地震予知には意味がない? 人工地震なら予知できないか、、
これまでの大地震をことごとく予知できなかった「地震予知」。地震は予知できないと断言する学者の意見に耳を傾ける必要があります。
予知できない地震予知に100億円以上の予算
「地震予知はムダ。いますぐやめたほうがいい」東大地球物理学者の警告
伊藤博敏「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48492 「地震予知はムダ。いますぐやめたほうがいい」東大地球物理学者の警告 |
(同リンクより抜粋)
今回の熊本も「30年以内に震度6弱以上の揺れ」が起きる確率は8%で、地震発生確率は極めて低かったのですが、震度1以上の地震が一週間で750回以上も発生しているのです。
「地震村」というのが気になる。「(予算取りに予知を使うのことは)ずるいといわれるかもしれないが、意味がないわけじゃない」
この記事に出てくる「地震村」という言葉を見て、「原子力村」を思い出してしまうのは私だけでしょうか?(以下同記事から抜粋です)
「印象的だったのは、討論の初めに若手学者が放った次の一言だった。
「(予知できない地震があるのは)地震学者なら誰だってわかっている。そんな状態で『予知絡み』の予算を取るのはもうやめましょう」
この過激発言を長老格の学者が諌めた。
「(予算取りに予知を使うことは)ズルいといわれるかも知れないが、意味がないわけじゃない。防災の観測が予算化され、それが予知に役立つこともある。柔軟に考え、有効活用すればいいじゃないか」
このやりとりを見ますと、どうも地震村の背景にあるのがいわゆる予算取りではないかと言うことが透けてみえるのですが穿った見方でしょうか?
そもそも予知できないものを予知できるとしているのか
「予知できる」という“夢”と余分な研究が地道な基礎研究をおろそかにし、確率の低い地区の住民の油断を生むようなことがあるなら、「異端の学者」であるゲラー氏の提言に、もう一度耳を傾けるべきではないだろうか。(同リンク)
予知できないものを予知できるとして膨大な予算を組むよりも、地道な基礎研究をすべきだという点では賛成です。
人工地震であれば「予知」は無駄です
最後になりますが、地震が人工的に引き起こされてきたものだとしたら、予知も何もあったものではありません。予知は外れるに決まっています。そうなりますと、別の意味で、予知に年間100億円も予算をかけて研究する事は無駄かもしれません。