新実智光の生い立ち【元オウム真理教幹部】

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新実智光

新実 智光(にいみ ともみつ、1964年3月9日 - )は元オウム真理教幹部。ホーリーネームはミラレパ。教団内でのステージは正大師で、教団が省庁制を採用した後は自治省大臣だった。1986年のオウム真理教の最初に開かれたセミナーから出席し、宮前一明や大内利裕と並ぶ古株。坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件の実行犯。地下鉄サリン事件では運転手役。2010年2月に死刑が確定。


出典:新実智光 - Wikipedia

	
高校時代

学生時代は、その風貌から「空海」というあだ名をつけられたこともあった。友人にも恵まれ学生生活も楽しむが、高校生時代に地元の駅で目撃した2度の自殺事故に衝撃を受けてから「死とは何か」を考え、精神世界に興味をもつようになり、多くの宗教団体に入信する。麻原の言う「苦を感じなければ修行の道に入らない」との鉄則を高校時代から感じていた。これは生まれつき口唇に傷があったため、その傷を「苦」と感じていたためである。

高校時代に、その団体に入れば傷や病気が治ると信じ、ある宗教団体に入信するが、教義は「入信しない者の魂は、神の意思によって滅ぼされる」というものであった。新実は、そこには何ら神の愛はない、単なる神のエゴイズムに過ぎぬと感じ脱会する。これは新実にとって、最初の宗教への挫折となる。

その後は、読書に打ち込んだり、仙道的なことや瞑想を行うが次第に宗教から遠ざかり、空手など肉体的鍛錬に興味が移る。


大学時代

友人の勧めで大学時代の終わりに、再び別の宗教団体に入信するものの、同様に「よいことをしない魂は滅びる」との教義に「存在というものは、この神々の将棋の駒に過ぎないのか、いつでもその神々の意思によってなくなるのだろうか」との思いをいだく。しかし、新実は「私は決してそうではない、私たちには本当の力があるはずだ、神と同じレベルの魂が内在するはずだ」と感じるに至る。このため、神が持つとされる霊力を自分自身も持ちたいと考えるようになる。

このときにオカルト雑誌『ムー』や『トワイライトゾーン』などで麻原彰晃の空中浮揚の記事が目にとまり、ヒヒイロカネのプレゼントに応募したことがきっかけで、大学卒業間近の1986年正月、オウムの前身「オウム神仙の会」のセミナーに参加し、そのまま入会する。卒業後は地元の食品会社へ就職し営業担当となるが、二度も自動車事故を起こしたことから、「魔境へ入り込んだ」と信じ込み、会社を半年で退職し出家。


オウム入信後

麻原に惹かれたのは、他の宗教の多くが「神の啓示を受けた」とするものが多いのに比し、麻原は自分自身で修行をし苦難を乗り越えた「どこにでもいるような人」であったからだという。最初のセミナーで、新実はその雰囲気が自分自身が求めていたものと直感する。そこでバイブレーションに浸りながら修行することで身体の浄化作用を実体験し、宿便が出たり、体調の回復を実感する。この神秘体験によって、深く麻原に帰依するに至る。当初は半信半疑であったもののその考えは180度転換する。

シャクティーパットにより、アストラル体の浮遊を感得し、体が痺れ多大な至福感を覚える。このときに「麻原に一生付いていくほかない」と確信する。このときの体感を「生死を越える」に詳しく書いている。麻原に礼を言い、道場へ行くと、突然肉体のクンダリニーが昇り、シャクティー・チャクラーが起こる。ムーラ・バンダ、ウディヤーナ・バンダが起こり、その後背中の方が盛り上がり、首のところでジャーランダラ・バンダが起こり、頭の方へすっと抜けた感じがした。これが精神集中やマントラを唱えるだけで自分自身で抑えられないほどに、すぐに起こるようになる。新実自身によれば「この霊的な変化が本当に自分の内面で起こったことをきっかけとして、やっと信に目覚めさせてもらった」らしい。

新実は前世に並々ならぬ興味を持っており、他の信者とも前世を話題にすることが多かった。麻原の4女の松本聡香(ペンネーム)を追い回しては「さとちゃんはどこから来たの」と聞いていたが、聡香が1度だけチベット密教のカギュ派の僧侶の名前を思いつきで答えたところ、逮捕されたあとに面会に来た信者に伝え広めた。

出典:新実智光 - Wikipedia

	

関連した事件


男性信者殺害事件、坂本弁護士一家殺人事件、元信者殺人事件、松本サリン事件、元信者リンチ殺人事件、VX殺人事件、地下鉄サリン事件他

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男性信者殺害事件

出典:niimi"

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修行中の男性信者が1988年9月、死亡した際、教団が宗教法人の認可を得るうえで障害になると考えた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)はひそかに焼却を指示した。1989年2月上旬、この信者死亡事件を目撃していたTさん(当時21)の脱会意向を知った麻原は、「事件のことを知っているからこのまま抜けたんじゃ困る。考えが変わらないならポアしかないな。私は血を見るのが嫌だから、ロープで一気に絞めて、その後は護摩壇で燃やせ」と、早川らに殺害を指示。幹部四人が教団施設内でTさんを殺害し、死体を焼却した。
坂本弁護士一家殺人事件

出典:坂本堤弁護士一家殺害事件 - Wikipedia

坂本堤弁護士一家殺害事件(さかもとつつみべんごしいっかさつがいじけん)は、1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士、坂本堤(当時33歳)と家族の3人を殺害した事件である。遺体が容疑者によって隠匿されたため、1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。

現場にオウム真理教のバッジが落ちていたが、神奈川県警察は「事件性なし」として、捜査を行わなかった。犯行が明るみに出たのは、1995年(平成7年)9月、実行犯の一人、宮前一明が自供したことによる。


「横浜法律事務所」に所属していた坂本堤弁護士は、江川紹子からの紹介で、出家信者の母親から息子のオウム真理教脱会について相談されたことがきっかけとなり、1989年(平成元年)5月からオウム真理教の反社会性を批判・追及していた。同年10月下旬にオウム真理教幹部との話し合いが決裂し、坂本はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しなどの民事訴訟の準備に入った。

そのため、オウム真理教代表者麻原彰晃(松本智津夫)は「坂本弁護士の活動は、真理党からの出馬を予定している翌年(1990年)の総選挙や、今後の教団の発展の障害となる」と考え、信徒に彼の殺害を命じたとされる。


熊本県在住の在家信徒の弁護士から坂本の住所を聞きだすと、11月3日、オウム真理教幹部である村井秀夫・早川紀代秀・宮前一明・新実智光・端本悟・中川智正が、坂本が通勤で利用する横浜市の洋光台駅付近で坂本を待ち伏せし、自動車に連れ込み塩化カリウムを注射して殺害し、遺体をそのまま運び去ろうと計画していたが、この日は祝日であったため坂本は現れなかった。

このため、麻原の指示により坂本の自宅に向かい、翌11月4日未明に自宅に侵入。端本が坂本堤に馬乗りになり、宮前が絞殺、新実が坂本の妻(当時29歳)を絞殺、中川が坂本の長男(当時1歳)の口をふさいで殺害した。


坂本一家が失踪した直後の1989年(平成元年)11月21日には弁護士有志の団体として「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」が結成され、1995年(平成7年)9月に遺体が発見されるまでの間、坂本一家を救うべく、日本全国規模でチラシ等の配布やキャラバン活動が展開された。

坂本の遺体は新潟県名立町(現・上越市)の山中に、妻は富山県魚津市別又の林道別又僧ヶ岳線脇に、長男は長野県大町市日向山の山中に埋められた。

元信者殺人事件


出典:nakagawat"

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1994年7月10日 元信者のTさんをリンチの末、首をロープで絞めて殺害。遺体を教団施設内にて焼却した。
松本サリン事件

出典:松本サリン事件 - Wikipedia

松本サリン事件(まつもとサリンじけん)とは、1994年(平成6年)6月27日に、日本の長野県松本市で、猛毒のサリンが散布され、死者8人・重軽傷者660人を出した事件。戦争状態にない国で、一般市民に対して初めて化学兵器が使用されたテロ事件であり、ずさん極まる捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いの果て、無実の人間を犯人にでっち上げた冤罪[1]・報道被害事件でもある。なお、警察庁における事件の正式名称は「松本市内における毒物使用多数殺人事件」である。

1994年6月27日の夕方から翌日6月28日の早朝にかけて、長野県松本市北深志の住宅街に、化学兵器として使用される神経ガスのサリンが散布され、7人が死亡、660人が負傷した(なお、刑事事件の裁判では迅速化のため、訴因変更によって重傷者は4名のみに絞られている。事件から14年後の2008年8月5日、本事件による負傷の加療中であった第一通報者の妻が死亡した[4]ためこの事件による死者は8人となった)。

VX殺人事件

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麻原彰晃(本名松本智津夫)被告は、教団信者の知人だった大阪市の会社員(当時28)を「警察のスパイ」と決めつけ、新実、中川らに「ポアしろ。サリンより強力なアレを使え」などと、VXガスによる殺害を指示。新実らは1994年12月12日、出勤途中の会社員にVXガスを吹き掛け、殺害した。他別の会社員2名にも吹きかけ、殺害しようとしたが失敗した。
地下鉄サリン事件

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目黒公証役場事務長(当時68)拉致事件などでオウム真理教への強制捜査が迫っていることに危機感を抱いた教祖麻原彰晃(本名松本智津夫 当時40)は、首都中心部を大混乱に陥れて警察の目先を変えさせるとともに、警察組織に打撃を与える目的で、事件の二日前にサリン散布を村井秀夫(当時36)に発案。遠藤誠一(当時34)、土谷正実(当時30)、中川智正(当時32)らが生成したサリンを使用し、村井が選んだ林泰男(当時37)、広瀬健一(当時30)、横山真人(当時31)、豊田亨(当時27)と麻原被告が指名した林郁夫(当時48)の5人の実行メンバーに、連絡調整役の井上嘉浩(当時25)、運転手の新実智光(当時31)、杉本繁郎(当時35)、北村浩一(当時27)、外崎清隆(当時31)、高橋克也(当時37)を加えた総勢11人でチームを編成。1995年3月20日午前8時頃、東京の営団地下鉄日比谷線築地駅に到着した電車など計5台の電車でサリンを散布し、死者12人、重軽傷者5500人の被害者を出した。
他5事件に関与。新実被告が関与した事件では計26人が死亡しており、松本被告による事件の計27人に次ぐ。

裁判焦点

新実智光

			
弁護側は、各事件の事実関係をほぼ認めたうえで、坂本弁護士一家殺害事件以降の事件については「松本被告を首謀者とする内乱罪に相当し、指示を受けただけの新実被告を死刑にすべきでない」と主張した。事件について新実被告は法廷で「ポア(殺人)は慈悲の心による救済」「宗教的確信に基づいた殺人」と自説を展開した。判決は「松本被告の空想的企てや願望の範ちゅうを超えない」などと述べ、死刑を首謀者に限定した内乱罪の成立を否定した。

 また、弁護側は、地下鉄サリン事件について「実行役を車で送迎したに過ぎず、殺人・殺人未遂のほう助にとどまる」と主張したが、松本被告や実行役らとの共謀を認め、これを退けた。


 控訴審でも弁護側は弁論で、一連の事件は教団元代表松本智津夫(麻原彰晃)被告による国権奪取を目的とした内乱罪に当たると主張。新実被告は、松本被告の指示に従わざるを得なかったとし、死刑とした一審判決の破棄を求めた。

 判決で原田裁判長は「犯罪史上まれにみる悪質な犯行と言わざるを得ない。被告としては宗教的な確信という動機に基づいた犯行だとしても、死刑を回避すべき事由とは到底なり得ない」「オウム真理教への信仰を正しいものとして保持し続けており、自己の責任を直視する者の態度とは評価しがたく、死刑以外を選択する余地はない」とし、弁護側の量刑不当の主張を退けた。


 2009年11月24日の最高裁弁論で弁護側は、「教祖の指示に従い、犯行を行うしか選択肢がなかった。己の欲望に従って犯罪に手を染めたのではない」と主張。「十分に矯正可能性がある。死刑を科すことは酷。死刑になることを当然として受け入れており、刑罰として死刑を科すことに意味はない」などと訴えた。検察側は「極悪非道な反社会的犯行」として上告棄却を求めた。

 判決で近藤崇晴裁判長は「古参幹部という立場で、松本智津夫死刑囚から指示を受け、大部分の犯行において積極的な実行者として重要な役割を果たした」と指摘。弁護士一家殺害や両サリン事件について「残虐で非人道的な犯行態様と結果の重大性はほかに比べるべき例がない」と指摘。公判での言動については「被害者や遺族への謝罪の言葉は口にするが、独自の宗教観で自己の行為が正当であると述べ、非を真に認めようとしていない」と述べた。そして厳しい被害感情にも触れ「刑事責任は極めて重大だ。各犯行は松本死刑囚の指示に従って行われたものだが、死刑はやむを得ない」と結論づけた。

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その他

2013年12月4日、大阪府警警備部は強要未遂の疑いで、新実智光死刑囚の妻で、アレフ元信者の由紀容疑者を逮捕した。由紀容疑者は勧誘の際、「修行をさせるよう夫から指示を受けた」と説明していた。逮捕容疑は2013年夏ごろ、西日本に住む知人の30代男性に「自分の夫が新実死刑囚。大量殺人事件に関わっていた」などと脅し、アレフへの入信を迫ったとしている。「納得できない」と容疑を否認している。由紀容疑者は新実死刑囚と2012年8月に結婚。自宅からはオウム真理教に関する本、額に入った麻原死刑囚の写真など深いつながりが見つかった。

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死刑

2018年7月6日、大阪拘置所内で死刑が執行された。54歳没。 遺骨はガンジス川上流のウッタルカシ村で流してほしいと妻に残した。

出典:新実智光 - Wikipedia

	

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Sharetube