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家族の感動する話 泣ける話 実話②

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家族の感動する話 泣ける話 実話②

Author:
うぃぐうぃぐ
Posted date:
Update date:2017年06月02日
家族の感動する話 泣ける話 実話②

大学に行かせてくれた兄貴

丁度、今お通夜の最中です。兄貴が死にました。4つ年上の兄貴は40歳の若さで、この世を去りました。胃がんでした。
 
私の家は、母子家庭でした。だから、初めて野球を教えてくれたのは、親父でなく兄貴でした。新聞配達をして貯めたお金で、私が小学4年のときグローブを買ってくれました。SSKの安いトンボ目のグローブでした。
中学生のくせに、小学生相手に「剛速球」を投げ、取れないと怒鳴る奴でした。
 
「カーブ!」と一声。私に投げられたボールは、手前で私の視界から消えました。
私の中では、江夏、堀内を凌ぐピッチャーでした。近くの公園で日が暮れるまで、キャッチボールをしました。
 
「まこ、兄ちゃんが、お前の親父代わりだから、兄ちゃんがお前を大学に行かせてやる!」
少しばかり成績の良かった私に、高校を卒業した兄はそう言いました。貧しかった我が家の家計を考えてのことだったと思います。
 
おかげで私は大学を出させてもらいました。本当に感謝するべきことなのです。
しかし大学卒業後に家を出た私は、兄の恩を忘れていたのでしょうか。私は上場会社で課長になり、兄貴は自営業とはいえ、従業員は兄の妻を含め3名の零細企業です。いつのまにか、兄を見下していた気がします。
 
何様なんだよ、お前は・・・・・ただ自分を自分で罵ることしか出来ません。
 
「カーブ!」
にいちゃん、にいちゃん、もう1度でいいから、カーブを投げて欲しいです。
私は、あなたの弟に生まれて本当に良かった。

出典:

	

汚い服ばかり着ているお婆ちゃん

俺ん家は俺と母親、それとおはあちゃんの三人で暮らしてる。
親父は離婚していない。パチンコとかやって借金をつくる駄目な親父だった。
母子家庭ってやっぱ経済的に苦しくて、母さんは毎日働いてる。
おばあちゃんは汚い服ばっかり着てる。
 
俺は行きたい大学があるけど、金がかかるからそこだけ受けて駄目だったら就職しようと思ってた。
それで、俺大学落ちちゃったんだ。
「すぐに就職先を見つけなきゃいけないな」
って考えてたら、俺の部屋におばあちゃんがやってきた。
 
「〇〇、大学落ちちゃったんだってね」
と、おばあちゃん。
 
「うん、でもいいよ。俺、就職するからさ」
ってちょっぴり強がって俺は笑ってみせた。
 
そしたらおばあちゃん、いつから使ってるか分かんないような汚い手提げ袋から、札束を出してきたんだ。
「え…何このお金…」
って俺が絶句してたら、
 
「〇〇、行きたい大学があるんじゃろ?だったら行きんさい。お金のことなら心配せんでええ。まずこれで予備校行きんさい。年寄りは金持ちやで。それに、ちょうどばあちゃんな、何かに使おうて思ってたんじゃ」
 
と、そう言ってシワシワの手で札束を俺に握らせた、最後、俺の部屋から出るとき「頑張りんさい」って言って出てった。
それから俺、母さんにおばあちゃんのこと聞いたら、
「おばあちゃんね、あんたが産まれてからずっと年金コツコツ貯めてたみたいだよ。私も知らんかった」って。
マジ泣いたよ。
なんで金あんのに汚い服ばっか着てる意味とか、さっき俺の部屋で喋ったこととか思い出して、本当に泣いた。
もう、本当に頑張るから。今は肩を揉むことぐらいしかできんけど、絶対に大学に合格するから。
それと、俺は今日で2ちゃんねる卒業だわ。長い間、本当にお世話になりました。勉強がんばります ノシ

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一生を変えた、母からのビデオ

俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
 
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
 
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
 
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
 
そしたら・・・
 
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
 
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
 
10分くらいのビデオテープだった。
 
俺、泣いた、本気で泣いた。
 
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
 
みんなにバカにされるくらい勉強した。
 
俺が一浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
 
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
 
また、よく見てみたら。
 
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
 
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
 
俺また泣いちゃったよ。
 
父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
 
就職決まった時、
 
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
 
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
 
お父さん、お母さん、ありがとうございます。

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不器用な父親

俺の親父は仕事一筋、俺が小さい時に一緒にどっか行ったなんて思い出は全く無い。
何て言うのかな…俺にあんまり関わりたがらないような人って感じ。
俺は次男で、兄貴には結構厳しくて説教したり時には手出してたの見た事も有った。俺にはそんな事は全く無かったんだ。
だから余計に兄貴ばっかりで俺には興味が無い(言い方変かもしれんが)んじゃないか、ってよく思ってたんだ。

高校決める時も「お前がいいならそれでいい」の一言だけ。
遅く帰っても、テストの成績が悪くても全く口出さなくてさ、いつも俺に言うのはおかん。
まともに今日何が有った、とか話した事も殆ど無かった気がする。親父から話し掛けてくる事なんてまず無い。
だから俺も殆ど親父に関わらずに生きてきたんだ。
そんな親父が入院したのはちょうど高校2年の時。

動脈硬化?って言うんだっけか…血管がコレステロールで詰まってしまう病気。
その時もさ、確かに驚きはしたけど、そっか…って感じだった。
しばらく入院と通院が続いて、手術もして大分良くなった時が、ちょうど俺の大学受験と重なったんだ。

第一志望の大学の合格通知見た時、おかんはちょうど病院に居た。
連絡取りたくてもその時は今ほど携帯普及してなかったから、おかんから電話が来るか帰ってくるの待つしかなかった。
その時タイミング良く今から帰るから晩飯買って行くって電話来たんだ。
当然その時に報告したらおかんも大喜びしてくれた。

おかんと電話で話してから20分くらいしてからかな、家に電話かかって来た…親父からだった。
おかんから今さっきの電話で大体の様子は聞いてた。少なくても一人で電話して来れるほどにはまだ回復して無い事も。

「親父何やってんだよ、寝てなきゃ駄目じゃないのか?」
「馬鹿、俺なんかどうでもいいんだよ。それより、大学受かったんだって?」
「あぁ…」
「そっか、良かったな…おめでとう!」

その時さ、何かもう頭の中真っ白になっちゃってその先何話したか全然覚えてないんだ。
無理してまで俺におめでとうって言ってくれたのが嬉しくてさ…電話切った瞬間に、涙溢れて止まらなかった。

おかん帰ってきた時も俺泣いてて、俺言葉にならない様な声でおかんにその事言ったんだ。
そしたらさ、ゆっくり話し始めてくれた…親父の事。

親父小さい時に父親戦争で亡くしてて、親としてどう子供に接したらいいか分からないっておかんによく言ってた事。
兄貴に厳しくして俺に何も言わなかったのも、どうしたら上手く俺とコミュニケーション取れるか分からなかったからって事。
俺が小さい頃に一回怒って、俺が全く親父に寄り付かなくなった時が有って、それがずっと心に残ってた事。
俺が何が好きかよく分からなくて、休みの日にどこに連れて行こうか迷っている内に結局行けなくなってしまった事。
俺の事可愛くて仕方が無かったから、何も言えず、ただ心配しか出来ず、おかんに色々言うしか出来なかった事。

親父が俺を避けてたんじゃなくて、俺が親父を避けてたって事

馬鹿だよな俺。何も分からなくて、分かろうともしなくて・・・親父は凄く悩んでたってのにさ。
もしかしたらさ、俺のせいで病気になったんじゃないかって。
もう情けなくて申し訳無くて、泣きながらずっと親父に謝ってた。

それからすぐ親父は仕事を退職、毎日家に居る。相変わらず毎日の薬と、週何回かの通院のままだけどね。
親父、長生きしてくれな。俺も大学卒業出来て仕事に就いて、今まで出来なかった親孝行やっと出来る様になったんだからさ。
俺が仕事行く時にわざわざ玄関まで来なくたっていいよ。欲しい物有ったら何でも言ってくれよ。
体辛くなったらすぐ言ってくれよ。気なんか遣わなくていいんだからさ・・・

最後に、面と向かっては言えないからここで言わせてくれ。

こんな馬鹿息子で本当にごめん・・・ありがとう。

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母がデジカメで撮影していたもの

なんか機械音痴の母がデジカメを買った。
どうやら嬉しいらしく、はしゃぎながらいろいろと写してた。
何日かしてメモリがいっぱいで写せないらしく「どうすればいいの?」って聞いてきたが
「忙しいから説明書読め!」とつい怒鳴ってしまった。
さらに「つまらないものばかり写してるからだろ!」とも言ってしまった。
そしたら「・・・ごめんね」と一言。
 
そんな母が先日亡くなった。
遺品整理してたらデジカメが出てきて、何撮ってたのかなあと中身を見たら
俺の寝顔が写ってた・・・。
涙が止まらなかった。

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母の作るお弁当

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
 
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
 
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
 
後悔で涙がこぼれた。

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天国へ持っていきたい記憶

『ワンダフルライフ』っていう映画知ってますか?
自分が死んだ時に、たった一つ天国に持っていける記憶を選ぶ、っていう内容。
高校生の頃この映画を見て、何の気なしにママに聞いてみた。
「どのシーンを持っていきたい?」
ママは即答えた。
 
「アンタが生まれた瞬間かな。」
 
うちは大して裕福でもなかったのに、私が男の子苦手だったからなんて理由だけで、小学校から身分不相応な私立のお嬢さん学校に通わせて貰った。
なのにちっとも勉強しなくて、ママは何回も赤点取った私のせいで学校に呼ばれた。
受験もないくせに、授業についていく為に塾にも行かせて貰った。
そんなに余裕なかったはずなのに…。
でも当時の私は全然そんな事も考えないで過干渉だって反抗ばっかりしてフプチ家出。
たくさん怒らせ、泣かせた。
 
やっと専門まで出て、念願の幼稚園の先生になれた。
家にお金も入れられるようになった。
なのに無計画な妊娠…。しかも相手は4つも年下の学生の彼氏。おろしてって言われた。
産みたいけど、1人じゃ無理だよってママに言ったら、人殺しってひっぱたかれた後、

「私にまだ子宮があれば代わりに産んであげたのに…」って泣いた。
 
ママは子宮筋腫で子宮をとってしまっていた。
 
その後私の貯金と、今迄家に入れてたお金(ママが貯めててくれた)を合わせて、引っ越し、出産資金にした。
彼氏ははっきり言って自己中のDQNでまだまだ子どもだけど、なんとか説得したよ。
今はお腹の子どもに毎日話しかけてる。
 
24にもなって、これだけ大切に育てて貰ったのに、何一つお返し出来ず、いい年こいて最後の最後に心配や迷惑をかけたまま嫁に出た。
妊娠経過もよくなくて、度々お世話になってしまった。
みんな諦めた方がいいって言う中、あなただけが私の産みたい気持ちを尊重して、精一杯の事をしてくれた。私の幸せのために祈り、叱ってくれた。
こんな大人になってもだめな娘だけど、やっぱり天国には初めて会えた日の記憶を持って行ってくれるかな?
 
ママの孫は、今週か来週には生まれるよ。
あなたを超えるのは難しいけど、私も娘に、あなたが与えてくれた愛情を伝えて行きます。
 
いつもごめん。
ありがとう。
世界一尊敬してます。
もうすぐバーバになるママへ。
もうすぐママになる馬鹿娘より。

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小学校2年生の娘がアルバイトを

昨夜、嫁とケンカした
きっかけは些細なことで、小2の娘がバイオリンを習いたいと言い出したこと
嫁は「本人がやりたいなんて言い出すのは珍しいから、習わせてあげたい」
俺は「どうせ思いつきだろ、ほっといたら三日で忘れる」
まぁ、俺はその日仕事でトラブルがあってイライラしてたっていうのもあったんだけどね
最終的に「俺は仕事で疲れてるんだから黙ってろ!」と思わず怒鳴ってしまい、終了
翌朝、俺も嫁も険悪なムードのまま、二人とも仕事に出た

仕事から帰ってきたとき、嫁はまだ泣きはらした目をしていた
なんとなくバツが悪くなって俯いてしまったとき嫁が
「あ…違うの。あのね、ちょっとこれ見て」と新聞の切り抜きを俺に渡してきた
それは「DM封入のバイト」の募集記事で「封筒に紙を入れるだけの簡単な仕事です!」と書いてあった

俺「これがどうかしたの?」
嫁「今日ね、この会社から電話があったの」
俺「?」
嫁「○美(娘)がね、この会社に働きたいって電話したんだって」
俺「はぁ?」
嫁「先方が声も幼いし、おかしいと思って○美に連絡先を聞いてうちに電話をくれたの。
  ○美に確認したら…(ここらへんで涙ポロポロ流しだした)…
  ○美がね、『ママとパパ、ケンカしてるのが自分のせいなのがわかったからいやだった。
  だから、私も働いてパパのお仕事の大変さをわかりたかったし、お金も稼げるし
  そしたらバイオリンもならえるし、パパもママもケンカしなくてすむから
  一番いいと思ったの』って言うの…」

気がついたら俺も泣きそうになってて、嫁が「ごめんね」なんて言うもんだから、余計に泣きそうになって
顔あげたら、ちょうどドアから○美がこっちをこっそり覗いてた
俺は○美を部屋にいれ、盛大に説教をした
お前は働かなくていいんだ、つーか、勉強しろ、その代わりママとパパはできるだけケンカしないようにする
バイオリンは習ってヨシ、ただし、途中で止めるとかいいだすな判ったか!…とね
でもさ、説教しながら、俺、泣いてんのw
こんな小さい娘に気をつかわせるほどピリピリしてた自分に後悔しつつ
こんな良い娘に育ってくれたことを感謝しつつ、涙が止まらないんでやんのw
いやー、うちの娘は世界一の良い娘だ。マジそう思うw

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胃がんになってしまった妹

一年前の今頃、妹が突然電話をかけてきた。家を出てからあまり交流がなかったので少し驚いた。
 
「病院に行って検査をしたら、家族を呼べって言われたから来て。両親には内緒で」
嫌な話だということは簡単に想像できた。
 
妹は胃癌だった。初期の段階だが、すぐ手術をしなければいけないということだった。
「お父さんとお母さんに言ったら、びっくりすると思うからお兄ちゃんを呼んだ。迷惑かけてゴメン」
親父は二ヶ月前に胃潰瘍を患っている。
お袋は神経が細かいので、こういった話には耐えられないだろう。
だから妹は俺を呼んだのだと言う。
妹は少し優秀なプログラマーで、手術の費用などは心配するなと笑っていた。
高額医療保障制度もあるし、大丈夫。
でも、お父さんとお母さんにだけは内緒にしておいて。
手術が終わったら言うから。
迷惑かけてゴメンね。
迷惑かけてゴメンね、と、何回も繰り返す妹に、俺は「迷惑じゃないよ」としか言えなかった。
 
医者に話を聞いたら、本当は初期じゃなかった。
だいぶ進行していて既に末期だという。
手術中に死ぬかもしれないとも言われた。
手術しても助からないかもしれないとも言われた。
 
俺は両親に言ってしまった。
親父は絶句して、お袋は精神的なショックで一時的に左耳が聴こえなくなった。
でも、二人ともすぐに入院した妹に会いに行った。
 
妹が俺を責めた。
「何で言ったの。言わないでって言ったじゃない」
俺は「ゴメン」しか言えなかった。
死ぬかもしれない妹に、とにかく両親を会わせてやりたかった。
でも本当は、妹の死を一人で背負う事が辛かったんだと思う。
俺は弱い卑怯者だと思う。
 
手術の日、手術室に移される前に、妹が俺に言った。
「迷惑かけてゴメンね」
俺はやっぱり、「迷惑じゃないよ」としか言えなかった。
 
手術は腹を開いただけだった。
検査で分かっていたが、手術をしても無駄なほど癌が進行していた。
 
それから二ヵ月後、妹は死んだ。27歳だった。
死ぬまで、俺は毎日病院に通った。仕事の合間にも顔を出した。周囲にはいい兄貴に見えたと思う。
そんなに仲がいい兄妹じゃなかったと思うが、それでも毎日病院に通った。
妹は何度も、「迷惑かけてゴメンね」と謝った。
 
意識がなくなる二日前、俺に
「お父さんとお母さんに教えたって、責めてゴメンね。 迷惑かけてゴメンね」
と言った。
俺は「迷惑じゃないよ」としか言えなくて、自分が死にたくなった。
 
もうすぐ妹の命日だが、今でも後悔している事がたくさんある。
もっと気の利いたことを言ってやりたかった。
調べればもっといい病院があったかもしれない。探してやりたかった。
今まで全然甘えなかった妹が最後に俺を頼ったのに、俺は何もしてやれなかった。
 
27年間、もしやり直せるんだったら、俺はもっと強くていい兄貴になりたい。
でもそれはできない。
立ち直るまでまだもう少し時間がかかりそうだが(一年も経ってまだ立ち直ってないのかと自分でも思うが)、妹の分までしっかり生きていってやろうと思ってる。
もっと強くていい兄貴になって、天国の妹が自慢に思ってくれるような人間になりたい。

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ママの死

この間1歳半の息子を連れて、友人の家に行った時に友人の祖母に聞いた話です。
 
友人がちょうど1歳半の時、お母さんが癌になったそうです。
気付いた時はもう手遅れで、1月もたずに亡くなってしまいました。
友人は冷たくなって帰って来たママに、
 
「おっき、おっき」
 
と言っていましたが、起きないとわかると
肩をトントン叩いて寝かしつけるマネをしたあと、お腹の上に乗って
うつぶせラッコ寝状態で自分も眠ってしまったそうです。
 
次の日、ママが棺に入れられる時、
友人はママを持ち上げようと取り囲む人たちを泣いて叩いて、
 
「マーマ!マーマ!」
 
と凄い力で引っ張って引き離そうとしていました。
大人に外に連れて行かれても、ママ!の声が聞こえてくるほどでした。
 
しばらくして友人が戻ると、棺に釘が打ち込まれた後でした。
友人はママ!ママ!と泣き叫びながら棺を開けようとして、
開かないと打ち込んだ釘を引き抜こうと一生懸命になっていました。
それでも棺は運ばれていき、友人は家に置いて行かれました。
友人の祖母が帰ると、友人は眠っていました。
留守番の人の話によると、泣いて泣いて、突然ふっ、と
気を失うように眠ってしまったそうです。
その後起きた友人は声がかれてしまっていました。
でも、それ以来訳がわからなくなるほど泣く事はありませんでした。
そして、言葉も話さなくなりました。
2歳すぎまで一言も単語を言わなかったそうです。
あの時の事は忘れられない、と友人の祖母は泣きながら話してくれました。
 
それから21年。友人は、来月ママになります。

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お母さんの炊き込みご飯

俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・
 
会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
 
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
 
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」
口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘と
それを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に母の炊き込みご飯が食べたくなる。

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家内を事故で亡くした

家内を亡くしました。お腹に第二子を宿した彼女が乗ったタクシーは、病院に向かう途中に居眠り運転のトラックと激突。即死のようでした。
警察から連絡が来たときはひどい冗談だと思いました。
いつものように今朝も笑顔で送ってくれたのに。
冷たくなった彼女と対面しても現実の事態として理解できませんでした。
 
帰宅して呆然としているところ、トラックを運転していた男性の父親と婚約者の訪問を受けました。
父親は土下座しながら、「自分と家内が死んでお詫びするから、息子には生きていく事を許してほしい」と。
警察から聞いたところによると、入院している母親の治療費を稼ぐため男性は無理な労働をしており、それが居眠り運転をした原因のようでした。
 
同様に土下座している婚約者に目をやると、若くて綺麗な女性にもかかわらず荒れた手をしています。
本来ならとっくに結婚しているところ、運転手の母親の入院のために延期し、彼女もまた入院費を捻出するために懸命に働いていると聞きました。
私は何て言葉をかければいいのか分かりませんでした。
罵ることができる相手だったらよかったのに。
 
家内の葬儀にはトラック運転手が警察官に伴われて参列しました。
彼には思い切り罵詈雑言をぶつけ、殴ってやろうと思いました。
一生憎むつもりでした。
しかし、震えながら土下座し私の顔を見ることのできない彼を見ると、
「彼もまたこれから苦しみを背負っていく人間なのだろう」
との思いがよぎりました。
 
「つまらない人間のために家内を亡くしたと思いたくない。罪は罪として償ってもらうが、 その後はきちんと生きて欲しい」
 
私が彼にかけた言葉です。
正しかったかどうか分かりません。本当の私の本音かどうかもわかりません。
ただ、私には彼を憎むことができませんでした。
震える声で返事をする彼をみると私の気持ちは伝わったようです。
怒りをぶつけられる相手だったらよかったのに。彼そして彼の家族に会わなければよかった。
 
葬儀の後ようやく一人になれてウィスキーをなめていると3歳の長男が起きてきました。
私の横にすわりながら
「お母さん大好きだったんでしょ。いなくなって悲しいんでしょ。悲しいときは泣くんだよ」と。
私は息子の前でも家内を愛していることを口に出す父親でした。
好きな女と生きていける幸せをいつも伝えてました。
息子相手に、付き合った時どんなに楽しかったか、私の子供を生んでくれてどんなに嬉しかったか、
どれくらい幸せにしてくれたか、と家内の思い出をぽつぽつと語っているうちに涙がとまらなくなりました。
今思えば、この時になってようやく家内及びお腹の子の死を現実のものとして捉えることができました。
そう、悲しくて泣くことによって。凍結した感情が解凍したことによって。
情けない父親でごめんな。
 
交通刑務所にいるトラック運転手から時折手紙が届きます。
謝罪をつづった言葉ばかりですが、行間から彼もまた苦しんでいる様子が伺えます。
人の命を奪った自分が生きていってもいいのだろうか、と。
また、彼の婚約者から毎月手紙とともに金が送付されてます。
最初は受け取りを拒否しようと思いましたが、考えを変えて新しく作った口座に預金しています。
彼が出所したらファイルに綴じた彼の手紙とともに通帳を渡すつもりです。
そして「これらのものを背負いつつ、きちんと人生を歩んで欲しい」と伝えるつもりです。
 
私たち親子もまた大事な家族を失った事実を背負って生きていきます。
私は父親として、社会人として一生懸命な背中を息子に見せ、息子の目に写る私は誰よりも強い男であるべく努めたいと思っております。
家内が安心できるように。二人で頑張っていきます。
 
だから時々泣くことは許して欲しい。誰にも分からないようにするから。

出典:

	

ファミコンが欲しかった小学生時代

俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。

すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。

俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、「ファミコン持ってない奴が怪しい」なんて、真っ先に疑われたっけ。

貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!

って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。

これでようやく遊べると思ったんだけど、ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。

いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。

泣いたね、、初めて言ったよ「産んでくれてありがとう」って。

出典:

	

息子の成長と「ロク」な大人

この前の、子供の日。
夫の親・兄弟・親戚、一同が集まった席でいつものように始まった大合唱。
 
「一人っ子はかわいそう」
「ロクな大人にならん」
「今からでも第二子は遅くない」
「今なら高度医療でなんとかなるやろ?」
 
困った顔をして薄笑いを浮かべて
テキトーに生返事をしてやり過ごすしか私達夫婦には方法がなくてね。
うっかり事情が知れたら、もっと傷つけられる。
ああ、仕方が無い人達だ、我慢しよう、嵐が過ぎるまで・・・そう思って。
今年小5の息子が、その時鋭い口調で言い出した。
 
「ロクな大人の ロク って何さ?」
「嫌そうに聞いている人間に嫌な言葉を言い続けるのが ロク なんか?」
「ここにいるみんな、おれ以外はみんなキョウダイがいるロクな大人やろうもん」
「ロクな大人の ロク がこういうことなら、おれはロクな大人にならんでよか!」
「ああ、よかったったい。おれはロクな大人になれん一人っ子で」
「ちぃーともかわいそうなこと、なかやっか。一人っ子ばんざい!」
 
一同が静まり返ってきまり悪そうに視線をアチコチに泳がせ始めた時
「母さん、おれを産んでくれてありがとう。一人だけでも俺を産んでくれてありがとうな。」
照れくさそうに言って、ちまきを2~3個引っ掴んで、
「△△のうちに遊びに行ってくるったい。いってきまーす!」
飛び出していったよ。
 
 
「今日と明日は、おれが家事やるけん。母さんはゆっくりしときー。母の日やけん。お金かからんいい孝行やろもん。おれってあったまいー。」
今、息子は昼ごはんにとホットケーキを焼いているようです。
でもね、母の日のプレゼントは先週にもう貰ったと、私は思っているんだ。
えへへ、親馬鹿だけど、いい息子に育ってくれてうれしくて。
誰かに聞いてもらいたかったんだ。

出典:

	

たった一度きりの反抗

昨日4時22分に母が亡くなった
風邪一つ引かない元気な母だった。
 
僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。
借金作って逃げたらしい。
朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。
帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。
休むのは月に3回あればいいほう。
そうやって僕と妹は育てられた。
 
反抗期なんてほぼ無かった。
あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。
いや・・・一度だけあった。
クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。
友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。
何故あんな嘘をついたのだろう・・・。
 
母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。
僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。
その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。
 
クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。
母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。
古いゲームソフトだけを買ってきた。
「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。
 
あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。
 
俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。
働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。
どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。
妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。
 
なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。
何度も病院いこうって言ったじゃないか。
先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。
看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。
いっつも人のことばっかり気にして・・・。
 
震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ
 
「耕ちゃんへ
小さいころはいつもお手伝いありがとう
あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした
妹の面倒も沢山見てくれてありがとう
あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ
あなたのお嫁さんを見たかった
 
梓へ
女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね
いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに何度私は救われたかわかりません
あなたはあなたを愛する人を見つけなさい
そしてその人のために生きなさい
 
死は誰にでも訪れるものです。
悲しまないで
あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね
 
あなた達の母親で良かった
また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。
それが私の唯一つの願いです
体に気をつけて。
寒いからあたたかかくして。
それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね
たくさんたくさんありがとう」
 
お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。
だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。
 
お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・
 
まだ遊んでるよ。
プレゼントしてくれたスーパーマリオランド

出典:

	
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著者プロフィール
うぃぐ

釣りと食べ歩きが趣味の会社員(♂)です。前職はライターをしてました。