富山連続婦女暴行冤罪事件の「大津英一」とは
富山連続婦女暴行冤罪事件
富山連続婦女暴行冤罪事件(とやまれんぞくふじょぼうこうえんざいじけん)とは、日本の富山県で2002年3月13日に起きた婦女暴行未遂容疑を始めとした2件の容疑において、2度に渡って逮捕された男性が懲役3年の刑に服した後に、本2件を含めた一連の暴行事件の真犯人が見つかった事件である。発生場所の地名から、報道記事では「氷見事件」とも呼ばれる。
事件の経過
2002年4月15日、同年3月13日に当時16歳の少女を強姦しようとしたとして、タクシー運転手(当時34歳、「柳原浩さん」)が強姦未遂容疑で富山県警察氷見警察署に逮捕され、5月には別の少女への強姦容疑により再逮捕された。逮捕のきっかけは柳原さんが少女らの証言と似ていたこと、とされている。任意捜査として行われた取調べが4月8日以降断続的に3日間朝から晩まで行われ、4月15日の3回目の任意捜査において、既に何が何だかわからなくなり疲れ切っていた柳原さんは、「お前の家族も『お前がやったに違いない。どうにでもしてくれ』と言ってるぞ」などという、取り調べ警察官の真実に反する誤導により、容疑を認め、自白したものとして逮捕された。柳原さんへの逮捕状は既に準備されていた。
この逮捕には氷見署内においても、柳原さんの「自白」に「秘密の暴露が全くない」ことや、柳原さんには犯行当時の明白なアリバイ(犯行時刻とされた時間帯に自宅から知人に電話をかけたというNTTの通話記録など。)が存在したこと、現場証拠である足跡が28センチであるのに対し、足が24.5センチと全く合わないことなどから、柳原さんに対する立件は無理ではないか、という声も強かったようである。それでも捜査は強行され、富山地方検察庁が立件した。
富山地裁における裁判の席でも、柳原さんは容疑を認め、結局自白と少女らの証言が重要視され有罪判決が下り同年11月に懲役3年が確定。柳原さんは刑に服し2005年1月に出所した。
真犯人判明後
出所した後の2006年11月、別の事件で鳥取県警察に逮捕された51歳の男が自分が真犯人である旨自供。2007年1月17日に柳原さんの親族へ経緯を説明し富山県警察が謝罪、1月19日に記者会見で事実が判明した。また、これを受けては、柳原さんの無罪判決を求める再審請求を富山地裁に行った。また、1月29日に富山地検の検事正が柳原さんに直接謝罪した。富山県警が柳原さんに冤罪事件について謝罪したとされる2007年1月23日夜の翌日、24日昼に、柳原さんは富山地検に呼び出され、「当時の取り調べ捜査官、担当検事を恨んでいません」などという内容の調書を意思に反して作成させられた上、柳原さんが知らないはずの事件の詳細についての自白書類が富山県警により捏造され、署名・指印させたことが判明している。
再審の論告公判は8月22日に行われ、検察側は無罪を求刑し、2007年10月10日に無罪判決が言い渡された。また検察側が控訴しなかったため判決はそのまま確定。
無実となった柳原さんは真犯人発覚後にマスコミのインタビューに答え、尋問した刑事から「身内が間違いないと認めている」と告げられ弁明しても聞いて貰えず、罪を認めざるを得ない状況に陥ったと答えている。また、同意すること以外は意見を述べることを刑事から禁じられた上で、刑事の言うことが事実だという念書を書かされ署名させられていたとも告白している。同様の捜査手法は、同じく冤罪が確定した志布志事件でも採られている。すなわち、「お前の家族も、お前が犯人だと言っている」と告げたり、偽造まがいの手法により作られた家族の手紙を見せることで、被疑者を絶望に追い込み、自暴自棄になったところで自白を採るという手法が行われた。
無罪判決が確定したものの、取調べをした警察官等の証人尋問及び処分が実施されていないなど冤罪事件が発生した真実が解明されていないとして、2009年5月14日に国家賠償訴訟を提訴した。
再審では尋問した取調官の証人尋問が却下されている。藤田敏裁判長が「ただ単に無罪判決を出す手続きにすぎない」と理由を述べたためで、この発言に対し、「本気で真相を究明し、反省する気があるのか」という疑問や非難が出た。さらに判決公判でも謝罪は裁判所側からは一切行われておらず、判決中述べた裁判官のあまりにも他人事な発言に柳原さんは「むかついた」と裁判長に対し怒りをあらわにした。
検察官の対応
その後
冤罪事件の被害者たちが同じような証言をしている事から、このような方法は冤罪を生み出す手法として時代や場所を選ばずに行われている方法であるとも指摘される。2007年6月6日には、日本弁護士連合会主催で「えん罪を生み出す取調べの実態」というシンポジウムが緊急に開かれている。日弁連側は取調べを録画・録音(「可視化」)する事でこのような事態を防ぐべしと主張している。また、当時尋問した取調官の一部はすでに民間企業などに天下っており、「天下りに有利になり、かつ警察の責任を回避させるためにこのような取調べ方法がとられている」という批判がある。だが、警察庁、検察庁、各裁判所ならびに法務省はこれらの問題に対しては一切触れることは無かった。また、再発防止策に対しての発言はあったが、その後、警察庁、検察庁、各裁判所及び法務省のいずれにおいても、発言自体が無かったことにされてしまった。
さらに、長勢甚遠法務大臣(当時)が再審前の2007年1月26日に柳原さんに対し謝罪した際、柳原さんが述べた自白の強要については違法性が無いと述べ、当時の捜査員に対して処分は行わないことを決定している。その上、長勢法相が感情を抑えきれずに声を出して笑う場面も報じられており、批判を集めている。
なお、柳原さんの父親は逮捕当時入院中で、息子である柳原さん自身の逮捕は知らされず服役中に亡くなっている。
富山県に賠償命令 国などへの請求棄却
2002年に富山県氷見市であった強姦(ごうかん)・強姦未遂事件で、服役後に再審無罪が確定した柳原浩さん(47)が国や富山県などに約1億400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2015年3月9日、富山地裁であった。阿多(あた)麻子裁判長は「警察官らによる捜査は、合理的根拠が欠如していたことは明らか」と違法性を認め、富山県に約1966万円の支払いを命じた。一方、国と、取り調べを担当した富山県警の捜査員や検察官に対する請求は棄却した。
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