いにあるパチンコ店「パチトピア」(現・パーラーフレンド)にやってきた。「七夕感謝デー」なる葉書を見て、来店したのである。店内の景品コーナーの前を通りかかった時、保雄さんはゆかりちゃんの好きな花火を見つけて、「とってやる」と話している。ゆかりちゃんも喜んで楽しみにしていたという。そして次女を背負った光子さんと保雄さんはそれぞれ一列ちがいのパチンコ台についた。その間、ゆかりちゃんは暇つぶしに店内をうろうろ散策して遊んでいた。両親のいるパチンコ台の方に来たり、景品コーナーで品物を眺めていたりしている。


 正午ごろになって、光子さんは店内で弁当を買い、ゆかりちゃんと次女を連れて駐車場の車内で昼食をとった。しかし、この時、ゆかりちゃんはあまりお腹がすいてなかったのか、少し食べただけで「いらない」と言った。

 光子さんは午後からも同じようにパチンコを始めたが、しばらくしてゆかりちゃんが「もう一度食べたい」とパチンコ台の方にやってきた。そこで光子さんはゆかりちゃんを出入り口付近にある長椅子に座らせ、そこで弁当を持たせた。午後1時40分頃、保雄さんは長椅子に座っているゆかりちゃんを見ている。

 しばらくすると、ゆかりちゃんは光子さんのところにやってきて、「・・・・のおじちゃんがいるよ」と言った。この時の声は店内に鳴り響く電子音にかき消されよく聞き取れなかったという。「おじちゃん」という言葉だけ理解できた光子さんはゆかりちゃんに「ちゃんと座っててね。」、「ついてっちゃだめよ」と言った。


 午後1時50分頃、光子さんがゆかりちゃんの姿が見えないのに気づく。ゆかりちゃんが座っていたはずの長椅子にはジュースと食べかけのおにぎりが残されていた。

「ゆかりがいない」

 光子さんの言葉に保雄さんは表へ飛び出した。駐車場、国道などを捜したがゆかりちゃんの姿は見えず、近くの交番に駆け込んだが、交番のなかに誰もいなかったため、太田署に「子供がさらわれた」と通報した。午後2時10分のことである。

出典:横山ゆかりちゃん行方不明事件

	

太田市パチンコ店女児連れ去り事件

			
	

太田市パチンコ店女児連れ去り事件

			
事件から2日後の9日午前8時、機動隊員70名を動員して広範囲を捜索したが見つからなかった。また、パチンコ店の客や周辺などに聞きこみ捜査では、ゆかりちゃんが失踪したのと同じ位の時刻に「白い乗用者に4歳くらいの女の子が乗りこんだ」という目撃証言もあった。しかし、手がかりはそこで切れた。パチンコ店には大勢の人々がパチンコを楽しんでいたが、熱中するあまり、店内に一人でいる女の子の様子に注目していた人がいなかった。


 やがて捜査を続けるなかで、目撃証言よりも重要な手がかりになりそうなものが店内の防犯カメラに映っていた。たびたびメディアでも公開されている「サングラスの男」である。


 男は事件当日の午後1時27分ごろ店に入ってきた。身長は158cm前後、白っぽいシャツ、(夏だというのに)肩の部分にラインが入っ黒いたジャンパー、裾をしぼったニッカーポッカ風のズボンをはいており、サンダルと帽子とサングラスを身に着けていた。歩き方が特徴的で、がに股で、左の脇を絞めるような姿勢をとっていた。


 男はまず、店の奥の目立たない場所にあるトイレに寄ったと思われる。約3分後、トイレから出てきた男は、店内を徘徊し始めた。台の前で止まる訳でも、両替したり、カードを購入するわけでもなかった。ちょうどこの時、景品コーナーの前でゆかりちゃんとすれ違っている。

 1時33分、ゆかりちゃんの座っていた出入り口付近の長椅子に座った。ゆかりちゃんの右隣の男はしばらくタバコを吸い、ゆかりちゃんの真ん前にある灰皿を手を伸ばして使っている。やがて、男はゆかりちゃんに話しかけるようなそぶりを見せ、右手で3回店内の外を指差した。話しかけられたゆかりちゃんはワンピースの裾を手で持ってひらひらさせている。これは何か困ったような、迷ったような時に子供がする仕草だという。

 1時42分、男はゆかりちゃんを残して席を立った。結局、男はパチンコ店に入った15分ほどのあいだ、トイレを使用したり、タバコを吸っただけで、店をあとにしている。ゆかりちゃんはその後、両親の元に行き、前述した通り「・・・のおじちゃん・・・」と話している。そして1時45分頃、ゆかりちゃんは出口方面に向かった。しかし、出入り口付近はカメラの死角となっていたため、店を出る2人の姿は映っていなかった。


 同年12月6日、警視庁の化学警察研究所やビデオ専門業者に依頼した解析結果をもとに「サングラスの男」のイラストを描いたポスターを作成して公開した。それによると男の特徴として次のようなことが挙げられている。

・鼻がかなり高い

・頬骨が張って、顎がやや突き出ている

・頬がこけている


 男は一見、職人風でサラリーマンには見えないのだが、「変装」だという見方もある。男についてはパチンコ店の店員によると、「一見の客」と証言したが、慣れた様子で店内を徘徊しているなど、これも定かではない。

出典:横山ゆかりちゃん行方不明事件

	

群馬・栃木の未解決女児殺害・失踪事件の5家族が家族会を結成

北関東連続幼女誘拐殺人事件

			
栃木県足利市と群馬県太田市で昭和54年~平成8年にかけて相次いで発生して未解決となっている5件の女児殺害・失踪事件で、被害女児の5家族が29日、事件の真相解明を求めて「足利・太田連続未解決事件家族会」を立ち上げる。国や捜査当局に真相解明と再捜査などを求めていく。

家族会は、足利、太田両市周辺で遺体で見つかったり、連れ去られて行方がわからなくなったりした、福島万(ま)弥(や)ちゃん=当時(5)▽長谷部有(ゆ)美(み)ちゃん=当時(5)▽大沢朋(とも)子(こ)ちゃん=当時(8)▽横山ゆかりちゃん=失踪当時(4)=の4家族に、菅家利和さん(64)が再審無罪となった足利事件の被害者、松田真(ま)実(み)ちゃん=当時(4)=の家族も加わる。

結成するきっかけは、菅直人首相や中野寛成国家公安委員長が今年3月の参院予算委員会の答弁で、5事件の関連性を否定せず捜査する方針を示したこと。5家族は結成にあたり、「同一犯としての捜査はほとんど行われていない。力を合わせて、国や警察などに事件の真相解明と解決を求めていく」とコメントした。


家族会は今後、捜査当局への働き掛けのほか、地元での署名活動などを検討しているという。

出典:

	

関連書籍

VS.―北関東連続幼女誘拐・殺人事件の真実 (ヤングジャンプ愛蔵版)