三宅洋平氏、もう安倍昭恵さんの「公邸お待ち」で懐柔か?平然と昭恵夫人の介在で安倍首相とコンタクト取れる三宅氏の恐ろしい・感性、感覚

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 少なくとも参院選直後だ。三宅洋平氏に投票した反安倍自民の多様な思いを背負った選挙だろうし、今後も三宅氏は継続を宣言した。同時に、参院選直後、安倍首相の夫人・昭恵さんはFB上で「三宅洋平さん、、「どんなに甘いと言われようが、バカだと言われようが、私はどんな人とも仲良くなれると信じている。(中略)三宅洋平さん、公邸でお待ちしてます!」と明言したが、ほぼ現実のものになった。「昭恵さんは、チャーミングなかたでした」洋平氏、とも述べている。直接彼が会って、会話をして率直な感想を述べることは悪くない。むしろ自然だ。しかし、反安倍を掲げ、多数の三宅支持者は・違和感・があるのではないか?もちろん、カルト的三宅信者に関しては・三宅らしい・と述べるかもしれない。が、多数の思いの入る三宅票を入れた人々への・責任・もあるということでの拙速とも思えるこの行為は、批判・非難と共に、今後、尾を引くと思われる。

 実は、私は違和感よりも、安倍夫人や安倍首相とすんなりコミュニケートできる姿が、三宅氏自体、安倍氏等と同質なものを内在させているか、通底しているのところが在るのでは?と思う。三宅氏のほぼ靖国神社支持発言や、優生保護ほど共感・謝罪なしや、ユダヤ陰謀説「田布施システム」(鬼塚史観・鬼塚英昭)等を平然とスピーチでも行える感性・感覚的政治の論証不可能性を全面に出す危うさは、その発言から若い支持者や信者に「カルトを生み出す」と以前書いたが、芸能人等との交流も多い奔放な活動で知られる安倍夫人・昭恵さんも「どんな人でも仲良くなれる」という勝手な思い込みからくる、感性・感覚優先の同質の方に思える(例えば、昭恵夫人は、どのような・お考え・で「誰とでも仲良くなれる」だし、他方、安倍自民右傾信者は「なんで昭恵夫人は反安倍の三宅と仲良くなる」という批判もあり得るだろう)。非常に似てる感性の持ち主であると思える三宅氏と昭恵夫人(失礼)。その夫人が媒介して、直ちに日本の政治・最高権力者?に平然と携帯で繋げるという感性・感覚。そしてそれをこの時点で平然と引き受けるられる三宅氏。

 当然の事ながら、長年政治本流に司る安倍首相は感性の三宅氏より1枚の2枚の上手で、・利用上手・だろう。政治は国や人々の方向性を決めてしまうオゾマシイ取引交渉の塊と利用する側、される側のこれまたオゾマシイ人間の縮図でもある。だから・理性的・政治性利用が前面に出れば、感覚・感性の動きなど、力・数・武力でもってかれる。なんせ、権力者に取っては全ては・駒・なのだから。その懐にわざわざ入ってしまう三宅氏のジャンプ力は、彼のスピーチするエビデンスなき論拠陰謀説の結論へと結び付ける勝手な思い込み根拠となるジャンプ力と同質なものにもみえる。安倍首相自体、復古主義・明治憲法・教育勅語・憲法押し付け等全てが論拠不可の思い込みからの勢力結集の天皇教的カルト復古に近い。三宅氏と似てるのだ。では、昭恵さんは、民進党・岡田氏等に、共産党の志位氏にこんなことするか?彼等は「仲良く電話」を断るだろうが、それ以前にこのようなトリモチ行為はしない。なんせ、感性・感覚優先で同類を選んでいるだから。しかも振り返り・自省自体を考える力もない。

 結論・・・

やはり、三宅氏は安倍氏等と同質の他者性なきカルト性を持った思い込み排他性を兼ね備える。それが参院選時点で右・左として我々の表面上、反安倍と写っただけだったが、本来の三宅氏の姿・感性、感覚がここにある。はっきり言うが、三宅氏は危険だし、ダメと思う。三宅氏が「ぶれてない」と発言した時が最悪だろう。ついでに安倍氏陣営のこの種の懐柔手法は、日本の報道メディアで広く使われているのではないか。左傾メディア・御用ジャーナル経営者等と税金使った会食と安倍氏の一言。毅然と断れなければ、真の安倍政権批判はできない。

 








































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Sharetube