マスコミは報道しないが400年以上も前、フランシスコザビエルが来日して以来、多くの日本人が南米やインドなど世界各地に奴隷として売り飛ばされていた

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ブラジルサンパウロ州サンパウロ市で発行されている、日系人や駐在員向けの日本語の新聞で「ニッケイ新聞」という新聞がある。フランシスコザビエルが日本でキリスト教の布教をしていた時期から1600年頃までの約50年間に大量の日本人が南米に渡っている記録がいくつか残されている。それは日本人が奴隷として売られていったということである。

このニッケイ新聞の記事を読むと、「アルゼンチン日本人移民史」(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)という本の中に、アルゼンチンの古都コルドバ市の歴史古文書館で日本人奴隷を売買した公正証書が発見されたことが書かれているそうだ。

「1596年7月6日、日本人青年が奴隷として、奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。

 その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されていない。」

と、書かれている。


この青年は裁判で勝訴し二年後に自由の身分となるのだが、ほかにも1965年に大学生の研究グループが、同古文書館から奴隷売買証書を発見し、コルドバ大学から「1588年から1610年代迄のコルドバにおける奴隷売買の状態」(カルロス・アサドゥリアン著)という書物にまとめられて出版されているそうだ。


ブラジルについては奴隷に関する一切の公文書が1890年に焼却されたので検証できないが、ペルーにも1614年に行われたリマ市人口調査に20人の日本人がいたことが確認できるそうだ。

出典:日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(1)=亜国に残る裁判書類=1596年に売られた日本人 – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB

	
日本人奴隷に関し、…(中隅哲郎さんは)…『ブラジル学入門』の中で、「日本側の記録がないのでわからぬが、ポルトガルにはいろいろな記録が断片的に残されている」(百六十四頁)とし、外交官でラテン・アメリカ協会理事長だった井沢実さんの『大航海夜話』(岩波書店、七七年)から次の引用を紹介している。


 「インドのノーバ・ゴア発行の『東洋ポルトガル古記録』の中に日本人奴隷関係で、まだ訳されていない重要文書が含まれている。ゴアにはポルトガル人の数より日本人奴隷の数の方がより多いなどということはショッキングである」


 中隅さんは書き進め、「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、ポルトガル本国にも相当数入っている」(前同)と記す。


『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(池本幸三/布留川正博/下山晃共著、人文書院、1995年、p158~160)には、次のような記述もある。


「1582年(天正10年)ローマに派遣された有名な少年使節団の四人も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚愕している。『我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった』『全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか』といったやりとりが、使節団の会話録に残されている」

出典:日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(2)=「小家畜か駄獣のように」=手足に鎖、舟底につながれ – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB

	

後に<からゆきさん>と呼ばれた人たち

日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(2)=「小家畜か駄獣のように」=手足に鎖、舟底につながれ

	

フランシスコ・ハポンってこれか→日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(1)「勝訴し、無事、自由の身…この日本青年は心身共に強健で才能に富んだ傑人と思われ、それなりに他の奴隷に較べて三、四倍の高値で買い取られている」

	

日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(4)=中国、韓国人奴隷も?=イエズス会と東方貿易

	

日本人奴隷の謎を追って
400年前に南米上陸か?! 亜国に残る裁判書類
1596年に売られた日本人
アルゼンチン歴史古文書館⇒日本人奴隷を売買した公正証書

	
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ちなみに明治に入ってからの<からゆきさん>は実に大挙してアジア方面に売られた

アジアの売春宿には日本人が実に多かったと記録に残る

それが大正、そして昭和に入り、日本の経済事情が多少なりとも向上してくると

今度は一転して国際的にみっともないという理由で一気にアジアおよび中近東の

売春宿から日本人<からゆきさん>が消えた

スズメの涙ほどの給金を握らされ、帰国したいか? 現地に残りたいか??と

聞かれた彼女たちは、ほぼ全員が無言でジャングルに消えたという

最近、歴史のレの字も知らない馬鹿者陰謀論者気取りが

ザビエル来日の時期と日本人少女の大量海外売却と戦国大名のキリシタン改宗などの

時期が一致するというだけから逞しい妄想巡らせ戦国大名は騙された!と結論付ける

馬鹿さ加減には呆れる

ちなみに日本初の都市国家として発展を始めた戦国時代の堺という町は

千利休も一員だった納谷衆という役員たちの合議制で運営されていた

この事実だけで歴史教科書には民主的な自治統治が芽生えていたと書かれるが

この納谷衆こそが<からゆきさん>の総本山であった

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Sharetube