中央大学教授刺殺事件の「山本竜太」とは
中央大学教授刺殺事件
中央大学教授刺殺事件(ちゅうおうだいがくきょうじゅしさつじけん)とは2009年1月に中央大学で発生した、元教え子でアルバイト・山本竜太による高窪統教授殺人事件。
殺害された高窪統教授
中央大キャンパスで教授刺され死亡。黒いコートの男逃走?
2009年1月14日午前10時25分頃、東京都文京区春日1、中央大学後楽園キャンパスで、「男性が刃物で刺された」と大学関係者から119番があった。東京消防庁の救急隊員が現場に駆けつけたところ、同キャンパス1号館4階のトイレ内で、40歳代の男性が背中などから血を流して倒れているのを発見した。男性は背中などを複数回刺されているとみられ、同11時30分、搬送先の病院で死亡が確認された。男性は背後から襲われたとみられ、警視庁富坂署は、殺人容疑で捜査を始めた。
同庁幹部によると、刺されたのは理工学部電気電子情報通信工学科の高窪統(はじめ)教授(45)(電子工学)とみられる。現場には凶器とみられる刃物は残されていなかったという。現場近くでは、現場付近から、黒っぽい帽子に黒いコート姿の30歳前後の男が立ち去ったとの目撃情報があり、同庁で周辺に緊急配備を敷き、この男の行方を追っている。
中央大広報室や同学科の学生によると、高窪教授の専門は「高機能集積回路」で、研究室は現場のトイレと同じ1号館4階にあり、この日は5号館で午前10時40分から始まる2時限の講義「半導体デバイス」を予定していた。
同キャンパスには、理工学部と専門職大学院に計約4,000人の学生が在籍。事件発生時は1時限の講義が行われていた。同大では3時限以降の講義を中止し、キャンパスの門を閉鎖した。
出典:nozawa22
胸、背中など40カ所以上の傷
中大教授殺害、元教え子の20代男を逮捕
中央大後楽園キャンパス(東京都文京区)で同大理工学部教授の高窪統さんが殺害された事件で、警視庁捜査1課は21日夜、高窪さんの元教え子で、中大OBの20歳代の男を殺人容疑で逮捕した。男は調べに対し、殺害を認めた上で、「動機については今は話したくない」と供述しているという。
同庁幹部によると、男は今年1月14日午前10時20分頃、同キャンパス1号館4階のトイレ内で、高窪さんの背中や胸など数十か所をあらかじめ用意していた細身の和包丁で刺し、失血死させた疑い。
高窪さんは事件当日、午前10時頃に同館1階の管理室で鍵を受け取った後、同10分頃に同館4階の教授室に向かう姿が複数の学生に目撃されていたが、その約15分後にトイレ内で血まみれになって倒れているのが発見された。高窪さんは胸や背中などを、深い傷だけで約20か所も刺されており、搬送先の病院でまもなく死亡が確認された。
事件直後に同大留学生が、トイレから出てくる黒色ニット帽に黒のロングコート姿の不審な男とすれ違っていた。
同庁では、犯行時間前後に同館内にいた学生らから事情を聞くなどして不審者の割り出しを進めると共に、現場に残された大量の血痕や微物から犯人の割り出しを進めていた。執拗な刺し傷などから高窪さんに深い恨みを持った人物の犯行の可能性もあるとみて、関係者から事情を聞いた結果、男の関与が浮上した。
決め手は教授の爪に残っていた微物 DNA型が一致
東京都文京区の中央大学後楽園キャンパスで1月、同大理工学部教授の高窪統さんが殺害された事件で、警視庁富坂署捜査本部が神奈川県平塚市山下、アルバイト、山本竜太容疑者(28)を殺害容疑で逮捕した決め手は、高窪さんのつめの間に残っていた微物と山本容疑者のDNA型が一致したことだったことが分かった。
捜査本部によると、山本容疑者は容疑を認め、「高窪先生を何回も刺し、殺したことはまちがいありません」と供述している。
高窪教授殺害凶器は枝切りはさみ改造、1か月前から計画か
高窪統さん殺害事件で、山本竜太容疑者が、まだ発見されていない凶器について、枝切りはさみを分解し、殺傷能力を高める刃物を作ったなどと供述していることがわかった。はさみは昨年末頃に購入したと話していることから、同庁は、山本容疑者が1か月近く前から高窪さん殺害を計画していたとみて調べている。
同庁幹部によると、山本容疑者は凶器について、枝切りはさみを分解し、ほかのはさみの部品と組み合わせるなどしたほか、手のケガを防ぐための工夫もしたなどと説明しているという。
事件後は、平塚市内の自宅に戻り、刃物は燃えないゴミに、衣類は燃えるゴミにそれぞれ捨てたと話しており、同庁は発見に全力を挙げている。
山本容疑者は事件4日前に、事件当日の休暇届をアルバイト先のホームセンターに出していたことも判明。山本容疑者が勤めていた自宅近くのホームセンター関係者などによると、山本容疑者の勤務は、水曜~土曜日の週4日で事件当日も勤務日だったが、山本容疑者は1月10日に「自己都合」を理由に休暇の取得を申し出ていたという。
同大によると、高窪さんは昨年度後期、毎週火、水、木曜日に講義をしており、事件当日は年度最後の授業に当たっていた。同15日以降は、在学生対象のテストや入学試験が予定されていたため、高窪さんの出勤日は不定期だった。
同庁では、山本容疑者が、高窪さんが確実に出勤する日を選んで計画的に犯行準備を進めたとみている。
山本容疑者は「問題ある男」=昨年、高窪教授が周囲に
東京都文京区の中央大学理工学部で高窪統教授(45)が殺害された事件で、高窪教授が同大卒業生でアルバイト店員山本竜太容疑者(28)=神奈川県平塚市=について、周囲に「問題のある男だ」という趣旨の話をしていたことが23日、警視庁富坂署捜査本部の調べで分かった。 捜査関係者によると、同容疑者は「教授の自分に対する扱いが不満だった」との趣旨の話をしており、捜査本部は詳しい経緯を調べている。 捜査本部によると、高窪教授は昨年5月、研究室の学生に「(同容疑者が)訪ねてきたら教えて」と伝えた。学生は捜査本部の調べに対し、同教授がその際、同容疑者について「問題のある男だ」という趣旨の発言をしたと話したという。
事実関係供述しても語らぬ「動機」…教授刺殺容疑の元中大生
動機見えず「大それたことをしてしまった……」。取調室で山本容疑者はこううなだれた。取調官には、逮捕を覚悟していたように見えたという。
「先生のご家族には申し訳ない」「自分をここまで育ててくれた両親に顔向けできない」とも話す山本容疑者だが、高窪さん本人への謝罪はまだ口にしていない。
取り調べにも素直に応じているが、高窪さんを襲った理由を問われると、「今は話したくない。時間がほしい」と、表情をこわばらせ、黙ってしまうという。同庁幹部は「彼なりの動機はあるようだが、今は心の整理をつけようとしているようだ」とみる。
同庁では22日、山本容疑者の自宅からノート類を押収。「前向きに生きていかねば」「もっと積極的にならなくては」など、人間関係に悩み、苦しむ様子がうかがわれる内容が多い。しかし、高窪さん襲撃に直接結びつくような動機は読み取れないという。
転職の繰り返し
山本容疑者は、2004年3月の大学卒業後、1部上場企業の大手食品メーカーに就職したが、わずか1か月で退職。2005年1月から勤めた電子情報機器製造販売会社も3か月で、その後、勤めた別の電子機器関連会社も、本採用の前に4か月で辞めていた。
2007年8月にはホームセンターで、翌9月からは洋菓子店でも掛け持ちのアルバイトを開始。洋菓子店では採用面接の際、「大卒なのにバイトなんてもったいないね」と話しかけられると、「自分がどの仕事に向いているのかわからない。いろんなことをやって見つけたい」と答えたという。
だが、逮捕後、山本容疑者は取調官に対し、「転職するたびに待遇が悪くなった」などと、自分の境遇への不満を漏らしている。
内向的
同庁関係者によると、山本容疑者は一人っ子で家族仲もよかったという。
東京都府中市内の都立高校に進学し、成績は中の上。だが、教員や級友らには、山本容疑者が授業中に自ら手を挙げて発言したり、友達と騒いだりする姿などは、ほとんど記憶にないという。高校時代の知人は、「彼は周囲に心を開かないタイプだった」と当時を振り返る。
内向的な性格の一方で、激しい一面を見せることもあった。約1年前、アルバイト先のホームセンターで、客から通路に段ボールが置かれていることを注意された時、「上司にここに置くように言われた」と言い張り、客とトラブルになったという。
山本容疑者が高窪さんに面会を求めてきたのは、昨年6月に洋菓子店を辞める直前。捜査関係者の1人は、「周囲に相談できず、自分で考え込んでしまう内向きの性格が、何かをきっかけに耐えきれなくなって他人への怒りに向けられた可能性もある」と話している。
山本容疑者 「自分変えなければ」とメモ
中央大理工学部教授の高窪統さん刺殺事件で、教え子のアルバイト店員、山本竜太容疑者が卒業後、「自分を変えなければいけない」などの内容のメモを残していたことが23日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁富坂署捜査本部が山本容疑者宅の捜索で押収した。捜査本部は、山本容疑者が転職を繰り返す境遇に不満や不安を持ってマイナス思考になり、高窪さんを一方的に恨んでいた疑いがあるとみている。
捜査関係者によると、捜査本部が押収したメモにはほかに、「しっかり自分が頑張らなければいけない」「前向きに生きたい」「親ともっと連絡を取り合って相談しないといけない」などの内容が書かれていた。日付はないが、前後のメモから、山本容疑者が卒業後から事件前までに書きためたものだったとみられる。この間、山本容疑者は大手食品製造会社など5社を転々とし、生活レベルが落ちていた。
高窪さんは昨年5月、学生に「(山本容疑者が)来たら教えてくれ」と話していたが、その学生に「(山本容疑者は)問題のある男だ」という趣旨の話をしていたことも判明した。
山本容疑者は翌6月、就職活動に使う卒業証明書などを受け取るため同大を訪問。その後も数回訪れており、再就職について高窪さんに相談していた可能性がある。動機については供述を拒んでいるが、高窪さんへの不満を口にしており、捜査本部は山本容疑者が就職をめぐり一方的に恨みを抱いていた疑いがあるとの見方をしている。
山本竜太の人物像
「寡黙で1人」富坂署捜査本部などによると、山本容疑者は2004年3月に中央大理工学部を卒業。その後、幼い頃に住んでいた神奈川県平塚市の一戸建てで暮らしていた。
卒業直後に就職した食品メーカーは、約2カ月で退社。翌年に電子機器会社へ就職したが、ここも3カ月ほどで退社した。2006年に入った別の会社も4カ月ほどで辞めた。
2007年からは、午前中に自宅近くのホームセンターで勤め、午後はパン工場でパート従業員として働いていた。
ホームセンターの店長(38)によると、事件当日の1月14日、山本容疑者は勤務を休んだという。翌15日は通常通りに働き、変わった様子はなかった。店長は「言われたことをまじめにやっていた」と語った。
パン工場でも、黙々とまじめに働くという評判だった。
同僚の社員は、山本容疑者が入社する前、工場幹部から「今度、中央大の理工を卒業した頭のいい男性が入る」と聞いた。「頭がいいのにパートで、このご時世は大変なんだなと思った」という。
この時の履歴書に山本容疑者は、前の職場では適性能力が基準に達せずに本採用されなかったと記し、「食品製造に精通した技術者になることを目標としており、技術者として御社で一から鍛え直したい」と決意を述べていた。仕事の内容は、窯から出たパンを取り上げて鉄板を元に戻す作業。口数が少なく、仕事が終わっても同僚たちと食事に行ったりせずに、1人ですぐに帰っていったという。
仲間の仕事が立て込んでいても手助けせず、上司に注意されたことがあった。「自分の持ち場はしっかりやっています」と結局手伝おうとしなかったという。
上司が正社員になることを勧めたが、「新しいことにチャレンジしたい。パソコン関連の仕事を探す」とパン工場は2008年に退社した。「自分のやりたいことがまだ分からない。色々なことを経験したい」とも話していたという。
容疑者は5カ所の職場を転々 解雇、自主退職繰り返す中央大学キャンパスで、教授が何者かに刺殺された事件は、発生から約4カ月で急展開をみせた。警視庁が殺人容疑で逮捕したのは、教授の研究室に所属していた教え子の卒業生。大学関係者に衝撃が走った。殺害現場は構内のトイレ。胸や背中などを数十カ所も刃物で刺した犯行は、当初から怨恨の可能性が指摘されていた。
「間違いありません」。
警視庁によると、逮捕されたアルバイト、山本竜太容疑者(28)は容疑を認めているという。教授と教え子の間に何があったのか…。警視庁による動機解明の捜査が始まった。
山本容疑者は平成16年3月の卒業生で、殺害された同大理工学部教授の高窪統さんが卒論も担当していた。山本容疑者は現在、神奈川県平塚市に住んでいるが、学生当時は、東京都府中市の実家から通学していたという。
山本容疑者は卒業後、食品製造や電子機器の会社など5社程度を転職。いずれも職場になじめず、最短で半月、長くても4カ月未満程度しか勤務しなかったという。解雇や自主退職していたという。
2005年1~3月には、ハローワークの紹介で東京都立川市の電子機器製造販売会社に勤務。社長によると、業務内容は電子回路の設計で「自分がやりたいと思っていた仕事」と意欲はみせていたという。だが本採用はされなかった。社長は「理工学部出身として一定のレベルはあったが、採用しようとは思わなかった」と言葉を濁す。
2006年12月には別の電子機器メーカーに就職したが約3カ月で退職。2007年9月ごろからは、自宅近くのホームセンターと洋菓子工場のアルバイトを掛け持ちしていた。洋菓子工場の社員は「まじめな仕事ぶりだった」と評価するが、山本容疑者は昨年6月、「パソコンが得意なのでその道に進みたい」という理由で辞めたという。
高窪教授は殺害された1月14日午前10時ごろにキャンパスに到着。10時40分には講義を開始する予定で、4階の教授室にカバンや財布などが置かれており、犯人は高窪さんが教授室に入ったことを確認した上で、講義のために再び出てくるのを待ち伏せし、トイレに入ったところを襲ったとみられていた。
こうした状況を踏まえ、警視庁富坂署捜査本部では当初から、怨恨による強い殺意を持った犯人が、高窪さんのスケジュールなどを把握し、入念に準備した上で犯行に及んだとの見方を強め、大学関係者を中心に高窪さん周辺にトラブルがなかったか捜査。大学やその周辺の防犯カメラには、山本容疑者とみられる人物も映っていたという。
山本容疑者は昨年5月ごろ、大学発行の証明書類を取得するために同キャンパスを訪れていたことが、捜査本部への取材で分かった。高窪さんも同時期に「(山本容疑者が)訪ねて来たら教えてほしい」と研究室の学生に話しており、山本容疑者と高窪さんがこのころに接触していた可能性があるという。
捜査本部はこうした状況から、山本容疑者が就職などに関して高窪さんに相談し、その対応をめぐって恨みを募らせていた可能性もあるとみている。捜査本部には山本容疑者について「思い込みが激しい」との証言が寄せられている。
大学によると、山本容疑者は大学3年と4年の時に高窪さんの授業を受講し、4年時は単位を取れなかった。留年して在籍5年目の時、高窪さんのゼミ(約10人)で指導を受け、電子回路の性能向上に関する卒業論文を作成した。
山本容疑者は1年生の時、ほとんど授業に出席せず、取得したのは3単位のみで、2年生以降の4年間で計128単位取り、卒業に必要な130単位を超えたという。
過保護だった親山本は1981年生まれで、両親が40代を迎えて生まれた一粒種だったため、愛情を一身に受けた。特に母親の愛情は異常であり、息子のために何件もの塾に通わせたり、望むものは何でも買ったりしたという。異常性を示すものとして、小学生高学年の頃に犯人が足に怪我をしたとき、通院を過度に繰り返したり、就職した電子メーカーを自主退社した際に母親が会社に乗り込んで辞表の撤回を頼み込んだりしていることが上げられる。
山本は理系科目が得意だったといわれ、現役で中央大学理工学部に進学。しかし周囲になじめず孤立がちだったという。そんなときに親しく接してくれたのが高窪教授であった。犯人は教授と別れたくなかったのか、高窪教授に大学院に進学する旨を相談したが、教授は犯人が人付き合いが苦手なことからむしろ社会に出てコミュニケーションスキルを上げることをすすめた。
事件との関与は不明とされているが、高窪教授の自宅周辺では「殺」「呪」という電柱に描かれた落書きが7箇所も見つかっている。お気に入り詳細を見る
東京地裁判決 懲役18年(2010年12月)
東京地方検察庁は、2009年6月から3か月半かけて元教え子を鑑定した結果、責任能力ありと判断し、同年10月2日に殺人罪で元教え子を起訴。翌2010年11月24日の初公判で被告側は起訴内容を認めた。また、冒頭陳述では、検察側・弁護側双方が「被告は妄想性障害にかかり、心神耗弱だった」と主張した。2010年12月2日、東京地方裁判所の今崎幸彦裁判長は元教え子に対して懲役18年(求刑懲役20年)を言い渡した。検察と弁護側の双方が期限である12月16日までに控訴しなかったため、判決が確定。
報道
元教え子が逮捕された日は裁判員制度が開始された日でもあるため、報道が裁判員候補者に予断を与えないかどうか注目されているが、実際の報道は、転職を繰り返したという逮捕時点では事件との関連性がみえない元教え子の職歴、「卒業生に思い込みの激しい人物がいる」という情報、「殺害行為については淡々と認めながら」という出所が明記されていない元教え子の供述など予断を与えかねない内容で、開始前と大して変わっていないという指摘がある。
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