【イケメン逃亡犯】市橋達也が逃げるためにやったこと【動画あり】
市橋達也が犯行に及んだリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件とは?
2007年3月26日千葉県市川市において同居していた女性から警察にかかってきた1本の電話から始まった。「一緒に同居している英国籍の女性が帰ってこない」
警察はすぐに同居していた家を捜索すると市橋の電話番号・メールアドレスと、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、すぐに市橋宅に急行した。
同日9時頃警察は市橋が住むメンションに生活安全課と刑事課の署員数人が到着し、市橋は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しようとした。捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走した。予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたが、取り逃がす結果となった。
同日午後10時ごろ、捜査員、市橋宅のベランダに置かれていた浴槽の内部で、全裸様の前傾座位で土に完全に埋められた被害者の遺体を発見した。
2年7ヶ月にも及ぶ狂気に満ちた逃亡の始まり
①屈強な捜査員に発見されるも…。
逃走後の市橋はしばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦羽交い絞めにされるが、ここでも逃走することに成功している。
②逃走初日に麻酔を使わず自分で整形手術
逃走初日のうちに放置自転車や電車を利用して、市川市の自宅から上野経由で秋葉原まで移動し、途中立ち寄った東京大学医学部附属病院の障害者用トイレで、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行った。後にほくろを自らカッターナイフで切り落とし、下唇を小さくするためにハサミで切っている
③自転車や徒歩、無賃乗車で青森まで逃げ回る
その後は埼玉・群馬・茨城などの北関東周辺を放浪し、熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上することを決める。事件前に福岡県の知人宛てに近々遊びに行く旨のメールを送信しており、パソコンの記録解析によって南方への逃亡が察知される危険性を考えた行動であった。東京から新潟を経て青森まで移動したが、青森駅前公園で1週間ほど寝泊りするうちに青森の経済状況がよくないことを感じとった
④ついに大阪までたどり付き、四国へ渡る
働いて生活するために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れた。ここでは職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動した。四国では香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県とお遍路を歩いた。これは贖罪の意味があったとしている。お遍路の先々にも手配写真が掲載されているのを見て、このままでは逮捕されるのは時間の問題と考え、無人島での生活を考え始める。高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択した。
⑤無人島でのサバイバル生活が始まる
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お遍路を途中で止め、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡った。初回のオーハ島渡航は準備不足で1週間ほどで頓挫した。資金が尽きた市橋は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼いだ。沖縄での経験で、市橋はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案した。住み込みでの仕事は解体現場や建設現場を選んだ。他にも船に乗る仕事や風俗に女性を派遣する仕事などをしないかと誘われたが市橋は断っている。勤務態度は良好であったが、宿舎の近くに警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した。
⑥ハブが多数生息するオーハー島での生活
沖縄本島から西に約100キロに位置する久米島からさらに東に1キロほどに位置する「オーハー島」。周囲2.7キロの無人島である。夏は熱く、水場がない。さらにハブが多数生息する地域である。廃墟化しているが雨や風を防げるところはいくつかあった。
市橋は、逃亡中に沖縄県の島尻郡久米島町のオーハ島を4回訪れており最長で3ヶ月ほど滞在した。最初の滞在では海岸近くの岩場に潜伏していたが、2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリートブロック造りの小屋に移動した。オーハ島はダイビングスポットや海水浴としては人気があったが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。隣の久米島で仕事を探したが適当な仕事がなく、自給自足の生活をしていた。最初の滞在は準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で頓挫した。オーハ島から沖縄本島に戻るときにはフェリーの代金が足りずキセルをして職員に捕まっているが、事件の市橋とは察知されず放免されている。
2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇・ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活した。飲料水は奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに詰めて持ち帰るなどした。燃料となる薪は流木が豊富に得られたので困ることはなかった。逮捕されたときも、この島を目指して移動途中であった。初公判で市橋は、もはや逃げ切れないと思い、オーハ島の小屋で死のうと思っていたと供述した。2011年1月23日千葉県警は捜査員を派遣して、小屋の残留物を証拠品として押収した。
被害者家族の執念。ヤクザを使って犯人を追い詰める??
被害者の家族は、単独あるいはイギリスのマスコミと一緒に何度も訪日し、事件現場に慰霊に通ったり、駅でのビラ配りを行い市橋逮捕への協力を訴えた。2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋の顔を印刷したTシャツをネット販売するとともに、事件の風化を防ぐため繰りかえしマスコミへの出演を行った。捜査協力はあらゆる方面に及び、イギリスのメディア『Mail Online』は、父親が日本のマフィア、つまりヤクザにも接触し、市橋探しの捜査を依頼していたと報道した。
当時のグレアム・フライ駐日英大使も2007年4月1日、東京都内で記者会見を行い、市橋逮捕への協力を求め、家族の活動を支援した。テレビ朝日『奇跡の扉 TVのチカラ』(2007年6月30日放送)において特別番組が編成され、来日中の被害者両親も出演して、日本国内に広く情報提供を求めた。
そんな中、市橋は日雇い労働により資金を得て大胆な行動に
資金がなくなると日雇い労働に従事し、2008年春には自宅がある千葉県市川市近隣に所在し、東京ディズニーランドを訪れている。さらに住み込み労働で得た貯金で、2008年10月23日と24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けた。なお、逮捕後の取り調べではディズニーランドは「つまらなかった」と述べている。
そして、通報から逮捕へ
美容形成外科からの通報
2009年11月5日、名古屋市内の美容形成外科医院が、過去に美容形成術を行った患者カルテの顔写真を整理していたところ、男性には珍しいほくろの除去を不審に感じ報道された市橋との一致部分を確認し、病院スタッフが通報した。県警は骨格などから市橋と断定。顔写真を公開した。市橋はすでに整形していて、一重だったまぶたが二重になっているほか、鼻が高くなっていた。下唇は薄くなっていた。指名手配の顔写真は整形後の同院提供の顔写真に差替えられた。なお、同院は、手術前にすでに市橋が顔を整形していた模様であったため、実際の施術にあたっては気付かなかったとしている。
建設会社からの通報
この手術後の新しい指名手配の報道を見て、同年10月ごろまで大阪府茨木市の建設会社において同市橋が住込みの土木作業員に従事していたとして、雇用主の建設会社が警察当局に対して通報を行った。2008年2月29日から6月26日までの間、偽名を使って神戸市の建設会社で勤務し、8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で勤務した[1]。ともに会社の寮で生活していたが、無断で退去していた。なお、同建設会社は市橋を雇用する際に、あいりん地区に社有車を派遣して求職者を募集し、その場で雇用したという経緯から、当初は同事件の市橋であるとは気付かなかったとしている。
フェリー乗り場からの通報
同年11月10日、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルにおいて、同社の従業員が、沖縄行き航路に搭乗しようとしていた乗客の中に、市橋に似た不審な男性を発見した。当日は、神戸発・沖縄行きの航路は欠航であったため、同日も同航路に就航していた大阪南港発の沖縄行き便を案内すると、市橋と思われる人物が乗船のため大阪南港に向かう旨の発言をしたことから、不審に思った同港担当者は警察当局ならびに大阪南港担当者に通報。大阪南港フェリーターミナルに先回りし待機していた警察官により身柄を確保され、移送された大阪府警住之江署において同事件容疑で逮捕、さらに東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送された。
その容姿から殺人犯にファンが付く異常事態に
市橋逮捕時直後には、市橋を「イッチー」と呼び、ファンクラブを標榜するmixiコミュニティを作成したり、それに参加する女性(市橋ギャル)が多数出現し、そのモラル面について批判が相次いだ
取り調べで黙秘を続け14日間断食
逮捕後は黙秘を続けるとともに食事を拒否し、この間、6日目には栄養剤が投与された。しかし、焼肉弁当を出されると断食直後にも関わらずペロリと食べた。
前代未聞!逃亡記録手記の出版
橋は、逃亡生活の様子や心境などをまとめた手記「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」を、2011年1月26日に幻冬舎から出版し、手記による収入はすべて遺族への弁済に充てるとした。2011年7月までに印税は1100万円となり、市橋は税引き後の912万円を遺族に渡したいとしたが[17]、被害者の両親は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」として、1銭たりとも受け取らない立場を千葉地裁で明らかにした。
注目の裁判では無期懲役を求刑
検察側は、市橋は非常に強い力で3分以上に頚部を絞めており殺意は明らかで、蘇生措置をしたというのは被害者の肋骨に損傷がないことから信用できないと主張した。被害者の遺族は、市橋の発言は減刑を意識したパフォーマンスで、反省が見られないとして死刑を求めたが、検察は市橋に前科がなく犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ないと無期懲役を求刑した。