福島原発事故が後押し、核禁止条約とノーベル平和賞をリードした世界のヒバクシャ

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核兵器禁止条約を実現しその指導的役割をになったICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞受賞をリードしたのは日本と世界のヒバクシャの過酷な被ばく体験だった。そして、日本からICANに参加しているNGO「ピースボート」は広島、長崎の被爆者を世界に派遣し被ばく体験を広く伝え、世界のヒバクシャのネットワークを作った。福島の原発事故の放射能汚染を核兵器の脅威と共通する被害として核禁条約への関心を高め条約締結を後押しした。

ノーベル平和賞授賞式で講演したサーロー節子さんは広島と長崎の被爆者と共に世界の核兵器製造・核実験で被害を被ったヒバクシャとの連帯を示した。

ノーベル平和賞の授賞式

オスロで10日、ノーベル平和賞を受賞して笑顔のサーロー節子さん(中央)。ICANのベアトリス・フィン事務局長(右)はガッツポーズを見せた
 私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために被害を受けてきた人々と連帯しています。長く忘れられてきた、ムルロア、インエケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなどの人々と。その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、その文化を永遠に混乱させられた人々と。

 私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。

出典:サーロー節子さん講演 ICAN・フィン事務局長講演 平和...

	

ノーベル平和賞授賞式に出席した世界のヒバクシャ。英国の核実験場オーストラリアのアボリジニの女性、カザフスタンの旧ソ連の核実験場セミパラチンスクなどからも被害を被ったヒバクシャが出席した。

英国がオーストラリアで実施した核実験で被ばくしたという先住民アボリジニのスー・コールマンヘーセルディーンさん(66)は、甲状腺がんを患った。「被害に遭うのは、社会的に弱く、声が小さい人たちだ」と声を上げる。


旧ソ連時代、カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、40年にわたって450回以上の核実験が実施された。授賞式に出席したカリップベック・クユコブさん(49)は両親が被ばくしたといい、自身は両腕がないまま生まれた。サーローさんを「日本のお母さん」と慕い、「私たちはともに活動しないといけないと確信している」と強調した。

出典:

	

イギリスの核実験で被ばくし甲状腺がんを患ったという。

ノーベル平和賞授賞式を前に思いを語るスー・コールマンへーセルディーンさん=オスロで2017年12月10日、竹下理子撮影

ICANの国際運営団体として中心的な役割を担うピースボートは、核兵器のない世界を作るために、2008年より広島・長崎の被爆者とともに船旅を通じて原爆被害の証言を広める「おりづるプロジェクト」続けてきた。

 核兵器の非人道性の土台である、広島・長崎の被爆者たちの声を世界に伝えることです。ピースボートは「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」(おりづるプロジェクト)を通じて、2008年から2017年までに計170名以上の被爆者と共に船で世界をめぐってきました。2017年のノーベル平和賞授賞式でベアトリス・フィンICAN事務局長と並んで受賞スピーチを行う広島の被爆者、サーロー節子さん(カナダ在住)は、ピースボートの水先案内人であり、第1回おりづるプロジェクトの参加者の1人です。

 寄港する先々で証言会を準備してくれたのは、各国のICANの参加団体であり、ICANと連携する「平和首長会議」の加盟市町村の皆さんたちでした。地元市民に被爆の実相を証言をするだけでなく、現地の市長や知事、大臣らに対しても、それぞれの国が核兵器禁止条約に賛成し、交渉に参加し貢献するよう求めてきました。

出典:ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とは?ノーベル平和賞受...

	

核兵器禁止条約交渉会議でNGOとして発言する川崎哲(右)

ICANで唯一の日本人国際運営委員

フランスとアメリカの核実験場ポリネシアとマーシャル諸島、「被ばく」の共通点をもつ福島へと続くピースボートの航海

アメリカの水爆実験で被ばくした日本の漁船第五福竜丸

右から)ブルック・タカラさん、デズモンド・デュートラムさん、佐藤健太さん、ミシェル・アラキノさん 第五福竜丸展示館にて
フランス領ポリネシアではフランスが1966〜1996年までモルロア環礁とファンガタウファ環礁で大気中および地下で193回の核実験を行なった。核実験場で働くためにタヒチからも多くの労働者が放射能の危険を知らされずに実験場の島々に送られ被ばくした。

マーシャル諸島ではアメリカが1946〜1958年までにビキニ環礁とエニウェトク環礁で67回の大気中原水爆実験を行なった。爆発で生じた放射性物質が大気中に巻き上げられ風に乗って拡散、実験場とその周辺の島々を汚染し多くの住民が被ばくし避難させられた。そして、それらのピースボートの寄港先には福島県飯舘村からの参加者の姿があった。放射能汚染からの「除染」と「避難」は核の被害にあった地域の共通点だと言う。

原発事故で被災した福島市民と交流、核災害に共通の問題とは、被害者の切り捨てや差別、情報隠蔽、人権侵害などが指摘された。

太平洋でつながっているタヒチとマーシャル諸島と福島。過去に起きた悲劇と現在まで続いく被害について報告しました。マーシャル諸島のデズモンドさんは「部族の地主だった曾祖父によれば、アメリカ政府は核実験場用に土地を提供すれば、王様の地位をあげるという条件で土地を譲りました。しかし、放射能の危険については何も知らされていなかった。」と当時の様子を話しました。「人権が守られる世界を実現するために、植民地支配による人権侵害について考察することが必要」と植民地主義の性質についても鋭く言及しました。

(中略)

タヒチのミシェルさんは実感を込めて言いました。「軍事利用の核と平和利用の核、目的は違っても引き起こされる「結果」が同じということを改めて知りました。」

出典:マーシャル、タヒチ、福島の核被害者が集う 太平洋ピースフ...

	

ピースボートで日本全国に被爆者の声を届けるクラウド・ファウンディング

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Sharetube