22人の殺害を自供した凶悪犯罪者「勝田清孝」とは

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勝田清孝事件

勝田清孝事件(かつたきよたかじけん)とは1972年から1983年にわたって行われた凶悪犯罪事件。

勝田清孝(かつた きよたか、1948年8月29日 - 2000年11月30日)は1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪極まりない犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。警察官を交通事故で呼び出し、駆けつけた警察官を車で轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、高速道路のサービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。

殺人の人数については22件について疑われ、本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、確定しているのは8人のみである。なお、勝田の犯行とされているものの多くは初め別件だと思われていた。

出典:勝田清孝事件 - Wikipedia

	

勝田清孝

			
かつたきよたか

京都府生まれ

1948年08月29日-2000年11月30日

1964(S39)/04 京都府立木津高校農業科

1965/11/18 バイクひったくり.木津署逮捕.

1965/12/24 大阪府の和泉少年院送致.高校退学処分

1966/07/07 和泉少年院仮退院

父勤務自動車部品会社へ就職

友人紹介で鉄工所勤務

1968/09 友人紹介女性と同棲開始(大阪市生野区アパート)

1970/02 奈良市の運送会社に転職、長距離トラック運転手(友人紹介).

1970/03/23 結婚

1971/07 長男誕生

1972(S47)/01 奈良市加茂町で第一勧業銀行の女子行員(19歳)暴行殺害事件. 警察は「少年院帰り」の勝田を疑い、勝田が勤める運送会社へ寝堀り葉堀り聞き込み.居づらくなる...友人アリバイ証言

1972/3/31(23歳) 相楽中消防組合発足.父の紹介で消防職員に

元消防士

立件殺人8件(うち女性五名)


出典:

	

生い立ち

勝田清孝は京都府相楽郡木津町(現・木津川市)に農家の長男として生まれる。高校在学中にひったくりで逮捕、大阪府の和泉少年院に送致される。退院後、職を転々とする。隣町の1歳下の女性と付き合い結婚を考えるが、「少年院帰りとは一緒にはできない」と女性の両親に断られ、勝田の両親も「家の格が違う」と反対。このため2人は大阪へ駆け落ち。奈良の運送会社で働き始めた後に、両家の承諾を得て結婚、子供が生まれる。

前歴を隠して23歳で消防職員採用試験に合格(すぐに職場で判明するが、それにより免職されることはなかった)。真面目な仕事ぶりで評価が高かったが、愛人や車などで金遣いが荒く、借金の穴埋めのために長距離輸送のアルバイトを始め、空き巣を始める。また、その前頃の時期に近隣の銀行で女子行員暴行殺害事件が起こるが、警察が勝田に疑惑の目を向け、そのために勝田は警察への不信と、うまくいかない人生への不満を募らせていた。水商売の女性のバッグには大金が入っていることが多いのに気付いた勝田は、クラブのホステスを狙いひったくりを繰り返すようになる。女性が騒ぐと容赦なく殺した。勝田が殺した5人の女性には、いずれも複雑な人間関係があり、それが発覚したために離婚や失職をした者もいる。大金を盗まれた形跡がないことから警察は怨恨や痴情のもつれが原因ではないかとの見方から顔見知りの犯行と判断し捜査を進めていたことから被害は拡大した。その裏で、勝田の借金はさらに膨らんでいった。


1974年、消防副士長となったのを機に、父親に賭博で負けたと嘘をつき200万円の借金を肩代わりしてもらって借金清算するも、車と酒と愛人の誘惑に勝てず、再び借金が増えていく。表彰20回、全国競技大会に2年連続入賞という実力で消防士長に昇格した頃には、昼間は真面目な消防隊員、夜は強盗殺人犯に変貌していた。


全国競技大会出場のころ、ぷっつり殺人も空き巣もやめていたのは、本職の消防士として責任ある地位についていたこと、また愛人の存在を知った妻が自殺未遂を起こし、愛人や車に貢ぐ金の工面どころではなかったからと後日、自供している。長距離輸送のアルバイトや空き巣や殺人を繰り返し、10年に及ぶ約300件の窃盗・強盗殺人の後、ようやく逮捕された。詳細な自供により、犯行の数々が明らかになった。


1972年から1980年までに7人を殺害した件と、1982年に警察官から奪った銃で警察庁広域重要指定113号事件を起こした件で2つの死刑判決を受けた。獄中で視力障害者のための点字翻訳ボランティアをしていた。なお名字を「藤原」に改名していた。2000年11月30日午前11時38分に死刑が執行されたが、自らの遺骨や所有物を全て燃やして欲しい旨の遺言を遺した。

1977年7月6日には殺人事件から6日後に「夫婦でドンピシャ!」というクイズ番組に出て優勝したというエピソードも残る(放映日は8月20日)。


出典:勝田清孝事件 - Wikipedia

	

犠牲者

犠牲者

中村博子 24歳

藤代玲子 35歳

伊藤照子 32歳

増田安紀子 28歳

識名ヨシ子33歳

1972年9月13日

昭和47年9月13日、京都府山科区で空き巣に入ったが、その部屋に住んでいる女性(ホステス)(24)がちょうど帰宅してきて、見つかってしまった。開き直った勝田は「金を出せ!」と脅した。恐怖した女性は「お金はありません。私の身体でよければあげますから・・。」

と答えたので、すぐに犯した。


終わった後、顔を見られていることと、自分が逃げようとした時に大声を出したので、パンストで首を絞めて殺した。

逃げる時、財布から千円を奪った。この時、勝田は24歳。


金に困っている勝田は、この頃から消防士の仕事が休みの時には長距離トラックのアルバイトをするようになった。そしてこれを利用して荷物を運んだ先の地域でも空き巣を働くようになった。

出典:No.065 22人の殺害を自供した大量殺人者・勝田清孝

中村博子(24歳)

被害品:現金1000円

1975年7月6日

3年後の昭和50年7月6日、大阪府吹田市で、空き巣に入れそうな家を探している時、クラブ経営者の女性(35)が、たまたま勝田の近くに車を停めて降りてきた。

ハンドバッグを持っていたので、これをひったくろうとして手をかけたが失敗する。その後、この女性と揉(も)み合いになったので、ロープで首を絞めて殺した。


遺体はこの女性の車に乗せて農業用の池に捨て、車の方は火をつけて燃やした。現金約10万円を奪った。

出典:No.065 22人の殺害を自供した大量殺人者・勝田清孝

藤代玲子(35歳)

被害品:現金約10万円

1976年 3月5日

翌年の昭和51年3月5日、勝田が名古屋市中区を車で走っていた時、若い女性(ホステス 27)が運転する外車を見つけ、これをターゲットに決める。

そのまま車で後をつけ、女性が自宅らしき所へ車を停めて降りてきた所へ駆けよってハンドバッグをひったくろうとしたが、またしても失敗する。


騒がれたので絞殺した。遺体をその女性の車に乗せて自分で運転し、遺体は田んぼに捨てた。遺体のむき出しの下半身にすすきの穂を差し込んで立ち去った。この時には現金約12万円を奪っている。


この車も15kmほど離れた所に放置して逃げた。

出典:No.065 22人の殺害を自供した大量殺人者・勝田清孝

伊藤照子(32歳)

被害品:現金約12万円

1977年 6月30日

さらに翌年の昭和52年6月30日、名古屋市南区で空き巣に入れる家を探していたところ、たまたま一人の女性(マージャン店のパート従業員 28)が、外出しようとしているところを発見した。

女性が鍵をかけずに、ドアから立ち去ったのを見た勝田はすぐにこの家に忍び込み、家具の中から4万円を見つけた。逃げようとしたところ、この女性が帰って来てしまい、バッタリと出くわした。女性が大声を上げたために、家の中に引っ張り込み、家の中にあったヒモ状のもので首を絞めて殺した。

出典:No.065 22人の殺害を自供した大量殺人者・勝田清孝

増田安紀子(28歳)

被害品:現金4万円

1977年 8月12日

その2ヵ月後の8月12日、名古屋市昭和区で、勝田は次のターゲットにしようと思っていたマンションの下見に訪れた。3階の通路をうろついていると、すぐ前のドアが開き、一人の女性(美容師の女性 33)が顔を出した。

「あんた誰?何してんの?」


不審がられてヤバイと感じた勝田はこの女性に襲いかかり、部屋の中へと押し入って、パンストで女性の首を絞めて殺した。遺体はベッドと壁の隙間に隠し、45万円相当のダイヤの指輪を奪って逃走した。

出典:No.065 22人の殺害を自供した大量殺人者・勝田清孝

識名ヨシ子(33歳)

被害品:45万円相当のダイヤの指輪

1977年12月13日

12月13日午後5時過ぎ、29歳のとき、神戸市中央区のビルの北側通路で兵庫労働金庫神戸東支店職員の井上裕正(25歳)めがけて散弾銃を発射。左肩から肺にかけて散弾30数発が入り、井上は2日後に出血多量で死亡した。このとき、現金約410万円が入ったカバンを奪っている。猟銃は11月20日、奈良県天理市の銃砲店の前に駐車している車から盗んだものだった。このときの犯行に使ったトラックは12月9日、名古屋市内の青果会社の駐車場から盗んだものだった。

12月30日、次男が誕生した。


1980年(昭和55年)2月15日、31歳のとき、名古屋市瑞穂区で、瀬戸信金瑞穂通支店職員(当時43歳)を散弾銃で脅して、小切手3通、収入印紙21枚、額面総計26万6100円が入った鞄などを奪った。

出典:勝田清孝連続殺人事件

井上裕正(25歳)

被害品:現金約410万円

1980年 7月31日

7月31日午前0時過ぎ、31歳のとき、名古屋市名東区のスーパー「中部松坂屋ストア」(現・松坂屋ストア)の駐車場で帰宅しようと車の運転席にいた夜間店長の本間一郎(35歳)に散弾銃を突きつけ、「静かにして言うことを聞けば何もしない」などと脅迫。本間を事務所に連行し、金庫を開けさせ、総額576万円余りの現金と商品券を奪った。その後、本間に盗難車のカローラを運転させ、中区にある車庫に止めたところで、本間が銃を奪おうとするなど抵抗したため、散弾銃を胸にめがけて一発発射、出血多量で死亡させた。散弾は前年の12月8日に名古屋市内の車のトランクから、散弾銃は12月29日に名古屋市内の猟銃愛好家の自宅から盗んだものだった。

11月8日、32歳のとき、勝田は車上狙いで逮捕され、懲役10ヶ月・執行猶予3年の判決を受け、消防組合を懲戒免職になった。消防士として在職中、救難救助訓練に励み、表彰を受けること約20回に及び、全国競技大会に2年連続入賞していた。その後、勝田は妻と子ども2人とともに京都府城陽市のマンションに転居し、勝田はトラック運転手になった。


1981年(昭和56年)2月、愛知県小牧市の「ホーエー家電小牧店」で店員を脅し、107万円を強奪した。


1982年(昭和57年)2月、33歳のとき、京都市や山科区でスナックを経営する女性(当時32歳)と知り合い、9月、同区内に密会のためのマンションを借りた。部屋代は月5万2000円、家具に200万円かけた。この頃には妻に愛想をつかされ別居状態だった。

10月27日午後9時ごろ、34歳のとき、勝田は名古屋市千種区で、警察に「近くに盗難車っぽい黒い車があるから調べてくれ」という内容の電話をした。午後9時25分ごろにも「早く来てください。不審者もいる」という電話をした。愛知県警千種署の田代北派出所で勤務中だった長橋裕明巡査(当時33歳)がやがて徒歩で現場に現れた。だが、そこには誰もいなかったので、長橋巡査は近くに停めてあったクラウン・スーパーサルーンのナンバーを控えて戻ろうとした。そのとき、突然、クラウンに乗っていた勝田が長橋巡査をはね飛ばした。さらに、勝田は「どうした」と声をかけて、鉄棒で数回殴って全治4ヶ月の重傷を負わせ、腰につけたサックからニューナンブ38口径の拳銃を奪った。


10月31日午前2時50分ごろ、静岡県浜松市鹿谷町(現:浜松市中区鹿谷町)の「トウア名残店」にヘルメット、サングラス、タオルで覆面し、右手に拳銃を持って侵入した。同店の店員3人に対して「騒ぐな。名古屋で拳銃が強奪された事件を知っているだろう。この拳銃がそうだ。金を出せ」と言って脅した。だが、店員がスキを見て、店外に脱出したため、勝田はあわてて店外へ脱出した。

出典:勝田清孝連続殺人事件

	
本間一郎(35歳)

被害品:現金576万円余りと商品券

出典:勝田清孝連続殺人事件

	

1982年 10月31日

同日午後8時過ぎ、千葉市へ帰宅途中であった溶接工の神山光春(27歳)は、大津サービスエリアの上り線駐車場に車を停車させていた。そこへ、勝田が助手席に乗り込み、「名古屋まで乗せて行ってくれ」と強引に頼んだ。走り出してすぐ、勝田のジャンパーのポケットから拳銃が足元にこぼれ落ちたが、拾い上げて「逃げると撃つぞ」と脅して、瀬田西インターチェンジから国道1号線に出て、名古屋方面に向かわせた。

午後9時30分ごろ、滋賀県草津市の路上で、神山は車を急停車させ、勝田の右手につかみかかり、拳銃を奪おうとしたが、勝田はこれをふりほどき、神山を何かで縛ろうとして、後部座席に移動しようとした。そのとき、神山は再び、勝田の手をつかんで、拳銃を取り上げようとした。怒った勝田は神山の胸に拳銃を発砲、後部座席に神山を乗せたまま、勝田は名古屋市内の深夜スーパーを狙うため、国道41号線を名古屋に向けて走った。神山は「水をくれ」「冷たいものをくれ」と言っていたので、まだ生きていたことに驚き、病院を探すが、見つからず、まもなく静かになったので、死亡したと判断した。このとき、勝田は神山から現金4万円を盗んでいる。名古屋での強盗を諦め、小牧インターチェンジから高速道路に入った。

翌11月1日午前2時ごろ、勝田は養老サービスエリア下り線駐車場に着くと、車から降り、血の付いた手袋をエリア内のゴミカゴに捨てた。このとき、ガソリンスタンド従業員の小畑俊弘(当時43歳)に一部始終を見られてしまったと思い、スタンドの売上げ金を奪おうとして、隠し持っていた短銃を小畑に突きつけ、「名古屋の短銃事件を知っているやろ。売上げ金を出せ」と脅かした。小畑が逃げようと後ずさりしたとたん、勝田は弾丸を胸に命中させ、全治2ヶ月の重傷を負わせた。勝田は売上げ金を諦め、逃げる途中、ジャンパーなどを脱ぎ捨て、京都方面に向かうトラックに乗せてもらい、大津サービスエリアに駐車しておいた自分のクラウン・スーパーサルーンで家に戻った。

出典:勝田清孝連続殺人事件

神山光春(27歳)

被害品:現金4万円

勝田、クイズ番組に出演

4件目のマージャン店の店員を殺害してから6日後の昭和52年7月6日、勝田はかねてから応募していた朝日放送のクイズ番組「夫婦でドンピシャ!」の収録に行っている。この番組は8月20日に放送された。

番組の中で勝田は消防士として登場し

「僕は(女は)痩せ型の方を好むんですわ。(妻のこと)顔は毎日見飽きてるけど、スタイルは100人中10番で合格ですわ。」

と、のろける一面を見せている。


勝田夫妻は、賞金8万円と商品券10万円を獲得した。


裏では数々の殺人を行っていた勝田だったが、表ではこのような明るい平凡な亭主であった。また、仕事としての消防士の面でも優秀で、28歳の時に消防士長に昇格しており、救難救助訓練では20回以上も表彰を受け、全国競技大会には2年連続で入賞している。

出典:No.065 22人の殺害を自供した大量殺人者・勝田清孝

	

夫婦でドンピシャ!

			

勝田清孝

			

勝田清孝

			
夫婦でドンピシャ!

出典:夫婦でドンピシャ! - Wikipedia

『夫婦でドンピシャ!』(ふうふでドンピシャ)は、1976年4月3日から1982年10月9日まで朝日放送(ABCテレビ)で放送された視聴者参加型のクイズ番組である。

元々は1975年10月から1976年3月まで『夫婦善哉』の後番組として土曜22時台後半枠で全国放送されていた『三枝・アンヌの愛あいゲーム』で、それが終了した後に土曜12時台のローカル枠へ移動させたものだった。関西ローカルに降格したものの、北海道テレビ放送、東日本放送、静岡朝日テレビ(当時は静岡県民テレビ、途中からネット開始)、広島ホームテレビ、九州朝日放送などの一部のANN系列局や系列外の新潟放送や山口放送などでも放映していた。

勝田清孝の最後

最初の殺人から10年以上、勝田の命運の尽きる日がやってきた。

 昭和58年1月31日、名古屋市昭和区の第一勧業銀行で従業員の給料102万円を下しに来た会社社長が社用車に乗り込もうとすると、突然助手席に勝田が押し入り拳銃を突きつけた。

 ところが時間稼ぎをしているうちに駐車場に新たな客が入ってきて、勝田の注意がそれた瞬間を見計らって社長は反撃、うっかり銃を落としてしまった勝田は逃げようとするもその場で取り押さえられてしまう。

 前代未聞の大量殺人犯にしてはしまらない最後であった。

 その後の自白によって迷宮入りしていた数々の殺人事件の全容が明かされるも、すでに証拠が散逸していることもあって立件されたのは8件のみにとどまった。

 勝田の自供では22名を殺害した、とあるが、死体が発見されなかった例も多く、そのまま迷宮入りとされた残る14件の遺族の方々には言葉もない。

 勝田の犯行は短絡的でいつ犯行が判明してもおかしくはなかった。

 たまたま運がよく犯行がばれなかったために犠牲が多くなったという点ではアンドレイ・チカチーロと類似するものがあると思う。

 勝田は浪費癖のあるただの小悪党であり、タイミングさえ合えば最初の殺人で逮捕されてしまったもおかしくなかった程度の存在だった。。

 だが、短絡的で衝動的に相手を殺すという点において、勝田は綿密な計画を立て殺人を遂行するプロよりも人間的に遥かに恐ろしい存在であったように思う。

出典:忍者ホームページ

	

勝田死刑囚が強盗に失敗、逮捕につながった名古屋市昭和区の銀行支店駐車場

			

勝田清孝の遺言書

お姉さん、お母さん、

いろいろお世話になりまして、本当に有り難うございました。

お姉さん、喧嘩ばかりして ごめんなさいね。私の本音は 

心よりお姉さんを信頼しておりました。

なのに、怒らせるようなことばかり繰り返して 

実に済まぬことだったと深く反省しております。許してください。

急な宣告に、今は大変ショックで とても冷静とは言い難いですが

自分の犯罪を省みて、この急な宣告も仕方が無いか・・・と、

もう諦めの境地に自分を導いている次第です。

他にも沢山のことを書きたいのですが、あまり時間も無いので

この辺で失礼致します。

本当に有り難うございました。

母上にも、どうか、どうか よろしくお伝えください。

そして、姉上、母上共に、私奴のような人間のことは一日も早く忘れ、

決して泣かぬよう、幸せな日々をお過ごしください。

私奴の為に、○○さんや□□さんの育児に専念できなかったこと、

深くお詫びし、最後、お礼とお詫びを申し上げたいと思います。

本当に有り難うございました。

私は幸せ者でした.姉上と母上のあたたかいお心しらいに

心より感謝し、さよならを申し上げます。

本当に本当に有り難うございました。

平成12年11月30日

藤原清孝拝

出典:

	
1994年 1月17日最高裁上告棄却  藤原家へ入籍

出典:

	

逮捕され拘置所に移送される勝田

			

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