カルマを超える
解脱には大きく2つの方法があると仏教では教えられています。ひとつは、地獄に堕ちる原因となる殺生を行わない、六道へと転生する原因である、欲や怒り、ねたみ、煩悩といった業を失くすように修行する事です。
修行とは出家し、苦行を積む必要があります。次に、煩悩より深い所にある、生きる事の迷いを取り除く方法です。煩悩ではない、生きるうえでの迷いを探るうえで大切には、「無明」を理解する事です。
無明は真理に気づいていない状態
ブッダが解脱した時、この世の中には、変える事が出来ない真理がある事に気付きました。この真理に気付いていない状態が「無明」の状況です。
この真理に気付いていない為に、私達は苦しい思いをしたり人生を悔やんだりするのです。
この世の真理として、
諸行無常
諸法無我
という2つ挙げられます。
諸行無常は『平家物語』の冒頭に用いられている事でも知られている、「この世の中の物は全て移り変わって行く」という事です。
一方、諸法無我とは「この世の中の物は全て実体がない」という事です。
この2つを理解していないからこそ、物や人への執着といった煩悩が生まれてしまうというのが仏教の教えです。裏を返せばこの2つを理解する事で、心が迷いから解き放たれて輪廻の外に行けるという事です。
このように、全ての物は変わっていき実体がないという考えは、般若心経にも「色即是空」として表されています。
「色即是空」とは、「色」つまり宇宙に存在する全ての物や事象は、「空」つまり実体がないという意味です。
解脱した人のみ浄土へと行ける
煩悩を消し去る修行やこの世の真理に気づき解脱した時、人は輪廻転生の外へと飛び出します。解脱した人が死ぬと、次は浄土(極楽)に生まれます。浄土とは極楽であり、ここに生まれれば、再び輪廻転生のサイクルに入る事はありません。
浄土は、差別も争いも、競争もない世界と言われています。浄土には阿彌陀仏による説法も聞けますし、どこからか心地よい音楽が流れてきたり、食事の準備をしなくとも、自然と様々なご馳走「百味の飲食」が用意されます。
さらに、六道における天道の場合、人こそ長けれど、寿命があるのに対して、浄土に生まれると寿命がなく、永遠に仏の教えを聞きながら幸せに暮らせると言われています。