夜行列車のオリエント急行はイスタンブール行き

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オリエント急行1883~2009

「国際寝台車会社」の列車がオリエント急行と呼ばれていてイスタンブール行・アテネ行・ルーマニア方面行の路線があった。

オリエント急行6日間の旅

出発はフランスのカレー(Calais)

古代ローマより栄える港町。ドーバー海峡として知られている。

停車駅・パリ

ロンサール「願わくは」

願わくは黄金の雨のように

美しい雫となって滴り落ち

美しいカサンドラの胸を濡らさんことを

彼女の瞳にしのび行く眠りのように


願わくは純白の牛となって

彼女を我が背に乗せ 緑なす四月の草原の

花の中を歩まんことを


願わくは恍惚のナルシスとなって

彼女の化身たる泉の面に

我が姿を映さしめんことを


また願わくはこの夜が終わることなく

オーロラの光りあせることなく

我が眠りの覚めざらんことを

停車駅・ストラスブール(シュトラスブルク)

フランス北東部の、ライン川左岸に位置する。河川港を抱える交通の要衝である。対岸にはドイツの都市ケールが存在するが、シェンゲン協定によってパスポートチェック無しで自由に行き来できる。2007年6月10日にはTGV東ヨーロッパ線が開業し、パリ東駅と2時間20分で結ばれた。

停車駅・ミュンヘン

ドイツの代表的な都市。ミュンヘンのスローガンは「ミュンヘンはあなたを愛している」であり、1972年にはオリンピック開催された。BMWの本社もあり自動車王国のシンボルである。

停車駅・ザルツブルク

オーストリアの都市。ザルツブルク地名の由来は「岩塩」であり塩戦争も起こったことがある。モーツァルト生誕の地として知られ、カラヤンも産声をあげるなど音楽が盛んな町であり、歴史地区は世界遺産に登録されている。

停車駅・リンツ

ドナウ川沿いのオーストリアの都市。モーツッルトの「リンツ」は有名。リンツ郊外でヒトラーが誕生している。ドイツに次いで第二の故郷と呼ばれている。

停車駅・ウィーン

リルケ「秋」

木の葉が散る、散る、遠いところから落ちてくるみたいに、大空のなかで遠い庭がいくつも枯れたみたいに。

否(いや)、否 、という身ぶりで木の葉は舞い落ちてくる。


そして夜々には 重い地球が

あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる。

われわれはみんな落ちる。この手も落ちる。

ほかのひとたちを見つめてみよ、落下はすべてにあるのだ。


だが この落下を 限りなくやさしく

その両手にうけとめる一人のかたがいますのだ。

停車駅・ブダペスト

ブダペストはハンガリーの首都。街の美しさから「ドナウの真珠」とも言われる。ドナウ川を挟んで西側がブダ地区であり、東側がペスト地区。もともと別の町だったものが19世紀に合併して現在の町になった。

出典:セルビア観光なら次はここ!「ベオグラード」で見たい絶景10選

wondertrip

停車駅・ベオグラード

セルビアの都市でありヨーロッパで最古の都市の一つ。ノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチは「ドリナの橋」をベオグラードで執筆した。また聖天使首ミハイル大聖堂があり、中央風の街並みはそのままである。
三枚目ブログ

停車駅・ニシュ

ニシュという地名は紀元前3世紀に街を流れるニシャヴァ川からつけられた。郊外のメディアナにはセルビアでもっとも古い4世紀に遡る教会がある。
イスタンブール直通の「オリエント急行」は、上流貴顕の乗車が多く、東洋に連なる列車であることから、エキゾチシズムを伴った豪奢な乗り物というイメージが、世界的に広く敷衍していた。また国際的な紛争多発地域であるバルカン半島を経由ルートとしており、第二次世界大戦後の東西冷戦下にはイデオロギーの相違する多数の国々を貫通して運行された。

このような特徴は、古くから興味深い題材として作家たちの関心を集めることにもなり、しばしば小説の「走る舞台」に取り上げられた。モーリス・デコブラの『寝台車のマドンナ』(1925年)にはオリエント急行を初めとする寝台列車が登場する[6]。グレアム・グリーンによる群像劇的な小説『スタンブール特急』(1932年)はイスタンブール行のオーステンデ・ウィーン・オリエント急行が舞台である[6]。またアガサ・クリスティは、考古学者である夫マックス・マローワンが中東方面に赴く際に、度々シンプロン・オリエント急行に同伴して乗車したといい、同急行を舞台とした『オリエント急行の殺人』を1934年に発表している。この作品は1974年にシドニー・ルメットの監督で映画化がなされており、蒸気機関車はフランス国鉄が動態保存していた230G-353を利用した。この機関車は既述の通り、1988年に日本まで走ったノスタルジー・イスタンブール・オリエントエクスプレスのパリ発車時のスタートを飾る機関車として、その大役を果たしている。

一方東ヨーロッパ側からは、オリエント急行を批判的に描いた作品も存在する。ブルガリアの作家アーレコ・イワニコフ・コンスタンティノフの小説『バイ・ガーニュ』(1895年)はオリエント急行に乗った成金商人を風刺的に描いている[6]。

第二次世界大戦後には、イアン・フレミングがスパイ小説「007シリーズ」の一つとして『ロシアから愛をこめて』(1957年)を書いている。作中でジェームス・ボンドはイスタンブールからディジョンまでシンプロン・オリエント急行に乗車する。この小説はのち1963年にショーン・コネリー主演で『007 ロシアより愛をこめて』として映画化されており、「オリエント急行」でのシーンも見せ場の一つとして描かれている。

また、この列車を題材とした音楽としては、イギリスのフィリップ・スパークによるブラスバンド楽曲『オリエント急行 (Orient Express)』(1986年)がある。この曲はスパークの代表曲のひとつとされ、欧州放送連合 (EBU) の"New Music for Band Competition"で第1位を獲得した。急行列車の出発から到着までを描写した、輝かしい曲想を特徴とする。日本国内においても吹奏楽やブラスバンドのコンサートにて頻繁に演奏され、人気がある。なお、吹奏楽版は作曲者スパーク自身の手によって編曲されている。この他ジャズ/フュージョンの楽曲にもジョー・ザヴィヌルが「Orient Express」という楽曲を作曲している。

日本国内で発行された漫画『月館の殺人』(つきだてのさつじん: 原作・綾辻行人 作画・佐々木倫子)では、物語の舞台となる夜行列車「幻夜号」の車両や接客サービスの参考にされている。また、オリエント急行を舞台としたサスペンス仕立ての漫画『マダム・プティ』(高尾滋)もある。

出典:オリエント急行 - Wikipedia

	

オリエント急行はヨーロッパ憧れの列車

当時、国際寝台車会社が編成したこのヨーロッパ縦断列車はもともとアメリカの寝台車から発想を受け作られたものだがこの豪華列車で利用できたのは王侯貴族や高級官吏・富豪などで、例えばパリ~コンスタンティノープルの一等運賃と寝台料金の合計は当時の召使いの給料1年分に相当していた。1977年にはダイレクト・オリエント急行が廃止され、パリ発5月19日、イスタンブール発5月22日の列車が最終列車となった。これによりパリ - イスタンブール間の直通列車は消滅した。

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Sharetube