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小池重明 真剣師と呼ばれた男の半生

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小池重明 真剣師と呼ばれた男の半生

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Update date:2014年06月15日
小池重明 真剣師と呼ばれた男の半生
エンタメ・カルチャー

小池 重明(こいけ じゅうめい、本名・こいけ しげあき、1947年12月24日 - 1992年5月1日)は、愛知県名古屋市出身の将棋アマ強豪。アマ最強と呼ばれた男。賭け将棋で生計を立てる真剣師としても伝説的な強さだったとされる。「新宿の殺し屋」「プロ殺し」など数多くの異名と独特の棋風で知られる。

その小池 重明のストーリーや半生を紹介していきます。

真剣師・小池重明

アマ将棋界の強豪、「新宿の殺し屋」といわれた真剣師・小池重明が44歳の若さで短い生涯に投了を告げ、早10年がすぎた。高段位の花形プロを次々と打ち負かして無類の強さを発揮する一方、人妻との逃避行をくり返した。真剣師とは賭将棋を生業とする将棋のギャンブラーだが、小池は生まれる時代をまちがえたのかもしれない。あまりに強すぎて、そしてあまりに純粋に愛を貫こうとして、逝ってしまった破綻の人生だった。

引用元:団鬼六□真剣師小池重明の光と影 - 平成引用句辞典=気になるフレーズ

棋士としてのスタイルと「殺し屋」という異名の由来

小池は一流の棋士としては極めて特異な盤術で知られ、巧妙な防御策と速攻を駆使する戦法で相手を翻弄した。将棋の対局には持ち時間が定められており、互いの持ち時間が無くなった後の秒読みに持ち込む事で小池の体勢は完了する。早指し戦における小池は並外れた集中力を発揮し、相手に考える時間を与えない程に指し手のペースを上げた。その後、ルールで定められた時間というプレッシャーで相手のミスを誘い、それを見逃さず攻勢に転じ一気に勝負を決める。その指し手の鮮やかさが小池の「殺し屋」という異名の由来といわれている。

小池が行った対局の棋譜は多数現存している。

引用元:小池重明 - Wikipedia

肉を斬らせて骨を粉砕するのが小池将棋

序盤の酷さは"故意にではないか"と思わせる部分がある。誰でも経験があるだろうが、勝負事というのは、有利になると心が緩む。将棋でいうなら手が緩む。だから、小池の将棋は序盤、中盤で必敗になるような将棋を逆転する。それがテクニックとして備わっているような棋譜である。それと彼の将棋の特徴は無茶攻撃はしない。

勝ちに行く前にまず負けない造作をするから、自陣に惜しみなく駒を置く。但し、勝ちに行くときの執拗ともいえる凄まじい肉薄。肉を斬らせて骨を粉砕するのが小池将棋である。

印象に残る棋譜は多だあるが、昭和56年初夏に指された、対田中寅彦五段戦は強烈の一言。

昭和56年の田中寅彦五段と云えば、全棋士中勝率第一位に輝いた年である。その田中の居飛車穴熊を先手四間飛車で撃破したのだから、その強さが窺い知れる。田中五段戦の投了図▲1二歩はいつ見ても美しい。あまりに強く、あまりに不甲斐ないプロと酷評されたのも無理からぬこと。

引用元:第57期王将戦で頓死|小池重明回想 - 死ぬまで生きよう! - Yahoo!ブログ

普段の生活の中では

将棋の研究などは一切行わず、そもそも自宅に将棋盤を置いていなかった。

引用元:小池重明 - Wikipedia

真剣師として有名に

加賀敬治と互角の勝負をしたことで小池の真剣師としての名声は高まったが、そのため彼に賭け将棋を挑む者が激減してしまった。後年、縁を深めることになる団鬼六も「借金は真剣(賭け将棋)で返します」と言う小池に「小池重明と真剣で指す相手なんて日本中何処を捜してもいない」と一喝したという。

引用元:小池重明 - Wikipedia

実はこんな性格だった

「無頼派」と呼ばれた事から豪放磊落な性格と思われがちだが、神経質な一面を持っていた。ある対局の際、将棋界の重鎮がすぐ横に座っている事に小池は萎縮してしまい、その様子に気がついた対戦相手が観戦者に席を外すよう頼んだという逸話がある。

引用元:小池重明 - Wikipedia

羽生善治とのエピソード

羽生善治が小学生の頃、偶然に小池の対局を目撃している。羽生はプロ入り後、小池について「生き様のように将棋自体は型破りそのもの。しかし、とにかく強かったという事を鮮明に憶えている」と語っている。

引用元:小池重明 - Wikipedia

優勝賞金と借金取りの逸話

読売新聞が主催する将棋大会において、優勝賞金100万円という話を聞きつけた借金取りが、「こんな大金が出る大会であれば優勝するのは小池以外にいない」と、会場の外に何人か待ち構えていた。予想通り優勝を収めて100万円を手にした小池であったが、借金取りに全額持っていかれてしまい、当人の手元には1円も残らなかったという。

引用元:小池重明 - Wikipedia

地方へ旅行に行った際に

団と小池が一緒に旅行した際、地方の旅館に一泊した翌朝に小池が「これは先生の取り分です」と団に現金を差し出した。小池は団が眠っている間に同じ宿の博打好きの旅行者らに声をかけ、賭け将棋で片っ端から負かしたのだと言う。

それを聞いた団が「まず手持ちの金があることを示さないと相手は博打を受けないだろう。お前、そんな金を持っていたのか」と言うと小池は「ありません」と答えた。小池は眠っている団の姿を対戦相手に見せ、「あの人が自分の雇い主で、自分が負けたらあの人が金を払う」と説明していたのである。

事情を知った団は呆れて「負けたらどうするつもりだったんだ」と尋ねたが、小池は笑いながら「素人に僕が負けるわけがないじゃないですか」と答え、「こんな田舎なら僕があの小池だとは誰も知らないし、県代表でも倍層(=賭け率2:1)なら軽い」と平然として語ったと言う。

引用元:小池重明 - Wikipedia

団と小池の五十局真剣の結果

団はアマチュア六段で文壇でも指折りの実力者であるが、飛車落ちの手合いで小池とおよそ五十局真剣で勝負し、全敗したという。将棋専門誌で団が語ったところによれば、対局中「よければ持ち駒を売りますよ」と小池に声を掛けられ、熱くなっていた団は言われるままに駒を買った。それでも小池の巧みな指し手に手も足も出なかったという。

引用元:小池重明 - Wikipedia

将棋に生命を賭けて戦った男の最期

団さんは小池さんを使って様ざまな企画をし、成功させています。けれども、40代に入り、小池さんは突然吐血し、肝硬変であると診断されました。小池さんに死の恐怖が押し寄せて、団さんに「先生、医者が僕はもうすぐ死ぬって言うんです。何で僕が死ぬんですか。分からない。死にたくないんです。怖いんです。助けてください。」と、鳴咽しながら助けを求めていました。

それを聞いて団さんは、入院先の病院にかけつけた時、小池さんは、80キロ以上あった体重が半分まで落ちていたそうです。「新宿の殺し屋」と異名をつけられて、恐れられていた勝負師の面影は失われていました。それでもなお将棋への思いを口にする小池さんを見て団さんは「相手は用意するから将棋をやって見るか?」と尋ねると「お願いします」と言ったそうです。

小池さんは、病院を抜け出して、団さんの自宅で当時はアマチュア将棋界のホープと評された天野高志さんとの対局に挑戦します。天野さんは、当時プロに対して、三連中でありました。そして団さんの立会いの元、小池さんは二連勝を収め完勝します。

この時小池さんは団さんにか細い声でお礼を言い、病から来る苦痛に耐えながらも、笑顔を見せたと言います。この様子を団さんは、「これが自らの最後の対局になることを悟っていたようだった。死んで悔い無し、と言うかのようで笑顔であった。」と著書の中書かれています。そして、天野さんとの対局の数日後、病院に戻った小池さんは、再び吐血し、容態が急変します。

小池さんは入院先となった茨城県石岡市の病院で苦しみもがいた上に、最後には自分の体につながれたチューブをすべて引きちぎるという壮絶な死を迎えるのです。44歳の若さでありました。

小池さんには、プロになるチャンスが二度あったそうですが、素行が悪いという理由でプロになれなかったと言われます。ある意味で、将棋が強く、天才的であったことが、小池さんの人生を変えてしまったのかもしれません。真剣師として、生活をするよりも、もし、プロの道に進んでいたら、小池さんの人生はもっと違っていたのではないかと思っていました。

小池さんが生きておられたら、65歳であり、私より3歳年上であります。44歳の若さで亡くなられたのはとても残念です。将棋界に挑戦し、生命を燃やすことが小池さん流の生き方であったのかもしれません

引用元:聖母マリア : 天才、小池重明さん<将棋に生命を賭けて戦った男>

参考リンク

小池重明 - Wikipedia

小池重明 - アンサイクロペディア

真剣師 小池重明

195回  最後の真剣師小池重明 | 「本音のコラム」-ダム・原発・釣り日記-縮小社会へ向けて

真剣師小池重明

団鬼六□真剣師小池重明の光と影

第57期王将戦で頓死|小池重明回想

真剣師小池重明 (幻冬舎アウトロー文庫)

天才、小池重明さん<将棋に生命を賭けて戦った男>

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著者プロフィール
マツオカソウヤ

プログラマー。Sharetube作ってる人。サーバ周り、サービス設計、システム、デザイン、執筆を手掛ける。SNSのJoinchrome、ソーシャルRSSのBazzfeed、TwitterアプリのPicleの失敗を経て、今に至る。今日もまた東京の何処かでコードと記事を書いています。