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「終戦の日」に寄せて~「ロシア」は日本女子に対するレイプ殺害を謝罪せよ!

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「終戦の日」に寄せて~「ロシア」は日本女子に対するレイプ殺害を謝罪せよ!

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「終戦の日」に寄せて~「ロシア」は日本女子に対するレイプ殺害を謝罪せよ!

我国婦女子はソビエト兵の慰み者にされた

昭和二十年八月九日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソビエト軍はソ満国境を越えて満州の地へとなだれ込んだ。八月六日の広島に続き、長崎への原子爆弾が投下され降伏を余儀なくされた断末魔の如き状況下において、多くの日本人民間人が居住する満州への侵略であった。
 
その後、樺太・北方領土等々にもなだれ込み官民を問わず日本人の財産を略奪すると共に、暴行・陵虐の限りを尽し、多数の日本人を殺害・死に至らしめたのである。
特に婦女子に対する凌辱は筆舌に尽くしがたいものがあった。変節者として著名なる橋下徹前大阪市長は従軍慰安婦強制連行を否定する保守派の論陣に乗っかる形で「従軍慰安婦なんていうのは戦時下においては何処の国にも存在した。日本だけではない」、といった発言を行っている。浅学菲才も甚だしい。
 
正規の兵隊を確保する寸余も惜しんだソビエトが使ったのは刑務所に服役する囚人兵であった。この血と肉に飢えた野獣の群れを日本人が生活する満州の地に送り込んだのである。
 
戦場の治安を護り綱紀粛正を図るなどと言う概念も持たぬソビエト政府が従軍慰安婦などと言う制度を整える訳もなく、我国婦女子はソビエト兵の慰み者にされたのである。
昭和二十一年春、三十名ほどの看護婦が勤務を命じられていた満州の首都・長春の八路軍長春第八病院に対し、ソビエト軍から「看護婦三名派遣」の命令書が届いた。数キロ離れた城小溝にあるソビエト陸軍病院である第二赤軍救護所へ一か月間の派遣を命ずるものであったが、実際はソビエト軍将校の慰みものとして使役する目的であったのだ。
 
期限を過ぎても戻らぬ三名を案じていると更に三名、また三名を要求する命令書が舞い込む。
 
思案している最中、鉄条網をかい潜り満身創痍で脱出してきた一人の看護婦が実情を話し息絶えた。
 
「私が慰み者になるのは耐えるが、これ以上同じ犠牲者を出さないでください。行かせてはいけません」それを伝えたいために命を犠牲にして脱出してきたのだ。
六月二十一日、看護婦二十二名が青酸カリを服毒して集団自決を遂げた。「私たちは敗れたりとは言え、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます」、と記された遺書が残されていたのである。
 
看護婦長は派遣したまま帰らぬ五名の看護婦が働かされていると聞いた長春のデパート地下のダンスホールを訪ねると肌も露わなイブニングドレスをまとった五名と出会う。
 
婦長は一緒に帰ることを進めるが五名はこれを拒む。「毎晩七~八名のソビエト将校の相手をさせられ梅毒を移されています。看護婦なのでこれが治らないことは分かっています。この身体でどうして日本に帰れましょうか。今は一人でも多くのソビエト兵を客として、この梅毒を移してあげたい。それが大和撫子としての最後のご奉公です」と語ったのである。
 
この悲劇は単に民間業者が軍の名を騙り婦女子を誑かしたというものではない。当時ソビエト政府の下に展開する軍隊が国家の意思によって日本人婦女子を貶め死に至らしめたのである。
 
日本人はこの凄惨なる史実を忘れない。ソビエトがロシアに代わろうともロシア政府は反省と謝罪・賠償を以って償う責任がある。
ロシアは不可侵条約破棄の侵略を謝罪せよ
 
同胞婦女子に対する凌辱殺害を謝罪せよ
 
全千島・北方四島と南樺太を還せ
 
シベリア抑留の責任をとって賠償せよ
 
 
 
平成二十九年八月九日
 
ウラジミール プーチンロシア連邦大統領
 
エバゲーニ・ウラジーミロビッチ・アファナシエス同国駐日大使
 
政経調査会 代表 槇泰智
 
日本国民有志一同
出典:『NPO法人教育再生地方議員百人と市民の会』

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著者プロフィール
 Pride of the Japanese

国際ボディガード歴20年。護身術師範。 悪質なクレーマーや左翼と戦う某団体所属。喧嘩上等。 「I'm proud of the fact I was born in Japan.」