【死刑判決】同僚・妻連続殺人事件「大倉修」とは

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同僚・妻連続殺人事件


平成16年9月16日静岡県焼津市の生協職員大倉修(当時の姓は滝)は、ワゴン車内で同僚の男性Aさん(当時37歳)が、不倫相手を中傷したことから口論となり、包丁で腹や胸を刺して殺害。遺体を静岡市内の茶畑に遺棄した。その後、大倉は何食わぬ顔で不倫相手の女性と交際を続けていたが、翌年になって不倫が妻に発覚。妻から不倫の解消を迫られた大倉は、平成17年9月9日、自宅で妻をネクタイで絞殺。自宅の浴室で電気ノコで遺体をバラバラに切断して山林に遺棄した。

バラバラの遺体は、同年10月24日に発見された。焼津署は殺人事件として捜査を開始したところ、指紋から大倉の妻と判明。大倉は「研修を終えて帰宅したら妻が行方不明になっていた」と供述したが、曖昧な点が多く焼津署は更に厳しく追求したところ、Aさんと妻の殺害を認めた。


平成23年4月11日最高裁は、大倉の上告を棄却して死刑が確定した。

出典:

	

独占求めた愛情

「好きだ」「愛してる」――。大学ノートに書き込んではうれしそうに見せたというストレートな愛の言葉。妻や同僚を殺害し、遺体の損壊や遺棄にも抵抗を示さなかった大倉被告は、自分より年上の交際相手の女性に対しては異常なほど熱い愛情表現を繰り返していた。

 交際の始まりは大倉被告の結婚から1年もたたない03年春。大倉被告は仕事にかこつけて女性を半ば強引に連れ出した。親密になるのに時間はかからなかった。

 蒔田さんが殺害された翌日も、大倉被告は遺体をトランクに隠したままデートをした。同日夜、女性から蒔田さんの失跡を告げられると大げさに驚いて見せたが、その前後には遺体を親せきの家近くの茶畑に埋めた。遺体が発見された後も「通夜に行ったら、子供が蒔田さんに似ていてかわいそうでたまらなくなった」と話したという。

 大倉被告の言動で際立つのは相手への独占欲だ。女性が知人の飲食店を手伝うためにスカートをはこうとすると、「自分も(女性のスカート姿を)見たことがないのに、他人に見せたくない」と不機嫌な様子を見せたという。いきなり本物の婚姻届を出して記入を求めたこともあった。一方で離婚を迫った妻を殺害した動機を「他の男性と再婚してほしくなかった」と説明した。

 だが交際相手には常に優しかった大倉被告は、意見の合わない部下を容赦なく怒鳴りつけるもうひとつの顔も持っていた。年上の部下にも厳しく怒鳴り散らした。周囲の助言にも全く耳を貸さなかったという。

 今、女性はパートを辞めて静かに暮らしている。強く責任を感じたが、再び家族のために生きることを選んだ。判決には「行く気はありません」とはっきり話した。

出典:静岡県焼津市茶畑殺人事件、同僚蒔田晃さんと自分の妻を殺害...

	

大倉修

大倉修

事件当時年齢 36歳(2005年9月27日逮捕当時)

犯行日時 2004年9月16日/2005年9月9日

罪 状 殺人、死体遺棄、死体損壊

事件名 同僚・妻連続殺人事件

裁判焦点


2005年12月22日の初公判(このときは、妻殺害事件のみ)で、大倉被告は起訴事実を認めたが、弁護側は「犯行当時大倉被告は心神喪失または心神耗弱だった」と主張した。

 弁護側はうつ病の影響を理由に精神鑑定を請求したが、2006年5月17日の公判で、竹花裁判長は却下した。

 その後、男性殺害の事件で大倉被告が逮捕されたため、6月26日に予定されていた論告求刑公判は中止された。7月10日に大倉被告は男性殺害の事件で追起訴。期日間整理手続きにより双方が年内結審で合意し、弁護側は精神鑑定を改めて請求した。

 10月26日の公判で、大倉被告は男性殺害の起訴事実を認めたが、弁護側は当時被告が心神喪失・耗弱状態にあったとして責任能力を争う構えを見せた。

 11月25日の公判で、竹花裁判長は弁護側の精神鑑定請求を再び棄却した。

 2006年12月11日の求刑論告で検察側は、これまで被告を診た医師がいずれもうつ病は軽度で責任能力はあったと判断したと指摘し、周到な証拠隠滅を図った点などから完全責任能力があったと断じた。また1年間に2人も殺害したことについて「(同僚殺害の)大罪を犯していながら何ら反省せず妻を殺害した。遺体をゴミでも捨てるように遺棄した」と厳しく批判した。そして「自己中心的で短絡的な動機に酌量の余地はなく、犯行は残虐」として死刑を求刑した。

 最終弁論で弁護側は「うつ病により少なくとも責任能力は減少していた」と主張。「動機など事件の原因が何ら明らかになっていない」とあらためて精神鑑定を求め「鑑定がなされないなら大幅な減刑がされるべきだ」と訴えた。

 大倉被告は真っすぐ前を見つめ、求刑の際も表情は変わらなかった。最後に発言を許されると「裁判所には、私は存在してはならないとお伝えしたい」と自ら極刑を求め「申し訳ありませんでした」と傍聴席に土下座した。そのまま一分ほど動かず、最後は弁護人に起こされた。

 竹花裁判長は、被告が不倫を続けるため殺人を重ねたと指摘し、同僚殺害の計画性はないとした。しかし「計画性のなさは死刑選択をしない理由にならない」と酌量を認めなかった。被告が「同じ状況になったら、きっと同じことをする」と述べるなど反省がみられないことも厳しく指弾した。一方妻殺害について「一緒に死のうと思った」という被告側の主張は周到な証拠隠滅を図っていることを理由に退けた。そして「一年間に二人の命を奪った冷酷無残な犯行」と述べた。


大倉被告は、死刑自体は「率直に受け入れる」としたが、妻殺害の動機を「不倫相手との関係を維持するため」とした判決について「真実を知ってもらうためにも是正しなければ」と控訴した。

 2007年10月30日に初公判が開かれた。弁護側は控訴趣意書などで、大倉被告がうつ病を発症し、「犯行時は責任能力がなかった。仮に責任能力が認められたとしても、有期懲役刑が適切」と主張。これに対し、検察側は答弁書で、「うつ病に関する弁護側の主張は、精神医学の文献を根拠としているだけで薄弱」と反論し、控訴棄却を求めた。

 2007年11月29日の第2回公判における被告人質問で大倉被告は、一審で認定された「不倫相手との関係を維持するため」という妻の殺害動機を否定。「妻に離婚届を書かされたことで絶望的になり、2人で死のうと思い殺した」などと供述した。

 弁護側は「被告の精神状況を確認するために鑑定の実施が必要」とする医師の意見書を提出。2008年1月24日の第3回公判で、安広裁判長は「精神鑑定を行うとすれば、高裁ではなく、差し戻し審として地裁が実施すべき事柄だ。高裁は、被告の審理を進める上で鑑定が必要だったかどうか判断するが、鑑定そのものを行う立場にない」と述べ、精神鑑定請求をあらためて却下。弁護側は被告が妻を殺害後、自分も自殺しようと考えていたことを裏付ける証言として、今月9日に静岡地裁で行われた被告の父親の証人尋問の記録なども証拠として提出した。

 同日の最終弁論で弁護側は「一審の動機認定は誤りがある。原判決は明らかに被告の行動を説明できていない。破棄し、地裁に差し戻して精神鑑定を実施するべきだ」などと主張して結審した。

 判決で安広裁判長は争点となった責任能力について、判決は「被告が入通院していた精神科医の意見をみても、うつ病が影響を与えたとはいえない」「合理的に犯行を遂行し、罪証隠滅工作を行っている」「被告の記憶の状況が取り調べ段階からこれまで終始一貫している」などとして、完全責任能力を認めた。

 妻殺害事件の動機を「不倫相手との関係維持のため」と認定した一審・静岡地裁判決について、弁護側は「離婚届を書いて絶望的になり、2人で死んだ方が楽と考えた」と否定していたが、安広裁判長は「不倫相手を中傷したことに立腹した」とした男性殺害事件の動機も含め、「いずれも了解可能」と判断した。その上で、「不倫相手に対する思慕の情を汚す相手に対し、制裁を加えるという両事件共通の基盤がある」との見方を示した。

 被告に前科前歴がなく、まじめに仕事をしていたことなどを酌むべき事情としたが、遺族の処罰感情や自己中心的で身勝手な動機などを挙げ、「死刑は極めて慎重に適用すべきことを考慮しても、被告を死刑に処した一審判決の量刑はやむを得ない」と結論づけた。


 2011年3月4日の最高裁弁論で、弁護側は「被告は当時うつ病で、責任能力に影響した。鑑定をせずに死刑としたのは違法だ」と主張。検察側は「専門家の意見も十分に尊重し、責任能力について判断した」と述べ、上告棄却を求めた。

 古田裁判長は責任能力について認めた一・二審判決について「完全責任能力を認めた判断は妥当だ」と指摘。そして「いずれの犯行も自身の不貞行為に起因しており、動機に酌むべき点はない。執拗で冷酷、残虐な犯行で、落ち度のない2人の生命を奪った結果は重大。不合理な弁解を述べるなど反省もうかがえず、死刑はやむを得ない」とした。

出典:ookurao"

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その後


大倉修被告とその弁護士は、警察が報道機関へ配布した資料の交付を拒否されたのは違法などとして、県に500万円の損害賠償を求める訴訟を2006年10月3日、静岡地裁に起こした。 

 確定後大倉死刑囚は、元交際相手の女性が2005-06年に行われた警察と検察の取り調べや島田簡裁での証人尋問の際、同死刑囚との交際や精神状態などについて食い違う内容を供述し、公判の適正運用を害した―と主張し、精神的苦痛を受けたとして500万円の損害賠償を求めた。静岡地裁(大久保俊策裁判官)で開かれた2012年9月5日の第1回口頭弁論で女性は、「うそを言ったわけでなく、記憶をたどって話したにすぎない」と反論。これを受けて大久保裁判官は直ちに弁論終結を宣告し、訴訟は結審した。

 10月31日、静岡地裁(大久保俊策裁判官)は訴えを却下する判決を言い渡した。判決理由で大久保裁判官は「判決などの根拠となった証人への責任追及を無制限に認めると、刑事司法の安定性を阻害し、証人に過度の負担を課す」と指摘、「虚偽の証言が明白な事実がある場合のみ、民事責任を問える」とした。

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遺族の“傷”癒えず


最初の事件から2年と5カ月。突然絶望に突き落とされた遺族は、今なお癒えない心の傷を抱えて生きている。

 「2人の子供がいるから自分も生きている。でも、いくら何を言っても主人は帰ってこない」。蒔田さんの妻・晃子さんは声を震わせ、吐き出すように言った。

 昨秋の公判では、検察官は「私たちがどんなにつらいか分かるか。たった一人の夫で父親なんだ」と晃子さんの憤りを読み上げた。夫の突然の失跡後、晃子さんは毎日蒔田さんの携帯電話にメールを送り続けたという。「ただもう死刑にして」。晃子さんは後の言葉が続かなかった。

 また殺害された妻の姉は公判で法廷に立ち、「悲しみは事件当初より深まっています。償いは必要ないのです。死んでくれればいい」と肩をふるわせて極刑を望んだ。大倉被告は妻の失跡後、自分から妻の両親に相談に来た。家出と思って家族総出で殺害現場のアパートなどを捜して回った。大倉被告は家族の前で涙を流し、妻の携帯電話に電話をかけるなど捜しているふりを続けていたという。

 死刑が求刑された昨年12月の公判。最後に大倉被告が傍聴席に土下座すると、姉は足早に席を立った。

出典:静岡県焼津市茶畑殺人事件、同僚蒔田晃さんと自分の妻を殺害...

	

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