実はちゃっかり外国で永住権を持っているの巻き(2)

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そもそも永住権を与えるからにはだねぇ

「我が国の永住権を欲しいと言うことだが、お前ごとき得体の知れぬ者になぜ永住権を発行せねばならぬのか?そもそも永住権を発行してやるにはそれなりの理由があってしかるべきだ。その方、永住権が欲しいということならば、それなりの準備はできておろうな? え?何を言っておるか。つまりその方が我が国に対してできることは何じゃと聞いておる」


などと言うことは口には出さないが、外国の担当者から見ればそんな気持ちであろう。外国人に永住権をとらせるのであれば、この質問は当然の質問だろう。

要するに準備とはこれに対する回答を準備する作業をすると言うことである。


どれ、では概略だけでもさらっと追いかけてみよう。

その前に、永住権を申請する一個人が、たしかに実在し、たしかに日本国籍を有する者かどうかを証明することと、自分が日本国内において無犯罪者であることを証明しなければならない。無犯罪証明書は各都道府県の警察へ行き、指紋押捺し無犯罪証明書を発給してもらう。これは開封厳禁である。必要書類を発行してもらい、すべを満たしたら外務省に提出する。

この書類のやり取りはエージェントに代行して貰えばいい(当然ながら無料ではないが)。全て自分一人でやれるだろうが、当然ながら全員が東京に住んでいるわけではないから、人に頼んだほうが楽なのだ。

どうしても渡航が必要&1回目の渡航

【何回渡航するのか?】

5年前も現在も変わらないと思うが、基本は3回だと思う。思うと書いたのは、申請者のおかれた環境によるからだ。時間が有り余るほどある人にとっては、渡航回数は少なくなる可能性はある。小生の場合は3回だった。

その内訳を書いてみよう。


【第一回渡航】

身体検査、銀行、無犯罪証明(当該国で)がメインとなる。

①健康診断

港の近くにクァランティンつまり検疫所があり、港湾関係者と同じように検査をされる(のであろう)。この時感じたのは、多分健康診断では、感染症のチェックがメインなのだろうということだ。

身体検査といっても心配するほどのことはない。生命保険に加入する時に「診査」をするが、あのような厳しいものではない。基本的に過去の犯罪歴で刑事罰等についてはクリアになっているので、身体上で問題なのは感染症がないことと、暴力等を引き起こす恐れのある障害がなければ概ね良いと判断されるだろう。

日本から渡航してまさかマラリア日本からかかっている人はいないだろうが、肝炎で感染症となるもにやエイズなどはハネられる恐れあり。

糖尿病やガンや高血圧云々が重篤なものは別として、いざという時の態勢が確認されれば良いと言われている。(そもそも重篤な状態の人は永住しようとするかどうか)


ゼリーというお菓子と似たようなケースを二つとスターバックスでミルクをかき混ぜる15cmほどのかき混ぜ棒を渡される。これが人呼んで「検便検尿検査キット」である。これでかき混ぜ棒の用途の察しがつくだろう。


必ず翌日には準備する。

失敗は許されない。もっとも日に何度もうんちっちをする人なら失敗しても敗者復活戦は可能であるが。

こういうプレッシャーで検査前日を迎えるのだが、小生の宿泊したホテルのトイレは比較的水が多めに溜まるトイレだった。ということは、水のついていないわずかなスペースにナニを無事落下せしめる高度な「ワザ」が必要になる。

不思議なもので、ケースを見て翌日のことを考えていると、俄かに便意を催して来た。「時は今」とばかり攻撃体制いや迎撃体制か、まあどちらでもいいが落下地点を決め天の時を待った。大きな鏡がついていたが、それに映った自分の姿は間抜けなものだった。

予測地点落下を確認し、すかさずつぎの工程に入る。かき混ぜ棒の出番だ。まさかここでうんちっちをすくい上げる棒とスタバのかき混ぜ棒が同じだとは、世の人は夢思うまじ。


暑い国のこと故そのままの状態で放置できず、二つのケースを薬袋でぴっちりと密封し、さらに買い物袋に入れて冷蔵庫に一晩寝かせておいた。

翌日はその「現物」を自分の手で医療スタッフに渡した。


次は血液検査である。それが終わるとX線検査だ。昭和40年代ころの真四角の様な形状の機械の登場だ。スタッフの指示に従機械に抱きつく。スタッフは「はい、息吸って、息吸って!リラックス!リラックス!ハイ終わり」となぜか日本語で言うのだった。

最後は問診だ。最近手術したことはあるか?

「あぁ、大丈夫だね」で終わる。


ちょっとリアルに書きすぎたが、健康診断は無事に終わった。

NBIと銀行

②NBI

その後はNBIつまり、日本でいう警察&公安みたいなところだろうか。

求職者も指紋押捺か何かの登録をしているのか、おびただしい人の行列に圧倒された。

そこでの小生の目的は指紋の押捺だったろうと思われる。指5本を黒く染めて(なかなか洗い流しても落ちない)指紋採取をしてもらっていると、「サー、サーは日本からだね。独身?それならローズ、こちらに来なさい。サー、この子がローズと言うのですが、どうです?何って、サーの嫁にどうかと思って、冗談でがすよ、へへへ」何というほのぼのとしたフィリピン!

こうして「無犯罪証明」を受ける(厳密にはその日の午後につまりエージェントがNBIにパスポートを取りに行くわけだ。)

「永住権」を受けるには、日本においても当事国においても無犯罪者だということが証明されることが原則である。


③銀行

フィリピンに銀行口座を開く必要がある。

当時の小生は、日本における外国銀行の支店に口座があったのでその銀行のフィリピンの支店に赴いて口座開設と相成った。その後、世界的な税隠しなどによって大きな銀行に白羽の矢が立ったおかげで、今では簡単に銀行口座を開設できなくなったしまった。

なぜ銀行口座が必要かといえば、申請者は最低必要額5万ドルを資金移動させることで投資の意思があることを示すの用これありとのことだからだ。

当時の為替レートで、1$=80¥くらいだったと記憶している。送金額が400万円くらいだったからだ。今なら550万円くらいの額になるだろうか。

この送金は日本から(つまりフィリピンから見て海外からの投資が入って来たとなる様に)の送金である必要がある。しかしまあ、当時はそうでもなかった感がある。

今だと、BDOという銀行が柔軟な対応をしているようだ。この銀行は日比間の送金においても、日本のセブン銀行や送金で有名なウエスタンユニオンと提携している。


あ、念のために書いておくと、仮に500万円を日本から比国の銀行に送金した場合、当然のことながら資金移動の連絡が銀行から税務署になされる。そして、銀行では「その資金はどういう資金なのか?」「出所はどこか?」などまるで捜査官の取り調べのような感じで聞いてくる。たとえ3万円の資金送金でも聞いてくるのでウンザリする。外国の銀行からだったので、その点はよく心得ていて問題なかった。

ところが地元の銀行を使って別の意図で資金移動した時にはまるでこちらを罪人扱いだったのだ。

そんなわけで、その地元銀行で声を荒げたことがある。資金移動の根拠になる契約書か何かあるかと偉そうに言うのでイライラっとして「いつからこの銀行は犯罪捜査みたいなことを始めたのか?」とよく通る太く低い声で言ってしまった。一瞬水を打ったようにシーンとなった。まあどうしても昨今の事情があるとやらでとにかくお願いしますと言うわけだ。所詮社畜に過ぎない銀行員を小生が責めても詮無きこと故やめたが、なんだか自分のお金で自分のお金でないような奇妙な感覚にとらわれる。麻薬とかテロへの資金とかいろいろ疑っているようなので、根拠を示せば文句はないわけだから、ちゃんと見せてやった。

「永住権というのがあるのですか?」ときた。

「(ばか、お前になど教えてやるものか!)」

2回目の渡航(いよいよ面接)

いよいよ面接】

2回目の渡航でのメイン行事は、なんといってもイミグレーションでの面接であろう。

「はい、あなたは何月何日に面接します」とあらかじめ予定が決まっているわけではない。それではいつ決まるかといえば、なんと面接の前日に突然決まるのだ。ただ、これは5年前のことであり、現在はどうなっているかわからない。そうは言っても、日時は決まっていないが今月は誰の面接をするかということはあらかじめ決めていると思われる。

ざっくばらんに書いているからここでも調子こいてざっくばらんに書く。

2回目の渡航の前に今度面接の日が決まりそうなので、1週間くらい余裕をみて渡航できますか?とエージェントから連絡があった記憶がある。(だから日時は別にして面接の実施の有無は決まっているのだろう)


それで急遽フィリピンに飛んだ。

しかし、待てど暮らせどなしのつぶて。

さあ、予定日もいよいよあと残りわずかとなってきた。エージェントに聞いたら、「えぇ、せっかく面接のために来たのに面接ができずに帰国されたケースもあります」(もちろんその後面接したとのことだ。)こんな恐ろしいケースもあるなら早く言ってくれろと不安が強くなった。

一人で遅い昼食をとっていると「いい情報です。明日面接だそうです。よかったですね!朝9時にイミグレーションの前のスタバで、よろしくお願いしまーす」

あまりに急なので食事を吹き出しそうになった。


朝9時にイミグレ前のスタバに待機。エージェントが来て「さあ行きませう」

イミグレの建物の上の方は弁護士のオフィスになっているようだ。

その中の一つに通してもらった。なんだか来ている人が皆永住権申請者に見える。

「リラックスして、リラックスして。コーヒーどうぞ」

弁護士先生の机を見るとピストルが置いてある。実物かな?

「おっ、あなたはピストルがお好きかな?」「え、えぇまあ」日常見るものではないから答えようがない。「本物ですか。」「はい、いい質問ですな。もちろん本物ですよ。触ってみますか?日本人はピストルが好きなんだねー」(この最後のフレーズは案外深い意味があるように思う。)

「これは35口径ですよ。」「すごく重いですね。」「でしょ?」

たしかに重い。テレビや映画で見るようにバンバーンと片手で撃てるようなものではない。そうこうするうちに、「ライフルも好きだねきっと」言い終わらないうちにロッカーの扉を開ける。最初から見せたくてウズウズしていたかのようだ。セットケースを取り出して、何やら組み立て始めた。ライフルかぁ!スコープをつけて「さあ、これで覗いてください」

おぉ、やらいでか!ライフルを持つ。ズシリという言葉がぴったりするほど深みのある重さを感じる。建物の外を見る。窓辺に立って構えてスコープを覗く。なんだかゴルゴ13になって様な気分がする。「あはは、スナイパーみたいですよ」


失礼、脱線した。こんな事やっているうちにお昼に。「ごめんなさいねぇ。今日は立て込んでいる様で。昼食をすませてください」と弁護士先生が申し訳なさそうに拝む様な仕草で言うではないか。

なんでも午前中の申請者がかなり時間がかかっているとのこと。

(「ガーン❗️もしかしたら運悪く意地悪な面接官がいるのかな?」)不安になる小生。

「サー、そういえば以前面接で落ちた人がいます」(再びガーン❗️)とエージェント。

「早く言いなさいよ、そういうことは。ところでどうして落ちたのかな?」

「多分、フィリピンの悪口をたくさん言ったと思います」

そうか、なるほど。

9回の裏の土壇場で、君、いい情報を出してくれるじゃないか。


こうして午後2時過ぎに面接が始まった。何もなければ10〜15分で終わるらしい。

3回目の渡航&永住権取得

【晴れて合格ビザを受け取る】

3回目の渡航は、面接の合格を受けて、ACR-Icardを申請し作成してもらうことと、ビザの現物とパスポートにビザの押印をしてもらうことだ。

この回もそうであるが、空港に着いた途端にエージェントにパスポートを渡す。当然自分はコピーをとってそれを持ち歩く。この回もそのパターンだ。

エージェントに同行してイミグレーションに行くと、同時期にビザを取得した2名の日本人がいた。いわゆる「同期」だ。エージェントに身長、体重、既婚、未婚を聞かれ適当に答えたが、その数字がカードに記載されていた。その後ダイエットして痩せたがここはずっとこのままだ。

こうしていよいよ帰国する当日、空港でエージェントに会い、パスポートを受け取ってそのパスポートで帰国した。したがって取得後の最初の帰国は諸費用なしで帰国できた覚えがある。


ところで、ビザはパスポートのページに押印と書いたが、厳密にいえばA4サイズの書類3,4枚がワンセットになったものが原本の写しであり、それがビザである。変更手続きなどをする際に、この書類のコピーの提出を求められる(実際のところ変更手続きをした時に求められた。重要保管書類である)。


これでひと通りの取得体験を書いてみたが、最後には注意と誤解に関することを少し。万が一読んでいる人が興味を示すことがないとも限らないので、合格率を限りなく100%に近づけるために、面接で聞かれることと絶対にやってはならないことを書こう。?

次回に続く

著者プロフィール
Sharetube