ルーシー・ブラックマンさん殺害事件の「織原城二(金聖鐘)」とは
ルーシー・ブラックマンさん殺害事件
ルーシー・ブラックマンさん事件(ルーシー・ブラックマンさんじけん)は、2000年7月、神奈川県逗子市でイギリス人女性のルーシー・ブラックマン(Lucie Blackman)が強姦されて死亡されたとされる事件。
事件のあらすじ
2000年7月1日・元英国航空の女性客室乗務員、ルーシー・ジェーン・ブラックマンさん(当時21)が、渋谷区のアパートで同棲していた友人の女性の携帯電話に午後7時頃、「あと一時間で(デートから)帰れる」と電話があったのを最後に連絡が途絶えた。
日本には5月に来日。その後、東京都港区六本木のクラブにてホステスとして働いていた。
・同日夜、逗子市の消防本部に男の声で「大変なことが起きた。いまやっている病院はあるか」と問い合わせる電話がかかっていた(後に発覚)。
2000年7月3日
・東京都港区麻布署に「自分の意思なので、そっとしておいてほしい」という彼女からの手紙が届くが、筆跡が違うため事件性があるものとして捜査を開始。
・7月下旬の沖縄サミットで来日した英国のブレア首相が森喜朗(元)首相との会談でこの事件を取り上げた。
2000年8月22日
・ルーシーさんの妹のソフィーさんが記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。翌月8月31日には懸賞金を10万ポンドに引き上げている。
7月半ばに香港にて彼女の姿が目撃されている事を英国BBCテレビが報道。
当初報道が過熱していたのはイギリスの方で、「失踪事件にカルト教団が関与」(Times誌)
「事件に暴力団の影」(Guardian誌)など、早い段階からただの失踪事件ではない空気は感じていたようだ。
これに対し日本のマスコミは「巨額の懸賞金がかけられた」ただの失踪事件というスタンスで
報道する場面が目立った。
・また、「週刊新潮」誌が当初「ある資産家」を犯人と決めつけるような記事を書き訴えられている。
「週刊新潮」は03年5月28日に行われた裁判で、この判決と薬害エイズ関係者中傷裁判合わせて1日に2回敗訴するという珍記録を成し遂げている。
2000年9月下旬
・警視庁捜査一課と麻布署がルーシーさんが勤めていたクラブの常連客で不動産管理会社社長の織原城二を調査している事が明かに。
また、ルーシーさんの周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚。
2000年10月9日
・織原城二容疑者を準強制わいせつ容疑で逮捕。
自宅の豪邸からは、織原容疑者が白人女性をレイプするビデオテープの他、大量の薬物、プリペイド式携帯電話などが見つかった。
取り調べに対し、「今は言えない」と供述。
・経営には行き詰まっていたようだが、クラブでは派手に金を使っていた。
白人女性が好みのようで「薬物が入ったとみられる酒を飲まされて意識を失った」という被害者もいる。
・14日には神奈川県三浦市内の織原容疑者が所有するマンションの一室やモーターボート、付近の海岸などを捜索。ルーシーさんが失跡した直後の7月5日頃、織原容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されている。
・資産家の異常犯罪、それも強姦・薬物・複数失踪とワイドショーでは連日報道されるようになった。
2000年10月27日
・織原容疑者を「カナダ人女性への準婦女暴行罪」で再逮捕。
当初「合意だった」と容疑を否認していたが押収したビデオが決め手となった。
ルーシーさんについては、関与そのものを否定。
・織原容疑者は女性を「海に行こう」などと連れだし、催眠作用を持つ薬物の入った酒類を飲ませ、女性の意識を失わせて乱暴をした疑い。
同容疑者は女性トイレ盗撮で2年前に逮捕されていた。
2000年11月17日
・同被告を再々逮捕。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴。
警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請。
2000年12月14日
・六本木連続準強姦事件初公判。織原被告が起訴事実を否認。
初公判を傍聴しようと、60席の一般傍聴席に対し892人が並んだ。
マスコミも連日この報道を続けたが、2月に遺体が見つかるまでは「盛り上がり」としては少々トーンダウン。
・年末年始にかけて外国人女性3人、日本人女性2人への暴行により5度逮捕される事になる。
ルーシーブラックマンさん
2001年1月26日・オーストラリア女性に対する強姦致死の疑いで6度目の逮捕。
死因は(酒中に混入された)大量の薬物摂取による肝不全と断定。
捜査本部はこれまでの捜索で、睡眠薬や睡眠導入剤のほか、「デート・レイプドラッグ」とも呼ばれ、性犯罪に悪用される恐れがある薬物やクロロホルムなどを織原容疑者の関係先から押収している。
睡眠薬の中には、正規のルートでは入手できない製剤前の主成分原料約5kgも含まれていた。
・ワイドショーはこの一連の出来事を受けて「欲望のままに抵抗できない女性に乱暴したのは許せない」という論調で報じた。
しかし発端であるルーシーさんとの関与を本人が否定しており、この件に関しては遺体を埋めたと推測される別荘から証拠が発見されるのではないかと「期待」されていた。
ニュースなどでも捜索現場を中継するシーンが幾度と無く見られた。
ただし、織原は単なる金持のボンボンの変態が起こした性犯罪、というスタンスで報道は続けられた。
・年始においては「織原容疑者を逮捕したのは警察の勇み足ではなかったか」とまで聞かれるようになった。これは同容疑者を同じ容疑で6度も逮捕している(最終的に7度)他、
事件発生から7ヶ月、逮捕から4ヶ月たっても決定的な証拠品=遺体が見つからなかったためである。マスコミの矛先は次第に「警察の無能さ」へ向かうようになった。
2001年2月9日
・三浦市の海岸にある洞穴の入り口約3メートルの所で地面に埋められた浴槽の中に、バラバラに切断された「大柄な外国人女性」の遺体を発見した。
翌日、遺体をルーシーさんのものと断定。両親が「とても悲しく、衝撃的なこと」とコメント。
この件に関して英国外相が「あとは殺人者を司法の場で裁くことだ」とコメント。
それほどまでにこの事件は英国で大きく報じられていた。
・以降、本人の特定がしづらい「プリペイド式」携帯を使っていた事、友人や消防署にかけられた電話を特定した事、新たな証拠物の押収、切断に使われた凶器の断定(チェーンソー)、「死んだ犬の遺体を数日保存したい」とドライアイスを購入していた件など連日次々と見つかる事実に報道は過熱する一方であった。
・smh.comにて被告が在日である(He is a Korean-born, American-educated Japanese citizen)として報道。
また、ルーシーさんの父親がインタビューにて「he made a point of saying that Obara was Korean.」と言及。
・この段階において英国Times誌は事件の経過と容疑者が逮捕されたことを淡々と報道。
ところが何故か米国のWashington Post誌は「警察が犯罪を見過ごした、発見も遅い」と非難。
これには裏があるのだが、警察ではなく「日本人と日本の行政は外国人の人権蹂躙に疎い」という方向へ転嫁したげである。
・また、犯人がほぼ断定された頃から報道熱は引き始める。
2001年3月3日
・ルーシーさんの遺体、英国に帰国。
2001年4月
・完全に報道の熱は沈静化。
遺体を遺棄しようとして購入したとされるセメントやボート、蚊(毒蛾?)にさされた治療をしていた(遺体を埋める際に長時間屋外にいたためか)という事実も明らかになるが本人は否認を続け決着は司法の場へ移される事になる。
2004年12月10日
・ルーシーさんの父親が、織原城二(金聖鐘)被告の裁判傍聴の為に訪日。
日本のマスコミは完全にスルー。英国・米国では大々的に報じられる。
2005年3月23日(現地時間・英国)
・ルーシー・ブラックマンさんの葬儀が行われ、遺体が埋葬された。
「(裁判で決着がつくまで待ちたかったが)余りにも長い年月が経過したのでけじめをつける為に行った」との事。
状況証拠
以下の状況証拠をどう評価するかが焦点となった。●髪の毛などから、被害者が被疑者のマンションにいたこと
●被害者が死亡したとされる時期の直後に、遺体の損壊・遺棄に使ったとみられるチェーンソー・セメントなどを購入していたこと
●被疑者のパソコン記録では、被害者が死亡したとされる時期の直後にインターネットで死体の処理方法が検索されていたこと
●遺体の損壊が激しかったため、睡眠薬の代謝物が検出されたものの死因が特定できず、薬物や被疑者のDNAが検出されなかったこと
●被疑者が起こした他9事件に、ルーシー・ブラックマン事件と類似の犯罪性向があること
●他9事件では存在した、薬物を使って女性への乱暴を撮影したビデオテープが、ルーシー・ブラックマン事件では発見されなかったこと
●死亡したとされる時期の後にルーシー・ブラックマンの生存を偽装する電話をルーシー・ブラックマンの友人にかけたのは被疑者である可能性が高いこと
直接証拠に乏しいこの事件に対しては、2006年9月に被疑者の無罪を訴える内容のホームページが「真実究明班」名義で開設されており、それらの主張は後に書籍としてまとめられている。「真実究明班」は、被疑者の行為は被害者と金銭において合意の上で行われたものであるとしているが、そのホームページには、裁判関係者でしか入手し得ないはずの資料も使用されている。
織原城二/金聖鐘
織原城二/金聖鐘
その風変わりな人生を通して自分自身で様々なアイデンティティを作り上げてきた織原城二はカメラを避けてきた。4年の果てしない裁判を経た今日でさえ、織原の映像は2つし かない。1枚目は1970年代初期の織原が東京の大学生であったとき:内気な微笑、若々し い肌、まったく堕落していない青年。二枚目は、織原が先月、東京地方裁判所で会われた 時の法廷画家によるスケッチ:薄くなった黒い髪、まだらの山羊ひげ、しわくちゃの黒いスーツ、2人の警備員が傍らに並んでいた。それは、日本のバブル経済の比喩のように見える。大学と裁判の間の30年、織原城二は財産産を相続したが、今日では1億2200万ポンドの債務がある。織原は、卑しい移民の息子から エリートの一員になり、現在は連続強姦魔として公判中だ。そして、贅沢三昧で過度の浪 費の日々、何でも買うことができた、喜び、地位、法律の免責、とりわけ、女性の肉体。
織原は1952年に大阪で韓国人の両親のもと金聖鐘(キム・スンジョン)として生まれた。父親は貧しい移民だったが、タクシーと不動産、パチンコで財産を築いた。15才のとき、 金聖鐘は、東京の名門私大、慶応義塾大学の高校に行かされ、そこで、政治と法律を学ん だ。このころ、外科手術で目を大きくして東洋人らしさを軽減し、新しい日本名、星山聖 鐘(記者注:星山聖二の誤りか?)に名前を変えた。
( ´∀` )「正確にいうと,密入国者だったが、白タクと空襲で一家全滅した土地を盗んで土地の不法占拠、博打で財産を築いたということですかね。そして,顔整形して強姦。」
聖鐘が17才のとき、父親はヤクザつまり日本のマフィアがらみの怪しげな状況で香港で死んだ。聖鐘は二人の兄弟と莫大な遺産を相続し、21才で、またしてもアイデンティテ ィを変えた。つまり、日本の国籍と織原城二という名前を得た。
織原を知っている人々は、奇妙な生い立ちが織原の個性を形作る上で何らかの役割を果た したと確信している。若くして突然父親を失った亡命者の子供。家族から離れ、名前とそ の顔さえ変えた。そして、一生働かなくてすむほど裕福・・・孤独と順応障害の可能性が あるのは明らかだ。しかし、織原より苦しんだ多くの人がいる。
裁判
ルーシー・ブラックマンさん殺害事件
その後、被疑者はルーシー・ブラックマンを含めた10人の女性に強姦又は強制わいせつをして、その内2人の女性(ルーシー・ブラックマンとオーストラリア人女性)を死亡させたとして立件された。被疑者は他9事件については1人の致死罪を除いて概ね認めたものの、ルーシー・ブラックマン事件については検察側が死亡したとする時間の直前に自分のマンションの部屋で被害者と会ったことは認めたが、裁判時には死亡していた知人が関与した可能性を示唆した上で無罪を主張した。
【1審(東京地裁)】
2007年7月24日 - 判決公判。東京地裁は、女性9人に対する準強姦罪や強制わいせつ罪とその内の1人に対して準強姦致死罪を認定して被告人に無期懲役を言い渡したが、当事件に関与した疑いがあるとしながらも、遺体から薬物や被疑者のDNAが検出されなかったことから証拠不十分として無罪を言い渡した。
【2審(東京高裁)】
2008年3月25日 - 控訴審初公判。弁護人は、当事件の被害者に関する全ての罪とオーストラリア人の致死罪に関して無罪を主張した。検察官は、有罪を求めた。
2008年7月 - 一審で致死罪が認定されたオーストラリア人女性の遺族に、被告人が見舞金1億円を支払っていたことが明らかになった。被告人はこの見舞金を「お悔やみ金」としており、女性に対する殺害は関係ないと主張している。
2008年12月17日 - 判決公判。一審判決を棄却。当事件について準強姦致死罪を認めなかったが、準強姦未遂罪と死体損壊罪と死体遺棄罪を認め、一部有罪とした上で被告人に無期懲役を言い渡した。
【最終審(最高裁)】
2010年12月 - 上告を棄却。9事件の準強姦罪や強制わいせつ罪とその内の1人に対して準強姦致死罪、当事件の準強姦未遂罪と死体損壊罪と死体遺棄罪の有罪が確定した。
ポイント
六本木で働いていた英国人ルーシーブラックマンさんを織原城二なる人物が殺害した。実は織原城二は在日であった。
大々的に報道していた日本のマスコミは,在日と判明した途端報道をほどんどまったくしなくなり,日本マスコミのタブーとなった。
この事件の詳細を今も報道しているのはイギリスのマスコミである。
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