「大阪府熊取町7人連続怪死事件」とは
http://www.town.kumatori.lg.jp/
大阪府熊取町のホームページです。
熊取町(くまとりちょう)は、大阪府泉南地域に位置する町。町としては、大阪府下で最も人口が多い。人口約43000人。
シンナーで死んだ2人を合わせると、死体が見つかった場所はすべて半径1.2km以内に集中している。この狭い範囲の中、2ヶ月半で7人の若者が亡くなっていた。自殺、不審死の熊取町の若者たちのうち、岸和田市職員のD君と女子大生のE子さん以外の5人はシンナーやバイクをキーワードに接点があった。
A君・・・・17歳。中学3年時はほとんど登校せず、パチンコ店などに繰り出していた。当時の同級生によると、B君よりも”暴れもん”という印象だったという卒業後は美容師の専門学校に入学するが中退、事件当時は無職だった。1991年、B君、C君らとともに暴走族を結成。特にB君と仲が良かったようだ。シンナーを常用しており、B君とはバイク仲間でありシンナー仲間であった。
B君・・・・18歳。熊取の不良達の間では有名だったという。A君、C君らと立ち上げた暴走族のチームでは特攻隊長のような役割をしていた。当時、妊娠中の彼女がいて入籍する予定もあり新しい住まいもすでに決まっていた。A君の葬儀では「何で死んだんや」と悔しがり、「俺たちはしっかり生きていこう」と仲間を励ましていた。だがその数日後、自身も自殺する。
C君・・・・18歳。高知出身。野球少年で、野球の強豪校に進学したが中退、その頃高知にやって来ていたB君の友人を通してB君と知り合い仲間となる。その後、熊取町にやって来てB君の父親が経営する土建会社でB君と一緒に働いていたりした。B君が自殺した当時は三重県鳥羽市の旅館で手伝いをしていたが、自殺の報せを聞き熊取町に戻ってきた。しばらく友人達と会ったりしていたが、「以前付き合っていた女性(当時17歳)に会いたい」と思い、2人の友人を連れて女性に会いにいった。だが女性から「もうすぐ他の男性と結婚する」と聞き、友人に「ロープはないか」と言っていたという。その6時間後、自殺死体となって発見される。
D君・・・・22歳。岸和田市職員。
E子さん・・・19歳。鳥取県米子市出身。地元の高校を卒業後、大阪体育大学に進んだ。高校時代はソフトボールをやっていたが、大学進学後は陸上競技に転向した。町内の学生寮に住んでいた。遺書はなかった。
X君・・・17歳。A君・B君の中学時代の後輩で在学中に交流があった。Y君とは同じ中学。
Y君・・・17歳。A君・B君とバイク仲間だった。3人でよく熊取近辺を走っていたという。
出典:大阪熊取町・謎の連鎖自殺
水曜か木曜日
不審な点
自殺とするには不審な点が多く見うけられた。☆A君の「借金を返して欲しい」というメモ以外は、誰も遺書らしきものを用意していなかった。死ななければならない理由も思い当たらない。
☆農作業小屋で首を吊ったC君はなぜか手首を後ろ手に縛っていた状態で死んでいた。警察は衣服に乱れのないことと、自分1人でも縛れる結び方だったので自殺と断定した。これから死のうとする人間がどうして手を縛る必要があったのか。(衣服が汚れていた、という目撃証言もあった)
☆D君は熊取と隣りの貝塚市の境界近くの小高い丘にあるクリの木でシャツで首を吊って自殺したが、そのシャツはとうてい手の届かない高い枝にかかっていた。
☆体育大生だったE子さんは住宅地の中のグラウンドを背にした道路でナイフで首と胸を刺して死んだ。遺体は道路沿いの細い側溝にはまっていた。時間はまだ人通りのある8時過ぎ。なぜこんな目立つ場所での死を選んだのだろうか。また、E子さんは陸上競技の自己ベスト記録を出したばかりで喜んでいたばかりだった。死ぬ理由など思い浮かばない。当日、血だらけの状態で発見されたE子さんは意識が朦朧とする中で「違う、違う」と繰り返していたという。
☆B君、C君、E個さんの3人は以前から知人や家族に「車に追われている」と話していた。B君は「白いクラウンに追いかけられている」と母親に漏らし、それを聞いた母親がC君に尋ねてみると「何度かそういうことがあった」と話したという。E子さんは友人に「黒い車につけられている」と話していた。
「熊取」という土地以外に、何ら接点を見出せない「怪事件」と「原子炉実験所」だが、東日本大震災後に起きた福島第一原発事故が、両者の意外な接点や奇妙な符合を
気付かせる契機だったのもしれない。
全ては「原子力推進」のためだったのである・・
●脱原発を訴える異端の研究者たち「熊取6人衆」
大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所と言えば、福島第一原発の事故以来、
一躍脚光を浴びた組織である。悪魔に魂を売った御用学者が、テレビで腐りきったコメントを述べるなか、
この組織内の脱原発を唱える6人の学者が、「熊取6人衆」と言われ、学内で異端視されながらも、
原発の危険性を訴え続けてきた研究者たちとして注目された。
戦時の京都帝国大学は、日本の原爆研究を支えた組織だった。
海軍の「F号作戦」すなわち原爆開発計画は、戦後の原子力産業の基礎を作った。欧米資本は日本の
核技術の成果を認めて、湯川秀樹にノーベル賞を授与し、戦後も京都大学の頭脳協力を重く見た。
原子炉実験所も、日本の原子力政策をリードした点では、戦前と変わらない。
それゆえに、脱原発を唱える学者は、出世の道を閉ざされて、様々な苦労があったという。
原子力産業に関わる学者が、原発の危険性や本当の目的などを口にしてしまうと、
妙な連中に監視されたり、どこへ行くにも尾行されるという話がある。
東大出身の放射線学者 安斎育郎は、
「講演に行けば、電力会社の人間が尾行してくる。同じ電車に乗ってくる。」
という恐るべき体験談を語っている。
電力会社によるストーカーをはじめとして、原発問題は過去にいくつもの怪奇事件とリンクしてきた。
その1つが、大阪府泉南郡熊取町で起きた「謎の連鎖自殺」である。
※真実は不明です
もうひとつの連鎖自殺
同1992年、仙台市でもうひとつの連鎖自殺が発生していた。まず2月9日の夜、農業高校2年生のA君(17歳)が自宅で首吊り自殺した。家族への感謝を綴った遺書があった。
A君は両親からは普通高校を勧められていたが、「機械の勉強をしたい」と、農業機械のある高校へ進学した。
続いて4月1日には3年生になったばかりのB君(17歳)も自宅で首吊り自殺。A君とは中学時代からの親友であり、別々の高校に進んでも休日などは一緒に遊ぶ仲であった。葬儀の時には泣き続けており、親友の死にかなりのショックを受けたものと見られた。
3人目は4月9日、A君と同じ高校に通うC君(17歳)もやはり自宅で首を吊って自殺した。C君は、A君とB君と一緒の中学出身で、自宅もそれぞれ数百mしか離れていなかった。C君は直前、家族に「いじめに遭っている」と相談していたが、高校側は「そうした事実はなかった」とした。
3人の死について県教委も「関連性はなく、偶然の重なった出来事」とした。
出典:大阪熊取町・謎の連鎖自殺
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