受験戦争の悲劇!「神奈川金属バット両親殺害事件」とは
神奈川金属バット両親殺害事件
1980年11月29日、川崎市高津区の住宅で、一柳幹夫さん(46歳)と妻の千恵子さん(46歳)が血まみれで死んでいるのが発見された。翌日になって、犯行を自供し始めたのは一柳さんの次男で浪人生の展也(当時20歳)だった。キャッシュカードから金を引き出したことと、酒をくらっていたことで父親に「出て行け」と言われて、金属バットで両親を殴り殺したという。
受験戦争やエリート指向が巻き起こした悲劇とされ、話題を呼び、ノンフィクションやテレビドラマの題材となった。
一柳家の人々
一柳展也は、父親が東大、兄が早稲田大学理工学部、母親は短大卒というエリート一家に生まれる。家は川崎市高津区にあり、東急田園都市線・宮前平駅から北へ300mほどの高級住宅街の一帯にあった。さらにそのルーツをたどっても、父方の祖父は東京商大(現・一橋大)卒で、三菱銀行に入り、都内の支店長を務め、その息子達は東大(展也の父親)、東京教育大(現・筑波大)、慶應大をそれぞれ卒業している。
父親は東大を出た後、旭硝子に入り、79年には同社東京支店建材担当支店長になっていた。
妻とは1955年に見合い結婚。だが家庭人としてはわがままなところがあり、小料理屋に通いつめ、月給を使いこんでしまったり、妻に向かって、自分は東大、長男は早大出であることをひけらかし「展也が二浪しているのは、頭の構造が短大しか出ていないお前に似たんだ」と当り散らしたこともあったらしい。
展也は兄と比べると、やや活発な子どもだった。
当時は社宅が渋谷区にあったので、区立渋谷小学校、区立青山中学校に進んだ。中学の卒業文集には「いったい3年間、おれは何をしたのだろうか・・・」と書いていた。
中学時代、展也は母親の財布から1万円を盗んだことがあった。母はこれにすぐ気がつき、息子の目の前で取り上げた1万円札を燃やしたという。
展也学校の成績は中ぐらい。来たるべき高校受験に向けて、家庭教師を3人つけていた。
「これだけやって早稲田か慶応に入れなかったら、参っちゃうよなあ」
展也は受験前に友人にそう話していた。しかし早稲田高等学院、慶応高校両方に失敗。合格した東京の私立海城高校、神奈川の桐蔭学園のうち海城高校に進学した。学校での成績は「クラスで5番以内」、「中の上」、「中の下」と進学ごとに下降していった。この年に父親は川崎市宮前平に家を買い、一家は社宅から引っ越している。
私立海城学園高校1年の時、中間試験の成績が悪いことで父母から勉強態度を叱られた。叱られたことで展也は親を困らせてやろうと1週間ほど家出。都内の祖母のアパートで終日テレビや漫画本を見ていた。帰宅後、反省の色はなく、そのころから次第に無口、無気力になり、学業も怠け始めた。その一方、父や兄のように一流と言われる大学に進学したいという願望も持っていた。
失敗
現役合格はならなかったが、展也は「1浪くらいは・・・」という気持ちでこの1年間の勉強にも真剣さが欠けていた。1980年3月、またも受験に失敗した。
「こんな大学を落ちてどうするんだ。大学だけが人生ではないから就職を考えたらどうか」と父に言われた。展也はこの件で父親がエリート意識を持っていることや、父の母への態度などに反発、反抗心を強めていった。
※展也が受験した大学
現役時・・・・早稲田(法・商)、上智、成城、明治学院、中央
1浪後・・・・・早稲田(法・商)、明治、立教、法政
一浪の時はろくに勉強していなかったのに、なぜか現役時よりも志望大学のレベルを上げていた。これは父の言う”大学”が、それ以外の大学を許さなかったからかもしれない。母親は「受験をあきらめて就職してもいい」、父親は「他にも人生はいろいろある。大学はもうあきらめた方がいいのではないか」と一見ものわかりの良いことを言ったことがあるが、展也は両親の本音を知っていた。
その後母親が「もう1度チャンスをあげたい」と勧め、ようやく父の許しを得て2浪したが、友人との接触が少なくなって、孤独感に陥り、ついに大学受験に耐えきれず、自信も喪失、劣等感や焦燥感にもかられるようになった。
1980年、事件のあった年の夏、展也は一人で両親の故郷である山口県・屋代島を訪れている。顔見知りの年下の少年が板前になうと言ってるのを聞いて、帰途、大阪に寄って、うどん屋を見学したりしているが、やはり自分は職人などにはなれないと思いなおし、帰京した。
爆発
1980年11月28日、父親は午前12時前に帰宅した。父親は母と展也を応接間に呼ぶと、キャッシュカードがなくなっていると言い出した。「キャッシュカードがなくなった。お前だろう。サイフから金がちょくちょくなくなっているが、それもお前だろう」
父親は声を荒げた。
展也は父のカードで金を引き出していたので、素直に謝った。だが現金は盗んでいない。それを砦に防戦に努めたが、いつも味方してくれる母も「あんたってダメね」と、その夜は耳をかさず、展也が予備校を休んだことなどを責めたてた。
父親の怒りは展也が自室に引き上げていったあとも静まらず、もっと厳しく叱っておこうと2階の展也の部屋へあがっていった。ドアを開けると、展也はウイスキーをラッパ飲みしていた。父は逆上して展也を足蹴りし怒鳴りつけた。
「大学も行けないくせに、酒をくらいやがって。お前のようなドロボーを養っておくわけにはいかん。明日にでも、この家を出て行け」
この時、展也は本当に明日追い出されると思ったという。この不安と怒りが彼に凶行へと向かわせた。父親が部屋を出ていった後もウイスキーを飲みつづけた。父親の方も展也を叱責した後、行きつけの飲み屋で荒れた様子で焼酎のボトルを半分空けて「畜生!あの野郎!」と連発していた。「あの野郎」が展也を指すのかどうか定かではないが、おそらくそうだろう。父親にもかなりの苦悩があったのではないかと思われる。
日付がかわり29日午前3時、ウイスキーを半分以上あけた展也は金属バットを手に取った。そして寝ていた両親の頭だけを狙って金属バットを5、6回振り下ろした。血しぶきは天井にまで達するほどだったという。
展也は犯行後、金属バットを風呂場で洗い返り血を浴びた服を着替え、室内を荒らして強盗殺人に見せかけるべく第一発見者を装った。
自首後、現場検証に立ち会った展也は、凶器の金属バットを探して天井を入りこむ刑事を見上げて、「手袋はしなくていいんですか?」と他人事のように尋ねた。また殺害を再現する時にも、無表情でダミーの頭部に金属バットを振り下ろした。
展也は留置中、同房の若い窃盗犯と談笑したり、漫画を読んだりして、泣き崩れることは一度もなかったという。
展也を犯行に駆り立てたのは出来の良い兄と比較される苦しみと、親に見離される悲しみだったと思われる。だが、この家庭内で最も苦しんだのは展也でも父親でもなく母親だったのではないか。事件後、母親が家計簿にしたためたメモには、夫から「お前の育て方が悪い」となじられ続けること、「夫は一言も口を聞いてくれない。壁のよう・・・」「家庭は冷え冷えとしている」「それもこれも私の責任」と自責の念を綴っていたことがわかった。
子供はかわいい。大学進学に失敗しても、子供はかわいいものである。だからこそ母親は展也をかばい続けた。展也の聞いた母の「あんたってダメね」は、長い間の我慢が一瞬ゆるんで出た言葉だったのではないだろうか。
裁判
裁判では、父親の大学時代の同期生であり親友だった河原勢自が私選弁護人に選任された。1984年4月25日、第一審の横浜地方裁判所川崎支部は、検察の求刑懲役18年に対し、「親類を通じて警察に通報したのは、自首と同じ」などとする弁護人の主張を退け、両親からの叱責が引き金になったのは基本的には被告人の落度であり、両親に落度があるとはいえないことを認めながら、前科や非行歴がないこと、被告人は心神喪失または少なくとも心神耗弱だったとは言えないまでも、生まれつきの精神的な発達障害があったことも手伝って(精神鑑定の結果から)、飲酒によって事理弁識能力を(「著しく」=耗弱ではないが)相当減弱した中での偶発的な犯行であること、逮捕後は素直に自供していること、真摯な反省と後悔の念があること、更生の可能性などを考慮した上で、懲役13年の判決を言い渡した。予備校生はこれを温情判決として控訴せず有罪が確定、千葉刑務所に服役した。
元獄中仲間である見沢知廉の『囚人狂時代』シリーズによると、服役中は、紅白野球大会での言動をきっかけに、「金属バットをフルスイングするあたり、恐そうに見えるけど、話がつまらない」という理由で別の獄中仲間からひどいいじめを受けていたらしい。それでも看守たちの心証は良かった方だという。
1997年に刑期満了で出所。
題材とした作品
月曜ワイド劇場『金属バット殺人事件』 1985年4月8日放送
出典:金属バット殺人事件 - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇
なぜこの事件は起きたのか?実際の事件をヒントに構成され、逆境に立たされたエリート社員のもろさ、両親の過度な期待につぶされる子供の心理など、学歴社会のかかえる病巣を描いた作品。1980年東京近郊の新興住宅地に住む高橋秀男・静子夫婦が殺害された。強盗を装った犯行だったが、犯人は浪人中の次男・伸男で、凶器は彼が愛用していた金属バットだった…。【ファミリー劇場広報資料より引用】
佐瀬稔『金属バット殺人事件 戦後ニッポンを読む』(読売新聞社、1997年)
出典:Amazon 金属バット殺人事件―戦後ニッポンを読む 佐瀬 稔, 佐高 信 社会学概論 通販 昭和55年11月29日の朝。東京に近い新興住宅街に住む主婦は、チャイムの音で玄関に出た。パシャマ姿の、隣の家の次男坊が立っていた。「親父とおふくろが大変なんです。血だらけになって…」20歳の青年はなぜ、バットを握ったのか。
金属バット殺人事件―戦後ニッポンを読む 佐瀬 稔, 佐高 信 ※事件までの経緯を再現フィルムを交えて紹介した。
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