人間の死体を使って、ランプシェイドやブレスレットを作った男「エド・ゲイン」とは

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エド・ゲイン

エド・ゲイン(Ed Gein、本名はエドワード・セオドア・ゲイン〈Edward Theodore Gein〉、1906年8月27日 - 1984年7月26日)は、アメリカ合衆国の殺人者、墓荒らしである。彼の犯罪は、彼が地元の墓場から掘り返した死体で作り出した恐ろしい「戦利品」と「記念品」を警察当局に発見されたことで名を馳せた。彼の有罪判決は2人の人間の殺害のみであるにもかかわらず、しばしば連続殺人者と呼ばれる。

人間の死体を使って、ランプシェイドやブレスレットを作ったことで知られており、アメリカの殺人史を代表する1人である。本人によると、自分の名前の正確な発音は「エド・ギーン」であるというが、本項名である「エド・ゲイン」のほうがよく知られている。

出典:エド・ゲイン - Wikipedia

	

エド・ゲイン

生年月日: 1906年8月27日

生まれ: アメリカ合衆国 ウィスコンシン州 ラクロス郡

死没: 1984年7月26日, アメリカ合衆国 ウィスコンシン州 メンドータ・メンタル・ヘルス・インスティテュート

身長: 170 cm

兄弟: ヘンリー・ジョージ・ジェイン

事件の発覚

1957年11月16日、ウィスコンシン州の町ブレインフィールドは鹿狩り解禁の初日だった。金物店を経営するフランク・ウォーデンもこれに参加したあと、夕方に帰宅すると店の鍵が閉まっているのに母バーニスの姿がない。近所の人物に聞くと配達用ワゴンが朝に出て行ったと答えたが、その日配達の予定はなかった。店を見渡すと金庫がいつもの場所になく、床には血だまりがある。フランクはすぐさまシューレー保安官に連絡した。

保安官が調査した結果、店に並んだ銃の中で一丁のライフルだけ逆さに置かれ、発射後間もないということが分かった。犯人の心当たりを尋ねられたフランクは、前日にゲインが母を遊びに誘ったがつれなく断られ、その後自分に明日の予定を聞いてきたことを思い出す。


シューレーは興奮するフランクをなだめ、相棒のロイド警部とともに農場を経営するゲインの自宅を捜索。そこでさながら狩られた鹿のごとく解体中の死体と、人体パーツで作ったと思しき家具、太鼓、財布、バッグほか乳房のついたチョッキを発見。ほかにもさまざまな女性の部位が見つかる。ショックのあまりソファに倒れ込んだシューレーは、クッションのおかしさに気づいた。その下から出てきたのはバーニスのものを含む5、6個の生首だった。


いっぽうでシューレーは二人の警官を別の場所へ派遣していた。ゲインが自宅にいない場合、たいてい幼馴染のイレーネ・ヒルのところにいるからだ。予想通りゲインを見つけた警官がアリバイを尋ねると、聞いてもいないのに「ウォーデンの奥さんが死んだんだろう?」と答えてきた。不信感を抱いた警官はゲインを署へ連行した。ちなみにイレーネ・ヒルの息子ロバートは当日、ゲインの家を訪ねた際、彼の両手が血にまみれていたのを目撃している。


農場を調査する間、ゲインはウォトマ群刑務所に収容されて12時間もの尋問を受けたが一切口を割らなかった。しかし11月18日、シューレーの暴行混じりの尋問によってゲインはついに「バーニスを射殺後、配達用ワゴンから自分の車に乗せ換えて自宅へ移送し、吊るしてさばいた」と自供した。


出典:エド・ゲインとは (エドゲインとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

	

ゲインの家

			

エド・ゲインの生い立ち・母の教育

エド・ゲイン

			
1906年8月27日、ウィスコンシン州バーノン郡(Vernon County, Wisconsin)にて、父ジョージ・ゲインと母オーガスタ・ゲインの次男として生まれる。両親はともにウィスコンシン州の生まれであった。父は重度のアルコール依存症で、何度も失業していた。母は狂信的なルター派信者で、神と自分自身以外の多くのものに否定的な人物だった。 母は小さな食料雑貨店を経営していたが、やがてウィスコンシン州プレインフィールドの街はずれにゲイン一家の永住の家となる農場を買った。彼女がこの農場を買ったのは、部外者が訪れることによる影響を子供たちに与えないためであった。

エドが後に及んだ犯行の間接的な要因として、母のオーガスタによる倒錯的な教育が指摘される。 オーガスタは、敬虔なルター派の信者一家に生まれた。彼女の父親は狂信的な人物で、躾が厳しいことに加えて、体罰も施した。この影響でオーガスタもまた、自分の正しさを信じて疑わず、それを他人に押し付ける独善的な人物となった。 彼女は夫のジョージに対しては、「役立たず」と罵るのが常だった。彼女は人前でも平気で夫を嘲笑い罵った。彼女が家庭内で口を開くのは、命令を下す時と夫を罵る時だけだった。 また、性行為を心の底から嫌悪しており、「妊娠以外の目的での性行為」を硬く禁じていた。 家庭内には常に緊張感が漂っていた。酒が入るとジョージはオーガスタに手を上げることもしばしばあり、彼女は夫の死を祈った。 夫妻は最終的に2人の子供をもうけた。彼女は女児を望んでいたが、生まれたのは男児であった。


オーガスタにとっては、外の世界のあらゆる存在が「悪徳」と「堕落」であった。彼女はプロテスタントの信仰に由来する異常な性教育を、息子たちに施した(男性器を「悪の象徴」とし、全ての堕落と頽廃の源であると教え、息子たちに、自分の性器に唾を吐くことを強要した)。(ただし、一般的にプロテスタントの聖書信仰に於いて「性=悪の象徴または罪の根源」とするような教えはない。むしろ聖書(旧新約ともに)では性は神が創った「善きもの」であるとされている。アダムを騙し罪を犯させたのは「蛇」(性器ではない)であり、しかも、最初の罪(原罪)は性的罪ではなかった。) 大雨が降るたびにノアの方舟の話を聞かせ、「世界の終わりが来た」と語り聞かせた。 「淫らな服装をして男たちを誘う女だらけのこの世は腐りきっており、近いうちに神が世界を破滅させるだろう」という終末論も聞かせて、兄弟2人を恐怖に陥れた。 「他者は穢れているから一切関わってはいけない」「若い女は不潔で汚らわしく、堕落していて邪悪な存在だ。女たちには指一本触れるな」として、女性との関わりや、友達を作ることを一切禁じた。そのようなことになれば、家の中に「悪が侵入する」と警戒していた。息子たちには、父のようになってはならないと言い聞かせ、自分が彼と暮らしたためにどれほど不幸になったかを語り、息子たちにも父の死を祈らせた。


オーガスタの歪んだ教育によって、エドは同年代の子供とほとんど話すことができなかった。卑猥な話を聞くと真っ赤になって逃げ出し、些細な嘲弄を受けてもたやすく泣き出すのであった。オーガスタは、「どうしても肉欲に抗えないときは、姦淫よりも自涜の罪のほうを神はお許しになる」と子供たちに言い聞かせた。しかし、これは「生めよ殖えよ、地に満ちよ」という旧約聖書の教えに明らかに反していた。


人が社会生活や人間関係を学ぶ最も重要で多感な時期に、外部の人間たちとの接触を絶たれたことで、エドは充分な対人関係の構築方法を学習できなかったとされる.[3]。それでも、エドは母を心から愛していた。


エドは母を幸福にしようとしたが、母が喜ぶようなことはめったになかった。彼女は息子たちに言葉の暴力を浴びせることで、夫のジョージのような失敗を犯さないだろうと信じていた。

出典:エド・ゲイン - Wikipedia

	

犯行とその動機

ゲインの犯行はずさんで衝動的な面が見られ、事の最中の記憶が曖昧になっている。取り調べに対し「数人殺したかもしれない」と自供しているが、判明しているのはバーニスと、それ以前に行方不明になっていたメアリ・ホーガンのみである。

ブレインフィールドで居酒屋(旅館とする資料もある)を経営していたメアリは、闇組織と関係があるとも、シカゴで売春宿を経営しているとも噂されていた。彼女が消えたのは1954年12月8日である。店に立ち寄った農夫が大声で呼んでも返事はなく、調べるとカウンター裏まで大きな血だまりが続いていた。彼女が失踪する前日、もっとも遅くまで店にいたのがゲインだった。状況はバーニス殺害と非常に酷似しており、マジソン州立中央犯罪研究所においてポリグラフ尋問を受けた結果「殺したかもしれない」と自供している。


メアリもバーニスも太った体格、威圧的な性格で、エド・ゲインの母オーガスタに近く、これが彼の情動をそそったものと見られる。単なるマザー・コンプレックスの発露か、厳格で温かい愛を示さなかった母への憎悪か、あるいはその両方か、それはゲイン自身にも定かならなかったようだ。犯行動機としては「女性の仕組みが知りたかった」と語っており、ウォーデンの店から金庫を奪ったのも「金庫の仕組みが知りたかった」と同様の理由だった。


ゲインの自宅からは無数のホラー関係書、ヌード写真集、ポルノ小説、実話雑誌などが発見されたが、これが犯行を加速させた、と考えるのは早計である。彼の犯行要因は母親の偏向教育にあることは明らかで、むしろこれらの雑誌が歪んだ欲望のはけ口になっていた可能性もある。また解剖学書も発見されており、こちらは人を解体する際の参考にしたようである。


ゲインはその特殊な嗜好において、異様なまでに情熱を働かせる傾向があり、独自の手法をあみだして家具から食器、衣類、マスクまで人体を材料に作った。やがて死体がいくらあってもたりなくなると、新聞の死亡記事にくまなく目を通し、近所の葬式へまめに出席したという。人間の部品で作った家具の精巧さに関して、シューレー保安官は「実に丁寧な仕事」と皮肉交じりに語っている(ゴワゴワして粗雑だった、という説もある)。


「死体と性行為を行った」という説もあるが、そのおぞましい内容がまことしやかに書籍に記されるいっぽうで、ゲイン自身は「匂いが不快」と行為を否定している。


またゲインは、収集した死体の一部をのちのち食べるために血抜きし、燻製にしていた。彼は「鹿狩りは一度も行っていない」「鹿の解体は不快だ」と語っていながらも、近所に鹿肉を配ったことがある。この肉が実際に何の肉だったのかは不明である。

出典:エド・ゲインとは (エドゲインとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

	

極めて不潔な台所

			

逮捕

1957年11月16日、ゲインは近くに住む雑貨店経営の57歳の女性バーニス・ウォーデンが行方不明になった事件で、彼女が最後に目撃されたときにゲインが居合わせたこと、さらに現場からゲイン宛ての不凍液購入の領収書が発見されたことから、武装強盗の容疑で別件逮捕された。警察が彼の屋敷を家宅捜索した際に最初に発見したのは彼女の死体であった。彼女は首を切断され、手首はロープに、足関節はかんぬきにそれぞれ逆さまに吊るされた首無し死体となっていた。胴体は、「整えられた」シカの体のように胸部が引き裂かれて空っぽの状態であった。この体の解体は、検死で.22 Long Rifleの小銃での射殺後に行われたことが分かった。

警察当局による家宅捜査で発見されたのは、以下のものであった。

出典:

	

ゲインの「恐怖の館」を覗く野次馬たち

			

エド・ゲインが遺体で作ったもの

ゲインの寝台の角の柱に乗っていた頭蓋骨

人間の皮で作ったランプシェードと汚れた椅子の上の詰め物


一見スープボウルらしき人間の脳天


人間の心臓(心臓が発見された場所は、犯行現場にいたカメラマンは紙袋の中にあったと主張しているが、州の副保安官はストーブの上のソースパンの中にあったと報告している)


紙袋の中から発見された、地元のバーの主人マリー・ホーガンの顔の皮膚


人間の唇を引きちぎって作った窓の日よけ


女性の胴体の皮膚で作った胴着


人間の肉で作った靴下


人間の皮膚で作った入れ物


萎びた人間の頭部の配列

出典:

	

エド・ゲインのスープ皿

			
全部で15人の女性の死体が見つかり、どれも解体されていて、一部はベスト(チョッキ)や食器・家具に加工され、また一部は食用として保存されていた。当時、ゲインの家には電気が引かれておらず、大量のごみで溢れかえっていた。ゲインは、死体は8人分で、すべて墓場から掘り起こしたものだと裁判で主張した。1954年の酒場の女主人マリー・ホーガン殺害の際には、彼女の頭を銃で撃ち抜いて射殺し、死体をそりに乗せて自宅に運んで解体している。実際に彼が生涯で殺したのはその2人(ウォーデンとホーガン)であった。

近所の子供たちによると、ときどき子守をしていたゲインは、しなびた人間の頭部を見せていた。噂によれば、第二次世界大戦の頃に世話を受けていた従兄弟が、南シナ海からすぐに送った遺体であるという。調査では、これらの裏返しにされた人間の顔の皮膚は、マスクを使って死体から注意深く剥がされたという。


ゲインは尋問を受けて、最近に埋葬された母と母に似た体を持つ中年の女性の死体を墓場から掘り返し、皮膚を手に入れてなめしたことを認めた。女性の皮膚をなめすゲインの技量は、狂気の服装倒錯の儀式の結果であると述べている。ゲインは、掘り起こした死体との性行為は否定しており、「臭いが不快過ぎた」と述べている。ゲインは尋問で、1954年から行方不明となっていたマリー・ホーガンを殺害したことも認めている。母の死からまもなく、ゲインは性転換を決意していた。ゲインは、女のふりをして「女性用のスーツ」を作った。


ゲインは、解体・加工を行う上での知識と技術、さらに人間の体を徹底して材料として扱う冷徹さを持っており、盗み出した遺体をたやすく解体していた。だが、ゲインは屍姦は否定しており、「女の体の仕組みが知りたかった」と答えた。ゲインは、母オーガスタを死ぬまで崇拝し続けた。墓から中年の女性を掘り起こしたのは、「母に似た」女性を探すためであり、母への愛情でもあった。


申し立てによると、プレインフィールドの保安官、アーサー・シューレイは、尋問の最中にゲインの頭と顔を煉瓦の壁に叩き付けるなどして暴行を加えたという。伝えられるところによると、ゲインの最初の自白は法的証拠として認めないことが決められたことが原因という。シューレイは、ゲインの裁判で証人として出廷した1か月後の1968年12月に、43歳で心筋梗塞で死んだ。多くの人は、ゲインの行為の恐怖による心的外傷と、裁判での証言での怯え(とくにゲインへの暴行に関して)が、彼を早死に至らしめたと考えている。彼の友人の1人は、「結局彼はゲインの犠牲者になったのと同じことだ」と述べている。

出典:エド・ゲイン - Wikipedia

	

エド・ゲイン【シリアル・キラー】

			

ゲインの犯行の余波

1958年3月20日、ゲインの家が火事で全焼し、放火が疑われた。拘留中にこの変事を耳にしたゲインは、無邪気に肩をすくめて「別にどうでもいいさ(Just as well.)」と述べたという。

同年、犠牲者の遺体を運ぶのに使っていたゲインの車がオークションで売りに出された。車はサイドショー(日本における見世物小屋)の興行主、バニー・ギボンズが760ドルという巨額を投じて落札。派手なデコレーションを施された後「人喰いエド・ゲインの車(Ed Gein Ghoul Car)」と称して各地で展示された。

出典:エド・ゲイン - Wikipedia

	

見世物になったゲインの「死の車」

			

裁判・死去

逮捕後、ゲインは裁判中に証言台に立つこともできないほど精神的に無能力者と評決され、Waupun, Wisconsinの中央病院(現在は矯正施設)に送られた。その後、中央病院は刑務所に作り変えられ、ゲインは1968年にマディソンのMendota Mental Health Instituteに収容された。ゲインを診察した医者は、ゲインは裁判を受けるには十分健全であると判断した。裁判は1968年11月14日の水曜日に始まり、一週間続けられた。ゲインは、最初の殺人については判事から有罪の判決を下されたが、それは彼が法律的に精神異常であり、死ぬまで精神病院で過ごすことになるためであった。

ゲインは最終的に、慢性的な精神障害(性的サイコパス)として無罪になったが、「重度の精神病患者」として、刑務所ではなく、ミネソタ州立精神病院に収監された。その後は精神病院で過ごし、1984年7月26日、癌による呼吸不全で死亡した。


彼の墓があるプレインフィールドの敷地は、数年にわたってたびたび破壊されており、2000年には、記念品の探索者が彼の墓石の大部分を削り取って盗んでいる。墓石は2001年6月にシアトルの近くに作り直し、Wautoma, Wisconsinにある博物館に進呈され、展示されている。

出典:エド・ゲイン - Wikipedia

	

プレーンフィールドの小話

事件が起こったプレーンフィールドには、今でもこんな小話が残っている。
昔、ウィンスコンの片田舎にエドという小男が住んでいた。

女を口説いて誘う術(すべ)を知らなかったエドは、女がほしくなると墓場からつれてきた」

出典:世界を驚かせた怪事件・猟奇事件 女がほしくなると墓場から連れてくる「月夜の屠殺狂」

	

映画化

エド・ゲイン

			

サイコ

作家ロバート・ブロックがエド・ゲイン事件をもとに書き上げた小説。サスペンス映画の大御所ヒッチコックが映画化して世界的にヒットし、医学用語だった「サイコ」を一般に定着させた。これが「サイコ・サスペンス」というジャンルを生み出している。また公開前にヒッチコックはインタビューで「次の作品はホラー映画じゃよ」と述べていることから、ホラー映画の開祖と言われる場合もある(それまで恐怖映画はスリラー映画やモンスター映画などと言われていた)。