男児が喉を割り箸で突き刺し死亡「割り箸事件」とは

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杏林大病院割りばし死事件

杏林大病院割りばし死事件 (きょうりんだいびょういんわりばししじけん)とは、 東京都 杉並区 で 綿菓子 を食べていた男児が転倒して、 のど を 割り箸 で深く突き刺し、その後、 死亡 した 事故 のことである 。単に 割り箸事件 、 割り箸事故 などとも呼ばれる。その後、刑事・民事訴訟で医師の過失の有無が争われたが、いずれも医師に過失はなく男児の救命は不可能であったとの判決が下った。

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正式名称

平成12(ワ)21303損害賠償

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杏林大病院割りばし死事件の概要

1999年7月10日土曜日、ある男児(4)が兄と一緒に母親に連れられて盆踊り大会に遊びに来ていた。男児と兄は綿菓子をもらって食べていたが、母親は、兄に「(男児を)見ていてね」と伝え、チケットを手に入れるためその場を離れた。男児は綿菓子の割り箸を咥えたまま走っていたところ、午後6時5分頃、俯せに転倒し、その弾みで咥えていた割り箸が喉に刺さった。刺さったときに割り箸は折れたが、男児は自力で割り箸を引き抜き、引き抜いた割り箸の所在は不明となった。受傷時、一時的な軽度の意識障害が見られたが、その後すぐに意識を取り戻した。男児は保健室に運ばれ、そこで看護師が口蓋にへこみのような傷があるのを確認したが、出血は完全に止まっていた。6時11分、救急隊が到着した。救急隊長は傷口の出血はにじむ程度で、舌に血液の付着があることを確認した。受傷時の軽度意識障害は救急隊員には伝えられなかったが、救急隊は男児は意識清明と判断した。6時20分、救急車で搬送され、6時40分頃、三鷹市の杏林大学医学部付属病院高度救命救急センターを受診した。救急隊長と病院看護師は再び一緒に傷口の確認をした。病院看護師も特別な意識レベル低下を感じなかった。6時50分頃、耳鼻咽喉科のA医師の診察を受けた。その際、医師は母親から「転んで割り箸で喉を突いた」旨を説明されたが、割り箸が折れた事実は誰からも知らされなかった。医師は受傷部位を視診・触診したが、傷口の深さは不明だったが、裂傷があるものの小さく止血されており、硬いものなどが触れることもなかった。救急車内や待合室で嘔吐はあったものの意識・呼吸に問題なく、四肢の麻痺など神経症状もなかったことから、医師は軽傷と判断した。そして、喉の傷を消毒、薬を塗布して、月曜日の外来受診および何かあったとき病院への連絡あるいは受診を指示し、髄膜炎の可能性も考慮して抗生物質を処方して、午後8時頃帰宅させた。

同日夜間、母親は徹夜で高校の成績処理をしていた。その間、二度ほど嘔吐した。翌日の7月11日午前6時頃、母親が男児に声をかけたところ瞼や唇に動きがあった。その後母親は寝入ってしまった。午前7時半頃、男児の容態がおかしいことに兄が気づき、母親はただちに救急要請した。救急隊到着時には男児は既に心肺停止状態となっていた。午前8時15分頃、再び同院に救急搬送され蘇生処置が施されたものの、午前9時2分、男児の死亡が確認された。心肺蘇生中、2名の医師が軟口蓋の傷を視診及び触診したが、異物等は確認できなかった。死亡後、割り箸の残存も疑われ頭部CTが施行されたが、それでも割り箸の有無などは分からず、死因不明であった。杏林大学は異状死として医師法21条に基づき直ちに警察に届け出た。検死で警察医も口腔内を観察したが異物等は発見されなかった。7月12日、司法解剖が行われ、初めて喉の奥に深々と割り箸の破片が刺さっており、小脳まで達していたことが判明した。父親は警察から司法解剖の結果の報告を受け、頭蓋内に割りばし片が残存していたことを知り、警察に対してその事実を母親に伝えないよう依頼した。7月13日、大学は記者会見を開き、事故が公となった。その約2週間後、母親は父親から男児の頭蓋内に割りばし片が残存していたことを伝えられた。

出典:杏林大病院割りばし死事件 - 杏林大病院割りばし死事件の概要 - Weblio辞書

	

綿菓子

			

裁判

刑事訴訟

出典:杏林大病院割りばし死事件 - Wikipedia

2000年7月、警視庁は診察に当たった耳鼻咽喉科A医師を業務上過失致死などの容疑で書類送検し、2002年8月、検察は在宅起訴した。また医師が後でカルテに情報を書き加えたことが発覚し、自分の落ち度を取り繕おうとしたカルテ改ざん疑惑も指摘された。2006年3月に東京地裁は、カルテ改ざんの可能性を認めつつ医師の過失(注意義務違反)を指摘した上でも死亡との因果関係を否定し、救命は困難だったとして無罪の判決を下した。検察側は第一審の判決を不服として控訴し、第二審が開かれたが、2008年11月の判決では、カルテの加筆は改ざん意図はないとする医師側の主張を認めたのみならず、医師の注意義務違反による過失そのものが否定されて無罪の判決が下り、被告人側の主張が全面的に認められた形となった。遺族は上告を希望したが、12月検察は断念、東京高等検察庁の鈴木和宏次席検事が会見を開き「上告理由が見いだせない」と述べ、被告人の無罪が確定した。
民事訴訟

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また、両親は2000年に民事訴訟を起こし、病院側と医師を相手取り総額8960万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。2008年2月、第一審判決では医師の診察に過失はなく、延命の可能性は認められないとされ棄却された。2009年4月に第二審でも同様の事実認定のもと棄却され、遺族は上告をしない方針となり、一連の裁判は終結した。

刑事訴訟 第一審

東京都杉並区で平成11年、割りばしがのどに刺さった保育園児、杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん=当時(4)=が、杏林大付属病院(東京都三鷹市)で受診後に死亡した事故で、園児の両親が、病院を経営する杏林学園と診察した医師(当時)のOOOO被告(39)=1審無罪、検察側が控訴=に計約9000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、東京地裁であった。加藤謙一裁判長は「診察に過失はなかった」として両親の訴えを退けた。両親は控訴する方針。

 事故では、東京地検がOO被告を業務上過失致死罪で起訴。1審東京地裁は18年3月、過失を認める一方、延命可能性を認めず無罪としていたが、民事では医師の過失についても認定しなかった。


 訴えていたのは、隼三ちゃんの父、正雄さん(55)と母、文栄さん(50)。訴訟では、(1)割りばしが脳内に刺さっていることを予見できたか(2)適切な治療として延命可能性があったか-の2点が主に争われた。


 加藤裁判長は、これまでに報告のない症例▽神経障害などの症状が見られなかった▽折れた割りばし片が口の中で確認困難だった-などの理由から、「当時の医療水準や受傷状況から、割りばしが脳を損傷させた可能性は診断できなかった」と指摘し、OO医師の過失を否定した。


 その上で、隼三ちゃんの死因について「割りばしが刺さったことが原因だが、具体的な仕組みは不明」と判断。「適切な診察や治療を行ったとしても、延命の可能性は認められない」と結論付けた。


 判決によると、隼三ちゃんは11年7月、杉並区で開かれた盆踊り大会で転び、綿菓子の割りばしがのどに刺さったため、杏林大に救急搬送されたが、OO被告は塗り薬を付けただけで帰宅させた。隼三ちゃんは翌朝、容体が急変し死亡した。

出典:医者を殺すに刃物はいらぬ。訴訟一つも、あればいい。 : 「割り箸事件」民事訴訟判決→「医師の過失認めず」控訴棄却 どっちだ

	

刑事訴訟 第ニ審

東京都三鷹市の杏林大学付属病院で1999年、保育園児杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)ののどに割りばしが突き刺さっているのを見落として必要な診療を行わず死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた元同病院医師・根本英樹被告(40)の控訴審判決が20日、東京高裁であった。

 阿部文洋裁判長は「被告の医療措置に過失はなく、救命も困難だった」と述べ、無罪とした1審・東京地裁判決を支持、検察側の控訴を棄却した。医療事故の刑事責任追及に対し、厳しい司法判断となった。


 根本被告は99年7月10日、耳鼻咽喉(いんこう)科の救急当直医として、綿あめの割りばしをくわえたまま転倒し搬送された隼三ちゃんを診察した際、必要な検査を行わず、傷口に消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させ、翌朝、隼三ちゃんを頭蓋(ずがい)内損傷で死亡させた、として起訴された。死亡後の解剖で約7・6センチの割りばし片が脳に刺さっているのが見つかった。

 06年3月の1審判決は、診断ミスがあったことは認めたが、治療しても延命の可能性が低かったとして無罪を言い渡したため、検察側が控訴していた。


 この日の判決は事故について、特異な例で当時は診療指針が確立していなかったとしたうえ、隼三ちゃんの意識障害も強くはなかったことなどから、「割りばしによる頭蓋内損傷を疑って問診をしたり、コンピューター断層撮影法(CT)検査などを行ったりする注意義務はなかった」と、被告の過失を否定した。

 また、救命の可能性についても、仮にCT検査を行ったとしても、割りばし自体を見つけることはできなかったなどとして、「延命も確実に可能だったとはいえない」と結論づけた。

出典:杏仁割り箸事件刑事訴訟控訴審判決 ~ そしてその後の世界へ : ぐり研ブログ

	

医学的に見て

死亡後、死因不明のため救命救急医により腰椎穿刺がなされたところ、血性髄液の所見を認めた。脳出血を疑い頭部X線とCT撮影を行ったが、後頭蓋窩に硬膜外血腫と空気の混入が認められたものの、依然死因は不明であったという。その後の司法解剖で初めて頸静脈孔に嵌入し頭蓋底を越え小脳まで穿通した約7.6cmの割り箸の断片が確認された。

刑事判決で認定された事実は、「男児が割り箸を咥えまま転倒し、自分で抜去したものの、割りばしの先端が残り、残った部分は頭蓋骨を損傷せず左頸静脈孔に嵌入して頭蓋腔に達して左内頸静脈の内腔を閉塞し、同部位から左S状静脈洞や左横静脈洞にかけて静脈内血栓を形成、これが死亡原因となった」というものである。一方、民事判決では、「脳浮腫及び頭蓋内圧亢進に伴い、最終的に呼吸中枢ないし循環中枢の障害により死亡したと認められるが具体的な機序は不明」としている。


杏林大学の過去10年前後のデータでは、何らかの物で口腔内を突いたケースは100例程度あったが、そのうち重大な問題を引き起こした例や死亡した例は一例もなかったという。また世界的に見ても頚静脈孔に異物が嵌入し小脳に到達するという症例報告は存在しない。本症例は特異な例であった。

出典:杏林大病院割りばし死事件 - Wikipedia

	

影響

事件後、この事件を契機として、医療崩壊が大きく進行したと言われる。それまで、大病院の勤務医は労働条件に見合わない低収入や過酷な勤務状況に対しても、不満を自ら封印して社会のために貢献してきたが、善意に基づいて行った医療行為の結果が思わしくなかったという理由で、刑事責任を問われる事態が起こり、現場から立ち去っていった。特に救急医療においては、日本ではもともと救急専門医が少なく、こわごわと働く非救急専門医によって支えられてきた現状があったが、この事件を期に、医師は自分も犯罪者として糾弾される可能性があると考えるようになり、専門外の診療を避ける傾向が強まった。

また、財政上、24時間あらゆる事態に即座に対応できる体制にある病院は存在せず、多くの中小の救急病院は、紛争を恐れて、救急医療から撤退した。このような医師への刑事責任追及に対して報道機関の果たした役割は極めて大きく、割り箸事件についてのマスコミの報道こそが今日の医療の危機的状況を作り出したといわれている。


また、本件等での刑事事件化は医学研究にも深刻な影響を及ぼしている。現在、刑事責任につながる可能性があるとの思いから、学会や医学雑誌で症例報告、合併症報告、副作用報告が激減している。もしマスコミがその場にいれば「過失あり」と報道されかねないため、学会に行っても相手の間違いを指摘する質問さえしにくい雰囲気になっているという。医師同士の医学的経験・情報の共有を阻害する可能性が示唆されている。

出典:杏林大病院割りばし死事件 - Wikipedia

	

マスコミの暴走 ~TBS、割り箸事件報道でBPOから「重大な放送倫理違反」勧告される~

日経メディカル1月号の記事です。

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割りばし事件報道にBPO勧告 長い戦いに「一応」の区切り

 

(Nikkei Medical 2010.1 P157)

上尾中央総合病院(埼玉県上尾市)耳鼻科 根本英樹

日大通信教育部(法学部)    准教授 根本晋一


    

 私たちは、1999年7月に起きた「杏林大割りばし事件」の時の担当医とその実兄です。


本件は、男児が割りばしを口にくわえて転び、その割りばしが脳に達して亡くなった不幸な事故です。救急車で運ばれた男児の初療をし、診療の過失の有無が問われました。一連の訴訟では無罪、請求棄却となり、担当医に過失がないことが認められました。


 これに関連して放送倫理・番組向上機構(BPO)は2009年10月末、TBS「みのもんたの朝ズバッ!」の本件関連報道に対し、「重大な放送倫理違反」を勧告しました。本稿では、その経緯を紹介します。


 この事件は、発生当時から様々な報道がされましたが、その内容は例外なく担当医の非難でした。とりわけ担当医批判に熱心だったのが、ある女性ジャーナリストと、このジャーナリストと深く接していたTBSでした。


 ちなみに、このジャーナリストは担当医やその親族、弁護人を一度も取材していません。


捜査記録を見る前から思い込みと憶測で架空の事実をつくり、担当医を中傷したのです。


例えば、杏林大は患児死亡直後に異状死の届け出をしましたが、「本件は救急隊員の証言で発覚した」と、まるで同大が事故を隠蔽したかのような発言をしたほか、剖検所見を見ないと分からないはずなのに、「担当医に過失があるといってよいだろう」と断定しました。


 TBSのある男性記者は、この女性ジャーナリストと連携して取材をしていました。


男性記者も、「割りばしが脳に刺さったことを知っていたのではないか」「患児の両親は杏林大から謝罪がないとしているが、謝罪する考えはあるのか」など、杏林大に挑発的な取材依頼をしてきました。


 杏林大は男性記者の取材事項に沿って回答しましたが、その後のTBSのニュース番組は、回答書の内容を一顧だにしない(回答した事実すら言わない)、遺族側の言い分に偏った内容でした(99年8月時点)。


 私が書類送検された2000年7月、多くのテレビ局が匿名としたのに対し、TBSは実名を報道しました。


TBSが執拗かつ不公平だったので、私の両親(父親は弁護士・元第二東京弁護士会人権擁護委員長・故人)は同年8月、BPOに人権侵犯救済を申し立てました。この際、BPOは解決の仲介をしましたが、TBSは申立人らの話を聞くだけで解決策を示しませんでした。


 一方、女性ジャーナリストや市民団体関係者に対しては、05年に名誉毀損で提訴しました。結果は4件の訴訟のうち3件が和解、1件は敗訴。

裁判所は和解の際に女性ジャーナリストに「今後は資料をよく調べてから十分注意して書くこと」という条件を付しました。

その後、刑事・民事訴訟で担当医の無罪や請求棄却が決定し、今度こそ正確に報道されると期待していたところ、TBSはまたも「みのもんたの朝ズバッ!」で私たちを取材せず、計2回(06年3月の刑事第一審判決時、08年2月の民事第一審判決時)、問題の女性ジャーナリストを専門家に招き、みの氏と2人で誹謗中傷を繰り広げました。


 みの氏は、「(杏林は真面目に)取り組んでいないから、こういう事故が起きて(患児は)死んじゃったんじゃないか!杏林の姿勢を僕は疑う」

「素人でも脳に損傷があると考える」


などと発言し、


女性ジャーナリストも、

「この程度の医療水準で許されるのなら、真剣に頑張っている多くの医師はプライドを傷付けられる」


などと語り、判決を読んでいるとは到底思えない、事実誤認の無責任トークを展開>しました。


 無実なのにまだ言うのかと、その執拗さと内容のずさんさに呆れ、私たちは09年5月に再びBPOに人権侵犯救済を申し立てました。


BPOも今度は審理に乗り出しました。ところが、TBSは私たちの申し立てに対し、「医療機関には最善の注意を尽くしてもらいたいという思いで放送した」「客観的事実を超えた思いがあることが分かった」など、人権感覚に欠けた責任感のない答弁に終始しました。


 半年間の審理の後、BPOはTBSに「重大な放送倫理違反」があることを認めました。この決定は、ADR(裁判外紛争解決手続)としてのBPOの審理規定で最も責任が重い勧告です。


これにより、私たちの社会的評価が直ちに回復するわけではありませんが、不正確な報道に反論する機会となり、その結果がBPOの記者会見という形で周知された意義は大きいでしょう。私たちは、マスコミとの長い苦しい戦いに「一応」の区切りをつけられました。理不尽な報道に疑問を呈して他界した亡父も喜んでいると思います。


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出典:マスコミの暴走 ~TBS、割り箸事件報道でBPOから「重大な放送倫理違反」勧告される~|医者の常識、世間の非常識 ~Herr doktor~

	

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