世界中で有名なおもしろい故事・思考実験

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世界中で有名になっているのような、含蓄深い故事やおもしろい思考実験についてご紹介。

シュレーディンガーの猫

シュレーディンガーの猫(シュレーディンガーのねこ、英: Schrödinger"s cat)またはシュレディンガーの猫は、量子力学での基本的な考え方である「重ね合わせの原理」(例えばミクロな粒子はx1という地点に存在しながらx2という地点にも同時に存在している状態を持つ)を猫の生死によって観 測する思考実験のことである。 ミクロな粒子の状態によって、猫の生死を決定する実験装置を作ると、ミクロな粒子の状態は複数の状態を同時に重ね持つのだから、猫の状態も「生きていながら死んでいる」という不思議な状態を起こすと考えられている。

まず、蓋のある箱を用意して、この中に猫を一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。

この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。そして、アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出される。このとき、例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50 %だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50 %、死んでいる確率も50 %である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。

出典:シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

	
	

ヘンペルのカラス

ヘンペルのカラス (Hempel"s ravens) とは、ドイツのカール・ヘンペルが1940年代に提出した、帰納法が抱える根本的な問題を喚起する問題である。また、対偶論法による帰納的実証の、直観との相違を指摘した問題である、ともいわれる。「カラスのパラドックス」とも呼ばれるが、パラドックスとして扱うべきかどうかには異論もある。


「ヘンペルのカラス」は「全てのカラスは黒い」という命題を証明する以下のような対偶論法を指す。


「AならばBである」という命題の真偽は、その対偶「BでないものはAでない」の真偽と必ず同値となる。全称命題「全てのカラスは黒い」という命題はその対偶「黒くないものはカラスでない」と同値であるので、「全てのカラスは黒い」という命題を証明するには「全ての黒くないものはカラスでない」ことを証明すれば良い。そして「全ての黒くないものはカラスでない」という命題は、世界中の黒くないものを順に調べ、それらの中に一つもカラスがないことをチェックすれば証明することができる。そしてこの命題が真である場合、カラスを一羽も調べること無く、それが事実に合致することを証明できるのである。これは日常的な感覚からすれば奇妙にも見える。


こうした、一見素朴な直観に反する論法の存在を示したのが「ヘンペルのカラス」である。

出典:ヘンペルのカラス - Wikipedia

	

悪魔の証明

悪魔が実在するのかどうかは、今日でも様々な分野で議論が続いている問題である。

しかし理屈・理論の上では、悪魔の存在を証明するのは難しいことではない。

悪魔を実際に連れてくる、または悪魔実在の物的証拠を提示し、全ての人間に悪魔は実在すると信じさせればいいのだ。


が、これに対し、『悪魔が実在しないことの証明』となると、これは理論上でさえも困難な話になる。

何故なら『悪魔が存在しない物的証拠』は存在しないからだ。

対象がそもそも実在しないのなら物的証拠が無いのも当然である。

そして、「悪魔は存在する」と主張する文書などは大量に存在している。

「我々が見つけていないだけで、今もどこかに悪魔が隠れ住んでいるのだ」という主張を、誰も否定することはできない。否定したければ、『存在しないことの証明』をするしかないのだ。

つまり悪魔の証明とは、『何かが存在しないという証明は、何かが存在するという証明よりも難しい』という考え方を比喩を交えて表した概念なのである。

出典:悪魔の証明 - Wikipedia

	

ダモクレスの剣

ダモクレスの剣(ダモクレスのつるぎ、- のけん。英語:sword of Damocles, Sword of Damocles)とは、栄華の最中にも危険が迫っていることや、そのような危険、または、常に身に迫る一触即発の危険な状態をいう。


歴史の上では、紀元前4世紀初頭、古代ギリシア文化圏内にあったシケリア島(現・シチリア島)にて全島を支配下に収めて繁栄を謳歌する植民都市シュラクサイ(現・シラクサ)での話。その実、ギリシア神話に見られる話。 全シケリアを統べる僭主ディオニュシオス2世に臣下として仕える若きダモクレスは、ある日、僭主の権力と栄光を羨み、追従の言葉を述べた。すると後日、僭主は贅を尽くした饗宴にダモクレスを招待し、自身がいつも座っている玉座に腰掛けてみるよう勧めた。それを受けてダモクレスが玉座に座ってみたところ、ふと見上げた頭上に己を狙っているかのように吊るされている1本の剣のあることに気付く。剣は天井から今にも切れそうな頼りなく細い糸で吊るされているばかりであった。ダモクレスは慌ててその場から逃げ出す。僭主ディオニュシオス2世は、ダモクレスが羨む僭主という立場がいかに命の危険を伴うものであるかをこのような譬えで示し、ダモクレスもまたこれを理解するのであった。

出典:ダモクレス - Wikipedia

	

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Sharetube