猫の感動する話 泣ける話 実話【動物】

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猫の感動する話と泣ける話をご紹介します。

もしかすると、中には創作があるかもしれませんが、ほぼ全ては実話だと思われます。


読むと、愛猫と過ごす時間が、一分一秒とても大切なことが再確認できるかもしれません。

待っていてくれた猫

画像はイメージです。
一週間ほど旅行に行って帰ってくると猫がいなかった。

親に聞くと、私が旅行に出た日にいなくなったそうだ。

心配していると次の日、帰ってきた。


でも、ぐったりしていて、病気だという事はすぐに分かった。

獣医に連れていくと保っているのが不思議だ、でももう保って1日くらいだと言われ、ショックで泣き崩れた。

そしたら猫が苦しいだろうに、私の手を舐めて小さく「ニャー」と鳴いた。

その日から、猫は1週間、生きた。

苦しそうでミルクもスポイドでしか飲めなくて、何もしてあげられない自分が悔しくて涙が出た。

なのに、私が泣くと猫のほうが、手を舐めて私を慰めてくれた。

最後は、私の膝の上で、ちょっとだけ苦しそうに鳴いて逝った。

病気になっていた事、気付いてあげられなくてごめんね。

旅行に行って、一番苦しい時に私を捜してたのにいなくてごめんね。

無理矢理頑張らせて、1週間も長く苦しませてごめんね。


みんなに言われたよ。

「あんたに会いたかったから、帰ってくるの待ってたんだよ。

あんたと、少しでも長く一緒にいたかったんだよ」

って。

そうだね、きっとそうだったんだね。


苦しかったののに、私ばかり泣いてごめんね。

私のそばにいてくれてありがとうね。

今も、あなたが大好きです。

出典:

	

猫エサと缶コーヒー

画像はイメージです。
孤独な1人夜勤の俺。 

いつも夜中3時くらいに、猫エサ缶とコーヒーを買っていくおっちゃんがいる。


おっちゃんが、

「うちの猫はこれしか食べないんだよ。」

なんて言ってくれたりして、猫好きな俺はいつも癒されてた。

初めて会話してから半年くらいたったある日、レジに来たおっちゃんの買い物カゴの中に猫エサ缶が無かった。

俺はどうしたのかと思って何も言えず、コーヒーをスキャンした。

するとおっちゃんが笑顔でポケットから写真を取り出して言った。

「いつもありがと。これうちの。」

年老いた感じの痩せた猫だった。

死んでしまったらしい。

「もうエサは買わなくて済むわな」

なんて笑いながら言っていた。


俺は泣いたよ。

出典:

缶コーヒーを買っていく男性、人の良さがにじみ出ていますね。

大好きなゆめ

画像はイメージです。
「まだまだどうなるかわからないけど、ゆめも頑張ってるよ!」

私が高校生の冬でした。


家で飼ってる猫が赤ちゃんを産みました。


しかも電気毛布た私の布団で。


5匹いたのですが、次々と飼い主が決まり、とうとう1匹だけになりました。


その猫を「ゆめ」と言う名前にしました。


毎日一緒で、私が怖がりなのを知ってか知らずか、お風呂に入ればマットの上で私がお風呂を上がるのをじーっと待っていてくれるこでした


私が帰ると、玄関でちょこんと座って待っていてくれるんです。


悲しいことがあると、なぐさめてくれるかのようにずっと隣にいてくれました。

ゆめは私のたからものなんです。

私が20歳をすぎると、初めて彼氏ができました。


彼氏もゆめを可愛がってくれて。


すごく嬉しかったのを覚えています。

付き合って2年たち、同棲するようになりました。


ゆめの事が心配で、妹や母にようすを聞いていたのですが、

「毎日夕方になると玄関で待ってるよ。帰ってこないよって教えてもずーっとまってるよ。」

次の日家に帰るとゆめは待っていてくれました。


玄関でちょこんとお座りして。

同棲から1年、結婚しこどもができました。


11月30日予定日でした。


出産予定日1か月前、実家に帰りました。


こどもを産んだらゆめと一緒に遊びたいなぁなんて考えては1人にやけてました。

ところが、予定日10日前頃からゆめが元気がなくなりました。


いつもいっている病院に連れていったら

「この薬を飲んでいれば大丈夫です。」

といわれ飲ませていましたが、2日たっても3日たっても元気になるどころか、だんだん衰弱するのが

わかりました。


別の病院に連れていくとレントゲンをとりました。


先生がレントゲンを指して

「なぜか体の中に膿が大量にあります。」

といわれ即入院。


私が帰るとき、今までなかなかったゆめが

「なんでおいてくの?」

「私もいく」

と言うように精いっぱいなくのです。


これが私の聞いた最後の声になるとは思いませんでした。


帰り道不安で不安で、泣きながら車を運転しました。


その日の夜中、なんと陣痛が来てしまいました。


母に病院につれていってもらいましたが、なかなか出てきてくれませんでした。


ようやく夕方無事、女の子が産まれました。

入院中もゆめが心配で母にゆめの具合を聞いてました。


そしたら、26日の朝、夢をみたんです。


元気なゆめ。


一緒に遊んでるゆめ。


あとにも先にも、ゆめの夢はこれ1回きりでした。


あ!きっとゆめは大丈夫なんだ!と思い、その日お見舞いに来た母にいつもと同じに聞いたら少し返事を濁しました。

「まだまだどうなるかわからないけどゆめも頑張ってるよ!」

と。

そして退院しました。


何日か過ぎたある日、母が、

「言わなきゃいけないことがあるんだよ。」

と言いました。


実家に帰ると、ゆめが冷たくなっていました。


本当は寝てるんじゃないのって思うくらい寝てるようにしか見えません。


でも抱っこしても、固くて冷たいのです。

母に聞くと、26日の朝に病院から電話が来たそうです。


最後の最後、私はゆめを知らない場所で、一人ぼっちであっちにいかせてしまった。


後悔しか残りませんでした。


母にも辛い嘘をつかせ続けてしまいました。


これを書いている今でも涙が止まりません。


あの時どうすればゆめは今でも生きていてくれたのか。


その事が頭から離れません。

あれから2年。


娘は2歳になりました。


いま、私に似て猫がだいすきです。


ゆめへ

私はゆめにあえて

スゴくすごく幸せだったよ。

ゆめは幸せだったかな?

最近娘が、ねこいる!っていうんだよ。

偶然かもしれないけど、わたしはゆめだったらいいなって思うんだよ。


もし会えるなら、夢でもおばけでもいいから会いたいよ。


最後1人にぼっちにして


ごめんね。


いつも待たせてごめんね。


向こうでも待たせちゃうね。


ごめん。


私のところに来てくれて、本当にありがとう。

だいすきだよ。

出典:

	

茶トラ猫の幽霊

画像はイメージです。
5年前に飼っていた茶トラ猫。


姉が家出同然で出ていってしまって家の雰囲気が暗かったので、私は家ではできるだけ明るく振舞っていましたが、本当は、家族に仕事や恋愛の悩みを相談したりしたかったんです。


でも、そういう雰囲気じゃなかったので、夜眠るときや、誰もいないときに、その猫によく相談しながら泣いていました。


相談といっても、猫だから黙って私を見ているだけだったんですけどね。


その猫は、私のお布団の中が好きで、毎日夜になると、ニョロニョロと入ってきては、背中と腰の中間くらいのところにずっしりと寄りかかって眠っていました。

その子が病気でなくなって、裏庭に埋めるときに、手紙を書いて一緒に埋めました。

「いろいろお話を聞いてくれてありがとう。オバケでもいいから時々会いにきてね」

みたいな内容を書きました。


つい2、3日前のこと。

相変わらずの人間関係からのストレスで貧血状態になり、横になっっていました。


うとうとしていると、猫がニョロニョロとお布団の中に入ってくる気配。

今は別の猫を飼っているので、そいつだ思って気にしてなかったら、ちょうど背中と腰の中間の辺りに、寄りかかったのです。

ほんのりあたたかくて、ずしっと重い感じ。。。ん?この重みは…!!

「…心配して来てくれたの?!」ってお布団の中をのぞくと、すーっと重みが消えて、誰もいませんでした。

全然怖くなくて、むしろ死んじゃっても心配かけてる自分が情けなくて、しくしく泣いてしまいました。

泣きながら眠ってしまったら、夢にはご飯を食べてる茶トラ猫がでてきました。


目が覚めてから、お線香をあげて、猫のエサをお供えしました。

出典:

大事な猫が亡くなってしまったら、夢でも幽霊でも会いたい、そう思ってしまいますよね。

茶トラの猫ちゃん、幽霊になって会いに来てくれて、嬉しかったでしょうね。

避妊手術の後遺症

画像はイメージです。
私が小学生の時、野良猫が家になついて子猫を生んだ。メス一匹とオス三匹。

内、オス二匹は病気やら事故やらで死んだ。

生き残ったメスとオスはアンとトラって名前を付けた。

私たちはメチャクチャ可愛がった。


アンは女のくせにおてんばだった。

いつも一緒の布団で寝ていた。

ある日、親父がアンを勝手に避妊手術に出した。

帰ってきたアンは・・・、手術の失敗で障害猫になっていた。

歩くこともできず、食べることもできずにそれでも一生懸命生きようとしていた。

私はアンに生きていて欲しかったから、一生懸命世話した。

えさを細かく切って食べさせたり、親にはダメって言われてたけど、家の中に入れて温めた。

その甲斐あってか、アンは次の春には歩けるようになり、えさも自分で食べられるようになった。

それに安心しちゃって、私はアンの世話をあんまりしなくなっていた。

月日は流れて、また冬がやって来た。アンは、弱っていった。

そして・・・アンは死んだ。最後の日は不思議と元気があり、自分でえさをがつがつ食べたのだそうだ。

死因は、えさがのどに詰まったことによる窒息死。

私がアンの世話をサボらなかったら・・・。

ごめんアン、とても苦しかったでしょ??ごめんね。

あなたが苦しみから解放されたことだけが、唯一の私の救いです。

出典:

避妊手術で障害を負ってしまうこともあるのですね…

命はとても重いな、と感じてしまうお話です。

黒猫のクロ

画像はイメージです。
中学生の頃に猫を飼った。

家族みんなが(特に母が)黒猫が好きで、満場一致で知り合いから黒子猫を貰った。


名前はクロ。

何の捻りもないとか言うな。


最初は心許無い足取りで家をうろついてたクロも、数か月もしない内にドタドタと階段を走り回るようになって我が家は賑やかになった。

雀を捕まえようと家の壁に張り付いて降りられなくなったりするバカだったけど、落ち込んだりすると寄り添って寝てくれるいい奴。


俺も高校生になりクロもすっかり大人になったなって実感した頃に、お袋が検査入院した。

その日はお袋からこっぴどく叱られ、帰り辛いなとか思ってた日だった。

帰って来たお袋は笑ってた。

でも、クロはお袋の側を片時も離れない。

問い質したら、やっぱり病気だった。

癌だった。

お袋は入退院、転院を繰り返してた。

そしたらあっという間に癌は転移した。

クロも片時もお袋から離れようとしなかったっけか。


心のどっかで大丈夫だと思い込んでたら、今度はクロが癌になりやがった。

鼻筋に腫れ上がった傷が出来て餌食うのも歩くのも辛そうなのに、たまに自宅療養が許されたお袋が帰ってくると寄り添って離れない。

でさ、同じ日に仲良く末期告知とか有り得ないだろ。


しかもクロは動物病院から逃げ出すしホント勘弁してくれと。

それから二ヵ月が過ぎた。

クロにべったりだったお袋は急激に衰弱していった。

なのにも拘らず入院を嫌ってウチでギリギリまで療養するとか言ってるし。

足首だって俺の手首くらいになってた。

で、お袋の自宅療養が認められた最後の日。


「居る。」


ってお袋がイミフな一言。

何が?

玄関を指差したから行ってみたら、鼻筋に傷がある薄汚れた黒猫が一匹。

オイオイ、マジかよ。

動物病院から10kmは離れてるんだぞ、犬じゃあるまいし何で帰って来れたんだよ?

都合良過ぎじゃないか?

で、クロは俺をスルーしてお袋の元に。

ホントは動物とかダメなんだろうけどさ、引きはがせなかったよ。

だってお袋泣いて喜んでるし、俺も泣いてて力出なかったし。

結局、お袋は亡くなった。

大晦日のことだったから葬儀は年明け三が日以降ってことでそれまで遺体は自宅で安置、保冷剤で冷やして。


でさ、年明けの糞寒い中なのにクロの奴、離れないんだよ。

キンキンに冷えたお袋が寝かされた布団で一緒に寝てんの。

俺が


「もういいから!」


って泣きながら何度布団から引きはがしてもダメ、意地でも離れようとしないのな。

なんだよ、俺より息子らしいことしてんじゃねぇよ、ちくしょう。

葬儀も無事に終わって百ヶ日の法要でお袋の実家に行ったその日に、自宅に居た姉貴の膝の上でクロは逝った。

姉貴もお袋にべったりだったし亡くなったショックは誰より強かった。

だからクロは姉貴に寄り添ってたんだと思う。


帰って来たらまるで、自分の役目は終わったとか言わんばかり満足そうに寝てんのな。


「揺すったら起きるんじゃねぇの?」


と思って触ったら身体は冷えきってた。

なんだよ、どうすんだよ、この三か月分の餌。

少なくともお前が生きてけるって言われた分買って来たんだぞ。

たまには俺の布団に来いよ、寝相良くするからさ。

頼むから目ぇ覚ませよ。


でも、その満足そうに寝てる姿を見たら、もう俺は心配無いなって思ったんだろうね。

少し寂しかったけど、これ以上辛い思いさせちゃダメだよな。


末っ子だった俺の可愛い弟は今でも家の庭で寝てるよ。

今度はお前がゆっくりと寝てていいように、俺、頑張るからさ。


おやすみ、クロ。

出典:

	

駐車場の猫

画像はイメージです。
11年前の2月、何も無い湖の駐車場でガリガリの猫が寄ってきた。

俺たちの前によろよろと来るとペタンと腹をつけて座った。


「キタねー猫だなー。」


と思っただけで他に何とも思わなかった。

猫を飼っていた彼女がその猫を撫でながら言った。


「ここにいたら死んじゃうね。」


ヤングだった俺は頭にきた。


「何、病気なのか?死ぬと分かってて放っておくのは殺すのと一緒だろ!何言ってんだオメー。」


そのまま膝の上に乗っけて車を運転して帰った。

顔は目ヤニだらけ、鼻水で鼻はガビガビ、尻から出てきた回虫が俺のズボンの上を這っていた。

コホコホ咳をして、くしゃみで車のドアはベトベト、痰でゴロゴロいっていた。


「どうするの、その子?」

「治るまで俺が飼う。」

「じゃあ名前は?」

「うーん・・・痰が詰まってるから・・・痰助。」

「変な名前。」

「うるせー。」


風呂場で綺麗に洗って、シシャモとちくわを食わせた、びっくりする位食った。

獣医に連れって行って虫下しと風邪の薬を貰って帰った。


もともと飼い猫だったようで、トイレは最初からできた。

ペットが駄目なマンションだし、治って暖かくなったら逃がすつもりだったが、1週間で方針を変えた。

あっという間に倍くらいに太り、夕方になると玄関で俺の帰りを座って待つようになった。

当時は分からなかったが、そうとう歳をとった猫だった。

すごい食いしん坊だったが、歯が何本も抜けていて、毛も艶が無かった、一日中じっとしていた、走ることもめったになかった。

ちょうど1年後、痰助は死んだ。


板で小さな棺を作り、痰助に出会った湖の桜の木の下に埋めた。

 

今になれば分かる。

出会った日、あれは痰が詰まってたんじゃなく、嬉しかったんだと。


たんすけのおかげで、俺はすっかり猫バカになった。

今俺は10歳の小吉と6歳の良男と暮らしている。


今日も壁に掛かったコロコロのたんすけが行儀良く座って俺を見ている。


変な名前付けて悪かったな、たんすけ。

でも、今うちにいるやつらもみんな変な名前だから、勘弁しろよ。

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玄関の前で待っててくれると、愛おしくなってしまう気持ちとてもよく分かります。

護衛してくれる猫

画像はイメージです。
父が突然亡くなった。

うちの猫のみぃは、父の行く先行く先についてく猫だった。


「いつも俺の後をついてくるんだ。俺の護衛なんだ。」


と生前父は少し自慢げに言ってた。


父の亡骸が、病院から自宅に帰ってきた。

手を組み布団に寝ている父。


すると、みぃが私達の前を通り、父の布団の中に入った。

冷たくなった父の横に寄り添って寝ていた。

その光景を見てものすごく涙がでた。

猫にも分かるのかな。

お別れだってこと。


そして父が棺おけに入った夜。

家族だけの最後の夜。

みぃは棺おけの上に乗り、一生懸命父の顔の見える扉をガリガリと開けようとしていた。

砂を掘るように一生懸命あけようとしていた。

本当に一晩中みぃは必死だった。

その様子を見て私達は泣いた。


父がお骨になった日。

もう一生父の顔を見れなくなったあの日。

突然みぃはいなくなった。

みぃは父についていったのだろう。


「いつも俺の後をついてくるんだぞ。俺の護衛なんだ。」


そういっていた父の言葉を思いだした。

本当にそうだった。

本当は私達もついていきたいくらいだった。

その変わりみぃがついていってくれたんだ。


父の49日、ふらっと野良猫が庭に迷い込んできた。

いなくなったみぃは女の子だったけど、今度は男の子の猫だった。

ずっとうちの前で泣いていた。

その猫をどうしてもほっておけなかった。

今もうちにいる。


そういう繋がり。

大切にしていきたい。

みぃも父も、その姿なくとも、何か別の形でそばにいてくれると信じている。

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素敵な虐待

画像はイメージです。
汚い猫を見つけたので虐待することにした。

他人の目に触れるとまずいので家に連れ帰る事にする。

嫌がる猫を風呂場に連れ込みお湯攻め。

充分お湯をかけた後は薬品を体中に塗りたくりゴシゴシする。

薬品で体中が汚染された事を確認し、再びお湯攻め。

お湯攻めの後は布でゴシゴシと体をこする。

風呂場での攻めの後は、全身にくまなく熱風をかける。

その後に、乾燥した不味そうな魚を食わせる事にする。

そして俺はとてもじゃないが飲めない白い飲み物を買ってきて飲ませる。

もちろん、温めた後にわざと冷やしてぬるくなったものをだ。

その後は棒の先端に無数の針状の突起が付いた物体を左右に振り回して

猫の闘争本能を著しく刺激させ、体力を消耗させる。

ぐったりとした猫をダンボールの中にタオルをしいただけの質素な入れ物に放り込み 寝るまで監視した後に就寝。

汚い仔猫を見つけたので、虐待するため拾ってきてから3日が過ぎた。

その間、ずっと薬品を体中に塗りたくり、俺の嫌いな白い飲み物を、たっぷりと飲ませた。

だいぶ効いているようだ、手足を伸ばして俺に腹を見せて『ンニャ~~ン』と声を漏らすようになった。

覚悟しろよ!これからもこの攻撃は続けていくぜ。

乾燥した不味そうな塊が無くなったので、買いに行くことにする。

だが、コイツは逃げるタイミングを狙っていたのだろう、俺が部屋を出ようとするとダッシュをしてきた。

ドアのノブに手をかけると、足元に纏わり付いて離れない、更に頭を傾けて擦り付けてくる。

邪魔者にはお仕置きが必要だ、俺は首根っこをヒョイとつまみ、ベッドに置いて顎の下をくすぐり続けた。

「何をする!止めろ」とでも言ってるのか『ニャッ、ンニャ!』と鳴いてるが止めない。

それを10分程していると、グタッとして俺のベッドでダウンした、良い気味だ。

ダウン間際に最後の抵抗か?指を軽く噛みやがったが、俺様には全く効かないので好きにさせてやる。

帰ってきて早速、円筒状の入れ物から取り出したネチョネチョした物体を食わせる。

余程、腹ペコだったのだろう、凄い勢いで食べ始める。

馬鹿なチビ助゙だ「アゴが弱くなるぞ、高級品で軟らかいからな」

そろそろ寝ようと、電気を消してベッドに入るとあろう事か、先にもぐりこんでいやがった。

追い出してやろうとしたが、体が温かい事に気付く。

最近寒くなってきたところだ、今日からは一緒に寝ることにしよう。

たまに猫より少し大きいくらいの専用プラスティック箱に入れて車に乗せて振動攻撃

そして白服を着た女性2人に押さえつけられ、

白服の男に針を刺してもらう。このときの悲鳴にはさすがに耳を覆う。

白服に金を渡し、来月も来ると約束する

元気がなくなったのでここぞとばかり白服屋敷へ何度も行く

声もあまりでないようだ  ある日か細い声で、

一言「ニャー」と私につぶやいた。恨み言だろうか・・・

つぎの日静かに息を引き取った。

燃やしてもらい、呪文を唱える和尚にさらに攻撃してもらう。

今もなお。和尚の元に通う まだ私の攻撃は続いている・・・

出典:

世界中の動物虐待が、すべてこんな話なら、どれだけ素敵でしょう。

風邪が治らない

画像はイメージです。
ウチにはもう10年飼っていた猫がいたんだ。

ウチの前は昔大きな広場で、その猫はその広場の片隅にある車の中で寝ていた子猫だった。

俺と姉ちゃんでその猫を家の庭まで連れ帰ってきちゃって餌とかやってたんだよね。

でも父親は物凄い猫(というか動物全般)が嫌いだったから、庭で餌をやってる俺らをいつも怒鳴りつけてた。


ある日母親が家の中で飼うことを許してくれた。

なんで許してくれたんだろうなんてことは喜びに酔いしれてた俺らは気にもしなかったけど、母親も動物好きだったから隠れて餌をやってた、ということを後で聞いた。

俺と姉ちゃんで猫に「ミル」と名前をつけた。

シャム猫と何かの雑種なんだとおもう。

白にうすーい灰色の柄が入っていた。

猫に名前なんて父親には関係ないことで彼はやっぱり名前なんて呼ばなかった、というか家の中に存在するのが嫌だったんだから当然だったな。

近づいてきたら追い払う動作をしたり、自分から避けてた。

ある休日の朝、父の寝室から、彼の寝起きの低い声が聞こえてきた。


「こいつ、いつのまに寝てたんだ~・・・。」


俺と姉ちゃんは父の声を聞いて部屋にいった。

すると、ミルは父のお腹の上で寝てたんだ。

俺と姉ちゃんは大爆笑。


「お父さん動けないじゃん!ミルの復讐だろ(笑」


父は予想に反して追い払わずこういった。


「いったいいつまでねるんか・・・。あついったいね・・・。」


父の顔は相変わらず仏頂面で全然笑ってはいなかったけど、今にも笑みがこぼれそうなのを我慢してそうな顔だった。

その日から父のミルに対する態度は少しよくなった。

それに不思議なことに、ミルはいつも餌をあげたり遊んだりしてあげる俺や姉ちゃんよりも、無愛想で撫でたりもしない父親を慕ってたんだ。

昼寝は父の部屋の机のしたの座布団で、夜寝るときはだけは絶対に父親のベッドに寝むりにいってたんだ。

父の部屋は屋根裏部屋だから、急な階段を上がっていかないといけないのにわざわざのぼってたんだ。

母親も姉ちゃんも


「なんであんな臭いとこでわざわざ寝るとかねー。」


っていってた。

しかし父親はもうミルを追い払うことも無くなった。

敢えて避けることもなくなった。

しかしミルという名前だけは絶対に呼ぶことはなかった。

それから、何事もなく年月は過ぎたんだけど、ある時ミルは病気にかかった。

普通の猫の風邪だった。

獣医さんにも診てもらって、すぐ治る病気だといわれたんだ。

でもミルの風邪は五日間たっても治らない。

でも獣医さんは、風邪でしかないうに元気になった。

やっぱ風邪だったねー、と俺らは安心した。

ミルはそれ以来風邪も引かなかったし、他の病気も全然かからず元気に過ごしてたんだ。


その頃には俺は高校三年、姉ちゃんはもう働き始めていた。

しかし、そんだけ経っても相変わらず父はミルのことを名前で呼んだのをきいたことがなかった。

オイとかオマエとかそんな風によんでたっけな。

それに敢えて自分から撫でたりすることも、遊んだりすることも一回もなかった。

ある日、またミルが病気にかかった。

獣医さんに見せるとそれはまた単に風邪だといわれた。

それを聞いて家族はみんな安心した。

しかし、やはりなかなか治らない。

前病気にかかった時は、五日間で治ったのに今回はもう3週間が過ぎた。

普通は2~3日で治る病気なだけにさすがに俺らだっておかしいと思った。


獣医さんは、俺らにミルは詳しく検査したほうがいいかもしれないといった。

その頃からミルはいつも鼻水がいっぱいでるようになった。

父の部屋にいく階段を登るのも少し辛そうになってた。

ミルの検査をしてもらうことになって獣医さんのとこに連れて行った。

俺らは、ミルは風邪じゃない病気にかかっただけ、その病気みつければすぐ治るだろうねーみたいな楽観的な感覚だったんだ。

3日後に獣医さんにいった。

俺は学校だったから行けなかった。

母親と姉ちゃんは、ミルの病気を楽観的に考えていた自分らとはまったく逆の絶望的なことを聞いた。


「ミルは生まれつき白血球が少なく、そして白血球の減っていく病気です・・・。わかり易くいうと・・・猫の白血病みたいなものです・・・。いまは、白血球が物凄く少ない状態です。」


俺が帰ってきたのは学校が終わった6時くらいだったかな。

玄関を開けてただいまーっっていつものようにいったら、もう目が真っ赤の母親が椅子に座ってた。

俺は物凄く悪い予感がした。

俺は診断結果を聞く日だってことは知ってたし、それを早く聞きたくて学校の授業が手につかなかったぐらい気にしてたから、その母親の顔がすべてを物語っているのがわかった。

しかし俺は母親に聞いた。


「ミルどうだったの?」

「だめなんだって・・・。」

「え?意味わかんないし。」

「もう治らないんだって・・・。」

「うそでしょ?風邪じゃん!治らないはずないじゃん!」

「猫の・・・猫の白血病なんだって・・・生まれつきの・・・。」

「いや、ありえんし!まじで意味わからんて!!」


言ってる途中にもう泣いてたかな。

そういって俺は走って部屋にいった。

その日の夕食の時、俺らは無言でご飯をたべてた。

その時父親が帰ってきた。

父親はいつものように帰ってきて、そしていつものようにビールをだした。

しかしミルのことを気にしてるのは明らかだった。

しかし自分から言うのが恥ずかしいのか、診断結果を俺らに聞かない。

知ってか知らずか母親はいった。


「ミルね・・・生まれつきの白血病なんだって・・・。たぶん風邪は治らないだろうって・・・。」


父親は一瞬凄く驚いた顔を半分凄く悲しそうな顔をした。

だけど、すぐにいつもの父親の顔になって


「そうか・・・治らんはずだよな・・・。」


そういって、父親はビールをぐっと飲んでまたご飯を食べ始めた。

俺はそれだけしか言うことないのか、と思ったが、これ以上この父親にミルのことを言っても無駄だと思い何も言わなかった。

ミルが風邪を引いてから1ヶ月を過ぎたころ、ミルはもう動くのが辛そうで、ほとんど動くことはなくなった。

いつもヨダレがでっぱなしで見ていられなかった。

母親なんかは安楽死させてあげたいなんていってた。

でも俺は絶対に嫌だった。

ミルを撫でると嬉しそうにしっぽ振るじゃん、ノドをこしょぐるとゴロゴロいうじゃん。

ミルは餌だって自分で食べにくるし、トイレにだっていくじゃん・・・。

ミルは絶対に生きてたいはずじゃん・・・。


そんなミルがいつも休んでいる場所は父親の机の下の座布団だった。

姉ちゃんは仕事から帰ってきたら家族に挨拶よりも先にミルに会いに行った。

俺も学校から帰ったらまず何よりも先にミルを撫でにいった。

撫でてミルがしっぽを振ったのをみて初めて安心してた。

しかし、その時は突然やってきた。


休日の夜、偶々父親、母、姉ちゃん、俺がそろっていた夜だったんだ。

いつものように俺らはリビングでテレビをみていた。

すると、廊下の方で何かにぶつかるような音が聞こえてきたんだ。

俺らはみんな廊下に走った。

そこにはミルが廊下にあるトイレにいこうとしている姿があった。

ミルは動くのだってすごく辛いはずなのにトイレにいこうとしていた。

何回も転びながらそれでもいこうとしていた。

ついたミルはトイレをして、また父親の机の座布団の下に戻ろうと廊下をまた歩き出した。

何回も転びながら。

俺らは号泣した。

「もういいよ・・・。もういいって!」


母親は転びながら廊下を歩くミルを抱き上げようとした。

しかし、そうしようとしたその時、ミルが転んでも、もう起き上がらなくなった。

ミルの呼吸のペースがすごく速くなって、お尻からは血がでてきた。


その時はミルは本当に今まで聞いたことないような声で鳴き始めた。


「ウワォァーウワォァーウワォァー。」


っていう感じだった。

本当に泣いているような、もうさよならだっていってるかのような、本当にそんな感じだった。

その時だった。

父親がミルの胸を、人間で言う心臓マッサージのように圧迫だしたのだ。

やったこともないくせに、見よう見まねだっていうマッサージだった。

予想外とか、そんなこと考えてる場合じゃなかった。

父親はもう泣きながらいった


「ぐぅっ!しなん!!しなん!!ミル!しなんて!」


その声を聞いた時、俺は今までの人生の中で一番の声をだして嗚咽した。

父親は泣きながら心臓マッサージをつづけた。

それからすぐにミルの呼吸は完全に止まった。

俺も姉ちゃんも、母親もものすごい声で泣いてた。

そして父親も。

一番最後まで泣いてたのは父親だった。

そのあとミルの遺体はタオルでくるんでリビングに持っていった。

ミルの体をみんないっぱい撫でた。

そして家族全員でその夜ずっとリビングでミルと一緒にいた。

家族全員でミルのことをいっぱい話した。

そしてその時も父親はミルについて話そうとはしなかった。

俺らの話を聞いて泣いているばかりだった。


でも、俺は父親もいっぱいミルのことを好きだったことがわかって嬉しかった。


長文ごめんよ。

出典:

動物は、自分を好きな人のことがわかるんですよね。

だから、猫が一番なついてる人は、その猫に一番優しい人だと考えて良いのかもしれません。

続きページ。

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Sharetube