少年誘拐ホルマリン漬け事件「林邦太郎」とは

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少年誘拐ホルマリン漬け事件

少年誘拐ホルマリン漬け事件(しょうねんゆうかいホルマリンづけじけん)とは、少年愛者によるバラバラ殺人事件。加害者と被害者の双方の親が著名人である殺人事件である。

出典:少年誘拐ホルマリン漬け事件 - Wikipedia

1957年4月2日、東京・中野区の中学1年の少年(12歳)が銭湯に行ったまま行方がわからなくなり、2日後に身代金を要求する脅迫状が届けられた。

 4月9日、少年と銭湯で知り合った男(当時26歳)が殺害し、バラバラにしていたことが発覚した。

子どもを戻してもらいたかったら、午後4時までに東上線鶴ヶ島駅へ15万持って来い

出典:少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

※消印は落合長崎局
1957年(昭和32)4月4日午後2時過ぎ、中野に住む主婦のもとに落合長崎局の消印の押された一通の葉書が届く。そこには「子どもを戻してもらいたかったら、午後4時までに東上線鶴ヶ島駅へ15万持って来い」と書かれていた。

4月2日夜、近くの銭湯に出かけたまま行方不明になっていた12歳になる中学一年生の息子は誘拐されてしまっていたのだ。


2日夜の時点で警察に通報しなかったのは、離婚しているとはいえ、子どもの父親が当時の有名なプロレスラー清美川であり、スキャンダルになるのを恐れたためである。


清美川は大横綱の双葉山を外掛けで倒したこともある角界出身のプロレスラーであった。力士としての最高位は最高位は東前頭筆頭であった。1946年11月場所を最後に廃業し、1953年にプロレスの世界に入った。力道山による日本プロレスの1954年2月の旗揚げシリーズに参加、1955年からは木村政彦の国際プロレス団に移籍、翌1956年5月15日に木村とのコンビでラウル・ロメロ&ヤキ・ローチャを破り、中南米タッグ王座を獲得。団体消滅後は世界各地を転戦していたが、その最中に起きた事件であった。


脅迫状を受け取った母親は東京都中野区の野方警察署に駆け込んだ。


捜査本部は多くの誘拐事件がそうであるように犯人の指示通りに動くことにした。母親は15万円を抱えて鶴ヶ島駅に向かう。もちろん捜査陣が張り込んで周囲を固めていた。だが、犯人は現れなかった。その後、脅迫状も送られて来なかった。捜査は行き詰まり、事件は長期化されると思われていた矢先、一本の電話がかかってくる。電話の声の主は南多摩郡多摩村(現在の多摩市)にある都立桜ヶ丘保養院の精神科医であった。事件は急展開を遂げる。


中野区桜山町(現・東中野三丁目附近)に住む日本棋院七段名人の長男・林邦太郎(当時26歳)は精神を病み、桜ヶ丘保養院に約5年間入院していたが、現在は退院し、自宅で療養していた。ところが4月4日ごろから精神状態が不安定になり、6日に再入院する。そして林は医師の診断を受けている最中に異常な言動を繰り広げる。不審に思った医師は4月9日午前10時ごろ自宅を訪問。家族とともに林の四畳半の部屋に踏み込む。すると、そこには…。

出典:断片の昭和史(10) 少年誘拐殺人・肉片ホルマリン漬事件 - 文徒アーカイブス

	

発覚

家族とともに林の四畳半の部屋に入ると、室内に血痕が散らばっていた。

 畳をあげて床下を調べてみると、大型の金魚鉢と熱帯魚用の水槽が2つずつあり、金魚鉢には頭部と両足、水槽には胴体と両腕が収められていた。さらに蓋をパテで密封し、ホルマリン漬にしてあった。医師はこれを見て警察に通報したのだった。


 警察が林宅に急行したところ、バラバラ死体はもちろん本物で、A君のものであることわかり、林は逮捕された。

出典:少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

	

理想の少年

林邦太郎は犯行以前から、銭湯やそろばん塾の帰りの少年を言葉巧みに誘い、わいせつな行為を行ったり、暴力を振るっていたりしていた。また、飼いネコを殺してバラバラにして食すこともあった。誘拐事件の数日前に林邦太郎はAに声をかけていた。Aは同級生に「さっき、僕の背中を流してくれたあの人(林邦太郎)に、僕は殺されるかもしれない」と話していたことが判明している。

4月1日、Aを見かけて接近、翌日の2日、執拗に銭湯でAを家に誘い、家人を銭湯に追い出す。自宅に二人きりとなり、林邦太郎はAの服を脱がそうとしたが拒否されたため、殴って殺した。


林邦太郎はAを殺害した後に遺体を2晩がかりで刃物でバラバラにすると、大型の金魚鉢など4つの容器にホルマリン漬けにして密閉して保存。精神病院Sに入院するまで毎晩それらを取り出して眺めていた。その間に、Aの家にいたずらとして身代金を要求する手紙を送った。


林邦太郎は詳細な日記『若松湯』を残していた。ノートには「ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた」「金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい」などと書いていた。


林邦太郎は精神鑑定を受けたが、責任能力が認められ1958年7月、懲役10年の判決を受け、控訴せず服役した。

出典:少年誘拐ホルマリン漬け事件 - Wikipedia

	

林邦太郎

			

林のノート 抜粋

ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた。住所・氏名を聞いた。必ず連れ出そう。必ず。

出典:断片の昭和史(10) 少年誘拐殺人・肉片ホルマリン漬事件 - 文徒アーカイブス

	
4月3日。ちょっとイタズラしたくなった。昼過ぎ、こどもが欲しければ15万持って鶴ヶ島駅へ来いと書いた葉書をポストに入れた。それから渋谷に行き熱帯魚を売っている店でガラス容器を四つ買った。今夜も徹哉で死体の処理をしたが、父や母は気づかなかったようだ。

出典:断片の昭和史(10) 少年誘拐殺人・肉片ホルマリン漬事件 - 文徒アーカイブス

	
金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい。親父たちがいるから、もったいないけど昼間は床下に隠す。でも隠す前には必ずサヨナラを言うんだ。でも、別れの旅に、つらい・・・

出典:

	

ホルマリンとは

ホルマリン (formalin) は、ホルムアルデヒドの水溶液のこと。無色透明で、刺激臭があり、生体に有害。生物の組織標本作製のための固定・防腐処理に広く用いられる。また、ホルマリンによって死滅する菌類、細菌類が多いことから、希釈した溶液を消毒用にも用いる。

日本薬局方で定められた局方ホルマリンとして市販されているのは、35~38%ホルムアルデヒド水溶液で、安定化剤(にごり防止)として10%以下程度のメタノールが加えられている。一般にはこれを5~10倍程度に希釈して用いる。例えば、これを10倍希釈したものを、10%ホルマリンと呼ぶが、この溶液中のホルムアルデヒドの含有量は3.5~3.8%に相当する。


原液、比較的濃度の高い希釈液からは、ホルムアルデヒドを含有した蒸気が発生するため、人体に有害であり、毒劇法で医薬用外劇物に指定されている。取扱いには、強制排気装置を備えた作業空間が必要である。また、溶液の廃棄時にも無毒化処理が必要である。作業者の健康や環境への配慮から、より無害な代替品へ置き換える試みがなされているが、進んでいない。

出典:ホルマリン - Wikipedia

	
ホルマリンという液体について、名前を聞いた事はあるけれど、どんな物かは知らない。

という人がほとんどなのではないでしょうか。


このホルマリン、人体にとっては相当に有害な液体なのですが、


医療にとってはなくてはならない液体です。


その強い臭いは一度嗅いだら忘れられないかもしれません。


明らかに、うわっ、体に悪そう、と思える臭いです。


そんなホルマリンが何故、医療では必要かというと、


生体組織の固定と防腐に使われるからです。


他の分野では、菌や細菌の消毒の目的にも使われているようです。


ホルマリンとはホルムアルデヒドという化学物質の水溶液です。


このホルムアルデヒドは細胞内のタンパクなどに結合し、タンパクを変性させることで正常な活動を止めてしまうようです。


これによって細胞内の酵素などの反応を止めてしまい、死後変化をストップさせてしまうのです。


これによって、ホルマリンによって生体とは全く違った状況にはなるもの、それ以上に腐敗などの変化が起きることを止めることが出来ます。


医療現場ではこの特性を生かし、手術で摘出された腫瘍などの検体の固定にホルマリンを使います。


こうして固定された後に、顕微鏡などで観察される標本になるんですね。


この辺りは病理医の専門領域です。


さて、ホルマリンは生体にとってはかなり有害な物質なのですが、


実際の日常診療において医者がホルマリンを扱うシーンと言えば、手術によって採取した検体をホルマリンに浸すことくらいです。


その一瞬だけなので、あまりホルマリンに暴露されるということはありません。


ホルマリンの毒性がそう気になるほどの暴露はあまりないのです。


日常的にホルマリンに暴露されるのは病理医くらいではないでしょうか。


病理医は業務の中に解剖があるので、その際にはホルマリンに暴露されます。


ちなみに医学生はかなりこのホルマリンに暴露されます。


それは解剖実習を行うからです。

解剖で使う献体は全てホルマリンで固定されています。


たとえば、解剖学実習室の空気はホルマリンで満たされています。


そして、こういった実習室のホルマリン濃度というのは、作業環境などの法で定められた濃度を遥かに超えています。


病理解剖の行われている部屋の空気中の濃度も同様でしょう。


そしてその高濃度で有害なホルマリンに対して、


通常の医療現場で行われている対策は、ただの使い捨てのマスクだけなのです。


本来であれば専用の防毒マスクが必要なところです。


ホルマリンは細胞に毒性があり、長期間に暴露されれば発がん性もある物質です。


高濃度のホルマリンに暴露された人の鼻腔の細胞を調べると、なんらかの染色体異常を認めるという事も知られています。


もちろん、短期間の暴露であれば、発ガンするなんてことはまずないのでしょうが、


ホルマリンが有害な毒物であるということは確かなことです。


当然、

そんな事は遥か昔から分かっていた事だと思います。


にも関わらず、たとえば、「医学生は解剖するのだからホルマリンに暴露されて当前」


といったように、少し手段を考えれば避けられる暴露から目を背けるといった風潮があります。


放射線被曝しかり、医療の世界ではこういった事は少なからず、良く見られることだと思いますが、一般的な常識で考えれば有り得ないことでしょう。


どういsてこういった簡単な事が徹底されないのだろう??

と首を捻ってしまう事は未だに多いのです。

出典:見過ごされてきたホルマリンの毒性

	

加害者と被害者の双方の親が著名人

清美川梅之(長男Aの親)

出典:清美川梅之 - Wikipedia

清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - 1980年10月13日)は、秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ浜部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。

本名:佐藤 梅之助(さとう うめのすけ)。大相撲廃業後に入婿の形で結婚し、大橋 梅之助(おおはし うめのすけ)が本名となったが後に離婚、佐藤姓に戻している。

清美川梅之 画像1枚目左側が清美川さんです。 右側は若かりし頃のマイティ井上さんです! マイティさんのヨーロッパ遠征時のスナップです。

			
林有太郎(林邦太郎の親)

出典:林有太郎 - Wikipedia

林有太郎(はやし ゆうたろう、1900年(明治33年)3月28日)- 1983年(昭和58年)3月25日)は、日本の囲碁棋士。愛知県出身、本因坊秀哉門下、日本棋院所属、九段。第4期本因坊戦挑戦者決定戦進出、首相杯争奪戦優勝など。堅実な棋風で「小秀策」と言われた。父は林徳蔵五段。

林有太郎

少年誘拐ホルマリン漬け事件とは

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