400年前江戸時代の人々は何をしていたのかざっと振り返る。
江戸時代とは
士農工商という身分制度
一般に、長屋の土地・建物の所有者と、その所有者に代わって貸地・貸家を管理する大家がいたようです。 大家は、右の図の一番大きな家に住み、家賃を徴収し、また店子の身元保証人になったりして、いろいろ世話を焼いたようです。「大家を親と思え、店子を子と思え」ということわざがありますが、大家を含めて長屋住人の絆は極めて固かったようです。 長屋は、地域の理想的なコミュニティだったのかもしれません!!
出典:江戸庶民の生活
今でいうアパートみたいなものかもしれません
商工業従事者を町人と言い、江戸は町人の町でした。
出典:江戸庶民の生活http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/tanbou/edo/edo_life_1.html
実際の士農工商
江戸時代の諸制度に実際に現れる身分は、「士」(武士)を上位にし、農、商ではなく、「百姓」と「町人」を並べるものであった。また、「工」という概念はなく、町に住む職人は町人、村に住む職人は百姓とされた。この制度では、百姓を村単位で、町人を町単位で把握し、両者の間に上下関係はなかった。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86
百姓と町人の仕事
光熱費はほとんど煮炊きのための薪代でした
出典:江戸庶民の生活
江戸時代のお金
貨幣の材料である金属そのものに価値があり、それによって信用がなりたっていたので、現代のような紙幣は存在しませんでした。
みんな貧しかった
農民は米を作っています。ところが、江戸時代の農民の多くは白米を食べることができませんでした。
農業が高度化されていませんので、大量に収穫はできません。それゆえ収穫した米の大部分を年貢(税金)として供出しなければならず、自家用に食べられるお米があまり残らなかったのです。
栄養が偏り、脚気(かっけ)が流行したそうです。当時は、白米ばかり食べることでビタミンB1不足の状態になり、脚気になることは知られていませんでしたので、江戸の奇病として恐れられていました。
人生50年
30才というものも35才というものもありますし、中には50才という説もありますが、だいたい「30才~40才くらい」だったと考えられます。
ざっと調べてみましたが、今の時代は江戸時代に比べると考えられないほど豊かになっていると思います。