<嫌な現実でも共有しよう・・・> 「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染

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四国電力伊方原発と東電福島第二原発の建設許可取り消しを求めた2つの裁判で、原発の安全性にお墨つきを与える判決を下した最高裁判事が、米国GE社と提携する原発メーカー「東芝」の役員に天下っていたことがわかった。判決があったのはチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年のことで、脱原発の声を封じて原発ラッシュの流れをつくる一大転機となった。裁判官と原発産業の生臭い関係に、原発の危険を訴えてきた地元住民は絶句する。「司法よ、お前もか――」 

出典:「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染:MyNewsJapan

	

東芝天下りの最高裁判事味村治氏は元検事

原発メーカー「東芝」監査役に天下っていたのは元最高裁判事味村治氏(みむら=おさむ・故人)だ。経歴は次のとおりである。

 1924(大正13)年中国東北部生まれ。東京帝国大法学部を卒業して司法試験に合格。戦後1期目の司法修習を終えて検事となり、東京高検検事長・内閣法制局長官をへて1990年、最高裁判事となる。ときの総理大臣は海部俊樹だった。94年、70歳で最高裁判事を定年退官した後は弁護士となる。「勲一等旭日大授章」という最高位の勲章を受け取り、98年、東芝の社外監査役に就いた。監査役は約2年間で、その後2003年7月に死去した。


 味村氏が天下った「東芝」(本社・東京都港区、佐々木則夫社長)は、日立製作所、三菱重工、三菱電機などと並ぶ国内有数の原発メーカーだ。沸騰水型軽水炉(BWR)の開発元・米国ゼネラル=エレクトリック社(GE)とも縁が深い。


東芝は沸騰水型原発を開発したアメリカのゼネラル=エレクトリック社(GE)と明治時代から協力関係にあった。上はGE創業者のエジソン。

 東芝の社史や広報資料によれば、東芝がまだ「芝浦製作所」と「東京電気」にわかれていた明治時代から、資本や技術面でGE社とは協力関係にあった。日米開戦で両者の関係はいったん切れるが、戦後再び手を結ぶ。朝鮮戦争や自衛隊創設に伴って戦闘機のレーダーなどを作るようになり、高度成長の波にも乗って東芝は会社を大きくしていく。


 原発事業への本格的な参入は1960年代以降。GEとともに東電をはじめ多数の原発建設にかかわりはじめる。今回事故を起こした東電福島第一原発の工事も行った。最近では2006年に加圧水型軽水炉(PWR)を開発した米国ウエスチングハウス社(WH)を子会社化し、国内だけでなく海外の原発プラント受注にも積極的に取り組んでいる。


 国内原発産業のトップランナー・東芝。そこに天下った最高裁判事・味村治氏。彼が下した「原発裁判」の判決とは、どんなものだったのだろうか。

出典:「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染:MyNewsJapan

	

最高裁判事の天下り禁止。JR東海が認知症患者の家族に賠償を求めた裁判の判決、温情判決との意見があるが温情ではなく当然の判決。温情に見えるのは過去の判決が歪められた不当な判決が多かったから。東芝に天下りした裁判官が原子力村に有利な判決を下したように天下りが判決を歪める

	

日本の裁判所に良心も正義感もない。「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染

	

【司法にも広がる原発マネー汚染】
■「原発は安全」と判決を書いた最高裁判事が原発企業の東芝に天下りしていました!
■これじゃ裁判しても、最終的には、勝てっこないですね
詳細→ 

	

【味村治・故人】90年最高裁判事→92年伊方原発(四電)、福島第二(東電)設置許可処分取り消し訴訟で住民敗訴判決→98年退官、東芝社外監査役に天下り…
◆原発産業と最高裁の不適切な関係――元判事が東芝に天下り

	

稼働賛成判事の天下りを受け入れた東芝の不正経理問題の原因はそもそも原発利権。-高浜原発再稼動容認の裏に裁判所と原子力ムラの癒着! 原発推進判決出した裁判官が原発産業に天下りの実態

	







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Sharetube