絶対泊まりたくない恐怖のホテル「リジーボーデンハウス」とは
リジー・ボーデンとは
リジー・アンドリュー・ボーデン(英: Lizzie Andrew Borden、1860年7月19日 - 1927年6月1日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州フォールリバーで1892年8月4日に発生した実父と継母の斧による惨殺事件の中心人物となったニューイングランドの女性。事件とその後の裁判や過熱報道はよく知られており、アメリカの大衆文化や犯罪学に大きな影響を与えた。裁判では無罪となり、真犯人は見つかっておらず、彼女は有名なアメリカの民間伝承となっている。
殺人事件
Lizzy Borden took an axeAnd gave her mother forty whacks
When she saw what she had done
She gave her father forty-one
なわとび唄Lizzie Borden took an axe(リジー・ボーデンは斧を取り)
And gave her mother forty whacks.(母さんを40回打った)
And when she saw what she had done (自分がした結果に気づき)
She gave her father forty-one.(今度は父さんを41回打った)
このなわとび唄は新聞を売るためにライターがでっち上げたもので、実際には継母は18回か19回殴られ、父親は11回殴られている。
上の子供の戯れ歌は、リジー・ボーデンの親殺しが既に伝説と化していることを物語っている。リジー・ボーデン人形(血みどろの斧を持っている)もハロウィンの人気商品だ。我が国の「お岩さん」や「お菊さん」と同じような扱いである。しかし、彼女の伝説は現実にあった極めて血生臭い事件に基づいていることを忘れてはならない。単なる怪談とは一線を画するのだ。その日は猛烈に暑かった。1892年8月4日、マサチューセッツ州フォールリバーの閑静な住宅地での出来事である。午前11時15分、ボーデン家の次女リジーが、ソファで仮眠中の父親が殺されているのを発見した。70歳の銀行家アンドリュー・ボーデンは手斧で顔を11回も斬りつけられていた。鼻は削がれ、左眼は二つに裂かれて眼孔から飛び出していたというから、とても人間業とは思えない凶行である。
すぐに医者と警察が呼ばれた。隣人も騒ぎを聞いて駆けつけた。間もなくアンドリューの後妻アビーも2階の客間で俯せで倒れているのが発見された。やはり手斧で後頭部を19回も殴打されていた。
この日、家には被害者の他にはリジーと女中のブリジット・サリヴァンの2人しかいなかった。アンドリューの遺体が発見された時、ブリジットは窓の掃除を終えて屋根裏の自室で休んでいた。するとリジーの叫び声が聞こえた。「早く降りてきて! お父さまが死んでるの! 誰かに殺されたのよ!」
一方、リジーはというと、納屋にいたところ母屋から父の悲鳴が聞こえた。慌てて戻ると父が殺されていたと説明した。
検視の結果、アビーの死亡時刻は午前9時過ぎと推定された。ところが、夫が殺害されたのはそれから2時間後のことである。リジーが説明したように、犯人が外から侵入したとするには無理がある。
捜査が進むにつれて、リジーが継母を憎んでいることが判明した。また、殺人の2日前、彼女は青酸を買おうとして失敗している。そして、父親と継母は数日前から胃痛に悩まされていた。
以上から導き出される結論はただ一つ。リジー・ボーデンが犯人である。
かくしてリジーは逮捕され、裁判にかけられたが、無罪となった。
何故か?
ボーデン家が地元の名士だったからである。ボーデン家の息のかかった新聞社や宗教団体、業界団体(フォールリバーは織物の町であり、その経営はボーデン家が支配していた)が結束して、様々な働きかけを行ったのだ。
小泉純一郎の「郵政民営化、是か否か?」じゃないが、弁護士の「リジーは死刑か無罪放免か?」という二者択一の陪審員への呼び掛けも功を奏した。この娘を(といっても、もう33歳なのだが)状況証拠だけで死刑にするのは忍びないと思った陪審員は無罪を評決。晴れて釈放されたリジーは1927年に死ぬまで生きた。当たり前だが、悠々自適に暮らしたというから悔しいではありませんか、みなさん。
では、リジー・ボーデンは本当に「シロ」なのか?
今日では「シロ」だと信じている者は皆無といってよいだろう。
まず、継母の死と父の死との間の2時間の空白は外部犯行説では説明できない。そして、女中のブリジットには犯行の動機がない。だとすれば動機のあるリジーより他に犯人はいない。
動機に関しても、より具体的なことが判明している。リジーが継母を憎んでいたことは前述したが、そのことで高齢の父親が心配しないわけはない。妻のために何かを残してやろうと思うのが人情である。そこで、その所有する牧場を妻の名義に変えようとしていた。その書き換えが予定されていたのが、まさに犯行の当日なのである。妻が待ち合わせの時間になっても現れないので、父親は自宅まで迎えに来た。リジーはさっき出掛けたと云う(実はとっくに死んでいた)。ならば、今頃は書き替えの手続きをしているのだろうと安心した父親は、ソファに座って仮眠をとる。そこに手斧が振り降ろされたのである。
しかし、財産目的だったにしては随分と残虐な殺し方である。
この点、リジーには定期的に失神する症状があったことから、癲癇の発作がそうさせたのではないかという見解がある。発作によりトランス状態に陥り、理性が働かないままに凶行に及んだというのだ。
リジーは当日、月経だったとの指摘もある。
この日がこの年一番の猛暑だったことも忘れてはならない。
コリン・ウィルソンは、これらすべての要素、すなわち、癲癇による発作、資産を巡って裏取り引きが行われようとしていることへの怒り、継母への憎しみ、月経による苛立ち、そして猛暑が相互に作用して、この凶行が実現したのではないかと推測している。
いずれにしても、なんらかの狂気が働いていたことは間違いないだろう。
裁判
リジーの証言は一貫性がなく、彼女の行動は疑わしいところがあった。彼女は殺人罪で起訴され、前のマサチューセッツ州知事ジョージ・D・ロビンソンが弁護に当たった。検察側には後にアメリカ合衆国司法長官と合衆国最高裁判所の陪席裁判官を勤めたウィリアム・ヘンリー・ムーディがいた。警察の調べによると、凶器とされた斧が地下室で発見された。その斧はきれいだったが、柄の大部分が行方不明であったため、検察側は柄が血だらけになったので折ったのだと主張した。しかし、警察官は斧を発見したとき隣にその柄があったと証言した。後に検視の専門家は、殺人の後で斧をきれいにする時間がまったく無かったと証言している。
警察は返り血を浴びた布を全く発見できなかった。殺人の数日後、リジーは青いドレスを引き裂いて台所のストーブで焼いていた。これについて彼女は、ペンキ塗りたての場所にこすって汚れたので処分したのだと主張した。
状況証拠は数々あったが、陪審は一時間の議論の末にリジーを無罪とした。凶器が見つかっていない点、返り血を浴びた布が見つかっていない点が重視された結果であった。彼女の検視証言全体が裁判から排除された点が無罪となった原因とする見方もある。また、青酸を購入しようとしたという証言も排除された。また、陪審は全て男性であったため、地元の名士の娘が殺人を犯したと考えたくないという心理が働いたとする見方もある。また、裁判の直前にその地域で別の斧による殺人が発生したことで、リジーに有利になった。
映画
有名になっていく事件と屋敷
この事件は当時、マスコミが連日大々的に報道したことから、知らない人がいないほど有名な事件となった。「リジー・ボーデン オノを持ち、お母さんを40回、お父さんを41回、叩いて叩いて こーろした」
と、子供が縄飛びをする時に歌う歌にもなり、また、後にこの事件も伝説と化して、手に血みどろのオノを持ったリジー・ボーデン人形も販売されている。
現在、リジー・ボーデンは海外では、日本における妖怪や都市伝説のような感覚で扱われているが、実際に起こった残虐な殺人事件がベースであるから、あまり笑える話ではない。また、大学の教材になったり、この事件を題材にしたテレビ番組も作られた。
しかしその一方で、この殺害現場である屋敷には幽霊が出るという噂が立ち始めた。屋敷から不気味な男の声が聞こえたり、妙な人影が目撃されたりもする。
リジーが無罪となった未解決事件というだけではなく、惨劇となった屋敷の方は屋敷の方で、不気味な心霊スポットとして有名になっていった。
リジー・ボーデン・ハウス
そして事件から104年が過ぎた1996年、日付は事件のあった日と同じ8月4日、かつて惨劇のあったこの家は「リジー・ボーデン・ベッド・アンド・ブレックファスト・ミュージアム」と名付けられて、一般に公開されることとなった。「リジー・ボーデン・ハウス」とも紹介されている。名前の通り、リジー・ボーデンが両親を惨殺した事件をテーマにした博物館の意味合いを持った施設で、部屋には事件当時の現場写真も飾られており、母親アビー・ボーデンが殺されていた部屋には泊まることも出来る。
観光スポットとして観光客も訪れ、宿泊して帰る人もいる。
もちろん、この建物の中で何らかの奇怪な現象が起こるということも知られており、それを承知で泊まっていくのである。
建物には宿帳が置かれ、宿泊した人たちが様々なことを記入して帰って行く。事件から104年経ち、限りなく犯人の疑いの強かったリジー・ボーデン本人もこの世を去っており、この家にはリジーが殺害した両親以外に、加害者でありながらリジー本人の幽霊も出るとの噂があり、宿帳にはリジーに話しかける内容も見られる。
リジーへ。昨日の夜、僕に話しかけてくれたのはリジーですか?ビデオに映っている人が誰だっていい。ありがとう。
リジーへ。昨日の夜、来てくれてありがとう。窓が壊れなくてよかった。来年も会えると嬉しいな。
猫の泣き声が聞こえて、3階から足音が聞こえてきた。
部屋に入ったら、壁にかけてある写真が落ちた。
夜、猫の泣き声が聞こえた。ここには猫はいないはず。
といった形で、宿帳にはこういった妙な体験談が多く書き込まれているという。
リジーに語りかける書き込みもかなりあるというが、なぜか猫に関する記述も多い。宿泊客が何らかの形で猫と関わるような体験をしているのだ。
これはリジーが生前、この家でお茶会を開いた時、その中のお客にうるさくまとわりついていた猫がおり、リジーが怒ってその猫の首を切断して殺したことがあったらしい。その時の猫の霊がここにいるのではないかと言われている。
また、この屋敷が観光施設として機能している以上、この屋敷にはそこを管理する人も、ここで働くスタッフもいる。
管理人であるマイケルは、誰もいないはずの地下室から男のうめき声や猫の泣き声が聞こえてきたという体験を何度もしている。また、台所や地下室で撮った写真の中にオーブ(光の玉)が写っていたという写真も数知れず見てきたという。
女性スタッフのシェリーは、ベッドが猫の形にへこんでいるのを見ているし、同じく女性スタッフのジーンは、誰もいない部屋の中で足音だけが歩きまわっている音を聞いている。姿の見えない猫が自分の脚に身体をすりよせてきたこともあった。
また、ジャーナリストのジャネット・ブレナンも、このリジー・ボーデン・ハウスを取材に訪れた時に怪異を体験している。
2003年の8月にジャネットが取材でこの家を訪れた時、リジーが生前使っていたという部屋で一泊したのだが、その日の夜の午前2時ごろ、
部屋の外から聞こえてきた足音でジャネットが目を覚ますと、壁に苦痛に満ちた女の顔が浮き出ていた。
その夜は宿泊客はジャネット以外にはいなかったので、最初に聞こえた足音も、お客のものではない。
また、この家には地下室があり、リジーが両親を殺害した後、返り血で血まみれになった自分の服をこの地下室のストーブで燃やしたと言われているが、怪異が最も集中しているのがこの地下室である。オーブがたびたび撮影されたり、男のうめき声が録音されたのもこの地下室である。また、ビクトリア朝の衣服を着た女性の幽霊が目撃されたこともある。
海外のサイトでは、
「リジー・ボーデン・ハウス(Lizzie Borden House)は、宿泊と食事である。」
と紹介されている。
また、「この家では、泣き声や足音が聞こえてくる。人影がベッドの上に現れ、物が動く。ライトが揺らめき、ドアがひとりでに開閉する。宿泊客の中には、年老いたビクトリア朝の女性の幽霊を見た者もいる。」
と紹介しているサイトもある。
日本で、一家惨殺のあった家をこのように観光地化すれば、世間やマスコミからかなりの非難を浴びるであろうが、このあたりは国民性の違いと言える。
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