誰も知らない」のモチーフになった「巣鴨子供置き去り事件」とは

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巣鴨子供置き去り事件

巣鴨子供置き去り事件(すがもこどもおきさりじけん)は東京都豊島区で1988年に発覚した保護責任者遺棄事件。父親が蒸発後、母親も4人の子供を置いて家を出ていき、金銭的な援助等を続けていたとはいえ実質育児放棄状態に置いた。

出典:巣鴨子供置き去り事件 - Wikipedia

	
1988年に起こった事件である。

 ことの起こりはここから15年前、ある男女が同棲したところから始まった。女は男が役所に婚姻届を出したと思い込んでおり、自分たちは夫婦だと認識していたが、実はそうではなかったのである。

 子供が生まれ、出生届の提出をまた男に頼むが、このときも彼は「出した」と口では言ったものの、役所には足も踏み入れていなかった。

 ある時期までは男がきちんと給料をもらってきていたので生活に破綻はなかったが、彼がほかに女を作り、会社の金を使い込んだうえ蒸発してしまってからはすべてが一変することとなる。


 ほぼ同時期、長男は小学校へあがる年であった。が、いつまでたっても就学通知がこない。

 おかしいな、と思いつつ母親が手をこまねいているうちに入学時期は過ぎてしまった。ようやく母親が重い腰をあげて役場へいってみると、そこでやっと事実があきらかになり、彼女は愕然とする。自分はまだ未婚なばかりか、家にいる子供は戸籍のない「幽霊児」なのであった。

 本来なら彼女はここで福祉事務所なり児童相談所なり、どこかの窓口を訪れるべきであったろう。しかし彼女の念頭にそんなことは思い浮かばなかったし、アドバイスしてくれる人もなかった。彼女は以後、すべてを嘘で固めて生きていくことになる。

 事件発覚後、彼女が周囲についていた嘘もいっしょに暴かれたが、それは悲しいと言ってもいいものばかりである。いわく、

「わたしは慶応大学を出て、いまは三越の外商部に勤務しています」。

「亡くなった夫は外交官でした」。

「息子は立教中学に通っています」等々……。

 そして、マンションへ入居の際には「これ、うちの職場で扱っているものですけど」と言って、三越の品物を隣近所に配り歩いたりもしていたという。

 その後も彼女は何人かの男性と知り合い、妊娠しては自宅出産するということを繰り返した。出生届は一度も出していない。

 結果的に彼女が産んだ子供は5人。そのうち次男は病死したが、なにしろ戸籍がないので埋葬届も得られないし、第一「生まれてもいない」とされているものをどうやって「死んだ」と届ければいいのか。――結局このときも、彼女はすべてが明らかになるのを怖れて、隠匿に精を出すことになる。

 彼女は次男の死体をビニールでくるみ、消臭剤を詰めて押入れに隠した。

 長男はそんな母親をみて育ち、下の子たちの面倒をみながら大きくなっていく。母親は長男を「とてもしっかりした子」と思い、下の子の世話を全面的に任せ、自分はデパートの売り子をして給与をもらい、子供たちを食べさせていた。


 しかしまた生活を一変させる出来事が起こる。

 1988年1月、母親に新しい男ができた。それだけなら過去何度も起きていたことだが今回は大きく違った点があった。彼女はその男と同棲するため、子供たちをマンションに置き去りにしたまま、出ていってしまうのである。

 彼女は家を出る際、長男に

「妹たちのことをお願いね。おかあさん、たまに様子みにくるから。お金は書留で送るわ」と言っている。

 当時、長男は14歳。妹3人はまだ7歳、3歳、2歳であった。


母親が毎月仕送りしていた額は7~8万だったという。あとはたまに電話をしたり、駅のマクドナルドなどに長男を呼び出して「家の様子はどう?」と訊く程度で、いつも子供たちの住むマンションには寄ることなく、彼女は男と住む家へ帰っていた。こうして子供たちだけの閉鎖された環境ができあがっていった。

 学校にも通わず、存在を秘匿された人間だとはいえ、長男は妹たちのために買い物にも行かなくてはならないし、家に閉じこもっているわけにもいかない。あたりをふらふらしているうち、彼にふたりの友達ができることとなる。

 ひとりはAといって、家庭が複雑なこともあり学校にもほとんど通っておらず、のちにはこの家に居候同然のかたちで住みついていた。もうひとりのBは家庭もあり、学校にも通っていたが攻撃性が高く、学校帰りにはほとんどこの家に寄り付いていたという。

 いかに長男が歳のわりにしっかりしていたとはいえ、しょせんは14歳である。幼い妹たちに食べさせるものは菓子かカップラーメンか、冷凍食品。家の中は汚れてくるし、下の妹ふたりはまだオムツをあてているが、マメに換えてやっていたのは最初のうちだけで、金が乏しくなってくれば新品も買えない。2ヶ月もたつと、1日1回換えればいい方、という有様になっていた。

 妹たちは発育盛りにちゃんとしたものを食べていないから、栄養不良で動作は緩慢だし、臭いし、しょっちゅうむずかる。

 長男はたしかに妹たち思いの子ではあったのだが、そういった毎日がつづくうち、だんだん「面倒くさい」「うとましい」という思いが先に立って、家に居ついた友達ふたりを優先させることが多くなってきていた。そんな中、事件は起こった。


 4月21日。Bが買い置きしておいたカップラーメンがなくなっており、空腹になった妹のうち誰かが食べたのだろうということになった。Bが問いつめると、どうやら三女が食べたらしい。怒ったBはまだ2歳の三女を殴って折檻した。この折檻には、長男とAも加わったようだ。

 ひとしきりそれが収まると、今度は三女がお漏らししたらしいことがわかった。Bがまた折檻すると言い出し、今度は長男とAは「勝手にやれば」と言って、隣の部屋でTVを見ることにした。

 Bは押し入れの上の段から三女を何度も落とし、何度もやっているうちに面白くなって、頭から落としたり、わざと落ちてくるところに足を出して腹を蹴りあげたりしはじめた。三女はボールのように蹴りまくられ、ぎゃあぎゃあ泣きわめく。その声が面白くてまた蹴る、の繰り返しで、行為はだんだんエスカレートしていった。

 ふっと長男が気づくと、隣室が静かになっている。覗いてみると三女がぐったりしてBの足元に倒れていた。

「大変だ――これ、死んじゃうかも」

 救急車、それともお母さんに電話、といろいろ考えるけれど、救急車を呼べばすべてが発覚してしまうし、お母さんに電話しても怒られるだろうし、結局どうすればいいかもわからないまま、見よう見真似の人工呼吸を施したり、布団をかけて体をあたためるなどした。それを後目にBは「7時だし、家に帰らなきゃ」と言ってさっさと退散してしまった。

 翌朝、長男が目ざめてみると三女はもう冷たくなっていた。

 死んだあとの処置はといえば、母親が次男が死んだときにやっていたことを真似るしかない。ビニール袋に死体を入れ、消臭剤を入れて押し入れにしまいこんだ。しかし消臭剤の量が足りなかったのか、たちまち臭くなり、ここに置いてはおけない、ということになった。

 26日、長男とAは三女の死体をボストンバッグに詰め、電車で秩父市の公園に行った(このときもBは責任のがれをして、ついてこなかった)。秩父を選んだのは昔Aが遠足に来たことがあるからと、長男が「妹に山を見せてやりたいから」という理由だった。ふたりは駐車場脇の雑木林に死体を捨て、上を木の葉や枝で覆った。

7月に入って、「どうもあそこは子供たちだけで暮らしてるようだ」と大家が警察に通報。警察から福祉事務所に連絡がいき、相談員が訪問すると、子供が3人遺棄されているのが発見された。とくに長女と次女は栄養失調で衰弱がひどく、ただちに保護された。なおAとBはこのとき、この家にはいなかった。

 警察の家宅捜査の結果、次男の死体が押入れから発見される。事件はまたたく間にマスコミにも広がり、TVや新聞での報道がされる一方、母親への「どこにいるのか」という呼びかけが起こった。

 報道をみた母親は「これはひょっとして、私のこと?」と思い、警察に出頭。子供たちに引き合わされ、そこで初めて

「三女がいない。子供がひとり足りない」

 ということがわかった。

 まず母親が保護者遺棄、致傷で起訴。

 次女は全治1ヵ月半という重度の栄養失調だったため、さらに致傷罪が追加され、懲役3年執行猶予4年の判決がおりた。

 長男は三女に対する傷害致死、死体遺棄で起訴。しかし事情聴取するうち、A・B(とくにB)の関与が大きいことがわかり、長男には同情する余地が大きいとして、A・Bふたりは救護院送致(のちにBのみ保護観察で済んだ。この差は裁判官の認識の差とみられる)、長男は養護施設に送られ、そこから学校に通うことになった。

 長女・次女も保護センターから養護施設に送られるものの、この2人はのちに母親に引き取られている。長男がどうなったかは、資料不足のため、筆者にはわからないのが残念である。

出典:ポルノ浪漫画像倉庫:巣鴨子供置き去り事件 - livedoor Blog(ブログ)

	

育児放棄とは

ネグレクト(英: neglect)とは、児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待のひとつ。子供に対するネグレクトは育児放棄(いくじほうき)、育児怠慢(いくじたいまん)とも言う。また、ペットの飼育放棄(しいくほうき)に対しても指すことがある。neglectの原義である「怠慢・粗略」「無視・軽視」から生まれている。

心理的虐待および身体的虐待の一種でもあり、自らの実子への無視、特に自立性や自救能力が低く、幼児や低年齢児童の養育を著しく怠ることを指す場合が多い。具体的には食事や衣服の供与、排泄物や廃棄物の始末を適切に行わない、長時間の保護放棄などがあり、しばしば虐待を伴う。その結果、子供は健全な心身の発育を妨げられ、最悪の場合は死に至ることもある。また生存し、その後成人しても殺人などの凶悪犯罪に走るケースも少なくない。

積極的に実子を殺す間引きなどの子殺しとは区別される。チンパンジー、ニホンザル、ゾウ、トラ、ネズミ、ペンギン、ペリカン、フクロウなど他の哺乳類や鳥類にも広く認められている。環境悪化などによるハチ・アリ類の育児放棄や甲殻類の抱卵の途中放棄、植物の落果現象なども含めるとするならば、生物界全体に広く認められる現象である。

出典:ネグレクト - Wikipedia

●例えば、過去の事例では以下のようなケースが典型的である。

●幼稚園、保育園、保育所に預けない。


●子供の希望にもかかわらず、学校に通わせない。


●病気になっても病院に受診させない。


●暑い日差しの中、駐車場の車内への放置(パチンコなどの有害な娯楽に興じ、育児を放棄する)。日本でも3~4月の天候下で熱中症による死亡事例も発生している。子供を保育所などに預けさえすれば、パチンコ店に入店してよいことになるため、この場合もネグレクトを引き起こす要因になり得る。親がパチンコに興じ、目を離した隙に子供が誘拐および殺害された事件も発生している(北関東連続幼女誘拐殺人事件)。


●防寒に充分な着衣を着けさせず、寒冷な外気に晒す。冬季に濡れた下着だけでアパートのベランダに放置された児童が低体温症で死亡した事例がある。


●充分な食事を与えない。


●下着など不潔なまま放置する。

また日本では義務教育制度があるが、学齢期に達した児童を就学の猶予または免除が教育委員会に認められていないのに学校にも通わせず、自宅軟禁の形で放置することも、広義では育児放棄とされる。その際に、該当する児童が保護者以外(親族や近隣の住人など)に頼れる相手が社会にいない場合、他に行く当てがなく、その状況から逃げ出すこともできないので、実質的な監禁状態であるともみなされる。

平成20年度厚生労働省調査では児童相談所が対応した児童虐待の件数は全体で42664件で、うちネグレクトは15905件で身体的虐待についで二番目に多い。

処分・裁判

1988年8月10日、東京地検は長男を傷害致死、死体遺棄で東京家裁に送致。「母親がいれば起こりえなかった事件であり、長男は教育的措置が必要」と、長男は少年院ではなく教護院送致へと異例の処遇意見を付けた。


 同年10月26日、東京地裁、母親に「わが子を養育する煩わしさから逃れようとした無責任、身勝手極まりない犯行、三女の死の遠因となったと言っても過言ではない」として、懲役3年、執行猶予4年を言い渡した。

出典:巣鴨・置き去り事件

	

巣鴨子供置き去り事件のその後

事件後、長女と次女は母親に引き取られたが、長男に関しては消息が不明。

出典:巣鴨子供置き去り事件 - Wikipedia

	

映画のモデルになった、巣鴨で起きた子供置き去り事件の新聞記事を読むには

1988(昭和63)年7月22日、毎日新聞(夕刊)に「子ども3人暮らし押入れに乳児死体-西巣鴨のマンション」という記事が掲載された後、朝日・読売・日経・毎日の各新聞に関連記事あり。

日経新聞は「日経テレコン21」で、読売新聞は「ヨミダス文書館」で、朝日新聞は「朝日新聞戦後見出しデータベース」で検索できる。各新聞の縮刷版の目次でも検索できる。 

なお雑誌記事については『大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録』1988-1995 件名編3のp.1150に一覧あり。

インターネットでは国立国会図書館のNDL-OPACで、データベースでは日外アソシエーツのMAGAZINE PLUSでもそれぞれ雑誌記事が検索できる。

出典:映画のモデルになった、巣鴨で起きた子供置き去り事件の新聞記事を見たい。

商品の詳細 誰も知らない

2004年カンヌ国際映画祭での主演・柳楽優弥の“日本人初”、“史上最年少”最優秀主演男優賞獲得にはじまり、

キネマ旬報やフランダース国際映画祭において最優秀作品賞を獲得するなど、国内外の映画祭で、この年もっとも

高い評価を得た、伝説の日本映画。

	

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