<どういう意味を持つのだろう・・・?> 「原爆を造らなければ良かった」と 言い残して死んだある日本人技術者

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戦争による人口削減と莫大な利益をあげた大手柄と、更に、原爆技術を

イルミナティの仲間に提供したことによって、

彼は、飛び級の出世をしたようです。

かつては、エリザベス女王の家臣だった人物が、

そのエリザベス女王さえも追い越してしまった。


イルミナティの階位は、極めて厳格です。

昭和天皇は、世界のイルミナティの中でもトップクラスになった。

無論、天皇家そのものの位置づけも格段に上がったでしょう。

日本の史実はムチャクチャ改竄されまくっています

広島原爆投下は、8時15分とされています。

しかし、実際には、8時6分が正しい。

この違いの本当の意味は・・・

大変大きな意味を持っています。


8時6分に地上で核爆発が起き、しばらくしてから、

B29の観測機がやって来た。

B29の高度は大変低かったと記録されています。

機体の様子がはっきり目視出来たと報告されています。

そして、観測なので速度も低速であった。

その高度とあの低速度で、核爆弾を投下したとしたら、

まず間違いなく、墜落していたでしょう。

これは、100%間違いない。

8時6分前後に、B29は確認されていません。

だから、空襲警報も鳴らされなかったのです。

長崎も同じです。

出典:「原爆を造らなければ良かった」と言い残して死んだある日本人技術者|wantonのブログ

	

広島上空に侵入して、

弾倉の格納されている「原爆の起爆装置をセットON」して、弾倉トビラを開けて、

フックを外して原爆を投下し、広島市の地上から520~550m上空で都合よく起爆

したとしたら、それ自体でB29は爆風に巻き込まれて墜落

広島に原爆を投下されたという大本営発表の

「1945年8月6日 午前7時45分から8時15分」の時間帯に、

『広島市民は誰一人として、B29特有のエンジン音も、機影も目撃した者がいない』

と云う事実である。

しかし、『広島は一瞬にして地上から消えた』訳である。

まるで「手品」である。「手品」には必ず種がある。


この場合の手品の種は「地上起爆の目撃者が全て殺された」と云う事と、

ラジオと新聞報道で「アメリカの爆撃機による空中投下」を繰り返し流し、

テレビ時代に入ってからは、B29の映像とキノコ雲を同時に映像化して、

それらしくシナリオ化している。極めてシンプルな手口である。

広島・長崎での被爆体験記録では、肝心の

『地上に設置された巨大な瓦斯タンク(核弾頭と起爆装置)』の目撃に

関する記述が削除されていることは確かである。


広島市東部から20kmの地点に在る『中野探照灯台』上空附近を飛ぶB29は、

すでに9,630mの高度をとっていたはずである。

つまり、中野探照灯台の兵士たちは9,630mからの爆音を聞いていたということになる。

その時間は、午前8時14分と報告されている。

それから、1分後の8時15分に起爆するのだが、中野探照灯台から2~3分の時間を

必要とするが、原爆機は最高速度600kmを、わざわざ320キロメートルに落し、

広島市上空では「機関を停止してグライダー飛行に入る」のである。


こんな爆撃をしたら「自爆による墜落攻撃」である。

B29の爆弾搭載量は9トンと云うが、5トンが限界である。

乗員11~12名を機長・副操縦士・航空機関士・気象士・爆撃手・通信士・

原爆要員等を考えると、乗員は逆に15名程度に増えるし、

機銃装備を取り除いても2~3トンの削減が限界だろうし、

護衛戦闘機がいないのだから、幾ら超高度10,000mを飛行できても、

高度が上がれば燃料消費量も上がり、往復の燃料にも問題が発生するから、

通常は高度を下げて飛行して、目標地点の近くで高度を上げる事になる。


高度が低くければ、自爆戦闘機(神風)からの攻撃は必至である。

それでは、無防備だから、テニアン島からの往復を考えると、

機銃装備を外すとは考えられない。護衛戦闘機が豊後水道まで護衛すれば、

飛行機のエンジン音は当然大きくなる筈だが、その証言は何処にも無い。


この当時の巨大爆撃機のレシプロエンジン(発動機)を上空9,630mで、

『中野探照灯台(広島市東部)』上空附近から、3機(1機エノラ・ゲイ)が

「機関を停止」してグライダー飛行して、広島上空に侵入して、

弾倉の格納されている「原爆の起爆装置をセットON」して、弾倉トビラを開けて、

フックを外して原爆を投下し、広島市の地上から520~550m上空で都合よく起爆

したとしたら、それ自体でB29は爆風に巻き込まれて墜落である。


長崎では逆に原爆を搭載して、曲芸飛行の様に、10,000mから急降下して

地上すれすれを飛んだのは、広島のB29投下シナリオの「手品」が、

多くの広島市民にばれた教訓として、地上起爆を演出するために、

地上すれすれを飛行して、さも飛行機(B29)が「原爆を投下」しましたよ!

と「手品」をした訳である。

出典:「原爆を造らなければ良かった」と言い残して死んだある日本人技術者|wantonのブログ

	
	
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