「アカマタ・クロマタ」と呼ばれ、沖縄県八重山列島で密かに執り行われる秘祭とは
日本には秘祭と呼ばれる小さな村単位の民だけで古くから執り行われている祭りがある。2014年となった日本でも未だに続いているというから驚きだ。
そんな日本各地で続けられている秘祭の中でも「アカマタ・クロマタ」と呼ばれる秘祭にクローズアップをしてみた。
アカマタ・クロマタとは
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アカマタ・クロマタとは、沖縄県八重山列島の豊年祭に登場する来訪神である。西表島東部の古見を発祥とし、小浜島、石垣島宮良、上地島に伝わっている。西表島古見ではアカマタ・クロマタ・シロマタ、他の地区ではアカマタとクロマタの2柱が現れる。来訪行事を実施するのは地区住民のなかで資格を持つ者に限られており、その他の者にはその一部しか公開されず秘祭とされている。かつては、既に廃村になった西表島北部の他の地区や下地島でもみられた。
石垣島宮良のアカマタ・クロマタ
アカマタとクロマタの2柱の神は全体が草に覆われ、ずんぐりとしており、だるまやフクロウのようにも見える。背丈は180センチメートルほど、アカマタ(赤面)とクロマタ(黒面)は縦長の鼻に丸い目と細かいギザギザの歯で構成され目と歯の両端に細長いヒゲもある。目と歯に光が当たると反射して神秘的に輝くのが印象的である。
秘祭と言われる祭りの内容
夕方に何処からか現れ、村の一軒一軒を一夜かけて回り、朝方にどこかへ消えてしまう。
まず、数十人の太鼓隊が家々の門を潜ると、縁側から向かって左右に分かれて庭の周辺に登場し、太鼓を叩きながら歌いアカマタとクロマタを呼ぶ。
その後、アカマタとクロマタは門を潜り左右に分れ庭の中央に登場する。アカマタとクロマタは棒を両手に持ち、威勢のいい太鼓隊の歌にあわせ、棒を叩いてユーモラスに踊る。
アカマタとクロマタは「なみだ」と呼ばれる殺気だった者達(精霊が宿っているとされる)に厳重に警護されながら移動する。
祭りの背景
やはりこの秘祭はヤバいのか?
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7 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/20(月) 00:44:11 ID:o0BrABjs
上地 ここは本当にヤバい
8 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/20(月) 07:50:16 ID:SoBDxVM4
>>7
なにがやばいの?
10 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/21(火) 22:06:16 ID:jPW4ybog
>>8 命が惜しいから誰も書けないよ ウタキや祭り以外の話題で行こうぜ!
13 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/24(金) 10:18:08 ID:o9Xhly3W
人口5人しかいないし
定住する人は2人しか居ないのに
話題なんてあるのか?
14 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/24(金) 21:54:38 ID:sYKMZOA6
あんな小さな島なのに、アカマタクロマタのタブー 人魚神社のタブー 代々の司の血筋のタブー
ザーシンカのタブー そして公民館長の浮気問題のタブーなど秘密がありすぎるさ
28 :名無しさん@天国に一番近い島:2011/02/07(月) 15:47:37 ID:9aXi9N6e
映画「秘祭」の話やナックルズの話をパナリで聞くと、マジで不穏な空気が流れるぞ
私はうかつにもその話に触れてしまい、最悪な経験をしました 島民の方、あの時は失礼いたしました!
「秘祭の背景」-禁忌の向こう側-
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八重山の特定の地域で、プールィ(豊年祭)に出現する仮面仮装の人神( man-god )。海の彼方のニーラスク(ニライ・カナイ)から訪れて、稲の豊作をもたらす遠来神として神格化されている。
引用元:秘祭の背景
1959年(昭和34年)現在、西表島古見をはじめとして小浜島、石垣島の宮良、新城島の上地島と下地島に分布している。西表島の高那や野原にも分布していたが、マラリアのために廃村となり今は行われていない。
引用元:秘祭の背景
古見においては、クロ・シロ・アカの3神、小浜・宮良においてはアカ・クロの2神、上地島においてはアカ・クロの親子4神が出現する。
引用元:秘祭の背景
撮影禁止・写生禁止・録音禁止 島民以外は絶対に立ち入ることができない
南方系の意匠を思わせる面。草木の葉を身にまとい現れる“神”。「アカマタ・クロマタ」
引用元:秘祭の背景
八重山の数ある神事の中でも、最も特異で謎めいているこの神事は今でも「撮影禁止」・「写生禁止」・「録音禁止」のため、詳細を知ることはできない。
引用元:秘祭の背景
「この行事はどの村でもまったくの秘密であって、特に神々出御の行事は、島民以外は絶対に立ち入ることができない。このタブーを犯して島人とトラブルを起こした例は決して少なくない」
引用元:秘祭の背景
「アカマタ・クロマタ」はなぜ「秘祭」と呼ばれるか
それでもNETで探すと新城島での見聞記が掲載されていた。活字では「日本のいちばん南にあるぜいたく」(楠山忠之著)ぐらいであろうか。
引用元:秘祭の背景
この「アカマタ・クロマタ」はなぜ、「秘祭」なのだろうか。「神高い儀式ゆえに禁忌(タブー)となっている」なるほど、そうであろう。神事はその共同体にとって重要性を増せば増すほど神秘性が高くなってゆく。島の豊年の寿(ことほ)ぐ、“神”をむかえるのだから当然の事と思える。
引用元:秘祭の背景
もうひとつ神事を知られてはいけない理由
さて。
ここからは雑話である。
私は、「神高き故の禁忌」以外に、もうひとつ神事を知られてはいけない理由があったと思っている。
その理由。それは・・・
「アカマタ・クロマタは禁じられた神事だったから」
禁じられた神事-アカマタ・クロマタ-
一,古見・小浜・高那三ヶ村之儀、ほふり祭之時あかまた・黒また与て両人異様之支度ニ而神之真似抔いたし不宜風俗有之由候間、向後可召留事。
(1.古見・小浜・高那の三か村では、豊年祭の時にアカマタ・クロマタといって二人が異様ないでたちで神の真似などする。良くない風習なので今後はやめること)
西暦1768年。
今から236年前。
首里王府から派遣された『検使』(行政監察官)である「与世山親方」は、宮古諸島・八重山諸島の巡察行い、見聞した行政上の問題点を改めるための指示を布達した。
これが「与世山親方八重山島規模帳」(「規模」とは「行政規範」と訳される)である。
上記の「アカマタ・クロマタ」禁令はこの「規模帳」に記載されている。
その他、禁止または儀礼縮小を命じられているのは
1).「マユンガナシ」の禁止。
(今でも石垣島川平でおこなわれている来訪神を迎える神事。「アカマタ・クロマタ」と近似した仮装神が現れる)
2).「種子取祝い」の縮小。
(八重山の広範囲で行われている「種子取祭」の事か)
3).立願・結願の集まりの縮小。
(これも現在の結願祭と思われる)
などがあり、果ては
「男女の縁のあるもの同士が集まって酒、肴盛り合わせなどつくり、磯部にいって遊ぶこと」も「風俗の乱れあり」との事から禁止されている。
禁止・縮小の理由は「無用な祝いや神事による労力・財力の浪費を防ぐため」とされているが、「アカマタ・クロマタ」・「マユンガナシ」の禁止だけは宗教統制の色合いが濃いものだと思われる。
首里王府は聞得大君(きこえおおきみ)を最高神女(これには王妃・王女・王母が就いた)とした「国家宗教」を統治の柱に据えていた。それ故、その外側にある土俗的な神事は有無も言わさず禁止の対象になったのであろう。
私は、この禁令以前は「アカマタ・クロマタ」・「マユンガナシ」ともに開放的に行われていたのではないかと憶測している。
しかし、禁令により神事は違法となった。
この時点から「アカマタ・クロマタ」は秘祭化していったのではないか・・・。
神事を支える人々も特別な入団儀式を受け、「神事に関しては口外せず」と盟約させられる点なども「神事を行っている事を知られてはならない(八重山の官吏達に)」という意図の元に定められたのではないか・・・。
大きな禍(わざわい)から解禁された「アカマタ・クロマタ」
さて。
長年つづけて来た多くの祝い・神事を禁止され、島人達は何を思ったであろう。
きっと「美御前(国王美称)の命令だからしかたがない」と思う反面、「何か大きな禍(わざわい)が降りかからねばよいが」という不安が人々の心の中を満たしていったのではないだろうか。
布達から3年後。
島人達の不安は的中する。
大禍はニライ・カナイの海からやって来た。
西暦1771年 『明和大津波』来襲。
先島諸島に襲いかかった巨大な波濤は住居、田畑、そして多くの人々の命を海原の果てへと連れ去った。
八重山では2万8896人のうち9313人が死亡行方不明。
海岸近くの村々の多くは波に洗われて、ただの荒地と化した。
「村所跡形不残被引崩石原ニ成」
【「村は跡形もなく引き崩され石原になってしまった」(大波之時各村之形行書)より】
未曾有の大災害に混乱する中、琉球王府は半ば強引に村々の再建を進める。比較的被害の少なかった離島や内陸地の村から人々を選抜し、”村跡”となってしまった荒地への強制的な移住が大規模に行われた。
石垣島宮良で行われている「アカマタ・クロマタ」は、この時の小浜島からの強制移住者達がもたらしたものだと言われている。
荒廃した土地と食料不足による飢餓、伝染病、そして強いられた移住地での新たな生活。人々の心は動揺を極めたのであろう。
ついに王府はある決定を下す。
『両先島は昔から老若男女が時節ごとに祈願や祭事を行い、野原や浜辺に出て遊び事などがあったが、乾隆三十二亥年(西暦1767年)王府より御検使を遣わさた時に禁止された。しかし百姓たちは皆同じように普段苦労して働いている者であり、右の行事のような昔からのものを禁止されてはかえって張り合いをなくし、農業などの励みにもならない。そのうえ、昔からの旧俗をとめられたことが村人の不安の種になっており、今回からすべて昔どおりに行って良いと仰せ付けられたので、祈願ごとや祭事、遊び事など従来どおりに執り行い、農務やそれぞれの仕事にもなお精を出して働くように申し渡すようにとのお指図である。以上。
丑(西暦1793年)八月 天願親雲上 具志川親方 八重山在番』
【「御手形写抜書」(乾隆三十六年(1771)~道光十年(1830))より抜粋】
「与世山親方八重山島規模帳」布達から26年、すべての禁令がこの一文にて解かれた。
きっと、多くの人々が、”旧俗”が再興できる事、そして気兼ねなく「酒、肴盛り合わせなどつくり、磯部にいって遊ぶこと」ができる事を喜んだであろう。
「秘祭の背景」
だが、この解禁令をそのままに受け取れない人々もいた…と思う。
それは「アカマタ・クロマタ」を執り行う人々だったのではないだろうか。
前記したように琉球王府の宗教政策はそのまま統治政策と表裏一体である。
今、大津波被害からの復興のため、”旧俗”を解禁しても再び禁令が発せられるのではないか…。
26年の弾圧の日々が「アカマタ・クロマタ」を執り行う人々の心の中に
「神事はこのまま秘すべし」
と決心させたのではないだろうか…。
そして、封印された祭りは「秘祭」として営々と続き現在に至った…。
これが私の想う「秘祭の背景」である。
あくまで、想像の域を出ない雑話だが…いかがなものであろうか。
神が帰る後ろ姿を見ながら馳せる想い
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「アカマタ」・「クロマタ」
祭の終わり、神々が森へと帰る道端で、人々がその姿を見送る。
そして
人々は送りながら、とめどなく涙を流すのだという。
願わくば
私も人々の群れに混じり、「アカマタ」・「クロマタ」を…。
数百年間人々の心に宿り続けた神を…。
涙と共に見送りたいと思っている。
引用元:秘祭の背景
6 :名無しさん@天国に一番近い島:2010/12/19(日) 21:12:10 ID:qYB2lhM9
上地と下地、どっちがヤバイの?