「未解決事件の為情報求む!」世田谷一家殺害事件とは

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世田谷一家殺害事件

世田谷一家殺害事件(せたがやいっかさつがいじけん)とは、2000年に東京都世田谷区の一家4人が惨殺された事件の一般的な呼称。警視庁による正式名称は上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件。被疑者は逮捕されておらず、現在も未解決となっている。


宮沢さん一家について

宮沢みきおさん(44歳)、泰子さん(41歳)、にいなちゃん(8歳)、礼君(6歳)の4人暮らし。宮沢さんは外資系の経営コンサルタント会社社員で、泰子さんは自宅で「公文式」の学習塾を経営していた。

 家は小田急線「成城学園前駅」と京王線「千歳烏山駅」のちょうど中間ほどの上祖師谷3丁目。2棟続きとなっており、隣りには泰子さんの母親と姉夫婦が住んでいた。

 宮沢さん一家がここに越して来たのは1990年6月。当時はこの住宅地に30軒ほどの家が並んでいたが、公園用地拡張事業による整備が進んだため、他の住民は次々と引っ越していった。すでに土地売買契約を済ませていた宮沢さん一家も2001年4月までに埼玉県内に引っ越す予定だった。

 屋敷の右手には仙川流れており、左側には運動広場が並んでいる。児童公園もあり、すでにいくつもの住宅が取り壊されていた一帯は夜になるとひっそりとした環境だった。

出典:世田谷一家殺人事件

	

宮沢みきおさん(44歳)、泰子さん(41歳)、にいなちゃん(8歳)、礼君(6歳)

			

異常な犯行


2000年12月31日午前10時50分ごろ、隣に住む泰子さんの母親が一家に内線電話をかけても応答がなかったため、不審に思い訪ねたところ無惨な4人の遺体を発見した。

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 犯人は2000年12月30日夜、宮沢さん宅のフェンスをのぼり、浴室の高窓から侵入したとされる。網戸がすぐ下に落ちていたことや、足跡、フェンス近くの木の枝が折れていたから判った。


 なんなく侵入した犯人はまず浴室のすぐ隣りの子ども部屋に寝ていた礼君に布団をかぶせて窒息死させた。続いて、1階の書斎で仕事をしていた宮沢さんが物音に気づき、階段あたりで、犯人と鉢合わせしたと見られる。宮沢さんは階段下で亡くなっていた。最後に犯人は3階のロフトで寝ていた泰子さんとにいなちゃんを襲ったとみられる。階段の踊り場付近で倒れていた泰子さんはメッタ刺しの状態だった。


 犯人は抵抗する宮沢さんや泰子さんともみ合いになる中で手に傷を負い、あちらこちらで血痕を残していた。宮沢さん一家にA型はいないので、犯人はA型と見られている。犯人は自前のハンカチで止血していた。このハンカチはアイロンがかけられていたという。かなり深い傷を負ったとみられる。

 血のついた包丁2本は2階の台所で見つかった。このうち1本は犯人が持ちこんだもので、刃先が欠けたため宮沢さん宅の包丁も取り出したのだろう。


 また犯人はタンスやクローゼットを荒らしまわり、必死に何かを探している。月末で集まっていただろう学習塾の月謝20万相当が紛失していたが、キャッシュカード、貴金属類はなぜか手付かずだった。

 浴槽には切り刻まれた書類(宮沢さんの仕事や学習塾のもの)が入れられていた。書類を一枚一枚目を通して、選別していたように見られる。浴槽には財布(現金抜き)やバッグも投げ込まれ、犯人が止血に使ったとされるタオルもあった。

 そして2階居間のソファにも手帳、運転免許証、カード類が並べられていた。これは口座の暗証番号にもなる生年月日を調べていた可能性が高い。


 犯人は1階書斎の宮沢さんのパソコンでインターネットにつないでいる。接続したのは2回で最初に午前1時18分、2度目は同10時2分と泰子さんの母親が内線電話をかける直前まで、約11時間もこの家にいたことがわかる。履歴から、犯人は宮沢さんの会社のサイトや「劇団四季」のページを見ており、メールチェックもしている。「劇団四季」のサイトは宮沢さんが元々「お気に入り」に登録していたものだったが、犯人はそこから舞台のチケットを購入しようとしていたこともわかっている。

 犯人はパソコンしながら冷蔵庫から取り出したアイス食べていたとみられ、カップが脇に残されていた。スプーンを使わず、カップを握りつぶすようにして食べていた。想像してみると、異常な光景である。インターネットに飽きたら、コンセント抜いて消し去っている。

出典:世田谷一家殺人事件

	

2000年12月31日に東京都世田谷区の宮沢さん一家4人が惨殺された

			
犯人の遺留品は多く残されている。

 まず「ユニクロ」のナイロン製の黒いジャンパー、マフラー。ジャンパーのポケットの中からはケヤキの葉と小鳥の糞が検出された。

 玄関には返り血を浴びて脱ぎ捨てたのであろう犯人のロングTシャツ(Lサイズ)が、なぜか綺麗に折りたたまれていた形で残されていた。これは俳優・木村拓哉氏がCX系「ビューティフルライフ」で着用して人気となったタイプのもの。廊下には手袋とヒップバッグも残されてあった。

 そして宮沢さんのグレーのスウェットを着がえて逃走している。スウェットはスポーツ用品メーカー「デサント」製のもので、胸と背中の部分に数種類の魚介類で「DIVE」とデザインされたものだ。ただこれはもう処分されている可能性が高いので参考にはならないかもしれない。


 指紋はいくつも発見されたが、過去に犯罪歴のあるものとは一致しなかった。

 足跡から韓国製「スラセンジャー」というスニーカー(28cm)ということが判った。この靴は都内でも練馬区のディスカウントショップで売られていたが、28cmのサイズは日本では売られておらず、韓国内のみで流通していたとされる。


 ヒップバッグからは土砂鉱物約1600個の微物を検出されたている。これは日本には存在しないとされている花こう岩に含まれるモナザイト。このほか、チタン酸バリウムの反射材、金属シリコン、ニッケル、銅などがバッグ内側の底部分に混在していた。


 若者という線が強い。それも母親か女性と同居している男性である。これはハンカチにアイロンがかけられていたためである。それから身につけていたものも若者の服としては比較的安価なものが多く、洗濯の繰り返しで色あせていた物も多かった

 なお、ハンカチについていた香水はフランス製「ドラッカーノアール」。

出典:世田谷一家殺人事件

	

犯人の服装と遺留品

上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件まとめ

帽子 (クラッシャーハット)

平成10年7月~平成12年11月の間、日本全国で3,465個販売されたもの。

販売価格:1900円前後。(シールタグから平成11年9月21日以降に販売されたもの。)

関東圏内の主な販売先:

 株式会社マルフル(現M/X)、株式会社ユニーク、株式会社大三ブラック

マフラー

タグ等なく製造・販売元の詳細は不明。

130cmX30cm アクリル製

緑地に赤・黒・オレンジ・濃緑色の格子柄。

(100円ショップで売られている可能性あり。)

トレーナー

平成12年8月から12月の間、日本全国で130着販売され、うち都内は、10着販売されていた。

Lサイズ:販売はMとLサイズのみ

袖が薄い紫色、身ごろが薄い灰色

販売先:株式会社マルフル(現M/X)

販売価格:1,480円~1,900円

主な販売地域:

 都内~八王子2着、聖蹟桜ヶ丘3着、荻窪3着、青戸2着

 近県~山梨県、神奈川県、千葉県、埼玉県、静岡県、茨城県、長野県、栃木県

ジャンパー

平成12年11月から事件発覚日の間、黒い炉、Lサイズは全国で82,000着(都内10,194着)が販売された。

販売価格:3,900円~5,900円

販売先はユニクロ直営店(通販、ネット販売有り)

手袋

エドウィン製、サイズ~26cm

平成10年~平成12年の間、10,755双製造され、1双1,980円前後で販売。


サイズは大きく、黒革の外国製とみられ、国内の販売元によると、2000円前後という。2階台所に遺留、血痕が付着。犯人は、宮沢さんらを刺殺した際、手のひらにけがをしたが、手袋には刃物による裂け目はなかった。特捜本部は、手袋が厚手の素材で室内を物色するには邪魔になることから、犯行時、犯人が手袋を外していたとみている。

靴(スラセンジャー)、韓国製

韓国サイズ28(日本サイズ27.5cm)

平成10年10月~平成12年11月の間、韓国内で4530足販売されたが、同サイズは日本では販売されていない。

ヒップバック

大阪の業者が2,850個製造。

平成7年9月~平成11年1月の間、関東地区のディスカウント店等で2,900円で販売された。

ハンカチ

黒色、柄(刺繍)なし、平成7年から平成12年の間66,500枚製造。

うち平成10年以降は、59,000枚製造され、1枚300円ではんばいされた。

事件現場には、2枚のハンカチが残され、1枚は中央付近に焼く3cmの切り込みに通して袋状に氏、そこに包丁の柄を差し込んで、滑り止めにしたと思われる。

もう1枚は、三角に折られ、両端が絞ったような痕がある。

包丁

商品名:「関孫六 銀寿」

柳刃包丁(刃体21cm、柄部分を含めた全長34cm)

福井圏内の業者が、平成12年6月に1500本製造したもので、関東地区46店舗では、1丁3,500円前後で販売された。

香水

バック内とハンカチに付着しているのを確認。

製造国:フランス

会社名:ギラロッシュ製の香水(オードトアレ)

製品名:ドラッカーノアール

昭和57年ごろから日本国内で販売

価格3,000円(30ml入り)

進展

事件から100日目にあたる01年4月8日から9日朝にかけて、宮沢さん宅の裏に流れる仙川沿いの道路上に地蔵が置かれていた。この地蔵は宮沢さん宅の方を向いており、特徴は高さ59cm、重さ約20kgで、底に「六」のような傷があった。地蔵は中国か韓国製のものと見られている。誰に置かれたものかは判っていない。


 2005年7月、警視庁成城署特捜本部は韓国人犯人説を否定し、犯人像を「京王線沿線で生活していた若者」に絞り込んだことを発表した。外国人ではない、としたのは、書類など漢字を読みわけている能力があることを確認したからだと思われる。

 その後、同捜査本部は犯人の血液を詳しくDNA鑑定の結果から、「父は日本人を含むアジア系民族で、母方にはヨーロッパ・地中海周辺の民族がいた」とする可能性が強まったとした。


 犯人の着ていたロングTシャツは、00年8月から事件当時まで中国から国内に2200着輸入されていたが、この紫×グレーカラーのLサイズの物は都内では以下の4店舗、計10枚しか販売されていないことがわかったからだった。


・京王線京王八王子駅「京王八王子ショッピングセンター」で2枚。

・同線聖蹟桜ヶ丘駅の「聖蹟桜ケ丘オーパ」(多摩市)で3枚。

・JR荻窪駅前の「西友荻窪店」(杉並区)で3枚。

・京成線青砥駅の近くの「ユアエルム青戸店」(葛飾区)で2枚。


 特捜本部はそのうち1着の購入者を特定、他9着について絞り込む。

 また犯人が浴室の高窓から侵入したことから、運動能力は高いと見られ、「15歳以上の若者」という見方をしている。


 2005年11月、捜査本部は、怨恨ではなく、金目当てによる犯行と断定し、「当時一人暮らしで、金に困っていた18歳から35歳の男」と絞り込む。


 2005年12月11日、現場近くの公園で「事件解決に向けた集い」が開かれた。捜査員は犯人とその家族に対して異例の呼びかけを行なった。

出典:世田谷一家殺人事件

	

宮沢さん宅の裏に流れる仙川沿いの道路上に地蔵が置かれていた

			
	

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捜査特別報奨金上限額 1,000万円

警視庁 成城警察署

「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件特別捜査本部」

直通電話 03-3482-3829

署代表 03-3482-0110(内線6514)

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