日本で起きたストーカー殺人事件

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ストーカーとは

ストーカー(英: stalker)とは、特定の他者に対して執拗に付き纏う行為を行う人間のことをいう。その行為は、ストーカー行為あるいはストーキングと呼ばれる。

日本ではかつて、ストーカー行為はエスカレートになると名誉毀損罪や脅迫罪で取り締まれる事例もあるが、そこまでエスカレートする前段階では拘留や科料しか罰が規定されていない軽犯罪法違反くらいでしか取り締まりができない事例があり、それでは不十分としてストーカー規制法が2000年(平成12年)に制定された。また地方自治体でもストーカー行為を刑事罰に規定した迷惑防止条例が制定される例もでてきた。また、ストーカー規制法以外につきまとい行為を規制する法律としては、配偶者暴力防止法、児童虐待防止法、暴力団対策法がある。

以前から同様の行為は存在したが、『ストーカー』という呼称が定着したのは日本では1990年代に入ってからである。それまでは見知らぬ相手の場合は「変質者」、知り合いの場合は「痴情のもつれ」という言葉が使われていた。

出典:ストーカー - Wikipedia

	

三鷹ストーカー殺人事件(東京三鷹高3女子刺殺事件)

2013年10月8日午後4時55分頃、東京都三鷹市井の頭1丁目の路上で、「女の人が刺されている」と110番通報があった。三鷹署員が駆けつけると、近くの私立高3年の18歳女子生徒が、首から血を流して倒れていた。女子生徒が倒れていたのは自宅前の路上。制服姿で、自宅の庭先にも血痕があった。約2時間後、収容先病院で18歳女子生徒の死亡を確認した。

 午後6時半頃、三鷹署員が三鷹市牟礼3丁目の路上で現場から逃げた男とよく似た男を発見。住所不定、職業不詳の21歳男を殺人未遂容疑で逮捕した。


 10日午前、警視庁捜査1課は、21歳男を殺人、住居侵入容疑で東京地検立川支部に送検。司法解剖の結果、女子生徒は首や肩、腹など計5ヶ所を刺された失血死と判明した。


 29日、東京地検立川支部は、21歳男を殺人、銃刀法違反、住居侵入罪で東京地裁立川支部へ起訴した。

出典:裁判員裁判 東京三鷹高3女子刺殺事件(三鷹ストーカー殺人事件)

	
東京・三鷹市で起きたストーカー殺人事件で、逮捕された男は、女子高校生の自宅の 

クローゼットで待ち伏せしていた際に、「かなりストーカーじみたことをしている」などとの

メッセージを友人に送っていたことがわかった。

池永チャールストーマス容疑者(21)は10月8日、三鷹市井の頭で、元交際相手の高校3年

の鈴木沙彩さん(18)の自宅に忍び込んで、クローゼットで待ち伏せし、帰宅した鈴木さんを

ナイフで刺して殺害した疑いなどが持たれている。

池永容疑者の友人によると、池永容疑者は、犯行直前にクローゼットで待ち伏せをしていた際、

スマートフォンなどの無料通話アプリ「LINE」で、友人に「元カノのおしいれにて」、「ふんぎりが

つかないからかなりストーカーじみたことをしている」、「神様反省してるので助けてください」

などと送っていたことが新たにわかった。

メッセージは、「詰みだわ」との言葉を最後に連絡は途絶え、その2時間半後に、池永容疑者は

鈴木さんを殺害したものとみられている。

池永容疑者の友人は「彼女と鉢合わせして、彼女が叫んで外に飛び出したというか。

外に飛び出していってしまったので、自分が追いかけて、カッとなってやってしまったと」と話した。

出典:【三鷹女子高生殺害事件】「鉢合わせしたら終わる」「まだリスクは犯したくない 神様たすけて」チャールストーマス刺殺犯(21)被害者宅押し入れよりLINE送信:Birth of Blues

	

池永チャールストーマス容疑者

			

トーマスの「ライントーク」まとめ

			

トーマスの「ライントーク」まとめ

			

桶川ストーカー殺人事件

桶川ストーカー殺人事件(おけがわストーカーさつじんじけん)とは、1999年(平成11年)10月26日に埼玉県桶川市の東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線桶川駅前で、女子大生(当時21歳)が元交際相手(当時27歳)とその兄が雇った男によって殺害された事件である。

出典:桶川ストーカー殺人事件 - Wikipedia

	
1999年10月26日午後0時55分頃、埼玉県桶川市のJR桶川駅西口前のスーパー脇の路上で、上尾市在住の跡見学園女子大2年・S子さん(21歳)が男にナイフで左胸と脇腹を刺された。男は逃走し、S子さんは病院に運ばれたが、まもなく出血多量で死亡した。

 S子さんは大学に向かう途中に、自転車置場に自転車をとめたところを襲われたものと見られた。

 

 当初は通り魔の犯罪とも見られた事件だが、家族や友人の話から1人の男の名が浮上した。

 男は、以前にS子さんと交際していたという元風俗店経営・小松和人(当時27歳)のことである。小松はこの年の1月頃にS子さんと知り合い、交際と始めていたが、別れ話を切り出されると、執拗に嫌がらせを繰り返していた。いわゆる「ストーカー」という行為である。ストーカーはそれまでにTVドラマなどで取り上げられたりして、一般の人々にその意味合いは知られていたが、実際に殺人事件にまで発展するケースは稀だった。

 和人はS子さんの前に交際していた女性に対しても同じような嫌がらせをしていたようだった。その和人も、事件後から行方をくらませていた。


 ただ和人は身長180cmで「羽賀研二と松田優作を足して2で割ったような色男」らしく、目撃者の証言から「短髪、小太り、青いシャツ、身長170cmくらい」だというS子さんを刺した男とはどうも特徴が一致しなかった。

 小松の経営していたとされるヘルスのあるマンションの一室は、看板などは残っているものの、もぬけの殻だった。


 12月19日、小松和人の兄、小松武史(元消防庁職員 当時32歳)が経営する風俗店の店主・久保田祥史(当時34歳)が殺人容疑で逮捕された。久保田はS子さんを刺したという男の目撃証言とぴったり合っており、和人ともつながりがあった。

 その翌日には武史、伊藤嘉孝(当時32歳)、川上聡(当時31歳)の3人も逮捕された。ちなみにこの4人の居場所をつきとめたのは警察ではなく、写真週刊誌「フォーカス」だった。彼らは事件が大々的に報道されると、店を閉めていたという。

 武史は8月頃に和人からS子さん殺害を依頼され、約2000万円を払って久保田に殺害を持ちかけた。ちなみに武史が兼業で風俗店を経営していたことは、職場(消防庁)では誰にも知られていなかった。


 年が明けて、2000年1月16日、S子さんに対する中傷ビラなどによる名誉毀損容疑で12人も逮捕された。

 だが首謀者と見られる小松和人だけは行方がわからず、指名手配した。武史は「和人は自殺するつもりだ」と言って彼の行きそうな場所を教えていた。


 1月27日、北海道弟子屈町の屈斜路湖で、男性の水死体がハクチョウを撮りに来ていたアマチュアカメラマンによって発見された。遺体は小松和人で、死後2、3日経過しており、自殺と見られた。その理由は首のまわりに浴衣の紐が巻かれていたことや、手首にためらい傷、体内から睡眠薬が検出されたからだった。

 和人は事件直前に沖縄へわたり、その後名古屋に潜伏した後、北海道へ来ていた。

1999年1月、和人とS子さんは大宮駅東口のゲームセンターで知り合った。声をかけてきた和人はこの時、名前を「誠」、職業は外車ディーラー、年齢を23歳と詐称していた。確かに年よりは若く見える男だった。


 やがて2人は交際を始める。最初は優しい男だった。

 和人は常に札束を持ち歩き、高級ブランド品をプレゼントするなどしていた。それをS子さんが遠慮すると、「俺の気持ちをなぜ受け取れないんだ!」と怒鳴り出したという。

 また3月20日に池袋の和人のマンションに遊びに行った時、はなぜか室内にビデオカメラが仕掛けられていた。S子さんがそのことを尋ねると、和人は「お前、俺に逆らうのか。なら、今までプレゼントした洋服代として100万円支払え!」と言って怒りだし、壁を何度も殴りつけて穴を開けたという。和人はさらに「返さなければ風俗で働け」、「俺と別れるんだったら、お前の親がどうなっても知らないよ。リストラさせてやる」と脅してきたため、S子さんは恐怖にかられたものの、仕方なく交際を続けた。


 その日から、和人は頻繁に電話をかけてくるようになった。30分おきに電話して、彼女の生活を知ろうとした。S子さんが出ないと、自宅や友人のところに電話をかけた。

 S子さんが愛犬の散歩中にかかってきた電話では、「俺を放っておいて、犬の散歩してるのか。おまえの犬も殺してやるぞ」と怒鳴った。


 3月24日、S子さん、友人に「私、殺されるかもしれない」と話す。


 4月、S子さんは和人に嫌われるために、強烈なパーマをかけた。しかし、S子さんの友人づてに事情を聞いた和人にはこの作戦はバレていた。


 4月21日、和人は「お前は折れとだけ付き合うんだよ。その誠意をきちんと見せろ」と、S子さんに携帯電話を2つに折るように命令した。S子さんは言われた通りにし、友人の番号メモリーを失うことになった。


 6月14日、異常な和人の愛に我慢できなくなったS子さんは池袋駅構内の喫茶店で別れ話を切り出す。それまでにも何度か「別れて欲しい」と頼んでいたが、父親の勤め先などの情報を手に入れており、「リストラさせてやる。そうすりゃ、小学生と浪人生の弟達は学校に行けなくなっちゃうよ」、「それでも別れるというなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す」と脅されていた。

 この日の別れ話はS子さんにとって、決死の告白だったはずだ。これに対して、和人は「弁護士に相談する」と言って電話をかけた。S子さんが電話をかけると、弁護士と名乗る男は「今からお宅に伺います」と言って電話を切った。


 その夜、和人と武史、柳直之(当時29歳)の3人がS子さん宅にあがりこんだ。

 和人の上司と名乗った武史が言う。

「和人が会社の金を500万円横領して、お宅の娘に貢いだので半分の250万円を支払え。しかもこいつ(和人)を精神的に不安定にした。病院の診断書があるんだ。とにかく誠意を見せろ」

 父親が帰宅してきて、「女しかいないところに上がり込んでいるのはおかしいじゃないか。警察がいる前で話そう」と一喝されると、男達は「会社に内容証明付きの文書を送りつけるから、覚えておけ」と吐いてようやく帰っていった。この時、S子さんはこのやりとりをカセットテープに録音していた。

 和人はその帰り道、仲間に「このままじゃ気が済まない。S子とセックスしている時の写真があるから、それをバラ撒こう。それに、レイプしてビデオに撮影しよう。柳さん、やってみない?成功報酬として500万円出すからさ」と持ちかけた。


 翌15日、S子さんと母親は、前夜に録音したカセットテープを持参して上尾署に相談に訪れた。しかし、署員は「事件か民事かギリギリだな。警察は難しいよ。あんたもいい思いしたんじゃないの」と、真剣に対応しなかった。

7月13日、S子さん宅の近所などで、中傷ビラがばらまかれた。ビラはS子さんの顔写真、実名、「WANTED」「天にかわっておしおきよ!!」という見出し、それから彼女を誹謗中傷する台詞もある手の込んだものだった。このビラは専門の業者が作ったもので、S子さんの通う大学近くや最寄の駅前にもあった。

 またS子さんの顔写真、「大人の男性募集」というメッセージ、電話番号が記載されたカードが都内でもばらまかれており、インターネットにも同様の書きこみがあった。ちなみにこの頃和人はアリバイづくりのために沖縄に滞在していた。

 近所の人からビラについて知らされたS子さんの母親は上尾署に向かったが、簡単に事情聴取しただけで帰された。母子はその後も何度も警察署に相談したが、「大学の試験があるんでしょう?終わってからでいいじゃない。一週間後に来てよ」などと相手にされなかった。


 7月下旬、S子さんは上尾署に訪れ、「犯人は小松和人に間違いありません」と名誉毀損容疑で告訴。だが警察は捜査をした気配はなかった。


 8月下旬、S子さんの父親の勤務先や、その本社にも中傷文書届く。その封書は550通にも及ぶ。このことがあって父親は警察に相談に行ったが、「警察は忙しいんですよ」とまたもまずい対応をした。


 9月、上尾署係員は仕事が増えるのを嫌がり、S子さんの「告訴」を「被害届」に改ざん。S子さんの母親に「告訴取り下げ」を要請した。


 そんななかで事件は起こった。

 事件後、上尾署では捜査ミスを隠すために嘘の調書を作成していた。

 

 S子さんは、和人を中心とした何人もの男に散々名誉を傷つけられたうえ、殺害された。しかも、警察には放置され、事件直後の報道では、「ブランド品依存症の女子大生」とされるなど、誤報も目立った。S子さんとその家族は、つまり、二重、三重の被害者となっていたと言える。S子さんが、もしもの時のために小松による殺害を示唆した遺書のようなメモを残していたことが悲しい。「いつか殺される」という不安はかなりのものだったのだろう。

出典:桶川・女子大生ストーカー殺人事件

	
	
警察のひどい失態

出典:警察最大の黒歴史は桶川ストーカー殺人事件 : まとめでぃあ

・ストーカー被害の告訴状を被害届に改ざん 

・結果として捜査せず、殺人事件が起きてしまう

・火消しのためにマスコミに意図的な情報を流し被害者にも非があったという報道をさせる

・犯人を週刊誌記者に先に特定されてしまう

・その記者から情報提供を受けるも犯人を逮捕する気配なし

・実行犯は逮捕するも、主犯は逃亡しその後ヤクザがらみで何かあったらしく「自殺」

・めちゃくちゃな操作が国会で暴露されるも、数名の警察官を懲戒するだけでおしまい

・遺族が訴えを起こすと、一転「お前たちは金がほしいから訴えているんだろう」

・殺人事件の捜査のために押収した資料を警察が自己弁護に使う

・被害者が生命の危機を感じて予め記した遺書は、遺書ではなく妄想を書き綴った手紙という警察の主張

・しかし、主犯の遺書は間違い無く遺書である

警察官処分

出典:

この事件で、杜撰な対応をした警察官は以下の処分が下された

桐敏男、古田裕一、本多剛の3人を懲戒免職処分

西村浩司埼玉県警本部長(当時55歳)を減給10%(1ヶ月)

茂木邦英県警刑事部主席調査官(当時48歳/当時・上尾署刑事生活安全担当次長)を減給10%(4ヶ月)

横内泉刑事部長(当時40歳)を減給5%(1ヶ月)

渡部兼光上尾署長(当時55歳)を減給10%(2ヶ月)

山田効上尾署刑事生活安全担当次長(当時46歳)を減給10%(1ヶ月)他

逗子ストーカー殺人事件

逗子ストーカー殺人事件(ずしストーカーさつじんじけん)とは、2012年11月6日に神奈川県逗子市で発生した殺人事件。

出典:逗子ストーカー殺人事件 - Wikipedia

	
2012年11月6日、神奈川県逗子市のアパート1階居間で当時33歳のフリーデザイナーの女性が刃物で刺殺され、犯人の東京都在住の元交際相手の当時40歳の男性が同じアパートの2階の出窓にひもをかけ、首吊り自殺した。

2人は2004年頃から交際したが2年ほどで別れ、被害女性は2008年夏に結婚し逗子市に転居したが、元交際相手の加害男性には新しい姓や住所は隠していた。2010年4月頃に被害女性の結婚を知った加害男性から嫌がらせメールが届くようになった。メールは次第にエスカレートし、2011年4月には「刺し殺す」などと被害女性を脅すメールが1日に80通から100通送りつけられたため、女性はその旨を警察に相談し、同年6月に脅迫罪容疑で加害男性が逮捕される。同年9月に懲役1年・執行猶予3年の有罪判決が確定。同年7月にはストーカー規制法に基づく警告が出され、同年9月には被害女性の家に防犯カメラが設置された。

2012年3月下旬から4月上旬にかけて、被害女性は計1089通に上る嫌がらせメールが加害男性から送りつけられたため、警察に相談するも、メールには「結婚を約束したのに別の男と結婚した。契約不履行で慰謝料を払え」などと書かれていたが、警察は違法行為に該当しないとして立件を見送っていた。4月上旬以降はメールが届かなくなり、被害女性から警察に「静観したい」との申し出を受けたが、自宅周辺で頻繁にパトロールを実施。

また加害男性は2011年6月の逮捕前及び同年9月の有罪判決後からYahoo!知恵袋で複数のアカウントを使って400件にもわたって質問をし、被害女性の居住地域や殺害に関する情報を収集しようとしていたとみられている。事件直前の2012月11月に探偵事務所に被害女性の居場所を調べてほしいと依頼して、探偵事務所から所在確認の連絡を受けたことが判明している。

嫌がらせが収まっていたこともあり被害女性は借りていた防犯カメラを返却したが、その直後の2012年11月6日に殺人事件が起こった。事件直前に付近のコンビニの防犯カメラに、段ボール箱を持ちながら買い物をする加害男性が映っていたことや被害女性の玄関先に持ってきた段ボール箱を放置していたことから、加害男性は被害女性や近隣住民に怪しまれないよう運送業者を装って犯行に及んだ可能性がある。加害男性は無施錠だった1階窓から侵入して犯行に及んだとみられている。同年12月28日に被疑者死亡として不起訴処分となった。

出典:逗子ストーカー殺人事件 - Wikipedia

	
Yahoo!知恵袋の投稿履歴
質問用アカウント一覧


(犯人は3アカウントを使用して質問していた)

住所入手の男、再逮捕=夫装い電話、市業務妨害の疑い-逗子ストーカー殺人

			

新橋ストーカー殺人事件

新橋ストーカー殺人事件(しんばしストーカーさつじんじけん)とは、2009年8月に発生した殺人事件。被害者の職業から「耳かき店員殺害事件」とも称されている。

出典:新橋ストーカー殺人事件 - Wikipedia

	
2009年8月3日午前8時50分頃、東京都港区西新橋の民家で、耳かき専門店の女性従業員(当時21歳)とその祖母(当時78歳)が襲われる事件が発生。2人は顔や首などを刃物で刺され、祖母はその場で死亡、女性従業員は意識不明の状態で病院に搬送されたが1ヶ月後の9月7日に死亡した。事件発生当時に現場にいた会社員の男(当時41歳)が逮捕された。

被害者の女性は東京都秋葉原の耳かき専門店で働く、いわゆる耳かき嬢であった。勤務していた店舗でナンバー1の人気嬢であり、多い時は1ヶ月に65万円の収入を得ていた。一方、被疑者の男は2008年2月からこの耳かき専門店に通い始め、この女性従業員を指名し続けて店に通う頻度が上がり、最終的に同店で少なくとも200万円以上を費やした。2009年4月5日、被疑者は女性従業員に店外で会うことを要求したとして店を出入禁止となり、その後、女性従業員にストーカー行為をするようになった。女性従業員が拒否を続けることで、被疑者の女性従業員に対する愛情が憎悪に変わり、8月3日、被疑者は、果物ナイフ、包丁、ハンマーを準備して女性従業員の自宅を訪れ、応対した祖母を1階の玄関先で刺した後、2階にいた女性従業員を刺した。


8月24日、被疑者は殺人および殺人未遂の疑いで東京地検によって起訴された。その後、女性従業員が死亡したことにより、起訴内容は2人の殺人容疑に変更された。


この事件は裁判員裁判の対象であり、裁判員裁判として初めて死刑が求刑された裁判である。(判決は無期懲役刑が確定した)

出典:新橋ストーカー殺人事件 - フレッシュアイペディア

	

東京・愛宕署から移送される林貢二容疑者

			
裁判


2010年1月8日 : 東京地方裁判所にて、第1回公判前整理手続が行われた。


2010年5月6日 : 第5回公判前整理手続において、被告の精神鑑定実施を決定。その後、鑑定の結果、被告には完全責任能力があるとされた。


2010年10月19日 : 東京地方裁判所にて初公判。裁判長は若園敦雄。検察・弁護双方で事実関係の認定に相違はなく、また被告の責任能力にも争いはない。公判の中で検察は、被告の身勝手で一方的な性格や、被告に強い殺意があったことを主張した。それに対し弁護側は、被告が反省し、遺族からの損害賠償請求の申し出に応じる意思を示していること、耳かき店の中での被告と被害者の関係が良好であったことを述べた。


2010年10月25日 : 検察側の論告求刑、弁護側の最終弁論が行われる。検察は、2人を殺害したこと、残虐性が高いこと、計画的犯行であること等を挙げ、死刑を求刑。弁護側は、計画性を否定し、被告が反省の意を示していること、前科が無いこと等から、死刑の回避を主張した。公判はこの日で結審し、翌日から4日間の評議が始まった。


2010年11月1日 : 午後3時30分から判決公判。これは当初は午前11時開廷予定であったが、当日まで評議が終わらず午後に変更されたもの。判決は無期懲役。判決では、被告の身勝手さを認定するものの、祖母の殺害に計画性は認めなかった。また、被告の反省態度も一部認定し、無期懲役刑に処すこととなった。被害者遺族は反発し、検察に裁判の続行を依頼。一方、被告側弁護人は、控訴しない意思を表明した。


2010年11月12日 : 東京地検が、本件に関して控訴しない方針を発表。


2010年11月15日 : 控訴期限が到来。一審判決が確定した。

出典:

	

長崎ストーカー殺人事件(長崎女性2人殺害事件)

2011年12月16日、長崎県西海(さいかい)市でHさん(77歳)とMさん(56歳)が殺害され、 自宅敷地内のワゴン車の荷台に血まみれで発見された。翌17日、長崎県警は三重県桑名市の無職・筒井郷太(27歳)を殺人、 住居侵入の容疑で逮捕した。 筒井は、Mさんの三女の元交際相手で交際を巡るトラブルから2人を殺害した。 

三女と筒井はネットを通じて知り合い2011年2月下旬頃から交際に至った。当時無職であった筒井は三女が一人暮らしをしていた千葉県の 家に居座り日常的に暴力を繰り返していた。三女は千葉県内のスーパーに勤めていたが、帰宅時間が少し遅れただけでも 筒井から暴力を受け身体中がアザだらけになり、頭から血が出るくらい叩かれ、熱が出ても病院へ行かせてもらえなかったほどだった。


 2011年10月29日に三女の父親から相談をうけた長崎県警は、千葉県警に通報。 通報を受けた千葉県警は10月30日に筒井に事情聴取や警告を行っていたが、筒井は三女から引き離された事を機に、ストーカー行為を行い、三女や三女の知人に 「居場所を教えなければ殺す」「家族を殺す」等の脅迫メールを送っていた。


 千葉県警は12月9日に筒井を再度出頭させ警告を行い、筒井は「自分からは連絡を取らない」と応じ、実家のある三重県に 帰った。

 その後、12月12日に三女は、9月と10月に自宅や千葉県習志野市内の路上で顔を殴られるなど怪我を受けたとして、千葉県警習志野署に傷害の被害届を提出している。 千葉県警は同日付で被害届を受理し、12月14日に捜査を開始したが、同日筒井は自宅で父親の顔面を殴り行方不明となった。筒井の父親はその後、東京都内で三女の父親とと面会。 「息子が自分の顔を殴り、金を持って姿を消した。気を付けてほしい」と伝えていた。


2011年12月16日、午後6時頃、筒井は長崎県の三女の実家の祖母宅に窓ガラスを割って侵入し祖母のHさんを包丁で複数回刺して 殺害した。その後、午後6時20分頃、母親Mさんを包丁で11回刺し殺害した。午後9時前にMさんの次男が帰宅し、 居間のガラスが割れれていた為、東京に住む父親に連絡。家族の姿が見えない為、次男は近所に住む親類男性と 家族を探し午後9時10分頃、自宅敷地内のワゴン車の荷台に祖母と母親が倒れているのを発見。ワゴン車は施錠され、 車内や敷地内には多数の血痕が残されていた。

 2011年12月17日、長崎県警は筒井を長崎市内のホテルで見つけ任意同行を求め、殺人、住居侵入で逮捕。逮捕当時、筒井は被害女性の財布2つと 包丁2本所持しており、この包丁からは死亡した2人の血液が検出された。また、筒井の着ていた衣服にも被害女性の血痕が付いていた。

逮捕直後、筒井は「弁解することはない」としていたが、12年1~4月の鑑定留置で「人格障害」と診断され、長崎地検に刑事責任能力があると起訴されてからは容疑を否認。 「長崎には行ったが女性宅には行っていない」「他に犯人がいる」「検察、警察がでっち上げたストーリー」等と主張した120枚に及ぶ手紙をマスコミに送付している。


事件発生前の2011年12月6日、三女の父親は習志野署に三女の暴行事件について相談したが、その際、刑事課は別事件の対応に忙しい事を理由に被害届の提出を1週間待つようにと伝えられた。しかし、その2日後の 12月8日から事件を担当する生活安全課の課長や刑事課の担当者を含む10人余りが、署内のレクリエーションで北海道の函館市に2泊3日の旅行に行っていた。

 結果的に、12月12日に被害届の提出、受理となり、事件を防ぐ事が出来なかった。相談を受けた12月6日に被害届を受理していれば事件を防ぐことができた可能性もある。

出典:?014 長崎ストーカー殺人事件 筒井郷太

	

筒井郷太容疑者

			

ストーカー被害にあったら

具体的にどういうことをするとストーカー規制法によって処罰されるのですか?

出典:

質問のように自宅や勤務地で待ち伏せしたり、押し掛けたり、連続した電話や無言電話をかけたりする行為が挙げられますが、最近では、インターネット上で誹謗・中傷文書を掲示したり、メールを毎日何十通も送り付けるネットストーカー行為があります。
こうした被害を防ぐために気をつけることは?

出典:

相手に生活パターンを読まれないようにすることや、ゴミとして手紙等をそのまま捨てずに細かく切って捨てたり、厚手のカーテンをひくなど、自らのプライバシーを隠すことが大切です。
ストーカーに遭っている事実を周りに知って貰う

出典:

貴方がストーカーと出会ったことに対して共通の知り合いがいたら、その人たちに現在の状況を伝えましょう。質問者様のケースは飲み会とのことですので、ストーカーと一緒にいた人たちは知り合いのはず。その知り合いに現状を伝えておくこと。

勘違いして欲しくないのは、そのストーカーの知り合いに中に入って貰って話し合いをしたり、その知り合いに解決して貰うためではありません!!


※相手が異常行動をしているという事実を複数に知って貰うことが目的です。これは万が一が起きた時、味方を増やし貴方が悪者にならないための行動だと思ってください。

弁護士と警察に相談する

出典:

メール。映像。知り合いからの証言。これらが有る程度揃った時点で、警察と弁護士に相談です。民事と刑事、両方から争うことを考えてください。

相手の親に弁護士を通じて通告して貰うのも良いでしょう。

関連書籍

桶川ストーカー殺人事件―遺言