<未解決事件> 海外旅行で行方不明になった日本人
行方不明者の情報があれば最寄りの警察署へ
あまり脅かす気は無いのですが海外旅行先で行方不明になってる日本人の旅行者の方は年間でおよそ10人前後は外務省の統計を見てみると現実としているようです。(統計の方法が詳しくわからないので実数は定かではありません)海外旅行先の国や地域も様々で想像するに実際に家族などから捜索願いとかがあった数字だけでカウントされてるでしょうから場合によってはもっと多い人数がいる可能性だってありそうです。
塚腰義正さん(当時24歳、男)パキスタン S48年(1973)年11月【特失】
同年6月、東京を出発して東南アジア一周を目指し1人で旅に出る。フィンランド、西ドイツ、フランス、イタリア、トルコ、イランなど20カ国を廻り、パキスタン1973年11月8日付の便りを最後に消息を絶つ。予定ではパキスタン、インド、タイ、ベトナム、シンガポールを経て1974年1月に帰国すると便りにあった。
出典:特定失踪者問題調査会
竹内貴代子さん(当時23歳、女)フランス S50年(1975)1月
1975.1.24、フランス・パリを旅行中の愛媛県在住・竹内貴代子さん(当時23)が宿泊していたホテルから行方不明になった。
竹内さんは旅行会社のツアーに参加していたが、旅行中から強迫観念にとらわれており、
「団体客と一緒だと私は殺される」と語り、グループから逃げ出したがっていたという。
荒山正昭さん(当時28歳、男)バングラディッシュ S55年(1980)12月
恩田奈織子さん(当時21歳、女)オーストラリア S62年(1987)6月
南埜佐代子さん(当時29歳、女)ネパール H2年(1990)4月
1990.4、ネパールを旅行中の大阪府堺市の近畿大生・南埜佐代子さん(当時29)が、ヒマラヤ・アンナプルナ登山口の町、ポカラにあるホテルに、
衣類などの入ったザックを残したまま行方不明になった。
佐代子さんは世界旅行中で、東南アジアから中国、ソ連、中近東、
アフリカ、インドを経て、今年3月末にネパール入りしていた。
ほぼ週に1度は家族に手紙を送ってきたが、4月3日にカトマンズから
「4週間くらいの予定でヒマラヤ・アンナプルナ方面へ山歩きに行く」
という内容の手紙を出したのを最後に消息を絶っていた。
失踪後の8月中旬ごろ、佐代子さんの自宅に佐代子さんと思われる女性から電話が入った。
電話にはまず妹が出て、すぐに母親に代わった。
佐代子さんは「ああ、苦しい。……悔しい……」などと泣きながら訴え
母親が「どうしたの」「どこにいるの」などと問いかけたが、
ただ泣きじゃくるばかりで、しばらくして電話が切れてしまった。
大政由美さん(当時24歳、女) 韓国 H3年(1991)3月【特失】
藤田浩史さん(当時28歳、男)パキスタン H4年(1992)4月
1992.4.25、パキスタンへ氷河見学へ出かけた大阪府の会社員・藤田浩史さん(当時28)が行方不明になった。
藤田さんは中国国境付近のパスー氷河へ、
現地で知り合った日本人男性と一緒に向かったが、
日本人男性だけホテルに戻り、藤田さんは戻らなかったという。
【モスクワ邦人男性失踪事件】
2003..8.13、ロシアを旅行中の無職、菅原伸一さん(当時55)が、
モスクワで行方不明になった。
菅原さんは友人と一緒に1日、富山から船でロシア・ウラジオストクに入り、
シベリア鉄道で11日にモスクワへ到着。
13日未明に宿泊先から1人で外出したまま、行方が分からなくなったという。
鞠山晃二さん(当時25歳、男)タイ H7年(1995)6月
1995年4月、関西国際空港出発。同志社大学在学中に5年間音楽サークルでベースを弾き、卒業1年前からアルバイトに仏師の仕事に従事していました。
1995年6月ケララ州トリヴァンドラムから連絡。滞在は三ヵ月の予定だったので、
もうすぐ帰るとのことでしたが、その後オリッサ州プーリーの
ドゥルガー・ロッジに10日間ほど滞在後、6月30日ヴィジャワールから、
消息を断っています。ヴィジャワールには大きな駅があり、
その後の足取りの方向には様々な可能性が考えられます。
ビートルズが好きで、ギターを持って旅をしていたようです。
また、仏師を志しており、インドの各聖地にも行っていると考えられます。
チバカズアキさん(当時??歳、男)インド H7年(1995)11月
1995年11月、インド北部ジャム・カシミール州の警察当局者が日本人旅行者が同州で一週間前から行方不明になっていると発表した。
行方不明になっているのはチバ・カズアキバさん(漢字・年齢不明)で、
現地警察は「誘拐された可能性も否定できない」としている。
五十嵐洋子さん(当時28歳、女)イギリス H7年(1995)11月
1995年11月、ロンドン市内で日本人女子学生の五十嵐洋子さん(当時28)が、友人宅を出たまま行方不明になった。
五十嵐さんは昨年春に渡英、11月からロンドン市内のウエストミンスター大で
英語を学んでいた。同月5日夜、市内の友人宅を出てから足取りが不明となっている。
高口和生さん(当時20歳、男)インド H8年(1996)9月
1996年、一人でインドを旅行中の金沢市出身の京都大学2年・高口和生さん(20)が、帰国予定の10月になっても戻らず、消息を絶った。
高口さんは9月4日からインド方面に旅行に出かけていた。
9月16日、バスでパキスタン国境に近いアムリツァルに向かったのを最後に
連絡が途絶えている。
柴田仁志さん(当時30歳、男)インド H9年(1997)6月
31歳独身。愛知県出身。身長172cm。体重60kg。1997年3月、タイへ出発。同年5月25日ネパールより
ミリオンカード盗難の電話がありました。
6月10日頃インドよりトラベラーズチェック(シティバンク)盗難の
電話があり、その後音信不通になりました。
出発時には髪を剃り坊主で旅立ちました。髪が伸びていれば癖毛です。
眼鏡を使用していますが、コンタクトレンズも使っています。
大腿部の右うしろに約20針程の怪我の痕があります。
ヘルニアの為、腰痛に苦しんでいると思われます。
仏教の修業者に興味を抱いていたと思われ、また本人も修業の道に入りたい
という願望もあったと思いますので、そのような場所にいる可能性が多分に
あると思います。また、サイババなどにも興味を持っていたとも考えられ、
実際1997年サイババアシュラムで見かけたという未確認情報も入っています。
太田隆一さん(当時22歳、男)アフガニスタン H9年(1997)9月
彼はアフガニスタンを旅行中、首都のカブールから日本の家族に手紙を出した。その手紙は無事に日本の家族の元に届いた。
手紙には「中央アジアを経由してトルコへ向かう」と書かれていた。
手紙に押された消印の日付は1997年の今日(9月16日)だった。
太田君がカブールから手紙を出してからもう7年もたつ。
彼が手紙を出した翌年(1998年)の春、僕はアフガニスタンを目指すべく、情報を集めていた。その過程で知り合ったのが太田君のご両親だった。当時、アフガニスタンはタリバーンが国土のかなりの部分を制圧していたとはいえ、まだ内戦が続いていた。そんな国に行くような人はほとんどいなかったからだろう。ご両親は僕に一縷の望みを託したのだった。
大変な旅になるような気がしていた。捜索する余裕などないように思われた。しかし僕はご両親の必死の願いに心を打たれ、依頼を受けたのだった。英語とペルシャ語でメッセージの書かれた顔写真入りのポスターを持ち、一路アフガンを目指した。
ポスターを持っているということはもろ刃の剣であった。
観光目的でビザは下りなかったが、ポスターを見せ、人道目的だということを主張したらビザが下りた。
だが入国後、ポスターの存在が仇となった。ホテルでポスターを見せて彼の情報を得ようとしていると、警察に通報されたらしく、忽ち拘束されてしまった。偶像崇拝を徹底的に嫌がるタリバーン政権下では写真を公衆の面前で見せることですらまずいことらしかった。
結局、その旅ではこれといった彼の手がかりは見つからなかった。
カブールの北側では激しい戦闘が行われていた。彼はその戦線の北のバーミヤン方面に行こうとしていたようだから、移動中に戦闘に巻き込まれたのかもしれない。
それともアフガンが気に入ってしまい、現地人と一緒に田舎にのんきに暮らしているのかも知れない。
同時多発テロ以後の米軍によるアフガン攻撃後も彼の消息はわかっていない。
三好隆弘さん(当時24歳、男)中国(チベット) H10年(1998)5月 ※失踪宣告
北京の日本大使館が7日明らかにしたところによると、中国チベット自治区を訪れた日本人男性3人が昨年夏から行方不明になっていることがわかった。3人が同一行動を取り、事件・事故に巻き込まれた可能性もあり、現地の公安当局などが情報収集に当たっている。消息がわからないのは京大工学部修士課程・三好隆弘さん(25)/静岡大法学部学生・櫛引克彦さん(23)/元日本通運社員・二見哲也さん(29)。
これまでの調査によると、三好さんは昨年6月23日までチベット自治区の区都ラサのホテルに、また櫛引さんは同8月6日にツアーでチベット入りしたことがそれぞれ確認された。櫛引さんはこれに先立ち同6月にもチベットを訪ねており同17日、二見さんと西南部のシガツェから西へ向けて出発したことがわかっている。
3人は旅行前は交友関係はなく、チベットで知り合って一緒に移動していた可能性が高いという。
北京の日本大使館が7日明らかにしたところによると、中国チベット自治区を訪れた日本人男性3人が昨年夏から行方不明になっていることがわかった。3人が同一行動を取り、事件・事故に巻き込まれた可能性もあり、現地の公安当局などが情報収集に当たっている。消息がわからないのは京大工学部修士課程・三好隆弘さん(25)/静岡大法学部学生・櫛引克彦さん(23)/元日本通運社員・二見哲也さん(29)。
これまでの調査によると、三好さんは昨年6月23日までチベット自治区の区都ラサのホテルに、また櫛引さんは同8月6日にツアーでチベット入りしたことがそれぞれ確認された。櫛引さんはこれに先立ち同6月にもチベットを訪ねており同17日、二見さんと西南部のシガツェから西へ向けて出発したことがわかっている。
3人は旅行前は交友関係はなく、チベットで知り合って一緒に移動していた可能性が高いという。
北京の日本大使館が7日明らかにしたところによると、中国チベット自治区を訪れた日本人男性3人が昨年夏から行方不明になっていることがわかった。3人が同一行動を取り、事件・事故に巻き込まれた可能性もあり、現地の公安当局などが情報収集に当たっている。消息がわからないのは京大工学部修士課程・三好隆弘さん(25)/静岡大法学部学生・櫛引克彦さん(23)/元日本通運社員・二見哲也さん(29)。
これまでの調査によると、三好さんは昨年6月23日までチベット自治区の区都ラサのホテルに、また櫛引さんは同8月6日にツアーでチベット入りしたことがそれぞれ確認された。櫛引さんはこれに先立ち同6月にもチベットを訪ねており同17日、二見さんと西南部のシガツェから西へ向けて出発したことがわかっている。
3人は旅行前は交友関係はなく、チベットで知り合って一緒に移動していた可能性が高いという。
児島智子さん(当時22歳、女)トルコ H11(1999)3月
今年2月から3月にかけてトルコ国内を旅行していた滋賀県の関西大4年生の児島智子さん(22)が、トルコ中部のネブシェヒル訪問後、行方不明に。
児島さんは2月20日、イスタンブールに到着。一人でエーゲ海沿いのイズミール
などを観光した後、3月2日、夜行バスで観光地カッパドキア近くのネブシェヒルに
到着したのを最後に足取りが途絶えた。
出典:ページ移転のお知らせ
波多敏弘さん(当時27歳、男)マレーシア H12年(2000)8月
6年前にマレーシアで消息不明となった波多敏弘(はたとしひろ)さんを捜しています。波多さんは失踪当時27歳で、京都大学大学院の木質科学研究所員。家族によると、2000年8月4日のノースウエスト航空69便で関西空港からクアラルンプール入りしたが、外務省などからはその後の調査で、「マレーシアへの入国は入管記録から確認できない」との回答がありました。ところが、家族の調べによると、波多さんは翌5日、マレーシア・プトラ大学に知人を訪ね、置き手紙を残しています。波多さんは9日の同70便で帰国する予定でした。
家族はこの間、近隣諸国の入管当局にも連絡しましたが、いずれも入国の記録なしとの回答。それでも諦めず、「アジアのどこか、とりわけマレーシアのどこかにいるにちがいない」と信じ、八方手を尽くして今も懸命に捜索を続けています。
熱帯雨林や自然公園などに関心を持つ波多さんは、身長165センチで筋肉質。髭や眉が濃く、アメフト経験から右耳が少し変形しています。
佐藤順子さん(当時28歳、女)スイス H12年(2000)9月【特失】
海外旅行に行ったスイス・ツェルマットで一人でユースホステルに宿泊。朝食をとったあと失踪。荷物のバッグがベッドに残っていた。日本を出たのは7月4日。ヨーロッパ各地を旅行していた。失踪後不審な電話が計5回、決まって日本時間の8時半にかかった。
出典:特定失踪者問題調査会
菅原伸一さん(当時55歳、男)ロシア H15年(2003)8月
1992.4.25、パキスタンへ氷河見学へ出かけた大阪府の会社員・藤田浩史さん(当時28)が行方不明になった。
藤田さんは中国国境付近のパスー氷河へ、
現地で知り合った日本人男性と一緒に向かったが、
日本人男性だけホテルに戻り、藤田さんは戻らなかったという。
【モスクワ邦人男性失踪事件】
2003..8.13、ロシアを旅行中の無職、菅原伸一さん(当時55)が、
モスクワで行方不明になった。
菅原さんは友人と一緒に1日、富山から船でロシア・ウラジオストクに入り、
シベリア鉄道で11日にモスクワへ到着。
13日未明に宿泊先から1人で外出したまま、行方が分からなくなったという。
松倉崇太郎さん(当時22歳、男)トルコ H17年(2005)11月
松倉崇太郎さんは1年前にトルコで行方不明となり、今も見つかっていない。松倉崇太郎さんは当時22才。松倉崇太郎さんの母、松倉寛恵子さんは「たくさんの人に息子のことを伝えて、有意義な情報が集まるよう祈っている。」と話している。松倉崇太郎さんは、去年10月末に観光でイスタンブールを訪れ、ホテルに所持品の入ったリュックサックや航空券などを残したまま行方が分からなくなっている。
トルコ警察も捜索してはいるがこの1年間で寄せられた情報は18件。松倉崇太郎さんの家族は行方不明になった直後から地元紙などに広告を出して、情報提供を呼びかけてきたがもう1年になる。11月6日、イスタンブールで再度会見し、更なる情報提供を呼びかけた。
篠崎耕太さん(当時21歳、男)インド H18年(2006)9月
大嶋克典さん(当時25歳、男)ネパール H19年(2007)7月
棚橋えり子さん(当時58歳、女)韓国 H22年(2010)1月
年末年始に韓国を1人で旅行していた神奈川県の主婦、棚橋えり子さん(58)が同国内で行方不明となっていることが30日、分かった。韓国の警察当局が行方を捜している。棚橋さんの家族が明らかにした。関係者によると、棚橋さんは「韓流」スターの大ファンで、これまでも何度か韓国を訪れ、韓国ドラマのロケ地などを見て回っていた。
家族によると、棚橋さんは昨年12月28日にソウルに到着し、今年1月4日に帰国する予定だった。家族に詳しい日程を伝えておらず、友人に携帯電話から送ったメールで1月1日に東部の江原道江陵市にいたことが分かったが、それ以降の行動は不明だ。
友人が同5日に棚橋さんの携帯電話にかけたところ、「アキヤマ」と名乗る男性が出た。電話はすぐに切られ、つながらなくなったという。
笹川万国さん(当時43歳、男)イギリス H22年(2010)5月
実は、知人が先月からイギリスで行方不明になっています。わたし自身は1度会ったきりの人なのですが共通の友人知人が何人かいるLiverpoolサポーターの方です。
笹川万国さんという建築家の方で、イギリスに滞在中、5月12日の午後5時半に、SussexにあるArundel駅でお友達に見送られロンドン行きの列車に乗ったのを最後に行方不明になってしまっているそうです。
イギリス在住経験もある方で英語等は全く不自由無く、また帰国直前だったことから、事件に巻き込まれた可能性もあります。
荷物はロンドンの笹川さんのご友人宅に残されたままで、帰りの便の航空券は有効期限が切れており、クレジットカードや銀行のお金も移動がないそうです。Sussex州とロンドンの警察には捜索願が出され、ご家族や友人の方がさまざまな活動をしていますが、現在のところ何の手がかりもないとのこと。
在英邦人向けメディアにはすでに尋ね人広告が出されていますので、今後は日本人コミュニティ以外へのアプローチが必要かと思います。
佐藤綾子さん(当時47歳、女)アメリカ H25年(2013)5月
在ニューヨーク日本国総領事館によると新潟県出身の日本人女性、佐藤綾子さん(47)が5月28日から失踪し、7月11日に夫から捜索願いが出された。同館によると、本人の電子メールの内容や電話番号の履歴から7月初めにニューヨークに滞在してることが判明してる。ニューヨーク市内では、マンハッタン、クイーンズのホテルに滞在していたことが分かっている。ニューヨーク市警察(NYPD)や地元紙の報道を総合すると、佐藤さんは、5月28日からカリフォルニア経由で米国各地を転々とし、6月22日から26日まではマンハッタン西35丁目45番地のメトロホテルに4日間滞在した記録がある。夫が佐藤さんと最後に電話で話したのは7月9日。内容はお金をアメリカに送って欲しいというものだったというが、詳しいことは明らかにされていない。佐藤さんの特徴は、身長が164センチくらいでやせ型、髪は黒色。
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