またしても表現・展示に対する、お上からの検閲か?府中美術館・常設展特集「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄/しんかいかくおの軌跡」の展示が夏に予定されながら、上からの指示として「偏り過ぎている」と企画学芸員に中止もしくは変更を要請。

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《独立はしたが》1952年、福富太郎コレクション資料室蔵

《構内デモ》1955年、国鉄労働組合蔵

真の独立を闘いとろう1964,68年、板橋区立美術館寄託

《戦争と失業のない日本を!》1960

《老船長》1932年、東京国立近代美術館蔵

《行動隊長 青木市五郎》1955-56年、立川市歴史民俗資料館蔵

《ノーモア・ヒロシマ》1961年、法政大学大原社会問題研究所蔵
府中市美術館で今夏行われる予定の・常設展特集「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」・が上からの検閲を受けている。学芸員によれば、リーフレット等発送準備、展覧会の予定はプレスリリースで既に発表。昨年から準備、7月16日から展示が始まり、目前に控えた状況の中、異例の「再検討せよ」で、ハフィントンポストによれば、副館長・須恵正之氏は以下のように返答している(担当学芸員のFBには1500件近い・支持・する書き込みがあるという)。

引用・・・

「新海覚雄(1904-1968)は東京生まれの洋画家。1950年代から社会運動を題材に絵を描くようになり、「砂川闘争」(砂川事件)と呼ばれる1955年の米軍立川基地の拡張反対運動や、国鉄の労働運動や原水爆告発などの作品を残した。展示では、油彩画や水彩画、版画など約70点を展示するとしている。

府中市美術館の須恵正之副館長は24日、ハフポスト日本版の取材に「中止という命令をしたことはない」と述べたが、「公立美術館なので、それに合う形態の展示をしなければならない」と話し、展示の政治的な内容について内部で議論があったことは認めた。


一問一答は以下の通り。


――学芸員の投稿は事実なのか。


展示が近づいてきた中で、具体的な内容を館長を含めて話し合って、意見が合わない部分があった。内部の展示の話し合いが個人から発信された。本人が意に沿わない部分があったということではないか。


中止という命令をしたことはない。やめるとか、出すなといった覚えはない。


――展示の内容について議論したのか。


公立美術館なので、それに合う形態の展示をしなければならない。今まであまり紹介してこなかった画家なので、その方を紹介する展示を心がけた。


――政治的な内容を扱った作品が問題になったのか。


そちらだけに焦点を当てたという形にはしたくない。そうした形を話し合う中で、担当者と上司の間でいろいろな意見が出た。


――個別の作品について、展示の可否を話し合ったのか。


この作品を展示するなとか、それは一切話したことはない。


――美術館の外部から指示や要請があったのか。


昨日の内部の会議で話し合ったばかりであり、そのやりとりが表に出てしまっている。外から、ということではない。」


つまり、敗戦後まもなくの新海の左翼的絵画表現、社会主義リアリズムに焦点を当て、表出し過ぎている点を、「偏っている」と述べている訳だ。しかし、日本の戦後史の中で取り分け美術が敗戦後まもなく、美術運動・社会メッセージ性を帯びた表現があり、社会労働運動と共に美術表現が動いていた時代があったことは事実で、その敗戦後日本美術史を無視し、眼をつむることは、わざわざ歴史から葬り去り、忘却を強いることに等しく、これこそ「偏り」だろう。昨今の現状から、上からの物言いは、担当学芸員を委縮させる、検閲という名の権力パワハラにも等しい(ここで自粛が起きてしまう)。我々には、美術から歴史・時代を知る権利、観る権利もある。ある特定の「偏った」お上の見方で、美術展示が左右されることは、観る側、知る側にとって不幸の何ものでもない。今後の経緯を見守りたいが、是非、検閲なしの全面展示を行ってほしい。










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Sharetube