ギャラクシー賞・優秀賞NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言 」

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ギャラクシー賞・優秀賞「NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言 」。
この動画解説を引用・・・

南京事件に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが­多いが、これは日本と同盟していたドイツ高官も本物と認めた第一級の資料映像。しかも­生存者の証言が細部まで一致している。番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に­番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が­心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。

※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞

★他の第一級資料動画

●残念だが南京事件はあった~当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)

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南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよ­と­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を­処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解­除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため­、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­­戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は­無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­­の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言で­あ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が­記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発­生­し幕府山事件が起きた)。しかし、本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議­の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと­、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社­会で通用­しない

NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言 」は良く出来てる。古館報ステとともにギャラクシー賞を取った意味は大きい。NNN読売保守系が「南京事件」のドキュメントを撮るのか、南京虐殺幻のためのドキュメントか、と思いきや、「南京虐殺」のあった当時の元日本兵「陣中日誌」から「南京虐殺」が事実なのかを検証し、裏付けを取っている(NNNは南京について3本ほどのドキュメントがある)。つまり、加害の側から、ある部隊の記録を軸に「南京虐殺」のエビデンスを決定付ける。27年間「南京虐殺」を調べ挙げた小野賢二氏の集めた資料が、当時の「陣中日記」であり、元日本兵約200名にインタヴュー記録である。そこから多角的に交わりながら見えてくるのが加害者の証言「陣中日記」(1次資料)。たとえば元農民であった日本兵にやがて変化が生じ、殺戮に対し楽しむような記述も出てくる。さらに中国に渡り、史実資料・写真等と照らし合わせ、記述が事実かを照合する(元日本兵の映像・音声も含む)。ここで「南京虐殺」が幻ではなく、事実であったことが分かる。1937年、11月から南京周辺での徴発、さらに12月4日~16.17.18.19日、揚子江沿いで虐殺があった。「南京虐殺」に関しては、虐殺された人数が明確ではないことや、連合国側発表の人数が20万人、被害の中国側は30万人と大きく異なる。おそらく、これが、南京虐殺幻説の思い込みで、歴史的史実が歪められていることの要因だろう。しかし、「陣中日記」の記載から、それぞれ元日本兵の書かれたものを比べ、結びつけるならば、少なくとも11月中旬から12月の4~16.17.18.19日にかけて、5~10万人強の中国人(兵士・民間人含む)を殺害していると思われる。加害、元日本兵の「陣中日記」の証言には、我々は謙虚に耳を傾けるべきだろう(そして当時9歳の生き残り被害者の証言、当時の海外メディアの報道・3万3000人殺害と)。

さらに言うならば、何故ある時期から「南京虐殺」が「南京事件」に名称が変わったのか。報道メディア、新聞、教科書類、テレビ等すべて「南京事件」と「右へならえ」の名称で統一している。僕には非常に違和感がある。隣町でたった1日で忽然と1万人が殺され、いなくなったらどうたとえるだろう。たとえが悪いが、渋谷区で渋谷区民(日本人)がISILにたった1日で1万人殺害されたら・事件・だろうか。現時点で・事件・と報じるのか。少なくとも日本人という特定人種を1万人殺害は、今日的には・民族虐殺・ジェノサイド・だろう。同様の事が当時の南京で起きたのだ。そう勘案するならば、ナンキンマサカ―・南京虐殺・ではないのか。僕は少なくとも、徹頭徹尾、南京事件とは呼ばない。・南京虐殺・であるし、そのような名称で呼ぶ。最後に、日本人の加害の事実は、事実として認め、決して歴史を歪め、忘却してはならない、と思う。










著者プロフィール
Sharetube